私は王女なのだから
戦地に選ばれたのはフラメルとシルヴァンの国境にある平原。シルヴァンの国境線は山麓を縫っているため、下山をした軍を我が軍は迎え撃つ形になる。
キリアンお兄様の代わりに来訪されたイサベルお義姉様が、涙ながらに教えてくださった。お兄様の心身を心配されて泣かれるお義姉様を慰めながら、地図に描かれた戦地を視線でなぞる。
フラメル王国の王都に近い。万が一、キリアンお兄様が・・・いえ、そのようなことは考えてはいけない。
私はイサベルお義姉様と共に、女神像へと無事を願って祈った。
一週間経ち、二週間、三週間、そして一か月。
お兄様が戦争に向かわれてから、私は無事であることを願い、日々祈って過ごしていた。
奉仕活動の最中であっても、家事を行っても、修道院の清掃中でも、思うことはキリアンお兄様のこと。引き連れて行かれた兵士達の無事の生還。
誰もが傷付かず、など戦争ではあり得ないけれど、戦死者や重傷者など出ないようにと願っていた。
それなのに、私の願いは戦争が始まって二ヶ月が経とうとした日に打ち砕かれる。
「クローデット!」
ジャガイモの皮剥きの最中、イサベルお義姉様が慌てた様子で調理場に飛び込んでいらした。並んで調理中だったマルグリット大伯母様と共に私は驚いてしまう。
「何事ですか、イサベル。王太子妃にも関わらず、なんと落ち着きのない」
「ああ、マ、マルグリット様!マルグリット様もいらっしゃったのね!こちら、こちらをご覧ください!」
大伯母様に気付いたお義姉様は駆け寄るように身を寄せると、手にしていた手紙を手渡した。そのまま床に蹲り、両手で顔を覆いながら泣き伏せてしまった。
「全く、この子は・・・まあ」
呆れと溜め息を漏らしていたマルグリット大伯母様だけれど、手紙に目線を落とすと驚きの声を上げる。
私は、手にしていたジャガイモをカウンターに置いて、大伯母様の横から手紙を覗き見た。
───・・・三日、正午。
キリアン王太子殿下、戦場にて左腕に矢を受けて落馬。鏃に毒が塗り込まれており、解毒のすべ無く昏睡状態・・・───。
簡素な、速達のための急ぎの文章。私はその文をなぞったことで、視界が暗くなって、床に座り込んだ。
『キリアンが倒れたのは知っているな?戦場で受けたのは蛇毒の矢だ。今は、ベイツ侯爵の邸宅で臥せっているそうだ。戦場となった平原はベイツ侯爵領だからな』
『父である私にさえ恐れを抱くお前を行かせるなど、心苦しく思う。キリアンはお前を外界から離し、用意した箱庭で穏やかに暮らすことを願っていた。私もそうだ、クローデット。私達の愛しい娘よ・・・』
『だが、キリアンが倒れた今、王位継承権第二位であるお前の力が必要なのだ。お前は我が国になくてはならない王女。継承権は放棄させていない。故にクローデット、還俗を命ずる。フラメル王国の王女として我が国を守ってくれ』
イサベルお義姉様と共に、私は王城に戻って病床の父上から命じられた。王命を受けた使者として、シルヴァン王国と、エリオット様と和平交渉する。
キリアンお兄様が倒れたことで、シルヴァン王国軍の侵攻も止まった。こちらの異常を察知されたらしく、現在は停戦状態らしい。
『あちらは元より和平を結ぶつもりだった。キリアンが抵抗をしなければ、侵攻などしなかっただろう』
父上はそう仰っていた。確かに、その通りだろう。エリオット様に侵略の意思はない。エリオット様は和平を求めて、その証として私との婚姻を求めた。あの方に我が国に対する敵意はない。
使者として、久し振りにドレスを身に付けた。外遊用の動きやすく、決して「的」にはならない薄水色の落ち着いた色味をしている。その上に灰色のマントを羽織った私は、馬車の窓から見える景色をただ眺めていた。
「姫様、お体は大丈夫でしょうか?」
「悪路なのか、かなりの揺れです。クッションを追加されますか?」
送られた言葉に、私は窓から目を離して正面を向いた。
鎧を身に着けた二人の女性近衛騎士。彼女達は、私が王女だったときに警備をしてくれていた方々。
私がシルヴァン王国に向かったときは、長年の婚約者の国だから安全だと連れて行かなかった。護衛に新任の騎士を一名だけ。シルヴァン王国でも護衛を用意してくださるというお話だった。その新任の騎士は、シルヴァン王国の護衛達に拘束されてフラメルに送還されてしまった。
もし彼女達を連れて行ってたら、私はあのようなことにならなかっただろう。
修道院に入る前の療養中、何度も面会をして謝罪をされたことを覚えている。「止められたとしても、ついて行けば良かった」と後悔の言葉を涙ながらに何度も言われた。
