この場所から逃げたくて
王都は変わったと思う。
目にしているのは貴族街ではあるけれど、貴婦人や子供連れの婦人などが普通に街を歩いている。緊張した面持ちだったり、その歩みは早くてすぐに用事を済ませたいのだと分かるけれど。
七年間でシルヴァン王国の中心部である王都は閑散としていた。貴族街も平民街も、商業地区も女性は気配すらなかった。王都に君臨していたデイナが庭のようにしていたから。
若く綺麗な女性はデイナの気分次第で捕縛されて、禁固刑や拷問などの罰を受ける。王都の規律を乱したなんて言いがかりを言われながら。
恋人同士や夫婦でいるのは以ての外。貴族平民などと隔たり無く、デイナが男性を気に入れば奪い取ってしまうから。恋人ではない従者としても沢山の男性達が召し上げられた。今思えば魅了の魔法を使われていて、デイナの虜になっていたのね。
政治もデイナに応じて、崇めるように、彼女の望みを叶えるための法律ができた。他の女性の権利は地の底まで落として。
本当に恐ろしい七年間だった。それが過去になろうと私の目に映っている。女性達が街を歩く光景は、本来ならば当たり前で素晴らしいことだもの。
「ずっと家に籠もっているのは良くないわ」
お母様から声をかけられて、大きなウインドウの向こうに見える街並みから顔をそらした。
今の私は、大好きだったカフェに気兼ねなく入店して、お母様と一緒にコーヒーを嗜んでいる。
「すぐに修道院とはいかないものです。お母様と散策するのも悪くはないでしょう?」
「そうですけれど、ルーベンスのことを思うと」
「旦那様も説得しようと奔走されています・・・アリア、今はお母様との時間を大切にしてほしいわ。一週間ほどでベルアダムに行ってしまうのよ?」
小首を傾げて儚く微笑むお母様は、絶世の美少女という容貌を未だに保っていらっしゃる。これほど優しく美しいお母様を悲しませるわけにはいかないわ。あと数日で、私は親元を離れて修道女になるのだもの。
私は微笑み返すと、ミルクがたっぷりと入ったコーヒーを一口飲んだ。お母様も優しい笑みに変わって、チョコレートタルトをフォークで切り分け始める。
ルーベンスの手紙に返事はしなかった。クシャクシャに握り潰す・・・何てしたら良くないことが起きそうだと思ったから、封書に戻して机の引き出しの奥に仕舞った。
私は、両親にベルアダム修道院に行きたいと話した。驚愕して涙目になりながらも止める二人に、紹介状を開いて丁寧に説明した。
ベルアダム領全土が治安が良く、修道院も清潔で設備もしっかりしている。奉仕活動は大変らしいけれど、皆で助け合って熟し、達成感もある。食事の質も、シルヴァン王国の食糧庫と言われるベルアダム領だから良質で飢えることもない。
私の説明をしっかり聞いていたお父様は、最後の「飢えない」 という文言に力強く頷いた。
それならば安心だ、と。
「できれば貴女の外出用のお洋服も買いたいわ」
「お母様、何度も言ってますけれど、修道女は専用の衣服で生活します。お洋服はいらないのですよ」
「それだけは不満ね」
またお母様は悲しそうに微笑まれた。
「コルネリアさんのお陰でとても良い修道院に入れるとは分かっていますけれど、貴女のことが心配なのは変わらないのよ?衣食住が充実しているなんて、実際に目にするまで私は信じません」
「入所の際はご一緒に来てくれるのでしょう?その時に確認してください」
心配性のお母様に苦笑をして、私は無花果のタルトにフォークを刺した。
そうすれば、ベルが鳴り響く。誰かがカフェの扉を勢いよく開けたようだった。気になって視線を向ければ、貴婦人が一人。見覚えがある方。ああ、そうだわ、学生時代に一学年上の先輩にだった方。
確か、子爵家の方で・・・デイナの愛人の一人だった婚約者に暴行を受けて、足に障害を負われたはず。歩くことはできるけれど、長く立っていることができなくて、走るも困難になったらしい。生活に支障をきたすからと泣く泣く学園を退学されたはず。
その後、当時の婚約者から婚約破棄をされて別の男性に嫁がれたと聞いている。
「ナーズリー夫人だわ。慌てたご様子だけど、どうしたのかしら?」
私と同じく貴婦人を見ていたらしいお母様が声を上げる。
そう、ナーズリー男爵へ嫁がれたのだった。政に加わるお父様の同僚の方で、とても穏やかな紳士と聞いていた。
「騒がしくして申し訳ありません、皆様。個室をお借りしたくて参りました。暫く」
「シシー!」
次は男性が入ってきた。ナーズリー夫人の名前を呼んで、飛び付くように近付いて、怯えた表情の夫人が数歩下がる。
ああ、あの男性。確か夫人の元婚約者の方だわ。足に障害を負わせた張本人。デイナを囲う方々に混じっていた姿しか知らないけれど、切羽詰まったという表情は麗しいご容貌を崩してはいない。
デイナ好みの美男子だから、当時のナーズリー夫人から奪い取ったと良く分かる。
「俺の話を聞いてほしい!」
