空に刺繍
「この間はボタンだった」
手芸部の部長、糸塚先輩は後輩である僕に咎めるような視線を向けた。
そういえば、先週の頭にシャツのボタンを付け直してもらった。第二ボタンが飛んでいく光景を思い出す。
「そんなこともありましたねぇ」
愛想笑いをしつつも、糸塚先輩の視線から逃れるためにイスを窓辺にずらす。
糸塚先輩は深々とため息をついた。先輩の愛用している裁縫箱が主人を励ますように春の日差しを照り返す。
「その次は体操服だった」
「友達とふざけていたら破いてしまいまして……。睨まないで下さい」
糸塚先輩の細められた目に見つめられて僕は両手を前に突き出す。顔が整っている分、怒った糸塚先輩は本気で怖い。
怯える僕に呆れたらしい糸塚先輩は追撃の手を緩め、裁縫箱から赤い針と白い糸を取り出す。
「やっぱり、怒ってますよね?」
恐る恐る訊ねると糸塚先輩は舌打ちで答えてくれた。言葉もないという意思表示、だと思う。
「おかげで裁縫スキルが右肩上がり、感謝の念が絶えません」
皮肉げに唇を歪める糸塚先輩は上がった裁縫の腕を誇示するように針穴へすんなりと糸を通してみせた。
「糸塚先輩、丁寧語はなしですよ。寂しくなるじゃないですか」
「体操服でも着て友達と遊んでろ」
「破けたら直してくれます?」
冗談混じりに訊ねると鼻で笑われた。
糸塚先輩はテキパキと針を通し、僕が破いた箇所を縫い合わせていく。
「そもそも、どうやったら破けるんだ」
手を止めた糸塚先輩が窓から空を眺める。つられて見上げた春の青空は一部分だけ色がなかった。破けているのだ。
破いた犯人は僕である。
「届きそうだなぁと思い、手を伸ばしたら本当に掴めちゃって……。」
「だからって普通、空が破けるまで引っ張るか?」
糸塚先輩が凛々しい眉を寄せて、青空にぽっかりと空いた透明な穴と手元の切れ端を交互に見る。
「興味深かったのでつい、たぐり寄せちゃいました」
「その両手、縫合してやる」
勘弁して下さい。頭を下げた僕を軽く小突いて、糸塚先輩は待針を取り出した。ちょっと背伸びをし片手を青空に差し伸べて、空いた穴の縁に指を引っかけると手元に引き寄せる。
糸塚先輩は青空の切れ端を持ち上げて空に縫いつけだした。
「こんなもんか」
寸分違わず穴を塞いで、糸塚先輩は満足そうに頷いた。
糸塚先輩が手を放すと青空は元の高さへと戻っていく。
青空が延びていなくてよかったと思いつつ、完全な青空を見上げていた僕は気づく。
「糸塚先輩、白い糸で縫いつけました?」
「青い糸が切れていたから、代用した。バックステッチで縫ったから飛行機雲に見えるし、誰にもバレないさ」
自信満々の糸塚先輩に僕は悩みつつも真実を告げる事にした。
「えっと、飛行機雲は直線で、糸塚先輩が縫ったように一周したりしませんよ」
糸塚先輩の笑顔が固まった。
「……青い糸を買ってこい」
命令されるままに僕は学校を後にする。
指示通りに糸を買って学校へ戻る道すがら、見上げた青空にはハート型の白いフェルトが縫いつけられていた。
多分、応急処置のつもりだろう。女扱いされるのを嫌う糸塚先輩にしては珍しいチョイスだ。
僕は青空に手を伸ばし、たぐり寄せたフェルトにペンでこっそり、僕と糸塚先輩の名前を書いてみる。後で反応を伺っておこう。
その内、スカートも縫ってもらおうか、それとも思い切って仕立ててもらおうか。
今後の計画を企てながら、僕は憧れの先輩が待つ部室に向かうのだった。




