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イーグル・アイ  作者: 香田 拓人
3/13

俺の過去

 俺は、須崎の店を出た後に何の予定も無いので

退屈しのぎに街をブラブラ歩いた。

昼下がりの街には、晩秋の冷たい風が、落ち葉を躍らせている。

通りがかりの公園の、ベンチに腰を下ろし、何となく周りの景色に目をやった。

葉を殆ど落とした木々に、囲まれた公園の中には、

子供用の滑り台、シーソーなどが有り、何組かの母子達が遊んでいた。


 ふと、足元に子供用のボールが転がって来た、後を追いかけて4~5歳と思える男児が、走り寄って来た。俺はボールを拾って、その子の目線にしゃがみ、バレーボール程の、ボールを渡してやった。

「ありがとう」

と、たどたどしい言葉と笑顔を残して、男児は母親の傍に走り去った。

その母親は、軽く微笑んで俺に頭を下げ、また男児と遊びの続きを始めた。


 ぼんやり、その母子を眺めていると、無邪気な男児が羨ましかった。

遠い過去、もう二度と戻れない、無垢な子供時代の自分自身と重なった。

あまりにもかけ離れてしまった、現在の俺。

 目の前の母子の、その平凡な幸せが、俺には永久に得られない特別な物に思えた。


 俺は、いつの間にか、少年時代を思い出していた。


物心付いた時には、既に母親と二人暮らしで父親の記憶は無い。

母親の話では、


「お父さんと私は、お前が、赤ん坊の時に離婚したんだよ」。


と聞かされていたが、成長してから戸籍謄本を確認すると、最初から「父親」と思しき人物は、入籍されていないのだった。


 母親と俺は「清風荘」と言う名の、平屋のアパートに住んで居た。

アパートと言えば聞こえは良いが、築30年以上は経っていただろう。

その当時でも、珍しくなっていたそれは、共同玄関、共同トイレ、勿論風呂など無かった。

 

そこのアパートは6世帯が入居していた。


 世帯と言っても、俺達母子以外は、全員単身だったが、、、。

そこの住人同士の付き合いは、「隣近所」どころでは無かった。

その筈だ、共同玄関を入れば廊下を挟んで向かい合った同じ屋根の下の

住人同士だったのだから。


 1号室は、独身で30代の建設現場の作業員「テツさん」

 2号室は、一人暮らしの60代後半の婆さん「イヨさん」

 3号室は、昼間はバイトをしながらプロボクサーを目指している20代前半「タカさん」

 6号室は、近くの大学に通う苦学生「ナカタくん」、この青年だけは姓に君付けで呼ばれていた。

 7号室は、自称パチプロ40代の「マコさん」


 5号室は俺達、母子が住んでいた。

因みに母親は、美代子と言う名から30代半ばなのに「みよちゃん」

と呼ばれ、俺は達也の名から「たー坊」と呼ばれていた。

「静風荘」に住む唯一の子供だった。


4号室が無かったのは「縁起が悪い」との、大家の気づかいだろう。


俺は、そんな環境で18歳迄、育つ事になった。


今はは既に無くなった「静風荘」


俺は、その住人達に「人生」を学んだ様な気がする。


 。。。。次号へ

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