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【完結】私の幸せ  作者: P太郎
本編
7/59

カーラの死

平穏の終わり

ディルフィノ公国の高官、大公殿下のご次男で次期宰相となるリチャード公子殿下との会合は今回も円満に終えた。多少、他の案件のことで思考が妨げられたりはしたけれど、会合内容である食料供給と対価の料金は、お互い納得する結果に至ったと思う。


「これほど安価に小麦を輸入できるのは貴女の協力のおかげです」


「いいえ、きちんと見合う見合う金銭取引をしているつもりですわ。他所が我がベルアダム産の物より高値なのでしたら、品種や希少価値の違いでしょう」


「我が大公家からすれば、ディルフィノの民が飢えなければよいのです。公国の領土は広いとはいえ、寒冷地ですからね。ベルアダム侯爵の采配には非常に助かっています」


握手を交わし、お互い愛想笑いと微笑んだつもりだった。ただ、リチャード公子殿下から笑みはすぐに失われて、真顔と見つめられる。私の表情も引き締まったけれど。


「少々、お疲れでしょうか?顔に出ていますよ」


「まあ、それは・・・会合の場であるにも拘わらず、気を緩めてしまっているようですね」


「いえ、いつも張り詰めていらっしゃるから疲れてしまうのです。貴女が懸命にベルアダム侯爵領を支えていると存じています。ご自身のことは二の次にされてるとも・・・ご提案があります。一度、領主代理に政務を任されて静養されては?我がディルフィノ公国は観光面においては他所に引けを取りません。私がご案内します。御身を休める時間を持たれたほうがいい」


こうして、偶にリチャード公子殿下からお誘いを受けることがある。会合の終わり、別れの際に話されるけれど、私には断ることしかできない。


「お招きいただけていますのに、お断りすることをお詫びいたします。申し訳ありません。私はベルアダムの地から離れるわけにはいきませんので」


目にしていた真剣な表情は緩み、少し悲しそうな微笑みをリチャード公子殿下は浮かべる。希少と言われる鮮やかなマゼンダカラーの髪に銀色の瞳を持つ美男子の笑みに、後ろ髪が引かれないわけがない。この方の優しさにつけ込むわけにもいかない。私は今まさにベルアダムを統治しているのだから。


「本日も残念でしたが、またお誘いをさせていただきます。いつかお暇な日がありましたら、是非ディルフィノにいらっしゃってください」


触れ合っていた手は離れたことで、淑女としての礼を取る。帰路に着くリチャード公子殿下を見送りを済ませた私は、諸々の事を終えると、執務室の机に広がる書類の確認作業を始めた。

アリアが修道院に入る手続きに、これほどまで時間がかかるとは思わなかった。三日前に別れた親友の顔を思い浮かべる。甘えた様子は変わらなくて、カーラと一緒に呆れてしまった。和やかなお喋りもそこそこに、元気をもらったと王都に帰っていった人。そんな可愛い彼女の頼みだから叶えてあげたいとは思っているけれど。


「レーヌ伯爵からの許可書はこれね・・・これと私の推薦書を封書すればいいかしら?」


時刻は深夜に差し掛かっていた。書類仕事が長くなると思ったから、先に湯浴みを終えておいて良かった。

これを修道院の院長に渡せば、アリアは立派なベルアダム修道院の修道女に・・・。


「・・・何かあったの?」


執務室の外が騒がしい。誰かが声を上げながら駆け寄ってきて、執事が声をかけている。それだけじゃなく、小さいけれど悲鳴も聞こえた。

気付いた瞬間、扉は躊躇いなく開けられて、ナイトドレスにガウンを着ただけの私は咄嗟に手で襟元を寄せた。


「閣下!」


全力で走ってきたのかもしれない。数少ないベルアダムの守備兵の一人が肩を上下にして、よろめきながら私の方へ近付いてきた。


「何事ですか?」


私は椅子から腰を上げたけれど。


「リックス医院で火災が発生しました!炎の勢いが強く、このままでは全焼は免れないかと思われます。炎に巻き込まれた者もおり、何よりリックス夫妻と所属の医師達、複数人の看護師と入院患者達の安否が不明となっています」


