防波堤の上
風は潮の香を含み「北」から吹いていた。
俺はウインド・ブレイカーの上下を身に着け、更に上半身には
フィッシング・ジャケットを着込んでいる。
頭にはキャップを深めに被り、サングラスをしている。
ここは「N市」から1時間程車を走らせた郊外に有る日本海沿岸
小さな商業用の岸壁と、その隣には20艘程のボートやヨットが係留されている「マリーナ」が有る。
その商業用の岸壁とマリーナを合わせても決して大きな「港」ではない。
岸壁の傍には数棟の倉庫が建ち並び、横付けされた貨物船からはコンテナが降ろされ
忙しそうに貨物船と倉庫の間をフォークリフトが往復していた。
そのコンテナの中身は何なのかは判らなかった。
マリーナでは1艘のボートが出航の準備をしている。
これから標的の高橋を載せ、沖に出て「船釣り」に出ようとしているのだ。
俺はこの機会をひたすら狙っていた。普段、標的の「高橋」には常にボディーガードの池田が
付き纏い、なかなか隙が無くこの「船釣り」は標的を仕留める絶好の機会と言えた。
高橋は大の「釣り好き」と有って頻繁に、このマリーナから自己所有のボートで釣りに出る。
しかし何時、釣りに出かけるのか特定するのは困難だ。毎日この港に張り付いて待つのも
非現実的だろう。
俺は半月程前、可能な限り、高橋が釣りに出かけそうな日時の特定に没頭していた。
釣りをする者は、出たとこ勝負で釣りをする訳では無い。ある魚種を狙うなら時期や場所
天候や海水温など調べ尽くし、最も釣果の上がるタイミングを選ぶだろう。
俺は高橋が考えうるであろう、あらゆる方法で情報を集めていた。先ずは「釣り情報誌」10月下旬に釣れる魚は何なのか?高橋はボートで沖に出るので、狙う魚種を調べてみるとこの時期は「鰤」が回遊し
「船釣り」のベストシーズンらしい。
きっと高橋はこの「鰤」を狙って来るだろう。調べるのは情報誌ばかりでは無く、実際にマリーナ
まで足を運び、釣り人の動きを見た。成るほど確かに帰って来るボートから降りる釣り人は
何本もの「鰤」が入っているであろうクーラーボックスを重そうに抱えている。
俺はボートから降りて来た釣り人に何気なく話しかけてみた。
「鰤釣りは今が時期ですかね?」
するとその釣り人は
「いい型が上がって来ているよ。これからもっと良くなるだろう」
満面に笑みを浮かべながら語ってくれた。
準備を急がなければならない。
高橋は今にも「鰤釣り」に出かけようとしているかもしれないと思った。
その港には2本の防波堤が港を両側から挟む様に沖に伸びていた。その形は
ちょうど上から見ると「八の字」に見え、八の字の右側の先端には
灯台が据え付けられ、堤防の長さは50m程は有るだろう。
その灯台の有る防波堤で俺は、数人の「釣り人」に紛れ「高橋」が現れるのをひたすら
待っていた。防波堤の基部に停めてあるワンボックスカーには「1週間」車中泊
出来る準備がしてあった。
この防波堤に張り付き、「3日目」で高橋は
現れたのだ。これは幸運と言えよう。1週間張り付いて高橋が現れなければ諦めて
また日を改めて出直そうと思っていた。
しかし自分の姿を改めて見直すと「滑稽」なものだ。
釣りが目的では無いのに、釣り人の姿に扮しこの3日間、飽く事無くロッドを
振り続けていたのだ。勿論この俺に「釣り」の趣味など有る訳が無かったが
この仕事を成功させる為には偽装が必要だった。
N市の釣具店で素人を装い(本当に素人だが)釣り具を購入する時、店員は
ルアーロッドとリール、ジグヘッドとブラーを薦めてくれた。
ゲームフィッシングの道具だと言う。
釣り人に扮せるのなら何でも良かったが、生餌では無く疑似餌なのは有難かった。
生餌だと保存が面倒だし何より手を汚す。それは極力避けたかった。
釣る気も無く、何気なく防波堤の内側の海面にブラーを投げ込んでいるとたまに手応えが有り
小さいながら魚が釣れ、それは小型のメバルやアイナメだった。どちらにせよ雑魚の類だろう。
釣れると直ぐに、釣り針から魚を外し、海へ戻した。周りの釣り人からは不思議に思われたかも
知れないが「キャッチアンドリリース」と言う釣りも有るそうだ。
高橋のボートには3人が乗り込もうとしていた。
