アベル 4
コルネリアが王都に戻ってくる日だというのに、なぜか俺は屋敷に閉じ込められた。父がフィガロ家に仕える騎士達に命じて閉じ込めた。
頭に血が上ったと自分でも分かった次の瞬間、俺の部屋の窓ガラスは割れていて、ひしゃげた枠すら落ちていた。ドアも圧し割れていて、本当に自分がやったのかと思うほど記憶がない。
ああ、なぜ今は意識があるのか。きっと、休みなく暴れ狂ったことで疲弊したからだろう。
胸を上下するほど呼吸を繰り返し、割れたドアの向こうにいる母の青白い顔を見ながら、自覚した。怒り狂って自我すら喪失していたのだと。
「ア、アベル・・・」
母が震えた声で俺を呼ぶ。恐怖心を抱いていると引き攣った表情で声をかけてきた。
何か、返事をしたほうがいいだろうか・・・そんなことを考えていたら、父の顔が見えて、俺の視界は真っ赤に染まった。
次に気が付いた時には、騎士達に拘束されて、忌々しいと顔を歪める父を見上げていた。
「お前はやはり気が触れてしまっている」
「俺は狂ってはいない!ただコルネリアに会いたいだけだ!コルネリアに会わせろ!!なぜ会わせない!?コルネリアがいる今ならすぐに謝罪をして彼女を」
「その精神状態で会わせるわけにはいくまい・・・はぁ、鎮静剤を打て」
「何を、やめ」
溜め息を漏らした父は、騎士に薬剤の注射を命じ、俺は抗議の声を上げることもできずに意識が落ちた。
薬剤による強制的な睡眠の合間に、意識が浮上したことで父と兄の声が聞こえた。
「そのようなことが」
「ああ、父親に似て頑固な娘だった。あの優美だった母親とは顔しか似ておらん」
「では、アベルとの婚姻は諦めますか?アベルの精神状態は今現在も不安定です。私の見解ですが、このまま領地でゆっくりと療養させたほうがよろしいと思います」
「あの娘が拒否しようともアベルとの婚姻は推し進める。国王陛下自身も我がフィガロ家とベルアダム家の結び付きを重要視されている。確実に成さなければならない・・・コルネリア・ベルアダムがどれほど嫌がろうともな」
コルネリアが、嫌がっている。何を、俺との結婚を、幼い頃に結ばれた婚約があるにも拘らず、俺との・・・あぁ、そうだ。俺達は婚約破棄をしたんだ・・・。
また意識は落ちて、次に気が付いた時には、母が俺の額を撫でていた。心配だと表すように眉を寄せて、目を開いた俺を覗き込んで。
「アベル、聞こえる?・・・意識は定かではないのかしら。本当に可哀想だわ。ベルアダム侯爵家を継ぐべく頑張っていたのに、魔女のせいで何もかも失って・・・コルネリアさんも」
コルネリアが何だと言うのだろう。彼女は何を・・・ああ、そうだ。俺との結婚を拒否したんだ。婚約者だったのに、将来を誓ったのに。清らかな関係だったが愛情を交わし合っていた。例え狂っていた期間に婚約破棄をしたとはいえ、それは俺の本心じゃなかった。それなのに、あの日々は無かったかのように俺のことを拒否、いや、拒絶しようとしている。俺にはコルネリアしかいないのに。愛しているのはコルネリアだけなのに。
煩わしいと感じた母の手を払おうとしても、薬剤の効果のせいで思うように手は動かず、俺の意識は再び落ちた。
暗い空間に、ただ気持ちだけが浮遊しているような感覚を与えられる。これは、夢の中なのだろうか。コルネリアに捨てられて、何も無くなった俺の未来が夢となって映し出されているのか。
本当に何もない。先が見えないほど暗く、自分の姿が見えないほど暗黒。心だけが剥き出しの状態になっている。
悲しみ、焦り、怒り、恋しさ。
コルネリアが恋しくて堪らない。あの笑顔をまた見たいと思い、彼女の微笑みは失われたと思い直す。何年も目にしていない。魔女のせいでコルネリアと別れたから。正気を失っていた俺が関係を壊したから。彼女の顔を腫れ上がるほど殴り、右目は破壊してしまった。魔女に心を奪われたことで側に侍り、領地に帰ったコルネリアを顧みなかった。
だから、笑顔を向けられるわけがなく、拒絶されてもしかない。しかたない、はずだと分かっているのに。