「・・・ヴァンフリー子爵令息様。何度も申していますが、貴方の要望に応えることはできません。ここまで追いかけてくるなんて皆様の迷惑になります。謝罪は受け取りましたし、私個人としても貴方に請求するものはございません。ですから、もう追いかけ回すのは止めてください」
「そんなことを言わないでくれ。俺が好きだったのは君なんだ!それなのに魔女に良いように心を操られて君に酷いことをした。責任を取りたい、それだけなんだ!」
「声が大きいですわ・・・本当に申し訳ございません、皆様。今すぐ退出します。ご店主も申し訳ございません」
一礼をしたナーズリー夫人は、よろけながらも男性の横を通り過ぎようとした。でも、彼は彼女を逃がすつもりはないようで、腕を掴み取る。
「シシー、君の怪我の責任を取る。俺と結婚してくれ。君のことを支えていきたい」
「・・・いい加減にしてください。私は既婚だと申したはずです。何より、夫でもない方に触れられたくはありません」
「っ、シシー!」
掴まれた腕を引くことで、ヴァンフリー子爵令息から逃れたナーズリー夫人は足を引き摺るようにカフェから出ていった。子爵令息もすぐに追いかけていく。
「・・・魔女の被害者ですわ」
「初めて見ましたわ。ああいって捨てた女性に縋るのですね」
二人組の女性達の密やかな会話。静まり返ったカフェの中では良く聞こえた。
魔女の被害者。つまりはデイナに魅了されて操られていた方々。正気に戻ったことで、彼らは傷付けた女性達に縋り、ああいう風に愛を乞うようで。
・・・では、ルーベンスもきっと。愛などない関係だったけれど、私達は先程の二人と同じ状況だもの。会いたいと願われて、恐ろしいからと私は拒否している。
もし、先程のヴァンフリー子爵令息と本当に同じなら、ルーベンスも私を求めて踏み込んでくるのでは。
「・・・お母様、お家に帰りたいです」
「そうね、そうすべきだわ。何個か焼き菓子を包んでもらいましょう。もう暫くは外出できないのですから」
しっかり答えたお母様だけれど、その顔は青い。先程の二人に私とルーベンスのことが重なったよう。
ルーベンスから既に手紙を頂いている。謝罪のために会いたいと願われ、もし素直に従えば・・・縋られるわけじゃない。婚姻を望まれたのだから、問答無用で従うようにされる。だって、ルーベンスはそのような方だもの。私を嫌味と正論で押さえつけて従えていた方だから。
会ってはいけない。会ってしまったら最後、また私はルーベンスに縛られてしまう。
コルネリアからの連絡を待つ日々。お父様のしたためた許可書は送ってある。あと少し待てば、私は王都から、ルーベンスから逃げられるはず。
カフェの一件から外出はしていない。私は自室に籠もって、心配だとお母様に抱き締められたり、ずっと顔色が悪いお父様から大丈夫だと励まされて、何とか過ごしている。
外の世界から身を隠すようにしている私は、お母様や侍女達のお話で情報を得ていた。
ナーズリー夫人は離縁させられた。男爵家からではなく、六年前の婚約破棄は不当だと訴えたヴァンフリー子爵令息と司法のせいで。
繰り返し付き纏っていた子爵令息は、ナーズリー男爵から永続的な接触禁止を願われた。だけど、ヴァンフリー子爵令息は従わず、恐ろしいことにナーズリー夫人の誘拐未遂まで起こしてしまう。許し難い犯罪に裁判が起こったことで、全ては司法の判断に委ねられた。
ヴァンフリー子爵令息自ら、操られていたとはいえ自ら婚約破棄をしたのに、魔女のせいで本心ではなかったと訴えた。ナーズリー夫人は自身の妻であるべきだとも訴えた。そんな言い分は聞き入れられないのが普通のこと。だけど、この国はつい先日まで普通ではなかった。
魔女の被害者であるヴァンフリー子爵令息の言い分は正当だと司法は判断して、夫人は男爵家から離縁。即座に子爵令息との婚姻が結ばれた。その時の裁判所は、男爵の怒号と夫人の泣き叫ぶ声、子爵令息の勝ち誇った姿で異様な光景だったと聞いている。
他にも、婚約者のいる令嬢が以前の婚約者に狙われたり、お子様を産んだばかりの夫人が元夫の方に脅迫されたという話を聞いている。どちらも男側が女性達を激しく求めて縋り、手に入れようとしているから。
平民の中には、行方不明になっている女性が何人もいるらしい。噂だけれど、デイナの愛人や従者になっていた男達が、以前の恋人や妻を求めて強引な手段を取っているそう。誘拐や監禁に発展しているのではないかって、侍女達が心配そうに話していた。
確実な証拠なんて、家に引き籠もっている私が知り得たものではないけれど、絶対にデイナに従っていた男達の犯行だと思う。
偽りの恋から解放された人達が、真実の愛を抱く女性達を求めている。彼らが壊した関係なのに、操られていただけだから受け入れてくれるだろうと、そう思い込んで愛を乞うている。
女性達が感じた恐怖も怒りも悲しみも理解せず、愛を囁やけば心を寄せてくれるって思っているのだわ。
「傷付けた過去は消えないのに」