その3人のうち1人は勿論、標的の高橋でいつものように隙の無いボディーガード
池田を伴っている。もう1人は未だ20代と思える男、これはせっせとボートの準備
をしていて、ボートの操縦手(と言うのか?)だ。
ボートに俺は詳しくは無いが、他には停泊している他のボートより小型に見えた。
船尾に船外機が取り付けられている。一応キャビンが有るが3人が入れば一杯になるだろう。
俺はロッドをフィッシングバッグに収め、高さ2m程の防波堤をよじ登った。
防波堤の外海側には、防波堤の高さまで消波ブロックが連なっている。
その消波ブロックの一つを見ると、四角柱を2本、互い違いに組み合わされ形作っている。
ブロックには隙間が幾つも有り、その隙間から海面見えた。
その隙間には、予め選んでいた安定出来る場所が有り、身体を滑り込ませた。
隙間に上手く身体を合わせれば何とか身体は安定させる事は出来るが
いかんせん態勢はどうしても、窮屈になる。自分の身体を無理矢理その隙間に
合わせているのだ。足元からは消波ブロックにぶつかった波が飛沫になって身体を濡らして来る。
全く忌々しい飛沫だ。
フィッシングバックから「銃」を取り出した。
潮風、特に塩分を含む海水は銃にとって大敵だ。
帰ったら念入りな手入れが必要だろう。
スコープの射距離設定を確認する。「200m」
10時方向からは5mの風、スコープに風の影響による数値の修正も加えた。
海上での射距離設定は厄介だ。周りに対象物が無いため正確な距離が測りにくい。
ここは鍛えぬいた「感覚」に頼る他は無いだろう。
身体と銃を消波ブロックに預け、何も無い海面に銃口を向ける。
銃に装填された弾丸は「5発」この悪条件の中、この5発で標的を仕留めなければならない。
港内からエンジン音の唸りが聞こえる。標的を載せたボートだろう。
静かにスコープのカバーを外し、肩にストックを当てた。スコープを覗くと、うねる海面が
スコープの中に浮かび上がる。
照準を灯台の方角、つまり右に移動させて二つの防波堤の開港部から標的を載せたボートが出港して
来るのを待った。
相変わらず海上は風に煽られ、白い波が立っている。
その波に船体を揺られながら、標的を載せたボートは防波堤の中から姿を現した。
ボートに照準を合わせ、その狙いはデッキに立つ標的「高橋」に向けた。
高橋はライフベストを着込み、潮風に吹きつけられるのを楽しんでいるかの様に見える。
波に揺られボートは舳先を上げ波に乗り上げたかと思うと、次には船尾を上げて波間に沈んだ。
標的を追いながら、照準もその標的を追いかけるが、なかなか狙いが定まらない。戸惑っていると
距離設定外に標的が逃げてしまう可能性が有る。
俺は焦っていた。
ボートは一定のリズムの縦揺れを繰り返している。
そのリズムをつかみ、俺の照準は標的の頭部を捉えた。
静かに「引き金」を引く。一瞬、発射の反動でスコープの中から視界が奪われた。
確かな「手応え」を感じたが再度、スコープで標的を確かめると。
放った弾丸は頭部ではなく右肩に命中していた。
ボートの揺れと、吹き付けられる風の影響で弾着がずれたのか・・・。
俺はスライドを引き次弾を薬室に詰め込み、再度照準
だが、池田が標的を庇うように被さり、ボートのキャビンに引きずり込もうとしている。
池田が邪魔だ、正確に照準する暇は無い、構わず池田に向け2発目を発射、背中に弾着
続けて3発目発射、同じく背中に弾着すると池田の動きは失われた。
被るようにガードしていた、今は死体と変わり果てた池田を押しのける様に標的は
キャビンへと這う。
残された弾丸は2発、相変わらず船は揺れている。
早く仕留めなければ標的はキャビンの中へと逃げ込む。しかし俺は慎重に照準した。
指は4回目を数える引き金を引いた。
「命中」。標的が仰向けに引っくり返り、頭部から血を流しているのが確認できた。
船を操っていた若い男は、突然の出来事に錯乱し、ボートは船速を上げ、あても無く
何処かに逃げようとしているようだ。
俺は暫く呆然としていた。
何故なら標的以外の人間を殺してしまったのだ。
一段と強く、飛沫は俺の身体を襲ったが飛沫のかかるにまかせていた。
我に帰り、残りの1発の弾丸を銃から取り出し、俺は静かに消波ブロックを上り始めた。




