住人達
俺の母親は、線が細く色白で一見すると弱そうに見える。しかし女手一つで俺を育ててくれた。
古くて狭い部屋に住んでいたが、貧しいながらも、親子2人それなりに幸せに暮らしていたと思う。
卓袱台で向かい合いながら、一緒に食べる食事、一緒に通った銭湯。
周りの子供達を見れば、明らかに俺達、親子の境遇は違って見えたが、少なくても
俺は自分を不幸だとは思わなかった。
母親は電車で3駅程乗り継いだ、街の料亭で働いていて、いつも俺の登校時間に合わせる様に出勤し
だいたい夕方5時頃には帰って来た。店が忙しい時は夜の出番も有り、帰宅が夜になる事も有ったが
特別に寂しい想いをした事は無かった。
何故なら、そんな時は同じ住人の誰かの部屋に転がり込んで相手になって貰えば良かった。
また、母親がちゃんとイヨさんに帰宅がおそくなる事を告げていたのだった。
朝7時を過ぎると、「イヨさん」と「パチプロのマコさん」以外の住人達はそれぞれの、
勤め先や学校へと向かう。
「イヨさん」は年金生活者だから出勤する必要は無く、「マコさん」は自称パチプロで定職がないので
これも出勤の必要は無い。
また、イヨさんは大家から「静風荘」の管理人を任されていて、皆が静風荘を出る時間には
毎朝、玄関や直ぐ目の前の通りをこまめ箒で掃いていた。
築30年以上になるであろう、静風荘が紛いなりにも、辛うじて人が住める状態なのは
「イヨさん」の手入れのお陰だったのだろう。
朝、出るときには大体、イヨさんに住人達は声をかけられる。
俺などは
「ちゃんと、勉強するんだよ!」
程度のものだが、
学生のナカタ君は
「一生懸命勉強して偉くおなりよ!間違ってもウチのアパートのろくでなしの男達みたいに、なるんじゃないよ!」
と激を飛ばされていた。
プロボクサーを目指すタカさんは
「いつまで拳闘屋なんて夢みたいな事言ってるんだい!もっと地に足をつけたらどうなんだい!」
は、まだマシな方だった。
現場作業員のテツさんなどは
「あ~あ、いつまで嫁も貰わんで独り身で居るのかね~、情けないって言ったらありゃっしない
一生懸命、稼ぎなよ!」
なかなか厳しい。
自称パチプロのマコさんなどは、問題外だった。
「この博徒!いい歳して毎日ブラブラして、少しはまともになろうって根性は無いのかい!」
酷い言われようだった。
毎日マコさんは、パチンコ三昧たったかと思うと、ふと部屋を何日も留守にしたり
かと言って、マコさんは見た目、荒んだ風も無く格好も部屋もいつも小奇麗だった。
でも一体、何をして暮らしてるのか不思議だった。
しかしこの人物は、後の俺の人生に大きな影響をもたらすのを、小学生当時の俺はまだ知らない。
まあ、いつも毒を住人達に吐きまくる、イヨさんだったが、特に性格が悪い訳では無く、ただ単に「口が悪い」だけなのだった。
その証拠に、住人達にいつも目を配り、元気が無さそうだと、「毒口」から一転して、心配そうに「いたわり」の言葉を掛け、時として独身男達が、風邪で寝込んでしまった時など、食事を作って部屋まで運んでくれるのだった。
実は、「毒口」は吐くが、人情家なのを住民は皆、知っていて好意をもって居た。静風荘の人間たちは、他人同士ながらも家族のような雰囲気で暮らしていた。
あるとき俺は、近所の同年代の友達と近所の公園で遊んでいたら、
1学年、年上の3人のグループが「ニヤニヤ」して俺達の遊んでいる、傍に寄って来た。
近所では、性質の悪い「いじめっ子」の連中だった。
最初、俺たちは目を合わせない様に遊んでいたが
そのうち3人のグループの1人が俺の傍に寄って来て
「お前、あそこのボロアパートに住んでいるんだろう」
「そう言えば、煩せ~ババァが居たよな~」
と囃し立てながら、俺を小突きいて来た。
3年生の俺と4年生のそいつらとは、体格で敵う訳が無かった。
まして、相手は3人である。
俺はその場を立ち去りたかったが、逃げる隙がなかった。
そいつらは、興に乗りはじめ
「おまえ、オヤジいね~んだろう」
「母さん、仕事なにしてんだ~?」
母親の事を悪く言われたとたん、気が付くと、俺はその一人に組み付いていた。夢中で何かを叫んでいた記憶が有るが、はっきりと思い出せない。
組み付いていた1人から、残りの2人に力づくで引き離され、後は地面に転がされ
何発も蹴とばされた。
口惜しさと蹴られた痛みで、泣きじゃくっている俺を、遊んでいた友達が起こしてくれた。
「大丈夫か達也?
「ごめんな、あいつら怖くて助けれなかったよ」
当然だった。友達が加勢した所で、一緒に地面に転がされて蹴とばされるのが
オチだったろう。
俺は、土に汚れたまま静風荘に帰った。
まだ母親は帰って来ていなかったが、タカさんがバイトから帰っていて、玄関に居た。これから、ボクシング・ジムに、出かけるところだった。
土まみれのままの俺を、タカさんは怪訝な目で見つめた。
俺の表情を見れば、タカさんも大体察しはついただろう。
ご丁寧に顔に「擦り傷」まで作っていたのだ。
「なんだ?たー坊、喧嘩でもして来たのか?」
俺は無言で、タカさんを見つめた。
「そのなりじゃ、負けたんだな」
「そんなんじゃ、無いよ」
「じゃあ、どうしたんだよ」
俺は、告げ口するつもりで語った訳じゃ無いが、静風荘の事を馬鹿にされた事、さらに自分と母親を馬鹿にされ、悔しくて夢中で、相手に掴みかかって行った事を、悔し涙を浮かべながら、タカさんに語った。
タカさんは黙って、終わるまで俺の話を聞いてくれた。
「タカさんは、ボクシングやってるんだろう?」
「僕もボクシングやれば、あいつらに勝てるようになるのかい?」
「タカさん、僕にボクシング教えてよ!」
俺は、矢継ぎ早にタカさんに言葉を吐き、ボクシングを教えてくれるように懇願した。
タカさんは、大きく溜息をついた後で
「ボクシングをやっても、直ぐには強くなれねえんだよ」
「僕、一生懸命、練習するよ、だから教えてよ」
タカさんは、暫く黙った後、
「じゃあ、毎朝5時半から、6時半まで練習だ」
タカさんは毎朝、5時には身体を鍛える為にロードワークをしていた。その時間を俺の為に
割いてくれたのだった。
その夜、晩ご飯を母親と食べていると、やはり俺の顔の擦り傷が気になるらしく、しきりに、原因を聞いてきた。
俺は勿論、昼間の出来事は口にしなかった。
その代わりに、明日の早朝からタカさんに「ボクシング」を教えてもらう事を切り出した。
母親は
「なんでボクシングなんかするの?」
と呆れていたが、タカさんみたいに「格好良くなりたいから」
とだけ、言っておいた。
次の日の朝から、タカさんと俺のマン・ツーマンの練習がはじまるのだった。
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