恋しい。コルネリアが恋しい。会いたい。彼女のか細い体を抱き締めて、ぬくもりを感じたい。柔らかな髪の質感も、柔い体も、微かにある花の香りを感じて、コルネリアはこの腕の中にいると喜びを得たい。
愛している。初めて目にした瞬間、恋に落ちてから彼女のことだけを想っていた。結ばれる日を待ち望んでいたのに、それなのに、魔女のせいでコルネリアは俺から逃げようとしている。この気持ちを受け入れようとはせず、俺を捨てようとしている。
なぜ、どうして、君は俺の幼い日からの婚約者。俺達は愛し合っていた。それなのに、たかが一時の狂気によって暴力を振るっただけで、俺への愛を失ったというのか。あの時は本当の俺ではなかったのに、痛い思いをしたからと、本来の俺すら拒絶するのか。
「嫌だ、認めない・・・コルネリア・・・」
自分の口から漏れた言葉に意識も浮上して、目蓋もそのまま開く。先程まで母がいたはずだが、なぜか王太子、遠い親戚でもあるエリオットがいた。
澄ました顔で口元に微笑みを浮かべた様子に腹立たしさを感じ、眉間に力が入った。
「なぜ、お前が・・・」
「まだ鎮静剤は抜けていないか?声にいつもの刺々しさを感じないな・・・そう睨み付けるな。見舞いに来たのだ」
子供の頃から知った仲だからか、王太子となったあとも態度は変えられなかった。この男に対して恭しくなどできるはずもなく、他者が見たら不敬と断じるだろう。
「見舞い?お前が、俺の?」
「愛しい元婚約者と会えないせいで暴れたと聞いた。私も完治とは言えないが、お前は相当だな。嫡男ではないとしても、これがフィガロの男子の自室か?廃屋ではなく?」
辺りを見渡す動作から、俺の部屋の惨状に呆れているのだと分かる。廃屋と言われても仕方がない有様だからだ。怒りに身を任せた俺がしでかした有様。
いや、部屋のことなどどうでもいい。それよりも「元婚約者」という言葉は聞き捨てならない。
「コルネリアは元婚約者、じゃない・・・今も、彼女は俺のものだ・・・」
「そうか。そう言い張っているのはお前だけだがな、アベル」
上から覗き込んでくる顔。青空を思わせる青の瞳は、瞬きをしないことで、俺をひたすら見つめている。吸い込まれそうな青はいつもよりも暗く見えた。
「色々と状況が変わってな。重大な用事ができた父上に代わって、私がコルネリア嬢と謁見することになった。いや、正直に言うと、父上は彼女と言葉を交わした。その会話の最中、心境に変化が起きてタリス公爵領に進軍されたのだ」
「・・・何だと?なぜ、そんなことに、まて、コルネリアは謁見を済ませたのか?彼女はどうした?謁見が終わったら領地に帰って」
「落ち着け」
起き上がろうとしたが、エリオットの手が俺の胸を押したことで動けなかった。
苛立ってしまい、思わず舌打ちをすれば、腹立たしい男は笑い声を漏らした。
「大丈夫だ、コルネリア嬢はまだ王都にいる。父上が再び謁見を命じたからだ。これより二時間後、父上に代わって私が謁見する。なあ、アベル。お前は静養中ではあるが、コルネリア嬢に会いたいのだろう?破壊の化身になるほど、彼女に対する気持ちが抑えられない。その荒ぶる気持ちを抑えることができるのは、コルネリア嬢だけだろう」
「お前は、話が長い・・・つまり、コルネリアに会わせると言っているのか?」
俺の言葉に対する返答は頷く動作だけ。それだけなのに、ひたすら真っ直ぐに向けてくる青い瞳が確かだと伝えていた。
「すぐにコルネリアに会わせろ。俺は彼女に求婚するんだ。すぐに結婚式を挙げて、ずっと彼女と共に過ごすんだ」
「ああ、分かっている。お前とコルネリア嬢は結ばれなければならない。私や他の者達と同様に・・・何もかも、元通りにしなければ」
声は囁きだったが、エリオットは聞き取りやすい低音の持ち主だからよく聞こえた。
頷いた俺は、胸にかかっていた手を払い除けると、上体を起こす。
エリオットの話では、コルネリアが登城して一日経過したらしい。つまり、俺は鎮静剤のせいで丸一日眠っていた。
