気軽に会いには行けない
小さな荷馬車。御者台にはルーがいて、私は馬で並行している。雨が降っているわけではないけれど、外套のフードを目深に被って見える景色を睨み付けていた。
「あれ、ロウ商会の・・・先日帰国したばかりじゃないか」
「追加の注文があってな。シルヴァンに質のいい銀鉱山があるバルバラってところがあるだろ?あそこの銀が必要になったんだよ」
「そうか、ごくろうさん」
クレイバーンとシルヴァンの国境にある関所の対応は、ケイに任せた。私はただ眼前に広がるシルヴァン王国、この辺りはよりによってロンド辺境伯領だけれど、針葉樹の林を縦断している街道を見つめる。
「入国許可が取れました」
「・・・行こう」
馬に跨ったケイが近付いてきたことで、私はゆっくりと騎乗する馬を歩かせた。
今回は商人としてじゃない。アベルっていう元婚約者に捕まってしまったコルネリアの様子を知りたいから、あわよくば救出したいから私は街道を進む。連れてきたのはケイとルーだけ。少人数かつ信頼できる人達じゃないと、私の無謀な計画の達成率は著しく下がる。
「俺達がクレイバーンに帰る途中、行き違いで攻め込んだそうですよ。夜間に強襲をかけたみたいで、武力が殆どないベルアダムはあっさりと制圧されたみたいです」
「あの領地は恵みの大地と呼ばれる農耕地。兵士よりも農夫のほうが多いんだ。抵抗なんてできるわけない」
「確かにそうですよね。夜間っていうのも、農民達が被害を受けないための処置だろうし」
「とても卑怯だけどね・・・やってることは野盗と変わらないよ」
「国軍が野盗なんてゾッとしますよ」
並行するケイと話しながら進みながら、コルネリアのことを想う。
唯一無事だった私の親友。どうしてもクレイバーンに連れて帰りたかった。だけど、彼女の信念を曲げることができなくて、私は後悔している。アリアもカーラも状況的に助けられなかった。接触すら困難だったから。
アリアを捕らえるために結婚したらしいルーベンスのことは、よく分からない。学生時代もデイナの男として侍っていただけだから。デイナを害したって言いがかりをつけたパトリツィア・オルセイン嬢に仇を見るような目を向けていたけれど、あれはデイナに操られていたから本当の彼じゃないはず。面識がないからルーベンスがどんな男なんて知らない。
だけど、マルチェロ侯爵家のことは分かる。代々王政の中心にいて、歴代の当主は何度も宰相職に就いている名門。息子の妻にアリアを願ったのなら、きっと手放すことはない。あの子に価値があるから選んだんだ。
カーラを拐ったらしいレグルスは他と同じく、焼き増しみたいにデイナの男としていた。それは偽りだったと分かっている。迫力ある怒気を向けてきたことはあるけれど、あれも操られていたから。
今のレグルスは常に笑みを絶やさず、柔和な態度で誠実そうな雰囲気。攻撃性もなく、穏やかに事を進めようとする。レイチェル様の所に来訪するジャレッド王子の護衛としているのを見かけたから、上辺だけなら分かる。
でも、その内心はどんなものか推し量れない。紳士的な態度は得体の知れなさがあった。もし、本当にカーラを捕らえたのなら表には出さないだろう。火災で消えたカーラをなぜか得ている。それは汚点になるはずだから隠し通すはずだ。
無事だったのはコルネリアだけだった。それでもアベル・フィガロという男に狙われていたんだから、私はやっぱり連れて帰るべきだった。アベルという男の学生時代はやっぱりデイナの男だったから、ルーベンスやレグルスと印象は変わらない。
でも、以前は恋人のように過ごしていたとコルネリア自身が言っていた。魅了の魔法から解放されたのなら、本当に好きだった恋人を求めるはず。コルネリアが愛情を失っていたとしても、アベルの心は当時のままで、恋人を求めて執着するのは分かりきっていた。
「もっと粘って説得すれば良かった、コルネリア・・・」
武力行使で占領したのに、コルネリアを排斥せず妻にしたんだから、アベルの目的は間違いなくコルネリアだったんだろう。彼女を得るためにベルアダムを制圧した。
「二度と会えないなんて悲しいよ」
私の呟きに、横からケイが頭を下げて覗き込んでくる。大きな手が、私の頭をフードの上から触れて撫でてきた。
