大嫌いな元婚約者
私は、私の婚約者が大嫌いだった。
『はじめまして、アリアと申します』
『・・・こういった場面では、まず家名を言うべきだよ』
初めて言葉を交わしたのは私に対するご注意。婚約者になった男の子は、月のない夜空のような黒髪に澄んだ緑色の瞳で、女の子のような綺麗な顔をしていた。礼服を着ていても華奢で、私よりも背も小さかった。
声と同じく感情のない冷たい眼差しを私に向けていたから、「好かれていない」と子供心に理解した。
そのような方が、私の婚約者。
『感情を豊かに表すべきじゃない、君は伯爵家の令嬢で、いずれは私の妻になるんだよ。淑女としての作法は習っていないのか?全く、好きな菓子が出たくらいで締まりの無い顔をして』
『社交は君に求めない、ただ私の隣にいればいい。何もしないこと』
『不平不満は勿論、誰構わず馴れ合うように笑うのも駄目だ。感情は抑えて。そういったものは、はしたない行いなんだよ・・・いくら言っても治らないな、困った人だね』
『もうすぐ入学だと言うのに、基礎学力がこの程度とは・・・私が教えよう。君は侯爵夫人なるんだから、勉学は確実に、教養も作法も完璧に近付けないといけないんだ・・・不満を言うなって言っているだろう?』
『学園では私と行動すること・・・仕方ないだろう、フラフラしていたら君のような人は目に付く。私が見ていないとね』
嫌味と本当のことを言って、いつも私を縛り付けていた。
真面目で合理的。成長されても女性と見まごう美貌だけれど、冷たい目と冷静な物言いは私の心も冷ましてくれた。いずれ、この方と結婚して夫婦になる。
私にとって、それは絶望だった。どのような楽しみもない冷めた夫婦関係を送ることになると思ったから。出会いから変わらずに私の言動や作法に口を出してきて、私を自分の思い通りにしようと押さえつけようとする方。
だから、大嫌い。美麗と言われるほど綺麗な方だけれど、見た目には騙されない。きっと、私はルーベンスと結婚したら不幸になる。私には幸せなんて訪れないってよく分かっていた。
『邪魔だ、不細工』
最初は何を言われたか分からなかったけれど、すぐに背中を押されて床に倒れたから、見上げて気付いた。
場所は別の校舎に向かう通路の中間地点。ズキズキと膝が傷むのを感じながら、私は見下ろしてくるルーベンスと、彼に抱き着いている「あの人」を眺めていた。
『醜い女は足も遅く、体積で場所を取るんだな。私とデイナの邪魔になっている。這いずったまま立ち去れ』
驚いた。ルーベンスは「不細工」から始まって、私のことを蔑む言葉を仰っている。密着している「あの人」も、なぜか悲しそうな顔で私を見下していた。
『この人、私の進路妨害をしたいのよ。いつも私の邪魔ばかりするもの』
「あの人」と私は話したことなんてないし、近付いたことすらない。
だって、いつも複数人の男達を侍らせていたのだもの。その中に、入学式から私を認識しなくなったルーベンスもいた。ルーベンスは、あの日から恋人のようにあの人に寄り添っていたから。
『いえ、私』
『お前、私のデイナの邪魔をしているのか!見た目だけでなく心も醜い女が!』
暴言を放ってから舌打ちをすると、私を見下すルーベンスは手を伸ばしてきた。制服の襟を掴んで私の首を絞めるように捻る。
『私のデイナにこれ以上迷惑をかけてみろ!ただでは置かない!』
このような話し方だったかしら。それすら判断出来ないほど、私の衝撃は凄まじかった。
真面目なルーベンス。マナーや所作に人一倍厳しくて、令嬢としては色々と緩い私を面倒を見るように側に置いていた方。そのような方が愛する人ができたとはいえ、大声で暴言を吐かれるなんて有り得ないと思った。
『デイナにも私にも二度と近づくなよ!』
異様だと感じ取れたから、私は何度も、壊れたオモチャのように首を縦に振った。
睨み付ける視線と嘲笑うような顔を見せられながら、私は立ち去る二人をぼんやりと眺めていた。
その日を境にルーベンスから暴言をすれ違うたびに受けるようになった。あの方は怒鳴って、睨み付けて、嘲笑って、私の心を折ろうとする。
更に大嫌いになって会わないように努めるけれど、あちらは私をすぐに見つける。近付くな、と言ったのはルーベンスなのに。
暴言の酷さも増して、この嵐のような方が満足して立ち去るまで私はじっと耐えていた。毎日、毎日、顔を合わせるたびに言われる。日を追うごとに死を願う暴言も吐き出し始めていた。
もう無理だわ・・・。