余程の聖人でなければ、男達の所業を許せる方なんていない。私達が受けたのは心身ともに一生残る深い傷なのだから。
「・・・」
手元に視線を落とせば、二通の手紙。日を開けて届いたルーベンスからの薄い手紙。読まなくても内容は分かる。私に謝罪をしたいから会えと言う一文。
「・・・絶対に会うことはできないわ」
ルーベンスに対する恐ろしさから握り潰すこともできなくて、以前の手紙同様に机の引き出しの奥に仕舞った。
「コルネリアからの連絡はまだかしら・・・早く修道院に行きたい」
予定よりも大幅に遅れているから、私は途方に暮れて天を仰いだ。目に映るのは、白ユリの模様が描かれた清浄で見慣れた天井。
思わず溜め息が出てしまう。
その時、部屋の扉がノックされた。返事をすれば私の専属侍女が入室してくる。
「お嬢様、ベルアダム侯爵からお手紙が届きました」
「まあ!本当に!?」
念願だと手紙を受け取って、ペーパーナイフで封を切った。はやる気持ちを頑張って抑えて畳まれていた紙を開けば、私の気持ちは一気に落ちる。
「カーラが、亡くなった?」
親友の一人。元婚約者のせいで身分を剥奪され、それでもカーラのお父様とコルネリアが協力して保護をして、ベルアダムで穏やかに暮らしていた。主治医の方と結婚をして、妊娠をして、もうすぐ赤ちゃんが生まれるって。
つい先日会ったばかりで、幸せそうに笑っていて、私のことをいつまでも変わらないって呆れながらも優しく微笑んでくれて。
「どう、し、どうして!」
視界がぼやける。熱いものが頬を伝って、胸が苦しくて、コルネリアからの手紙が読めない。
カーラの死を弔うために私はベルアダムで行われる葬儀に参加する。
心はぐちゃぐちゃ、顔も涙で濡れてぐちゃぐちゃ。それでも大切な人の葬儀だから絶対参加したかった。突然の死が受け入れられていないというのもある。本当にカーラは死んでしまったの、かと。
ベルアダムに向かうためにお母様を振り切って家の馬車に乗った。信じたくない、あり得ない、認めたくない。そんなことを思う私は、馬車にただ揺られるだけ。
途中、王都の障壁の門でいつもの検問を受けた。外出時は素早く審査が終わるのに、なぜか時間がかかっている。早くベルアダムに行きたいという焦燥から、審査をする兵士を睨み付けてしまった。
いつもと変わらず私に嫌悪感を隠さない兵士が担当なのに、なぜか今回は申し訳無さそうに顔を伏せて、私に対して敬礼をした。兵士の変化を異常に思ったけれど、今は考えるべきことじゃない。
何よりもカーラのこと。本当は無事だったと、葬儀は早とちりだったとそう願ってベルアダムへの道をひたすら進んだ。
私の願いは叶わなかった。
整備の行き届いたベルアダムの墓所。石の墓石が立ち並ぶ中に黒い衣服の人々がいて、大きく開いた石の穴の手前にある棺に花を置いていく。
私が見つめる最中、涙を浮かべたコルネリアが白いユリの花を置く。私は耐えられなかった。涙を止めることもできずに、コルネリアに抱き着いた。
私の親友は、綺麗な緑色の瞳の目から涙をポロポロと溢す。
大切なカーラの死に悲しむ私達は、お互いを慰め合った。温もりを欲して抱き締め合って、他の方々の献花をただ眺めていた。
そのとき、男性の怒鳴り声が響き渡る。声の主は怒りの形相を浮かべたマッケンジー伯爵、つまりカーラのお父様。隻腕の伯爵は背の高い男性に詰め寄っていて・・・彼はレグルス・オルトリンデだわ。
カーラの元婚約者。デイナに魅了されてカーラを殺そうと襲いかかり、庇ったマッケンジー伯爵の腕を切断した。オルトリンデ家とマッケンジー家の親交はその時点で断絶。カーラの身分剥奪と王都追放を主導したことで、敵対関係にもなってしまった。
それなのに、なぜレグルスがいらっしゃるの。大体、カーラはマッケンジー伯爵とコルネリアに守られてカーラ・マッケンジーとは伏せられていた。平民のカーラ・リックスとして新しい身分を得ていたのに、敵対者のレグルスが、なぜカーラの葬儀に来れたの。
もしかして、カーラを探していたのかも。魅了が解けて一週間は経っている。その間にカーラの居場所を探し出して、カーラが結婚していたと知って・・・まさか、彼が。
ゾッとして思い当たる。前例がないわけじゃないもの。王都で見聞きした。虐げて捨てた女性達に縋って愛を乞う男達のことを。
恐怖を感じて声を引き攣らせてしまった。体も震えて、抱き合うコルネリアにはしっかり聞こえたはず。優しい彼女は私を慰めるように背中を撫でてくれる。でも、それでも怖くて。
私はレグルスから視線が離せなかった。一瞬の笑みも見逃さなかったし、立ち去る際に私達を見たのも気付いた。
「コルネリア、ここにはもう、居られないわ・・・どこか落ち着いた場所に行きましょ?」
怖くて、ここから逃げたくて、思わず口に出してしまった。
コルネリアは私を優しく諭してくれた。埋葬が終わったら、と。
でも、あの棺にカーラはいるの?
