変化は起こり始めている
「・・・ある事件がおきたの。あの人の『魅了』が解けた子爵令息が、婚約破棄を突き付けた元婚約者の令嬢に謝罪をして復縁を迫ったの。でも、その令嬢は既に嫁いでいて謝罪は受けても復縁は出来なかった。それで粘着されたみたいで、男爵夫人になっていた元令嬢は旦那様に頼んで永続的な接近禁止命令を出してもらったそうよ。それなのに令息は純粋に彼女が好きだったから諦めなかったし、物凄く怒った。想い続けた男爵夫人を誘拐しようとしたの。未遂になったけれど、王都では大きな事件として報じられたわ」
「それは完全な犯罪だわ」
「そう、犯罪なの。でも、その令息は納得していなかった。男爵夫人は自分の妻になる人だと求めて、嫁いだ男爵家に離縁を要求したわ。裁判まで発展したのよ」
分からない。何故、そんなことになっているのだろう。子爵令息の言い分はおかしい。デイナに操られて正気を失っていたとはいえ、もはや縁の切れた相手だ。何より酷い扱いを受けた可能性がある。デイナの男達は全員、乱暴な人で・・・そういった性格に歪められていたのだろう。男爵夫人はきっとその令息に体か心を傷付けられたはずだ。私のように、もう心を寄せることはできないはず。
「その子爵令息は異常よ。流石に我が国の司法も彼の訴えなんて受け入れないでしょう」
「ううん、認容したの。魔女のせいで狂わされただけの子爵令息に同情的で、夫人を男爵家から強制的に離縁させた。嫌がる彼女はそのまま子爵令息との婚姻を結ばされたの」
有り得ないことを聞かされて頭に血が上った。感情は口から溢れ出てしまう。
「それはおかしいわ!簡単に離縁と新たな婚姻を結ぶなんて婚家の男爵家を軽んじているし、何より夫人の気持ちはどうなるの!?」
アリアはカップをテーブルにおいて、ああ、そんなことはいい。顔が、頭が沸騰したように熱い。怒りで心が燃え上がってしまう。一人の女性の人生を引っ掻き回して自分の思うようにする子爵令息も、味方になった司法にも納得できない。
知り合いではないけれど、復縁を断り、接触すら嫌がった時点で男爵夫人には元婚約者に気持ちはない。旦那様の男爵を支えようと決めていたはずだ。それなのに、意思を蔑ろにするなんて。
「魔女の起こした厄災の被害者という扱いなの。彼らの心は学園入学の、七年前で停止していた。解放されたと思ったら、側にいた大切な女性達は立ち去っていて別に伴侶を得ていた。それが許容できないことらしいわ・・・私は、お父様に危ないからと言われて屋敷に閉じ籠もっていたから、人伝に聞いたことだけれど、そういったことが王都だけじゃなくて国内中で起きている。『あの人』に捕らわれていた男達が解放されたことで、新たな問題になっているのよ。レグルスがカーラのお葬式に姿を現したのも、正気に戻ったから。『あの人』から解放されたからカーラを見に来た」
「・・・・・・」
嫌な予感がする。胸の奥がぞわぞわして、不安で、苦しい。
アベルも解放された、はず。つまりは七年前の感情を有した状態でいて、その頃は私と良好な関係だった。彼は、自惚れでなければ私のことを好いていた。当時の私は、彼に熱を上げていたから両思いだと舞い上がっていた。
それは、今や失った感情。今の私はアベルを好きではない。どう思っているのかと考えれば、純粋に怖い。彼には暴力を振るわれた。殴られて、叩きつけられて、顔や体を焼かれた。右目は失明している。体にも火傷の跡がある。『魅了』でおかしくなっていたとはいえ、同情はできても愛情なんてない。
だって、私は大好きだった自慢の顔を失った。可愛いと言われていたから似合うようにお化粧をして、大好きなレースたっぷりのドレスを選んで、もっと綺麗になったと嬉しくなっていた。私の姿を見たお父様もお母様も褒められて、アベルにも褒めてくれた。その顔は失われている。アベル自身が奪ったから。
「・・・アベルの様子は分かる?」
考え込んでいたから、アリアは心配そうに私のことを覗き込んでいた。でも、解放された男達の話を聞けば、私の不安はもっともで、愛することのできないアベルに縋られると思うと怖い。嫌悪すら感じてしまう。
「彼は一番の被害者だったそうだから、あの人の絶命と同時にかなり取り乱して暴れていたそうよ。そのあとすぐに昏倒して、父親のフィガロ公爵が王都のタウンハウスで静養させているって聞いているわ。今現在はどんな様子か分からないけど、きっと貴女のことを思って苦しんでいる。学園に入学する以前はとても仲良しだったのでしょう?」
「そう、そうなの・・・でも、今更困るわ。私は、アベルが怖いのに」
「コルネリア」