「まあ、行ってみないことには分からないですよ。もしかしたらコルネリアちゃんを助けられる隙があるかもしれないですしね」
「ケイ、コルネリアを『ちゃん』付けしちゃ駄目だよ。馴れ馴れしいから」
「今それを言及します?」
「お嬢様、止まってくれ」
落ち込む私はケイの温もりに心が軽くなったけれど、冷静なルーの声に身が引き締まった。
何かあったのだろうかと彼を見る。真横にいたはずの荷馬車は数歩後ろで停車していて、ルーの顔は真っ直ぐに、前方を睨み付けていた。
「検問だ」
「は?うわっ、マジだわ。ありゃあ・・・ルノーの旗ですよ」
二人の声に私は前方を見る。真っ直ぐと丘の合間に作られた街道の先。大門のある砦に兵士と、列を成す馬車や人々の姿が見えた。あの砦の門はクレイバーンに帰った時も潜った。その時には兵士はいなくて、モニュメントのように建っていただけ。あの砦の所有者は知っている。石壁にあったレリーフはルノー伯爵家の物。
砦に兵士が駐在し始めたのかもしれない。理由は、きっと隣接するロンド辺境伯領を警戒しているからだろう。
私の元婚約者と「あいつ」は、私とお母様を殺害したことを擦り付け合っているという話だ。互いの領地は緊張状態で、内戦に発展しそうだと言われている。
「どうしますか?」
ケイが耳元で囁く。
本来ならば、砦を通らずに迂回したほうがいいだろう。私は内戦の原因なった存在。死を偽装して身を隠している状態だ。
私が生きていると元婚約者のウリエルに気付かれたら、私は捕らえられる。「あいつ」に向かって私を掲げれば内戦にはならない。殺害したはずの私が生きていると知れば、そうすれば、最終的にお母様のことが気付かれてしまう。
「あいつ」はお母様がお気に入りだった。執着している。殺したと理解して気が触れるほど、お母様は「あいつ」にとって大事な物だった。
「・・・兵士を見て。もうこちらに気付いている。妙な動きをすれば追われるよ」
ただ、物見台にいる兵士が双眼鏡でこちらを見ていた。私達の存在は、ルノー領軍に気付かれている。
「私が『エリシャ』だと気付かれはしない。もしあれがロンドの兵だとしても、砦にいるのは下級兵士だ。辺境伯の娘なんて、間近にいる近衛や領主自身が指揮を執る軍隊の兵士でなければ分からないよ・・・行こう」
私は変装をしている。お母様譲りの鮮やかな赤髪は茶色に染めて、巻いたことで緩やかなウェーブを作っている。化粧だって、貴族時代のものとは違って薄化粧だ。以前とは髪と顔の雰囲気が違う。だから、大丈夫。ルノー領軍の下級兵士が分かるはずがない。
馬に指示を出して進む。横にはケイが騎乗する馬を寄せ、後ろからルーが操縦する荷馬車がついてくる。列に加わった私は、取り敢えず馬から降りた。兵士の対応はケイに任せようと、手綱を引いて歩き進む。
一組、また一組と許可が降りて馬車や人が門を潜っていく。あと二組の対応が終われば私達の順番が来るだろう。
「エリシャ?」
聞きたくない声が私の本名を呼んだ。成人男性にしては高めで、それでいて澄んでいる美声。私は、検問の兵士に顔を向け、その中にいる軍服の男を捉えた。
緩いウェーブのかかった茶色の髪は太い首までの長さ。見開いた目は珍しい金色で、蜂蜜のようで美味しそうだと言った記憶がある。それなりの背の高さと思うのは、私が女にしては長身だからだろう。ただ、軍服を押し上げるほど筋肉逞しいと分かる体躯は、立派だと素直に称賛できた。
ウリエル・ルノー。私の元婚約者。ルノー伯爵家の三男が、領軍でも上位にいる彼が、なぜ領境の砦にいる。どうして、ここに。君はこれから起こるだろう内戦の中心人物じゃないのか。
まずい、私が「エリシャ」だと気付かれた。ウリエルがいるなら隠しようもない。だって、化粧をする前から一緒にいた幼馴染。私の顔なんてよく知ってるし、十六歳までいつも側にいた。
「エリシャだな!?生きていたのか!」
ウリエルの驚きの顔は真剣なものに変わる。体格の良い体で人を掻き分けて近付いてくる。私を捕まえようとしている。
「ケイ!走る!ルー!頼んだ!」
馬に乗る余裕はない。手綱を放し、私は全力で砦から走り出した。この辺りはなだらかな丘しかないから、身を隠すものはない。それでもウリエルから逃げなければ!