耐えることが苦しくなっていた。私の親友達、クラスメイトや、親戚の令嬢達が「あの人」の愛人達、つまりはルーベンスのようになってしまった男達から危害を加えられ始めた。
私のように暴言を吐かれたり、言いがかりを付けられて婚約破棄になったり。酷い人は殺されそうになったり、複数の男に凌辱された方もいる。
親友の一人であるカーラや、王城での建国祭で隣国の王女クローデット様が受けたことを、他の方々も受けて、中には本当に殺されてしまった方もいる。エリシャのように・・・。
耐えられなかった。エリシャは実父と婚約者に砲弾で殺害された。カーラは危なかったけれど、身分を剥奪されて王都から追放されてしまった。コルネリアはまだ無事だったけれど、彼女の婚約者が殺意の滲む恐ろしい顔で睨み付けていたのを知っている。
私はどうなってしまうの。ルーベンスの暴言は日増しに強い言葉になっていた。殺意を隠していない。私も、私も「あの人」を苦しめたと言いがかりを言われて、乱暴されてしまうかもしれない。殺されてしまうかもしれない。
『お前のような卑しい豚を養う私の身にもなってみろ。食うことしか脳がない豚女は、辛うじて人間だから食肉にもなれない。お前は何の生産性も無い存在意義すらない女だ』
耐えきれなかった。人に向けて言うことではない暴言に、私は耐えられなかった。
このまま耐えてどうするのだろう。その先は、耐えて耐えて耐えた先にあるのは、ルーベンスとの結婚・・・絶対に嫌だった。
『婚約破棄をしてください!私は二度と貴方に関わりません!私に有責があると慰謝料を請求して頂いても構いません!だから婚約破棄をしてください!』
一世一代、意を決して放った言葉。二度と関わらないと、だから婚約破棄をしようと訴えた。
満足したらしいルーベンスが口をニヤつかせて笑った。涙でぼやけていたけれど、見間違いじゃない。
『豚と結婚せずに済んだな』
そう言われて背中を見せて歩き離れていったもの。
私は、やっと解放された。あの真面目で合理的で冷めていて、愛する人のために私に暴言を吐き続けていた方と、やっと離れることができた。
あのときの私は泣きながら笑っていた・・・でも、なぜか私がルーベンスをまだ諦めていないということになっていて、ご実家のマルチェロ家と「あの人」の護衛になっていた男達からずっと監視されることになった。私は本当の意味で泣いた。
どうしてなの。私はルーベンスを求めていない。だって、最初から大嫌いな方なのに。
学園を卒業してから四年、私は訪問していたコルネリアの領地ベルアダムから王都に戻ってきた。門で行われる検問で兵士達から受ける厳しい眼差しも、度重なれば慣れたもの。
主君たるリカルド国王陛下が私を悪女とされたから、兵士達全員から私は嫌悪されている。犯罪者を見るような目で、私が「あの人」に危害を加えたり、ルーベンスに近付くことを懸念されていた。
何度も違うと言っても認めてくれないのだから、気にすることは止めた。ただ、妙な言いがかりをつけられるから、王城やマルチェロ家には近付かないようにしないと。遠回りにはなるけれど、いつものように平民地区の住宅街を通って屋敷に帰る。
(ベルアダム修道院に行くまで家に籠っていればいいわ・・・)
私の親友の一人であるコルネリアは、元婚約者から酷い暴力を受けて領地に引き籠もった。怪我の治療を終え、今は亡くなられた父君の仕事のお手伝いをして、そして爵位を譲渡されて女性侯爵になり、領地経営のためにベルアダム侯爵領に留まっている。
ベルアダムはとてもいい場所だった。穏やかな気候と勤労な領民達。高い生活水準を保つ都市部に、緑豊かな自然と農地が広がっていた。コルネリアの運営が良いものだって目に見えて分かったもの。
ベルアダムなら、厳しい目や態度で私を責めたり、元婚約者やあの人に接触するつもりだと警戒する変な方達もいない。私の安住の地はベルアダムだとずっと思っていた。王都に隣接した領地だから、お父様もお母様も足を運びやすい。気軽に面会に来てくださるはず。
だから、ベルアダム修道院に入る。一介の修道女になって奉仕活動や清貧な生活を務めて、穏やかに、煩わしい人達とは関わらない日々を送りたい。
コルネリアは止めてきたけれど私は折れなかった。令嬢として生きてきた私には、修道院での生活は厳しいだろうと心配してくれたのは分かる。でも、この王都より厳しいはずがない。
(食後のお菓子が週に一回だって耐えられるわ!我が国の女神に仕える清く正しい心だってあるもの!)