「大丈夫です。こちらの土地は自然が多いのですから、不満などありません。道路の舗装がされていないのは仕方がないこと・・・だから、戦場に選ばれたのですもの」
また窓を見る。小さな丘の向こうに平原が見え始めた。あの場所が、キリアンお兄様とエリオット様が争った戦場。
私に課せられた役目。フラメルの王女として、王位継承権第二位という立場から戦争を終えなければならない。
エリオット様は私の話を聞いてくださるだろうか。私を、私は、男性と対面しても平静でいられるだろうか。
手は震えている。不安に、恐ろしさに心臓の鼓動は早く強い。王女に戻された私は、きちんと役割を熟せるのだろうか。
目を閉じる。
目蓋の裏に映るのは、ベッドに身を預けながら娘である私に頭を下げた父上。その脇に立ち、厳しい面持ちで父上を睨み付けていたマルグリット大伯母様。
(私は修道女ではなった。修道院に隠されていただけの王女。平時でないのなら、王女としての役目を成さければならない)
そう、自分に言い聞かせる。
「姫様、ベイツ邸が見えて参りました」
「キリアン王太子殿下のご容態を確認されますか?」
「ええ、勿論です」
即答をすれば、右側に座っていた近衛騎士が御者の兵士に通達した。兵士も勿論、女性にしてもらっている。私を守ってくださる方々は全員女性。彼女達に守られなければ、きっと発言すらできない。
戦場への道からそれて、丘の上にあるベイツ邸の門前に馬車は停車した。
私は近衛騎士の手を借りながら降車すると、門の脇に控えていた兵士達を視線を向ける。
(・・・女性もいらっしゃるけど、男性のほうが多いわ)
当然だと分っていても体は強張った。鉄の鎧を身に着け、ヘルムを被っているけれど顔は出していて、体格も大柄だから男性だと分かる。あの鎧を身に着けた大きな体。襲ってくるわけがないのに、恐ろしさを感じてしまう。
「クローデット王女殿下!?」
「使者とは王女殿下でしたか。内政から離れて療養中と伺っておりましたが、王太子殿下のお見舞いにいらしたので?」
低音でしっかりした声。男性の声。心臓が潰されそうに痛んで、私はゆっくりと息を吸い込み、喉を震わせながら吐き出す。
恐れてはいけない。恐れる相手ではない。彼らは我が国を守る兵士。我が国のために戦ってくださっている方々。
「・・・キリアン王太子殿下の見舞いに参りました。殿下の元へ案内してください」
「畏まりました・・・ベイツ侯爵を呼び出してくれ」
門の内にいた一人の兵士が走り出し、大柄の兵士二人によって、門扉は開かれた。
震える足を一歩出す。そうすれば、女性の近衛騎士と女性兵士が、私を囲むように歩き出した。
(震えている場合ではない。私はフラメルの王女クローデット・フラメルなのよ)
彼女達に遅れないように私は真っ直ぐに突き進む。前庭を縦断する石畳を進み、玄関の前までくれば、扉が開かれて一人の男性が出てきた。
半身を覆うマントとフルプレートで長身の体を包んでいるけれど、ヘルムを被っていないから誰かは分かる。歳は四十代半ば。顎髭を伸ばした整った顔立ちのベイツ侯爵。
「クローデット王女殿下、貴女がいらっしゃるとは。ご療養中と伺っていましたがお元気な姿を拝見できまして幸いです。わたくしは、兄君の副官として着任をしておりました」
臣下の礼を取った侯爵に、私は向かい合った。恐れる相手ではない。彼はキリアンお兄様の腹心。
「・・・お久しぶりです、ベイツ侯爵。臥せっておいでのキリアン王太子殿下を見舞いに参りました。そして、今をもって私がシルヴァン王国との交渉人となります。これから行うシルヴァン王国のエリオット王太子殿下との休戦交渉、和平条約は私が一任されました」
「おお、左様で御座いますか!キリアン殿下が倒れられてから、我が軍は不安の渦中でした。クローデット王女殿下がいらしたのなら皆、安心いたします」
そうだろうか。だって、私は剣が握れない。弁も立つ方ではない。魔法は使えても、邪悪な魔女の見極めなどできなくて身を滅ぼしかけた。私は優れた者ではない。
王女という立場から言葉に幾分かの重みがあるだけ。だから、間違えがないように言動には注意を払わなければならない。
案内をしてくださるベイツ侯爵の背を追い、屋内を進む。すれ違う騎士や邸宅の使用人達が、私に気付いて足を止め、敬礼をする。
浅く呼吸を繰り返して空気を取り込む。体の強張りを解すために、自分の立場をよく理解するために。