「ああ、クソ!おい!馬は頼んだぞ!」
「足止めするにも馬車と馬が邪魔だ、全く面倒な」
街道からそれて草原に足を踏み入れる。背後を見ればケイは付いてきて、ルーは乱れた列を掻き分けるようにわらわらと出てきた兵士達と対峙していて。
「エリシャ!!」
ウリエルが私を捕まえようと腕を伸ばして追ってきている。
私との距離はそんなに離れていない。離せない。
「ちっ!」
舌打ちはケイがしたんだろう。追われる私とウリエルの間に割り込むと、ウリエルに向かって開いた手を翳して、すぐに握り締めた。
ああ、そうだった。あまり使わないから忘れていた。
「なっ、ぐぅっ!」
動きを止めたウリエル。それでも私に近付こうとして、体を揺らすように動かしている。動けるはずがないのに。
地面を駆けていた彼の両足には緑の光が、茨の形状をした光が何重にも巻きついている。これは茨の魔法。私も二回くらいは目にしたことがある。魔法使いの血筋であるケイが使用した。
「なんだ、この、茨!?魔法か!?」
「脳筋騎士国家のシルヴァンじゃ魔法使いは少ないんだってな。俺のちゃっちい魔法を見て驚いてくれるなんざ、嬉しい限りだぜ」
「はぁ・・・はぁっ・・・ぁ」
息を整えるために呼吸を繰り返す。流石に、全力疾走で丘を走るのは堪えた。胸が張り裂けそうなほど大きな鼓動。急激な血流に汗が滲み出て、服が張り付く感覚がある。
「くっ、エリシャ!」
「はぁ・・・ははぁ、っ、どうしようか」
「暫くは動けないように全身を覆って地面に張り付けることもできますよ」
「魔力は持つの?」
「まあ、カラカラにはなりますね」
私は首を振るう。
ケイに魔法を使わせるのは良くない。使用するために必要な魔力って熱量があまり多くはないって言っていた。無くなれば、回復するまで体調がおかしくなるとも。
私達はこれからどうするか見定めないといけない。身動きできなくなることは避けなければ。
「エリシャ、お願いだ!聞いてくれ!」
「・・・私はエリシャって女じゃないよ。シャーリーって言うんだ」
「何を言ってるんだ、お前はエリシャだろ?俺の顔を見てすぐに気付いた。自分を殺そうとした男だって」
「・・・シャーリーなんだよ、ウリエル」
真っ直ぐにウリエルの顔を見る。困惑と歪めた表情。それでも、私に向かって手を伸ばしていた。
「エリシャ・ロンドは死んだ。私の名前はシャーリー。君とも『あいつ』とも無関係な一商人だ」
「商人?・・・ああ、そう言えば仲間の乗っていた馬車にクレイバーンのロウ商会の紋章があったな。クレイバーンに身を寄せていたのか。それでロウ商会の従業員に?」
「細かい情報は教えるつもりはない・・・ウリエル、なぜ私を追った。私をロンドに送って自分達は罪がなかったと証明するつもりだった?」
「罪?・・・いや、違う!お前をロンドに送るわけがない!あの狂った男とは絶縁している!俺はお前が生きていたと分かって、嬉しくて・・・嬉しかったんだ。酷い殺し方をしたと、操られていたとはいえ、あんな残忍なやり方で、よりによってお前を殺すなんて・・・そんなこと、したくはないのに・・・あの、クソ女が!!」
デイナのことを思い出したのか、ウリエルの顔は怒りの形相に変わる。食い縛った歯を見せて、自分の足元を睨みつけていた。
「あのクソ女のせいで俺はお前を永遠に失ったと思った!あいつの死体が残っていたら八つ裂きにしてばら撒いてやろうとすら思った!それなのに何も残らず、お前もいなくて・・・俺は、なんてことをしたのかと、どうしていいのか分からなくて、絶望して・・・でも、生きていたんだ。どうやってあの拘束を外せのか分からないが、お前は生きていた・・・エリシャ」
私を掴もうと藻掻く両手。大きな手と筋肉で太い腕は、ずっと私へと向かっている。