私だってやる気があればできる。
そう思って、コルネリアから頂いた紹介状を胸に我が家の玄関を潜った。
「ただいま戻りました」
「アリア!」
帰宅を告げれば、なぜかお父様がすぐにいらして、蒼白な顔色で私の腕を掴んだ。怒りではなくて、何やら焦っているのだとは気付いたけれど、一体何が。
「無事か?」
「え、ええ。いかがされたの、お父様?」
「ああ、無事だな。無事だから帰ってこれたのだものな・・・良かった、良かったぁ・・・」
一人で安堵されて、体の力が抜けたのか、栗色の髪の生える豊かな頭頂部を私に見せて、またすぐに顔を上げられる。
その表情は緊迫していらして、鬼気迫るものがあった。
「いや、安全とは言えない。すぐに部屋に、リジー!アリアが帰った!部屋に匿ってくれ!」
お母様の愛称を大声で呼ばれる。それにパタパタと急ぐ足音が聞こえてきた。食道室のある廊下からお母様が姿を出す。お父様と同様に緊張したお顔をされていたけれど、私を目に留めるとホッと息を吐いた。
「良かったわ、無事に戻ってきてくれたのね・・・」
私のお母様は、学生時代は絶世の美少女として王都で名を馳せていた。数多の男子学生から好意を寄せられ、女子学生からは羨望の眼差しを受け続けたそう。中には、既に政に参加していたルーベンスの父ギリアム・マルチェロ宰相すら虜にしていたと噂に残っている。
それは真実に近いのかも。美貌に陰りはないと私自身が目にしていてよく分かるから。
非常に美しいお母様と幼馴染として親交があったから婚姻を結べたお父様が、何十人もの男性達に恨まれたという逸話も残っている。同年の女性達からも厳しい目で見られたとも。お父様だって古くから続く名家の跡継ぎでお顔も整っていらっしゃるのに、周囲の方々はお母様に相応しくないと思われたらしい。
人目を引く美しいお母様はお父様だけを愛している。未だに言い寄ってくる男性達の手を取ることない貞淑な貴婦人。
相思相愛の両親は、お互いの特徴を受け継いだと良く分かる私も大変愛してくださっている。だから、私達家族はとても仲睦まじい。
「さあ、アリア。お部屋に戻りましょうね。ベルアダムからの旅で疲れたでしょう?ゆっくり休みましょう」
「いえ、お母様。のんびりとした帰路でしたから、それほど疲れはありません」
「のんびり一日かけて戻ってきたのよ。馬車に揺られるだけでも疲労は蓄積します・・・あなた、夕食はアリアの部屋で取りますわね」
「ああ、そうしなさい・・・アリア、ゆっくり休むんだぞ。私は物事を整理しなければならないから」
顔色が悪いまま書斎に向かわれるお父様。不安を隠そうとせずに暗い表情のお母様。私の両親は強引に、私に説明をせず物事を進めていく。
何かあったのだと分かるけれど、二人共、私を心配しているとは理解できた。ずっと私に優しくて、絶えず愛情を与えてくれていたもの。
元より反抗するなんてできないから、私は肩を抱いて歩き進むお母様に従って自室に戻った
食事の後に聞かされたお話が私に衝撃を与えてくれた。「あの人」が、男性達に無条件で愛されていたあの人が、処刑された。その影響で、「魅了の魔法」を受けて操られていた男達が正気に戻った。
私は、お母様に背中を支えられながらお父様から説明を受けた。
まず、「あの人」がなぜ処刑されたのか分からなくて質問をしたら、「魅了の魔法」のせいだと教えられた。「魅了の魔法って?」なんて気の抜けた声で質問をしたら、あの人は魅了の魔法を扱う魔女で、数多の男性達の心を奪い、高位の方達も従えていたから国を乱していたと教えられた。
フラメル王国の王太子は求婚ではなく、同族であるあの人を処刑するためにやって来たそう。「耐魔」の魔法使いとして、悪しき存在となった同族を討伐した。つまり魔女討伐を行われた。
肉体を消失するほどの酷い処刑方法を取られたそう。魔法使いや魔女は体の一片だけでも残っていた場合、それを芯にした魔導具が作られる可能性がある。だからこそなのだろうか、そうだとしても残忍すぎたと聞かされた。