「え?」


リックス医院。その病院はカーラの旦那様が経営していて、リックス夫妻とはカーラ達のことで、火災で燃える建物は住居と一体化している。つまり、カーラが。


「閣下?」


突然のことに頭が混乱して呆然としてしまったけれど、守備兵の言葉に意識がはっきりした。


「領都に駐在する全ての消火隊を派遣して即座に鎮火するように!近場の消火栓も全て開放なさい!」


「はい!」


「救急は、小病院であろうとも領都全土から呼びなさい。隊員も足りないでしょうから守備隊の衛生兵を派遣します。何よりも人命を最優先にするように」


「畏まりました!」


警備兵は敬礼をして、また走り出した。私の指示を皆に伝えてくれるだろう・・・でも、声を張り上げたことと、ドクドクと感じる心臓の鼓動のせいで息が苦しい。リックス医院は領都で一番大きな病院。院長であるカーラの旦那様は歯科と婦人科が専門だけれど、他の医師が別の科を受け持っていて、入院患者も多く、何よりカーラが。


「お嬢様、いかがなさいますか?」


お父様の代から務めている執事がいつの間にか入室していた。彼は歳のせいか、私を未だにお嬢様と間違えて呼ぶ。


「・・・私のことは侯爵と呼びなさいと言ったでしょう。今からリックス医院に向かいます」


「鎮火にニ時間以上は有すると、先行した消火隊員から報告がございました」


「構いません、私も行きます。カーラの無事を確認したいのです」


執務室を出るとすぐに自室へと駆けた。クローゼットから適当な上着とトラウザーズを出し、すぐに着替えて屋敷を飛び出す。

用意されていた馬車に乗って、息を整えながら窓の外を眺める。領都の東側から赤々とした炎が見える。夜闇を照らすほどの光量に火災の凄まじさを感じた。


(・・・カーラ、お願い。無事でいて)


彼女は妊娠している。出産予定日から一ヶ月を切っていた。旦那様自らが取り上げると笑っていて、二人はとても幸せそうだった。とても想い合った夫婦だった。


(大丈夫、大丈夫・・・きっと避難してくれている)




そう願っていたのに、私の思いはすぐに打ち砕かれてしまう。

赤々と燃え続ける医院。可燃剤でもあるのか、いくら消火隊が水を浴びせても衰えることはなかった。燃えて燃えて、燃え続けて、もはや燃料となる材木が炭と化したときにゆっくり勢いを失っていった。

すでに日は昇っている。私は、深夜に発生した火災をただ眺めていることしかできなかった。勢いがなくなったことで消火隊が残り火に水を浴びせて消火して、急遽編成した救急隊が生存者を探し始めている。あの猛火の中にいては無事には済まないと分かっていても捜索して、多くの焼死体を担架で運び出していた。

私はそれを、ずっと、何もできずに見ているだけ。カーラが無事だと現れるのをずっと待っていただけ。けれど、その姿を最後まで見ることはできなかった・・・───。






───・・・黒い衣服の人々が墓地に集まっている。これから埋葬される棺に向かって別れを惜しみ、涙を流す人もいる。

私もその一人。大好きだった親友が「入るはず」だった棺をあの火災の時のように眺めているだけ。


医院が全焼した火災の死者は十人を超えた。怪我や病で身動きができなかった患者を中心に夜間業務だった看護師と医師、兼住宅だったために住み込みでいた家政婦達。そして、リックス夫妻。カーラと彼女の旦那様が犠牲となった。

殆ど炭化した状態の遺体ばかりだったそうだけれど、カーラだけは遺体はなかった。ただ、彼女がいたとされる屋敷側の寝室に人型の焼け残りがあり、熱で変形した結婚指輪が落ちていた。カーラの名前が彫られていたから、持ち主は分かっている。つまり、カーラは何もかもが燃え尽きていなくなってしまった。


視界がぼやけて何も見えない。ハンカチで目元を拭えば、カーラの遺体代わりの結婚指輪が収められた棺がある。


「こんな別れ方なんて、望んでなかった・・・」


また視界がぼやけて、頬が濡れていく。そのまま私は棺に触れると、白いユリの花を乗せた。カーラが私の庭園で美しいと褒めてくれた花を手向けにする。

あと少し、もう少しで母親になれたカーラ。お腹の子供と一緒に死んでしまうなんて・・・。


「コ、コルネリア・・・」


涙声で呼ばれる。涙でぼやけた目を向けたら、右腕に人の温もり。ふんわりとした栗色の髪にアリアだと分かった。王都から来てくれたらしい。ああ、こんな最期なんてアリアなら泣いてしまう。


