アベル 2
静養を理由にタウンハウスから出ることは許されず、ただ自分が荒らした自室で過ごしている。
何もない、魔女が死んで一週間は経過しようとしているのに、俺には何もない。本来得るはずだったものは全て、魔女の被害者だったことで失った。
そうだ、俺は魔女の被害者。心を操られたことで常軌を逸した行動をして、王都では恐れられている。特に女には、異常行動を起こしていた最中に対面した者達には、例え被害者だとしても恐怖心を与えているだろう。
学園の同級生を含む、在学中に学生だった者達。夜会で魔女が目を付けた女達。王都に暮らしていただけの女達も、魔女が足を伸ばした領地の女達も、皆、魔女の一言で俺達は攻撃した。口に出すのも躊躇われる行いをした。
怖がられても仕方ない。恐れから逃げられるのは当然だ。中には、拷問や処刑までして命を奪ってしまった者もいる。
だが、俺は悍ましい魔法から解放されて元に戻った。他の者もそうだろう。異様な、恐ろしい者として対応されるのは苦悩を感じさせられる。
俺自身は、そんな非道な人間ではないのだから。
この日は、フィガロ家の跡取りである兄が領地から帰ってきた。王都が正常化したことで父が呼び寄せた。五歳年上の兄は今だに若々しさを保つ母と、婚約者と、俺が目にしたことのない子供を連れて戻ってきた。
俺が魔女に操られていた合間に、領地で長年の婚約者だった伯爵令嬢と結婚していたらしい。俺を経由して魔女に知られないために、秘密裏に結婚式を行い、二人も子供を授かっていたようだ。
それを俺は、呼ばれていないから吹き抜けのエントランスの二階から眺めていて、気付いた兄嫁に引き攣った顔を見せられた。腕に抱き上げている一歳ほどの幼児を隠すように身を捻り、見かねた兄がまるで盾のように俺へと立ち塞がる。
困惑した様子の母も、もう一人の、兄の後継になるだろう子供を庇うように隠して、ああ、俺が兄の妻子に危害を加えると思っているのだろう。記憶が残っているから分かる。魔女の愛人にされていた俺は、魔女以外の女全てが敵だったから。
「部屋に戻れ、アベル」
苛立ちを隠せない様子の父が階段下まで来ると、俺は邪魔者だと手を払うように動かす。
そうだろう。俺はフィガロ家にとっては目障りな存在だ。魔女の言いなりになって他方に危害を加えて、父の命令にも従わなかった・・・いや、父の場合は俺を生贄にしたのかもしれない。従えないのなら、魔女がフィガロ家に踏み込まないように俺自らで押し止めるように采配していたからだ。
フィガロ家自体の被害は少ない。兄に接触したいと魔女が言ったこともあるが、父が俺を推し進めることで事なきを得ていた。あの女が兄のいた領地に来れなかったから荒らされずに済んだ。いつの間にか出来た兄嫁も、きちんと跡取りを生んでいる。
ああ、俺は本当に、何のためにここに居るんだ。
虚しさは一瞬で、怒りが沸々と湧き上がったことで心が染められた。この感情を吐き出したいと口を開くが、目の前に来ていた父が俺の腕を強く掴んで、険しい顔を近付けてくる。その迫力に圧されて何も言えず。
「お前のこともきちんと考えている。お前はベルアダム侯爵家の婿入りが決定されていた。魔女の介入で婚約破棄にはなったが、今ならまだ間に合う・・・国王陛下が王命を下し、ベルアダム侯爵、つまりはコルネリア・ベルアダムを召喚するつもりだ。上手いことあの娘と接触できれば、以前の関係に戻れるだろう」
「コルネリア、が・・・」
ベルアダム領に引き籠もっているというコルネリアが、来る。コルネリアが戻って来る。
何としても彼女に会わなければ、謝罪をして、この気持ちを訴えれば・・・コルネリアとまた一緒にいられる。
一緒にいたい。それだけではないと本能が訴えてくるが、今はそれでいい。コルネリアがいればいい。俺には彼女しかいないのだから。
「引き続き、お前は自室で静養していなさい。まだ心身ともに休める必要がある。コルネリア・ベルアダムとの会合の結果次第では、すぐこちらに呼び寄せることもできるのだ。此度の国難を国王陛下は非常に嘆いておられる。何もかもを元に戻したいと願われているのだ。その中には、お前とコルネリアとの婚姻も含まれている」
声は出ずに、ただ父へと視線を向けた。俺と同じ色の目がひたすらに視線を向けてくる。
「コルネリアが恋しいだろう?お前の気持ちはよく理解しているつもりだ。私はお前の父親なのだからな・・・コルネリアを得れば、ベルアダム侯爵家の当主はお前となる。以前の婚約で取り決められていたことだから、これは決定事項なのだ」