お父様は言いながら口元を押さえていた。私も想像して、身震いしてしまったから深くは考えなかった。きっと一週間は寝込むだろうとお父様は仰ったもの。
魅了の魔法がどういったものか。そして、その脅威もお父様はフラメルの王太子が説明されたことを教えてくれた。確かに恐ろしい魔法だわ。あの人のご先祖様達が、我が国で今まで静かに過ごしてい下さっていたのは奇跡に近い。一族の末裔が暴走しただけでも国が傾くほどだったのに。
「あの人」の愛人達は高位の男達が多かった。私達の元婚約者を始め、リカルド国王陛下や二人の王子殿下、国政に関わる方々、辺境伯まで。その方々を魅了で操っていたから、法律も治安もおかしくなって、あの人を男性達が崇めて侍るように国が変えられていった。
私を含む他の女性達は虐げられて捨てられて、それが当たり前という国になっていた。この国はあの人のために在った。
悪いことをしているとは、何となく分かっていた。でも、断じることをできる方などいなくて、私達はひっそりと目につかないように生きる道を選ぶしかなかった。
その「あの人」が・・・デ、デイナが処刑された。悪だと断じられて、罰を受け、この世を去った。
「・・・は、あぁ・・・そう、なのね。やっと、あの人から私は解放されたのね」
始まりはルーベンスからの暴言から。ずっと私は耐えて、婚約破棄後も監視されて、行動一つ一つ警戒されて、息苦しい日々を送っていた。
デイナにもルーベンスにも関わるつもりなんてないのに、二人の間を引き裂く悪女なんて男性達や王都を守備する兵士達にも言われて、何度も逃げ出したかった。
ソファの座面に手を乗せる。指先に当たってカサリと音を立てたのは、コルネリアが用意してくれた修道院の紹介状。私の両親に向けて、どのような場所か教える書状。
(これも必要がなくなったわ)
安堵から息を漏らす。
私を苦しめていた方がいなくなったのなら、私が苦しむことなど二度と起きない。
国政が正常となれば、王都を誰の目も気にせず歩くことができるはず。一人の女性のためにあった衣類店や宝石店を巡って、大好きだったカフェで休憩をしたい。
女性の外出が減って活気のなくなった街並みも、きっと以前の賑わいが戻っていくはず。
「全てがいいことばかりではないんだ。いいかい、アリア・・・ルーベンスが正気に戻った。彼は君を求めている。私に詰め寄り、婚姻承諾を命じてきた。君に会わせろと怒鳴ってきたんだ」
「・・・え?」
なぜ・・・だって、ルーベンスとは婚約すら破棄された。その先の婚姻なんてあり得ないはずなのに。
「魔女に操られていたことで本心ではなかったそうだ。ルーベンスは君との婚姻を望んでいる。あの醜態から正常な精神とは判断できないが、君の名前を呼んでいて・・・ああ、やっとギリアム殿と私的な縁は断てると思ったのに、まだ私に関わろうというのか」
「アリア・・・」
頭を抱えて小さな唸り声を上げるお父様。私はその姿を見つめながら、お母様に抱き締められた。お母様の温かさを感じる。お父様の沈鬱な姿がずっと目に映っている。
それ以外は分からなくて、理解したくなくて。
なぜ、なぜ、なぜ。なぜ、ルーベンスは私を求めるの。だって、当時は正気ではなかったとはいえ、すでに婚約破棄をしている。私はあの方にとって過去の人間。私が縋って復縁を迫っているなんて悪評を広めていて、うんざりしていると・・・いえ、それはデイナの魅了の魔法で操られていたからで。絶対に嫌。私はルーベンスが大嫌いなのだから。
カサリと音がする。私は指先で手繰り寄せた修道院の紹介状をしっかりと掴み取っていた。
翌日。
ルーベンスから手紙が届いた。便箋の厚みは薄く、きっと短文で書かれているのだと分かった。あの方は効率を重視されるから、伝えたいことだけを書き記す。
封を切って改めれば、やっぱりそう。
───・・・アリア
これまでの謝罪をしたいから直接会いたい。
ルーベンス・・・───。