アリアがぎゅっと私の手を握り締めた。彼女の顔を見上げれば、その瞳は不安だと揺らいでいる。
「私も怖いの・・・あの人が処刑された次の日に手紙が来て、ルーベンスからだった。これまでの謝罪をしたいから会いたいって書いてあったわ。会ったらどうなると思う?きっと他の女性達のように復縁を迫られるわ。わ、私は昔から嫌いだからお断りしたいけど、あちらは侯爵家で私は未婚の伯爵家令嬢よ。強硬手段を取られたら逆らえない、逆らえる術がないの」
「アリア」
震える体を抱き締めた。お互いが持つ恐怖心を和らげようとして、温もりを求めて抱き締めるけれど、それは根本的な解決にはならない。
あのルーベンスがアリアを求めている。冷たい顔と目でこの子を睨んでいた姿しか見たことがないけれど、今は謝罪を理由に会おうとしている。
ならば、アベルも同じように謝罪といって私を誘き寄せるだろう。もし会ったら、きっと私自身を求められる。だって仲良しだったから。あの頃の私達は想い合った恋人同士のようだったから。
「私の手段は修道院しかないの。だから、お願いよ、コルネリア。貴女のベルアダム修道院に入れて。私を守って、お願い、お願い・・・」
「・・・あとは院長に書類を送るだけよ。すぐに受理されるから大丈夫」
震えるアリアの背中を撫でて落ち着かせる。時折漏れる嗚咽から、恐怖で泣き出したと分かった。彼女が落ち着くように、優しく撫でて、宥めて・・・私自身のことも考えなければ。
(アベルには会えない、絶対に会わない)
恋心を完全に打ち砕く暴力を受けている。操られた状態だったとはいえ、酷い暴言も吐かれた。自慢だった顔も失った。それを行った男を受け入れられるほど、私は寛大ではない。
「・・・ねぇ、コルネリア。カーラは本当に死んでしまったの?レグルスが奪ったのではなく?」
突然の問いかけだったけれど、アリアが不審に思うのは真っ当だろう。レグルスもカーラが突然いなくなったという感覚になっているはずだ。埋葬の時の様子も少しおかしかった。温厚な青年然としていたけれど、最後にカーラの入るはずだった棺を見て笑っていたもの。
「カーラは、遺体が見つかっていないの。人型の焼け残りと熱で歪んだ結婚指輪だけ残して、体は燃え尽きてしまったと報告されたわ。あの棺にはその結婚指輪が入っているだけよ」
「じゃあ、やっぱりレグルスが迎えに来たのよ。入学前のレグルスはカーラに凄く執着していたって言っていたわ。変な好かれ方で困っていたとカーラ自身も言っていたし・・・好きだったカーラが結婚をしてしまったから、奪い取ろうと病院に火を付けて拐ったのよ」
「そう、なのかしら・・・憶測の域から出ていないけれど」
デイナに魅了されていた男達の奇行には、もはや説得力がある。ただ、本当にカーラはレグルスに捕われてしまったのだろうか。
「証拠になりそうなものは全部燃えてしまったのよ」
赤々と燃えていた医院を思い出す。消毒用のアルコールが可燃剤になっていたという見解だったけれど、本当にそうだったのだろうか。誰かが可燃物を撒いた可能性はないのか。
「カーラの死亡判定を確認するために来ていたのよ。絶対にそうだわ」
確信したとアリアは頷いた。私は涙に浮かぶ空色の目をハンカチで拭う。
あり得ないとは言い切れない状況だった。デイナがいなくなっても平穏は、私達にとっての平穏は訪れないのかもしれない・・・───。
───・・・とりあえずアリアは王都に帰した。書類が用意出来次第、必ず迎えに行くと言って納得させて帰らせた。
二日ほどとはいえ、彼女に不安を抱かせたままにしては私も心が苦しい。明日には修道院の院長から返事が来る。許可をいただいたらすぐに迎えに行かないと。
「おじょ・・・侯爵閣下、速達でお手紙が届いております」
今回は呼び名をすぐに正してくれた執事が、手紙の乗ったトレイを差し出した。国王の御璽が押されている。手紙は国王自らが私に宛てたものだ。
「読まなくては駄目でしょうね」
「どの様な理由があろうとも我らが国王陛下ですから」
私は手紙を受け取ると、ペーパーナイフで封を切って中を改めた。手紙は一枚だけ。厚みから分かっていたけれど、二つ折りされた紙を封書から取り出して開く。
国王もデイナの魅了の被害者であるはずだ。この手紙をわざわざ綴ったのは、以前の良心が戻ってきた証拠になる、けれど。
「・・・最悪だわ」
読んだことで溜息を漏らした。私は執務椅子に深く身を預けて、天を仰ぐ。
───・・・コルネリア・ベルアダム侯爵
王命として、貴女に対する非礼の謝罪と正式に侯爵継承の祝いをしたい。二日後、王城にて謁見の機会を設ける。
リカルド・シルヴァン・・・───。