「今はクレイバーンに暮らしているみたいだが安心しろ。ロンド辺境伯から必ず守ってみせる。お前のことは隠し通す。だから、俺と一緒にルノー家に帰ろう。ずっと俺がいるからお前に危害を加える奴なんて近付けない」
「何度でも言うけど、エリシャ・ロンドは死んだんだ。私はただのシャーリー。君の婚約者でも、ロンド辺境伯の娘じゃない。クレイバーンの商人だ。君とはもう無関係なんだよ」
「は・・・」
後悔しているとは分かった。起こしたことも本心ではなく、強力な魔法に操られてのことも理解している。
私とウリエルはまるで姉弟のようだった。いつも私の後ろに付いて回り、駄々を捏ねたり、いたずらしたり、一緒に体を鍛えたりした。楽しかった日々は確かにあった。この子は信用できるって分かる。
でも、私と、何よりお母様を殺そうとした事実は変わらない。九死に一生、ジェラール軍師の犠牲もあって私はお母様と逃げられた。クレイバーンまで逃げ延びて、新しい生活が始まって、過去のことは辛い思い出だった胸にしまっている。
今更、元には戻れないし、戻るつもりはない。ウリエルの手なんて取れない。
私はシャーリー・ロウになったんだから。
「死んだエリシャのことは忘れてほしい。シャーリーになった私は、今の人生を謳歌している。君と交友を持つつもりもない・・・もうエリシャに戻ることはないんだ」
「・・・・・・」
「あらら、項垂れちゃったよ・・・好きな女に拒否されて絶望したってところか?」
どこか楽しそうな声色で、ケイが蹲るウリエルを覗き見る。
何でそういったことを言うのか分からないけど、多分悲しんでいるウリエルをからかっている。こんなに性格の悪い男だったかな。
「ケイ、変なことを言ってからかっちゃ駄目だよ。ウリエルは真面目なんだ。思ってもないことを言われたら、頭の処理が上手くでき」
「ぐ、ぅううぅぅっ」
「・・・は?」
唸り声と共に顔を上げたウリエルは歯を食いしばって、身を震わせて、足に巻き付く光の茨から逃れようとした。太い足がプルプルと震えて、地面から生えている茨が引き伸ばされている。
「いや、何この脳筋野郎は?魔法の茨を引き裂こうとしてます?筋肉で魔法を?バッカじゃねーの?」
「・・・おい」
「うわ、こわっ」
険しい表情と鋭く突き刺すような目付きでケイを睨み付けたウリエルは、地を這うような低い声。そんな声出せたんだっていう声を漏らし、ケイを指で差す。
「まず、貴様を黙らせてからだ」
「は?うわっ!?」
右足に絡まる茨が引き裂かれた。動こうとする足の力だけで引き裂いた。光の茨は千切れた部分から光の粒となって霧散していく。そして、次は左足の茨が動きで引っ張らされて引き裂かれようとしている。
「うっそだろ!いくら俺の茨の魔法はちゃっちいからって筋肉に負けるとか有り得ねぇ!顔の割に筋肉量半端なくないですか、この脳筋騎士!」
「わ、私に言われても」
ウリエルは伯爵家の三男だから継ぐものはなかった。だから、私と婚約して婿入りという形で辺境伯を継ぐはずだった。爵位を得るのだから、いくらシルヴァンの貴族とはいえ騎士並み、いや騎士以上に鍛える必要はなかったのに。
あ、もう一方の茨も引き裂かれた。その反動のまま、ウリエルがケイに体の向きを変え、腰に差した剣に手をかける。
「ウリエル!何を」
「その耳障りなことしか言わない口を塞いでやる!!」
「やべっ」
鞘から引き抜かれた剣がケイの脳天に向かう。
再び手をかざしたケイ。魔法を使用したことで、地面から伸びてきた光の茨が剣先を捉えると、刃の全体を包むように絡まる。
「この、クソ魔法使いがぁ!!」
振り被りながらも剣は動かない。それなのにウリエルは腕が震えるほど、渾身の力を込めて、また茨を引き裂いた。
「何でも筋肉で解決すんじゃねーよ馬鹿野郎!」
間一髪、ケイは後ろに飛び退いたことで、ウリエルの剣は地面に食い込んだだけだった・・・これって、ケイを殺そうとしているよね?
