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3 正規手順の忘却術

振り返ると、そこには凛とした美貌の若い女性が立っていた。


亜麻色の髪をなびかせ、その瞳は鋭く僕を射抜いている。身に纏っているのは、深い紺色のローブだ。魔法大学の制服だろうか、その胸元には銀色の刺繍で精緻な紋章が描かれている。


しかし、今の彼女の表情はやや険しい。敵意とまでは言わないが、警戒感がありありだ。


「答えてください。あなたはここで何をしているのですか?」


ローブの裾に隠れてよく見えなかったが、彼女は杖を持っていた。その杖は、明らかに僕に向けられている。


僕の背筋に冷たいものが走る。


「警告。対象の魔力レベル、高位。敵対行動をとられた場合、生存確率は極めて低いです」


頭の中で「索引」が淡々と告げる。


「忘却術を、彼女に使用しますか?」


索引が再び問いかけてくる。


書見台を握る手に、自然と力が入った。


先に撃たないと、撃たれる…


僕が書見台を少し持ち上げた、まさにそのときーー


「っ……!?」


彼女の瞳が驚愕に見開かれた。


怒りの色が、急速に困惑、そして驚きへと塗り替えられていく。


「その、古い樫の木の書見台……それに、その術式……」


彼女は息を呑んだ。


書見台に置かれた魔法書からは、光の粒子が複雑怪奇な幾何学模様――フラクタル図形のような多重構造の魔法陣――を空中に描いていた。


どうやら彼女にもそれが見えるらしい。


「現代魔法の省略詠唱じゃない……。完全な正規手順フォーマル・プロセス……」


彼女の呟きが、静まり返った書架の間に響く。


「あなた、まさか……『新任司書』なの……?」


え?


そういえば、さっき「索引」も新任司書とか言ってたような…


「おい、今の光、見たか?」


「ああ、閉架の方だぞ」


そのとき遠くの回廊から、若い男たちの話し声が響いてきた。


石造りの高い天井が音を反響させ、複数の足音がこちらへ近づいてくるのがわかる。


「まずい、誰か来た!」


周囲は黒く重厚な木材で作られた高い書棚で囲まれているため、はっきり姿は見えないが、確実に近づいてくるようだ。


目の前の女性――シルヴィアは、瞬時に表情を引き締めた。


彼女は迷うことなく、僕の前に踏み出すと、指を突きつけた。僕ではなく、通路の向こう側へと。


「その術、私じゃなくてあっちに撃って!」


「えっ? あっちって……」


「来る人たちによ! 早く!」


「え、な、なんで…?」


「説明はあと! 早く!」


「で、でも、どうやって狙えばいいんだ!?」


僕は素人だ。魔法の撃ち方なんて習っていない。


だが、僕の躊躇を「索引」が切り捨てた。


「それについては私がお手伝いします。照準補正します。書見台の角度を右へ30度。対象エリアを視認してください」


「わ、わかった!」


僕は言われるがまま、書見台ごと体を捻り、書棚の角から現れようとしている人影の方へ魔法書を向けた。


「スキル“司書の索引”連動。魔法書『忘却術』第3章第4節――“白霧のホワイト・ヴェール”、執行」


次の瞬間、指先からドッと体力が抜けていく感覚があった。


ヒュンッ、と空気が鳴る。


書見台の上の魔法書から、目も眩むような純白の閃光がほとばしった。


それは直線的なビームのような無粋なものではない。


無数の光る文字と数式が螺旋を描きながら放出され、まるで美しい吹雪のように通路の一帯を覆い尽くしたのだ。


光は物理的な衝撃を伴わず、音もなく空間に溶けていく。


ただ、そこにあった「認識」だけを優しく漂白するように。


輝きが収束すると、そこには数人の男子学生が立ち尽くしていた。


彼らの目は虚ろで、まるで夢から覚めた直後のようにぼんやりとしている。


「あれ……? 俺たち、何してたんだっけ?」


先頭の学生が、間の抜けた声を出した。


「さあ……。たしか、なんか音がしたような気がして……」


「気のせいじゃないか? それより腹減ったよ」


「そうだな。食堂、もう閉まる時間だろ。急ごうぜ」


彼らは僕たちの方を見ることさえしなかった。


そこに「誰もいない」かのように、あるいは「そこに行く理由が完全に消滅した」かのように、きびすを返して去っていく。


遠ざかる足音を聞きながら、僕はへなへなと、その場に座り込みそうになった。


「す、すごい……。本当に記憶が消えた……」


自分の手を見る。


これが魔法。そして、これがスキル「司書の索引」の力……。


「……見事な術式制御ね」


感嘆と安堵が入り混じった声が聞こえ、僕はハッとしてシルヴィアの方を振り返った。


だが、意外なことに、彼女は涙を流していた。


「あなたがその書見台を使ってるということは、お爺さまは、もう…」


彼女はもう僕を見ていなかった。


その視線は、僕の背後に横たわる老人に向けられていた。


彼女はその場に膝をつき、震える手で、老人の肩に触れる。


「お爺様……」


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