父の目的はベルアダム侯爵家と親族になること。建国当初、それこそフィガロ公爵家の祖と肩を並べるようにいた存在と縁を結びたいとは分かる。ベルアダム侯爵家の領地は、シルヴァン王国の食糧事情を担う恵みの大地と呼ばれる場所だから、外戚として利益を得たいとも思っているのだろう。
俺は父に思惑によって使われている。ただ、それでも構わない。昔からそういった扱いを受けてきたからだ。
従えばコルネリアを取り戻せる。一緒にいられる。それが叶うのなら、喜んで使われよう。
言われるまま自室に戻り、破壊した家具は撤去されたことで出窓の枠に腰を下ろす。
父は、俺を言い包めることが出来たと喜んでいるだろう。久し振りに見た母も、兄も、兄の大切な妻子を守れたと安堵しているだろう。
それでいい、それで構わない。操られていたとはいえ過去は消せないのだから。俺は、この家にとって手に余る存在だから。
コルネリアだけ。俺が思うのはコルネリアのことだけ。彼女と再会を果たしたら、何度も考えているがまずは謝罪だ。傷付けたことを、言い放った暴言の謝罪をして、俺の本意ではなかったと説明をする。
許してもらいたい。許してもらう。俺にはコルネリアしかいないのだから、この手に取り戻したら・・・。
ただ目に映していただけの窓から見える景色。タウンハウスを囲う障壁の向こう、一台の馬車が止まった。紋章は見えないが、高級馬車の様相から上位貴族だろう。御者と門番が言葉を交わすと、開かれた鉄門から入場してきた・・・近付いてきたことで分かる。あの紋章はマルチェロ侯爵家だ。
最初は宰相が父との会談を望んだのかと思ったが、違った。マルチェロ家の跡取り、次期宰相と言われているルーベンス・マルチェロが俺に会いたいらしい。
「・・・部屋に通せ」
「この部屋にですか?」
言付かった従者に告げれば、やや引き攣った顔を見せる。確かに、家具も何もない部屋に招くのは礼節を欠く以前の問題だ。だが、フィガロ家の者達は、俺が邸内で自由にしていることを好ましく思わないだろう。
「歓待はできないと伝えろ。それでも構わないというなら通せ」
頭を垂れて了承の意を示した従者は、部屋を出ていく。そう待たずして扉がノックされて、許可を出せばルーベンスを引き連れて戻ってきた。
「通達もせずに突然来訪したことを詫びよう。申し訳なかった」
取り澄ました顔でルーベンスが告げる。従者が部屋を後にすれば、奴は周囲を見渡した。
「君はフィガロ家に虐げられているのか?」
二言目に告げられた言葉。それが不快だと顔に力が入った。
虐げられてはいない。元々スペアである俺は、家の利益になるように扱われているだけだ。
「なぜそう思う」
「家具が一切ないし、壁も妙に傷付いている。閑散とした荒れた部屋に押し込められていると見受けられるが」
「家具は俺が激昂したことで破壊した。壁の傷もその時に傷付けただけだ。部屋に押し込まれていると感じたのなら、今は応接室すら使えない状況だ。父に自室で静養しろと命じられている。精神的に落ち着くまで休むように言われているんだ」
「ああ、なるほど・・・感情を向ける先がなくなったから暴れたのか」
ルーベンスは何かしら呟いたが、小声だったことで聞こえなかった。だからどうでもいい。
横目で対面している男を睨み付ける。奴は愛想笑いを浮かべていた。
「私のことは覚えているかな?」
何用かと待ち構えていたら、不意に告げられた言葉にそのまま頷いた。
覚えている。俺と同じく魔女に侍っていた男だ。魔女の望むままに新たな法律を作り、司法や行政にも女達を虐げる政策を作った男だ。
「やはりか・・・私もよく覚えているんだ、アベル・フィガロ。君はあのバカ女の、魔女の側にいつも侍っていた男だからね。君と一緒に行った所業に関してもよく覚えている」
何が言いたいのか。あの忌々しい日々を思い出させて、俺の罪を糾弾したいのか。お前だって、俺と同じく非道を行っていたのに。
言い返そうと口を開くが、ルーベンスは手のひらを見せて振るう。
「違うよ、責めるつもりはない。私も君と同じだから糾弾する資格などない。ただ、様子を見たかったんだ。君は他の誰よりも魔女と共にいたからね。「魅了」から解放されたことで、精神的な負荷はかなりのものだと思っている」
「この状況を見れば分かるだろう」
「・・・ああ、そうだね。君はかなり参っている」
一瞬だけ、考えた振りをしたルーベンスは言葉を続けた。
「私達は魔女の被害者だと周知され始めている。我々が行った所業も、魔法による精神障害で責任能力を喪失していたとなった。例え、人を殺めていたとしても、自身による判断ではなかったとされる」
「それは・・・個人的に悍ましく思う」