「やはり魔法使いは邪悪だ。あのクソ女もそうだったが、貴様も忌々しい・・・エリシャに馴れ馴れしくしやがって」
「私怨が半端ねーんだけど!?お嬢、こいつを大人しくできないんですか!?」
「ウリエル、止めるんだ!」
二人の間に割って入るけれど、途端にウリエルの表情は緩み、私の腕を掴んで。
「大人しくさせればいいんだな?」
「ぐがっ!?」
少し前から走り寄ってきていたルーに、剣の柄で後頭部を殴られた。ウリエルは、そのまま地面に落ちるとルーによって両腕を背中に回されて拘束されている。膝が食い込むように体重を乗せられているから、かなり苦しいと思う。
「う、っ・・・こ、の」
「はぁ、脳筋には脳筋をぶつけるしかねーな」
「頼りの魔法も役に立たなかったようだな」
「はぁっ!?」
呻き声を上げて多分、ルーを睨み付けているウリエル。また言い合いを始めようとする私の部下二人。
緊迫した場面、ルーのおかげで助かったという安心感。今の緊張感の無さ。どこか疲れを感じて溜め息を漏らせば、ウリエルは私のことを見た。
下がった眉、悲しそうな目・・・叱られた子犬のように思ってしまうけれど、この子は先程までケイを殺そうとした成人済みの男子だ。懐柔されてはいけない。
私はウリエルの目の前に移動すると、膝を付けて座り込んだ。表面から彼の顔を見下ろす。
「エ、エリ、シャ・・・おね、がいだ、俺と一緒、に・・・帰ろう?」
「私が帰るのはクレイバーンの実家だよ。お父様とお母様が待っているんだ」
「いや、だ・・・お前は、俺の、あ、ぐぅ、ぉ、おい!!」
「ルー、力を緩めて。ウリエルが潰れるでしょう」
骨が軋む音が聞こえた。ルーが体重を更にかけたんだと分かって、私は注意する。すぐに緩和したようで、ウリエルは慌てるように息を吸い込む。
「ウリエルが昔のように仲良くしたいって思っているのは分かってるよ。でも、無理なんだ。私は過去を捨てた。今の人生を生き抜くために、過去を振り返ることもしない。だから、ごめんね」
「エリ、シャ・・・いや、だ」
「ごめんね」
それだけ言って、私はウリエルから離れた。向かい合いながら後ろに下がって、泣きそうな顔を眺めることを選ぶ。慰めたら絆されてしまうから。
「すぐブチ切られるだろうが四肢を茨で拘束します。その間に逃げますか」
「しっかりと何重にも巻け」
「分かってんだよ」
ルーが力を緩める。
瞬間、起き上がったウリエルが私に駆け寄ってきた。掴もうと伸ばす手が差し迫るけれど。
「っ、エリシャ」
弟のように感じていた子の額に、私は腰に隠すように差していたボウガンを向ける。いつでも射抜けるように、引き金に指をかけて。
「これ以上、私の邪魔をするなら躊躇わない。分かってくれるよね、ウリエル」
「・・・ぅ、う・・・」
力を失ったように地面に座り、手で顔を覆う。ウリエルは泣いているのだろうか。顔が見えないから分からないけれど、体が震えていて、苦しんでいるとは分かる。
「・・・行くよ、二人共」
ボウガンを再び忍ばせるように腰に差し、私は踵を返した。
後ろから聞こえる足音は二人分。ウリエルは追いかけてこない。
「・・・あーあ、泣いちゃったわ」
「そういうことは思っても言うな」