その間、様々なことが起きたとエリオットから聞かされたが、俺にとってはどうでもいいことなので聞き流す。
重要なのはコルネリア。コルネリア以外のことなど俺には関係ない。誰がどの女を捕え、誰がどの女と婚姻を結び、国王陛下に至っては王妃を連れ戻すために自国の公爵家に進軍したらしいが、全てがどうでもいいから相槌を打つだけ。
早くコルネリアに会わなければ。正気を失っていた時のことを許してもらったら、すぐに求婚しよう。共にベルアダム領に帰り、早く結婚の準備をして、そうすることで、逃げられないようにしなければ。
逃さない、絶対に逃さない。俺のことを拒絶なんてさせない。コルネリアは俺のもの。俺だけのもの。
即座に身支度を整えて、エリオットと王城に向かう。頭の中を占めるのはコルネリアだけ。当たり前だ、彼女以外はどうでもいいのだから。
謁見の間で待ち構えれば、青い顔をしたコルネリアが入室してきた。二年、いや、三年ぶりになるだろうか。どこか陰りのある表情だが、彼女は俺の記憶の中の姿のまま。その可憐な容貌に目がそらせず、玉座の脇に控えるエリオットへと向かう姿を眺めてしまう。
俺は一目惚れだった。つまり、コルネリアの顔立ちが好きなのだろう。瞬きすることすら勿体無いと、背筋を伸ばして真っ直ぐに立つ後ろ姿を見つめ続ける。
最初から姿を現せば、コルネリアは逃げるとエリオットは言った。確かに、自分の顔を潰した男に心の準備なく再会すれば、恐れを抱いて会話すら儘ならない。だから、隠しの続き部屋から覗き込んでいた。
エリオットと問答を交わす彼女は俺に気付いていない。俺がいるとは思っていない。後ろ姿ではあるが、それでも姿勢のいい華奢な体躯を眺める。
コルネリア、俺のコルネリア。甘いチョコレート菓子のような髪は結い上げて、ここから後れ毛のある白い項が見える。狭い肩幅と細い腰に、か弱さを感じて守ってあげなければと思わせる。
抱き締めたい。抱き締めて、あの小鳥の囀りのような可愛らしい声で名前を呼んでほしい。彼女に名前を呼ばれるたびに、胸の奥が温かくなる感覚があった。声色によって手助けを乞うているのか、甘えているのか。以前はそれがよく分かって、答えるのが嬉しかった。頼られるのが嬉しかった。それなのに。
「離して!いや!嫌よ!もう殴らないで!!痛いのは嫌!苦しいのも嫌なの!!」
気持ちを堪えきれなくて、コルネリアを後ろから抱き締めた。謝罪を述べた。正気に戻ったと教えて愛を伝えた。
それなのに、半狂乱になったコルネリアは、俺のことを拒絶した。
「・・・フィガロ公爵令息は、私とは無関係の、方です」
俺の腕から逃れて床に落ちたコルネリアは、冷たく言い放った。俺とは無関係だと切り捨てた。
「私に近付くな、アベル・フィガロ!!!」
弁解をしよう、それよりもまず倒れた彼女を助けよう。そう思って近付けば、大きな声を上げて拒絶を示す。俺を拒絶した。コルネリアが、俺を・・・本来の俺に戻って気持ちを伝えたのに、なぜ。
認めたくなくて近付けば、彼女は俺から距離を開けて拒絶の意思を示す。エリオットが国王陛下からの王命である俺との婚姻を命じても従わない。
不意を突いて抱き締めて語りかけても、コルネリアの瞳がどよめくだけで、きっぱりと告げられた。
「・・・貴方の愛など不要です」
どうして、どうしてそんなことを言うんだ。俺達は魔女が現れるまでは愛し合っていた。そのはずだった。俺を見上げる君の瞳には熱があって、体を抱き締めれば、恥じらいはあったが受け止めてくれた。抱き締め返してもくれたのに。
本当に、俺への愛情はなくなったのか。あの狂っていた時の俺のせいで・・・いや、あれは魔女のせいだ。魔女が俺の心を魅了して操ったから、俺はおかしくなっただけ。俺の本心ではなかった。それなのに。
「私の愛など顔と共に失いました。今の私はアベル・フィガロ公爵令息に対して・・・何の感情もありません」
どうして、そんなことを言うんだ。俺は心の底から君を愛しているのに。君以外の女に興味すらなく、ひたすら君だけを想っているのに。