突然現れたレグルスに対する不審感から、遺体を見れていないカーラの死は偽りではないかと。そう思っても声に出せなかった。デイナに操られていた男達の執着を知っているから、怖くて、ただコルネリアに身を寄せただけ。
コルネリアに支えられながら彼女の屋敷に向かった。
応接室に案内された私はデイナの処刑、正気に戻った男達。そして、彼らが捨てた女性達への執着心と身勝手な愛を説明した。私の話を聞いてくれたコルネリアは、元婚約者のアベルのことを漏らした。
あの方も正気に戻ったことでコルネリアを求めるはず。どんな方なんて、学生時代の魅了されていた姿しか知らないから分からないけれど、コルネリアからは恋人のようだったと聞いている。
きっと凄まじい執着心を抱く。コルネリアを欲して求めて、拐うように手に入れようとするはず。
私にもルーベンスがいるから分かる。好かれてはいなかったけれど、長年の婚約者で家同士が決めた政略的なものだった。
私個人に価値はなくとも、レーヌ家令嬢という血筋と立場はマルチェロ家にとって重要なはず。利発で真面目、合理的なルーベンスだから私を求めるのは至極真っ当なこと。
「私の手段は修道院しかないの。だから、お願い、コルネリア。貴女のベルアダム修道院に入れて。私を守って、お願い、お願いよ・・・」
「・・・あとは院長に書類を送るだけよ。すぐに受理されるから大丈夫」
自分の未来に翳りが見えたからコルネリアに縋った。同じ状況にあるはずの彼女は弱い私を守るように抱き締めて、慰めるために背中を撫でてくれる。
ああ、なんて優しいの・・・いえ、私の親友達は皆優しかった。カーラもエリシャも、いつも私に優しくて夢に見ていたお姉様のようだった。
ホッと安心感から息を漏らす。でも、浮かんだのは先程目にしたレグルスの姿で。
「ねぇ、コルネリア。カーラは本当に死んでしまったの?レグルスが奪ったのではなく?」
コルネリアの顔が曇る。彼女の話では、カーラの遺体は焼失したという。棺には遺体は無く、熱で変形した結婚指輪が入っているそう。
ああ、やっぱり。やっぱりそうだわ。カーラは亡くなっていない。レグルスが連れ去ったのだわ。
だってそう、正気に戻ったなんていう男達は正気ではないもの。自分が愛しているからと、その男自身を恐れる女性達を奪うように手に入れているのだから。
王都に戻って馬車を降りる。私の目の前には暮らし慣れた私の家。レーヌ家のお屋敷が映っている。
あのままベルアダムにいたかったけれど、まだ修道院からお返事待ちで、私も準備ができていないから戻ってきた。コルネリアのお話では院長様のお返事が頂ければ、無事に入所できるそうだけれど。
カーラの葬儀で感じた不安が蝕んでいる。カーラは亡くなっていないし、きっとレグルスに捕まってしまっている。確証がなくとも分かる。どこかで、もしかしたらこの王都にいて苦しんでいるはずよ。私も、このままでは・・・。
「いえ、ルーベンスがいらっしゃらなければ・・・」
不安から漏らした言葉。最後まで言ったら叶わないと思ったから、しっかりと口を閉ざした。
ああ、早く王都から逃げたい。私の安住の地はベルアダム。コルネリアが守るあの領地ならば、恐れを抱くことなく過ごせる。修道院で清貧に努めていれば、小さな幸せくらいは感じるはずだわ。