「うっ、んんっ・・・どっ、どうしてカーラが、も、もう少しでおかっ、お母さんに」


嗚咽を漏らすアリアの背中を撫でて、棺へと手を向けた。彼女は意を組んでくれて、持っていたピンク色のユリの花を置く。


「カ、カーラぁ・・・」


「・・・アリア、こちらに」


ボロボロと泣き出したアリアを棺から離す。彼女の後ろには人々が列を成していた。皆、カーラ達の早すぎる別れを悼みに来ている。


「さあ、ここに座りましょう」


「う、うぅっ・・・火事なんて、カーラが死んじゃうなんて」


「そう、そうね・・・」


喉が震えてしまう。また視界がぼやけてきて、手の甲で強引に拭いてしまった。


カーラはこれからだった。元婚約者に蔑ろにされて、殺されかけて、名誉も貴族籍も奪われた。父親のマッケンジー伯爵が秘密裏に守って下さったことで無事に、自身の主治医だった旦那様と結婚することもできて、第二の人生を歩んでいたのに、それなのに。


「カーラ・・・」


アリアを抱き締める。彼女も抱き締め返してくれたから、私達は親友を喪った悲しみを慰め合った。


「貴様ぁっ!何のつもりだっ!!」


怒号が轟く。空気すら震えたそれに、私は顔を上げた。腕の中のアリアは体を跳ね上げて怯えている。

私の目に、涙が流れて鮮明になった視界に、二人の男性が向かい合っていた。一人は怒りの形相をした隻腕の男性マッケンジー伯爵。もう一人は・・・レグルス・オルトリンデ。


「何故、彼が?」


カーラの元婚約者で、彼女を殺害しようとした男。つまり、デイナの男の一人。私の知るレグルスはいつもデイナを守るように侍っていた。だから、何故この場にいるのか分からない。


「ひっ・・・」


デイナの男達に恐怖心を抱くアリアは喉を引き攣らせた。体は震えていて、私は落ち着いてもらうために背中を撫でる。

ただ、視線はずっとレグルスに向けたままだった。彼の美しい銀の髪は短く切りそろえられ、宝石に例えられていた赤い瞳は伏せっている。デイナの男達の中で一番鍛えられた体格と長身のレグルスは、黒い礼服を着ていることもあって存在感が強い。

怒るマッケンジー伯爵を前にしても、堂々としているように見えた。


「よくもおめおめと姿を現せたな!!死んだカーラを笑いに来たのか!!間抜けだと嘲笑いにきたのか!!」


「いえ、僕は・・・カーラとは浅からぬ関係だと伯爵もご存知ではないですか。貴方が僕とカーラを引き合わせてくれました。だから、最後に会いに来たのです」


「ああ、そうだったな!!そのせいでカーラは地位も名誉を失った!!貴様に会わせなければカーラは、このようなことに!貴様が私のカーラの輝かしい未来を滅茶苦茶にしたのだ!!」


マッケンジー伯爵の手がレグルスの首元にかかる。ブラウスの襟元を締められているけれどレグルスは冷静に、後ろで手を組んで伯爵を見ているだけだった。


(感情のままに荒ぶっていたデイナの男達の一人なのに・・・あれほど落ち着いてるレグルスは初めて見た)


王城へ爵位譲渡の許可をいただきに行った時も、私に向かって強い声で罵倒をしてくれた。


(本当にレグルス・オルトリンデなの?)


そう思ってしまうほど、今の姿は異様に映っている。


「貴様が、貴様がまともであったらカーラは!う、ぐぅうぅう!帰れぇ!!帰ってくれぇ!!二度とその顔を見せるなっ!!カーラを、う、あぁぁ・・・」


マッケンジー伯爵は泣き崩れると、レグルスの襟元から手を話して地面に蹲った。従者の方が体を支えているけれど・・・。


(笑った?)


視界の端に映っていたレグルスの笑み。カーラの棺を見て端正な顔の口元を緩めていた。それは異様で、得体の知れない。

何故、こんな時に笑うのか。理解できない。やっぱり、デイナの男達はおかしい。カーラの死を喜んでいると思ってしまう。


「コルネリア、ここにはもう、居られないわ・・・どこか落ち着いた場所に行きましょ?」


震えた声でアリアは訴える。私は視線を落とすけど、すぐにレグルスへと向き直った。彼の姿はない。立ち去ったようで、墓地から離れた馬車の駐車場に向かう背中が見えた。


「ええ、そうね。埋葬が終ったら屋敷に戻りましょう」


マッケンジー伯爵が支えられながら、カーラの棺が埋葬されるのを見ている。組まれた石材の穴の中に棺は入り、蓋がされてしまった。哀悼と祈る人々。気付いたら私も手を組んで祈っていた。カーラの魂が安らかに眠れるように、それだけを願って。

ベルアダムの墓地の片隅で、永遠の眠りについた彼女の顔を思い浮かべる。疎らに立ち去っていく人々に紛れて、私はアリアを支えて歩き、馬車へと向かった。

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