体に力が入らず、吐き気すら感じたことで顔を手で覆って蹲る。ただ、俺の目はひたすらコルネリアを見ていた。指の隙間からひたすら、何時でも目を奪う愛しい人を見つめた。
「ディルフィノ公爵家は王家と敵対関係にある。その公爵家と忠臣たるベルアダム侯爵家が深く繋がることは好ましくない・・・深く繋がるという意味は分かるな?あちら側は君と公爵家次男の婚姻を提案するつもりだ」
俺がコルネリアの姿に目を奪われている最中も、エリオットとの問答が続いていた。どうやらシルヴァン王国から離反したディルフィノ公爵家が、コルネリアを得ようとしているらしい。次男のリチャードだかが、妻に迎える準備をしているらしい。
ああ、そういうことか。
俺を恐れるコルネリアは、俺から逃げるためにリチャードの手を取ろうとしているのか。そうか・・・そんなこと俺が許すとでも思っているのか。コルネリアは渡さない。俺のものだ。俺だけのコルネリアだ。
「・・・私個人、どなたとも結婚をするつもりはございません」
「それは、ベルアダム侯爵家を没落させるつもりか?」
「まさか・・・祖父に兄弟がおり、その血筋がベルアダム領にいます。分家筋ではありますが、そちらの嫡男には子供が二人。どちらかを本家の養子として迎えることにいたします。ですから、私が産まずとも跡継ぎになる者はいるのです」
「そんな者はいらない」
二人の問答の内容など、どうでもいい。分家から養子を迎えるなどコルネリアは言ったようだが、そんな子供もいらない。
コルネリアは俺のもの。俺が娶って子を孕ませて、俺の妻だと示さなければ。
「コルネリアに俺の子を孕ませればいいんだ。そうすれば、俺のコルネリアはディルフィノ家の次男なぞに奪われない。跡継ぎ問題も解決する」
そうだ、そうすればコルネリアは奪われない。俺の側にずっといてくれる。俺の妻として愛を受け入れて、俺だけに何もかもを捧げてくれる。
甘そうな色の髪も可憐な顔も、清らかな白い肌も、華奢で柔らかな体も全部。コルネリアの全ては俺だけのものだ。
怯えて引き攣った顔の彼女に手を伸ばす。助けを乞うて張り上げる声が悲痛だと胸が痛んだが、無視をする。
体からでもいい。俺の愛を分からせれば、苦しむことはないと理解してくれるはずだ。
それなのに、コルネリアの声で駆け付けてきた女騎士二人に妨害され、完全拒否の意思を示した彼女は謁見の間から逃げ去った。俺から逃げた。
「コルネリアァアァァァッ!!」
制止すらできない役立たずな近衛騎士から剣を奪い、固く閉じた扉に投げつけて突き刺した。
ああ、頭が痛い。意識が、視界が、燃え上がるような怒りで真っ赤に染まっていく。
「落ち着け、アベル・・・その扉は五百年前からある重要文化財だ。それを傷付けるなど」
「エリオット、お前ぇ」
剣を引き抜いて、玉座のある段差から降りてきたエリオットに剣先を向ける。
自分の顔が怒りで凄まじいことになっていると自覚したのは、周りの近衛騎士達の狼狽えた様子と、エリオットが鼻で笑ったからだ。
息を吐いて、喉が震えてしまうが息を吐いて落ち着かせる。酷い顔も、もう一方の手で隠した。
「そうだ、落ち着け・・・その剣も下げてもらおうか。親戚とはいえ、このままでは反逆行為と見なし、罪人として捕縛しなければからない」
「・・・お前は、俺に協力するんだったな?」
剣は下げずに、指の間から見えるエリオットを睨み付けながら言う。
感情がこいつの声だけで落ち着くわけがない。確かな答えが欲しい。そうすれば、俺の荒ぶる心は一時だけでも平静であろうとするはずだ。
「ああ、勿論だ。コルネリア嬢が嫌がろうとも、ベルアダム侯爵家にお前を迎えてもらう。これは我が父リカルド国王陛下が取り決めた国策だ。アベル、国はお前の味方となる。お前が愛しく思う可憐な花嫁を得られるように、全面的に協力しよう」
淀みない声の言葉は俺の内にまで響き、俺の口は勝手に、無意識に動いて笑みを浮かべていた。