二人のやり取りを嗜めることはできない。私もやり過ぎた。敵意なんて見せるべきじゃなかった。ウリエルは悪くないのに・・・。
「これからどうするんです?」
「そうだね・・・」
「・・・クレイバーンに戻れ」
思案中にウリエルの声が聞こえた。弱々しさのない、はっきりした声。遮蔽物がない丘の草原にはよく響く。
「何のつもりでシルヴァンに戻ってきたのか分からない。知る気もない。だが、クレイバーンに帰ったほうがいい。俺が辺境の砦にいた理由は、ロンド辺境伯領軍の動きが活性化しているからだ。軍備を揃え、兵士達を領境に次々に配置している。ルノー領に攻め入る準備をしているんだろう。その牽制のために砦にいた」
「・・・そう」
「俺はお前を諦めない。クレイバーンにいても必ず見つけて、また会いに行く。ソレイユ様にも謝罪をしないといけないからな・・・だから、早く安全なクレイバーンに帰ってくれ。あの男に見つかったら大変だ。今度こそ二度と会えなくなる」
「そうだね・・・ありがとう、ウリエル」
振り返りはしない。でも、明るい声でお礼は言った。
私はウリエルを恨んでいるわけじゃないし、やっぱり良い子なんだと再確認できたから。
真っ直ぐ歩き進む。砦に置き去りにした荷馬車と馬はどうなっただろう、とか。コルネリアを救いに行けないな、とか思いながら。私は、ウリエルへと振り返るなんてしなかった・・・───。
───・・・クレイバーンの国内のみで行商や、商会本部で働く日々。仕事が終われば、家族と団欒を過ごして、爛れた関係の二人と遊んでもらう。
今は他国には行けなくなったけど、変わらない日常を私は過ごしていた。
ある日、ロウ商会に手紙が届いた。ウリエルが私に宛てた手紙。何枚もびっしりと文章が綴られていた。
始めは、私に届くことを願う一文。それから今だにロンド辺境伯領と緊張状態で、小競り合いが多発しているという報告。内部に入り込んだ諜報員から「あいつ」の様子がおかしくて、クレイバーンに軍を差し向けようとする動きがあるという知らせ。もしかしたら、お母様と私の生存に気付いたのかもしれないという懸念。
それから、私に会いたいと乞う言葉。平和になったらクレイバーンに向かうから出迎えてほしいという願い。また交友を持ちたい、一緒にいたいという懇願。
ケイとルーのことも書いてあって、気を許すなという注意までされた。体すら許すほど信頼していると言ったら、真面目なウリエルはまた刃を向けるだろう。
「もし、再会したらだけど」
会いたくないわけじゃない。でも、私からは会いにはいかない。
「私はもうシャーリーとして生きているんだから」
最後の文章まで読んで、私は顔を上げる。見えるのは太陽の光に照らされた我が家の中庭。お父様とお母様が憩う場所。
コルネリア達のことも私の耳まで届いた。ベルアダム侯爵夫妻に第一子が生まれた。マルチェロ宰相に待望の初孫が誕生した。シルヴァン王国の騎士団長家では年子のため乳母を募集している。
そういった間接的な情報だけれど、彼女達の現状は見えてくる。
「会いたいな・・・」
でも、私はエリシャではないから会えない。名乗り出ることになってしまい、巡り巡って幸せに過ごすお父様とお母様を危険に晒す。
そっと手紙に触れた。「会いたい、エリシャ」と文字が歪んだ一文を、ゆっくりと指先でなぞる・・・───。