何人か、令嬢や町娘達の死に様を思い出す。あれらは俺自らが手を下したわけではないが、その死を笑った記憶は残っている。
なんて酷い記憶だろう。罪のない彼女達が惨殺された様を笑うなど、邪悪としか言いようがない。それが自身の行ったこととは思いたくない。
「悍ましくとも事実だ。私達に責任はなかった。だが、悲惨な暴力の被害者である者達は、素直に受け止めてはくれないだろう」
「どういう意味だ?」
「我々の婚約者達のことだよ。操られていたからと説明しても、許してくれるとは思えない。復縁を打診したとしても、拒否をされる可能性がある」
コルネリアが俺を拒否する。俺との復縁を拒否する。
それはあの日々が、今は思い出となってしまった彼女との日々が戻ることはないということ。清らかながら想い合って寄り添い、お互いに結ばれる日を待ち望んでいたのに・・・お互いに、そうだ。コルネリアは俺を想っていた。分かりやすかった。俺と一緒にいるために勉学も教養もしっかり熟して、俺を見つめる眼差しは熱を帯びていて。
そのコルネリアが俺を拒否する。そんなことは・・・確かに傷付けたが、拒否されるほどとは思えない。あれは俺の本意ではなかった。コルネリアなら分かってくれるはずだ。あまりにも異常だった、俺らしくなかったからだ。
彼女以外の女などに現を抜かして、彼女に危害を加えるなど。
「静養している君は知らないだろうが、魔女に操られていた王都の貴族も平民も、虐げてしまった女性達に復縁を望んだ。だが、ほぼ全てに拒否されていてね。リカルド国王陛下の考えとしては、魔女の介入で引き離された男女を再び結びつけたいのだが、上手く事が運ばないんだ」
コルネリアが俺を拒否するなど有り得ない。彼女は俺を慕ってくれていた。元に戻ったのだから、きっと迎えてくれる。許してくれる、はずだが・・・もし、本当に拒否をされたらどうする。どうしたらいいのだろう。
俺の行いは恐ろしいものだった。何よりか弱いコルネリアが受けるべきではなかったことだ。彼女は守られるべき人。俺が、俺こそが害を与えようとするものから守るはずだったのに。
もし、恐怖が上回って俺を拒否したのなら、俺は、どうすれば。
「・・・アベル、私の声は聞こいているかな?」
「・・・ああ、俺は何をすればいい?」
この男と手を結ぶべきだ。他の、俺と同じく失った婚約者を取り戻そうとする者と手を組んで、コルネリアが逃げ出さないようにしなければ。
彼女に拒否を、拒絶をされたのなら、俺はどうなってしまうのか想像すらつかない。
「そうだね、君は次男とはいえフィガロ公爵家の一員だ。王家に継ぐ地位にいて、王族の血すら引いている。親が宰相に過ぎない私よりも権力を持っているんだ。引き離された男女が滞りなく結び付くように、公爵家からの令状や私兵を用いて、全てが滞りなく完遂できるように力を貸してくれないか?」
「フィガロ公爵家は国防において権限のある役職に就くが・・・そうだな、王都の『防衛』ならば力を貸せるだろう。防犯のためと移動制限を設けることができる。父に話を付ければ、俺にもその権限が与えられるだろう」
俺を見つめていた男の口元が緩む。僅かな、一秒ほど笑みを浮かべたが、すぐに引き締めていた。
ルーベンスとはあの魔女を介しての知人程度。会話を交わしたことはなく、気が付けば魔女の側にいるという認識だった。だから、一瞬とはいえ歪んだ表情を浮かべたことにこの男の内面は複雑だと思う。気さくな口調からも、計り知れない本性があるのだろうと思わせる。
ルーベンス自体に興味はないから、どうでもいいことだが。
「武力を用いたとしても女性達を傷付けずに本来の立場に戻してあげたい。君の、今はベルアダム侯爵であるコルネリア嬢も、私のアリアもね」
「お前の元婚約者もお前のもとに戻るように協力すればいいんだな?」
「アリアに関しては私自身がどうにかしよう。君は同志である男達に協力してあげてくれ。まずは、そうだな・・・同級生の顔ならしっかり覚えているだろう?例えばレグルス・オルトリンデやノヴァ・ガリアードなどだ。身近にいたと記憶しているかな?」
「・・・ああ」
あの魔女との記憶の中で背景のようにいた男達。学園の同級であることから名前も顔も知っている。奴らが元婚約者を得られるように手を貸せばいいのか。
頷いた俺に、ルーベンスは愛想笑いを浮かべた。本性を隠した笑みは、容姿も相まって得体が知れない。
だが、この男の助力があれば、もしコルネリアが俺から逃げようとしても、その退路を断つことができるはずだ。
コルネリアが俺から逃げるなど、拒否をするなど考えたくもないが・・・そうなれば、絶対に逃さない。
彼女は俺のものなのだから・・・───。