やがて廊下の先、客室の密集する区画に辿り着いたのだろう。扉の開かれた一室に人が詰め、使用人の出入りがあった。白衣を着た看護師の姿も見えたことから、あの部屋にキリアンお兄様はいらっしゃるのだろう。
「王女殿下、こちらです」
ベイツ侯爵が部屋の中へと手を向ける。私はその横を通り、室内に足を踏み入れた。
近衛騎士の印章を身に着けた騎士達が壁際に控え、器具やタオルを抱えたお仕着せの女性達が私とすれ違う。奥にある大きなベッドには、医師と複数の看護師、鎧を身に着けた二人の将兵が脇に控えていて、そのベッドに身を預けている方は。
「お兄様!」
青白い顔で目を閉ざしていた。呼吸はしているのか、胸は僅かに上下しているけれど、ぐったりとベッドに沈むように眠っている。
私は女性騎士と女性兵士を引き連れて歩み寄る。私の姿を捉えた医師は、体を横にずらして場所を開けてくれた。用意された椅子に腰を下ろし、お兄様の様子を窺う。
ああ、こんなにやつれて・・・毒の矢を受けたのは三日前と聞いている。それなのに、キリアンお兄様はすっかり痩せこけていて、生気を感じない肌の色をしていた。
お兄様の顔に手を、手を伸ばして、目元にかかる金の髪を撫で下ろす。
「先程意識を取り戻しましたが、すぐに眠り落ちてしまいました。蛇毒の影響です」
上から落とされた声に肩が跳ねてしまう。男性に反応している場合ではない。私はお兄様の髪に触れた手を引いて、強く握りしめた。
怖がる相手ではない、この方はお兄様を見てくださった医師。
「蛇毒とは、件のものですか?」
「はい、解毒不能と言われていた蛇毒です。我が国にも少数ですが分布していますので、入手困難ではありません」
解毒不能の蛇毒とは、この大陸の複数の国に分布する毒蛇の体液から取れる。古より暗殺に用いられたもので、受けた者は数分で意識を失い、徐々に衰弱して死に至るという遅延性の猛毒。
キリアンお兄様が、その毒が塗られた矢を受けた。誰が、その矢を放ったのか。
「シルヴァン王国軍からの狙撃ですか?」
「いえ」
お兄様の眠るベッドを挟んで立ち尽くしている将兵が答える。私の視線は、儚さのあるキリアンお兄様から壮年の将兵に向かう。
「向かい合うシルヴァン軍からではなく、キリアン殿下から東南の方角より放たれた模様です。当時のキリアン殿下の体勢と矢の刺さり方、風向きから判断しました」
「我がフラメル王国軍が交戦していたのはシルヴァン王国軍です。その方角に射手が潜み、お兄様に向けて矢を放ったのでは?」
「真っ先にその可能性が考えつきました。ですが、王太子の腕に刺さった矢の材質から却下されたのです」
壮年の将兵の隣りにいる大柄の将兵が、代わりに答えた。私は彼を見上げる。
「特異な材質でしたか?」
「シルヴァン王国も、勿論フラメル王国にも植生していない木材のものでした。矢羽根も特徴的です。我が国の位置する大陸西方では見かけたことがありません」
「そうですか。では、お兄様はシルヴァン王国との戦争中に、第三勢力から狙撃されたとみてよろしいですね?」
戦争を隠れ蓑にしてキリアンお兄様の暗殺を企てた者がいる・・・そう思っていいのだろうか?
お兄様を暗殺したいほど恨む方、障害だと思う方がいるのだろうか。シルヴァン王国でもなく、内のフラメル王国でもないどこかの国の誰かが・・・。
誰かが息を吐き出す。
キリアンお兄様の小さな呼吸すら聞こえる無音に近い室内に、その溜め息はよく聞こえた。私が顔を向ければ、ベイツ侯爵が出したようで、室内の方々が一斉に目を向けていた。彼は険しい面持ちから一変して、慌てて手を挙げて身振りをする。
「し、失礼!溜め息などするではありませんでしたね。しかし、わたくしはキリアン殿下が心配でして。暗殺者は解毒困難の蛇毒を用いて殿下を排そうしたのですから」
「・・・射手の身柄は?」
「現在、小隊で痕跡から捜索、追跡中です」
未だに実行者の捕縛もできていないのなら、暗殺を企てた人物を探し当てるなど難しいだろう。
私はキリアンお兄様に視線を戻し、うっすらと汗の浮かぶ額を、看護師から渡されたタオルで拭った。
「今は解毒に注力すべきです。毒さえ抜ければ、お兄様は意識を戻されるはず」
「王女殿下、この蛇毒は解毒が困難です。我々フラメルの者ではどうにもできません」
「ええ、フラメルの者達では難しいでしょう。ですが、もはや解毒不能ではないと私は知り得ています。ベイツ侯爵も『困難』と言われたのですから、治療可能とはご存知のはず」
話しかけてきたベイツ侯爵を見つめる。
彼は肩を跳ね上げたけれど、表情を引き締めて頷いた。
「蛇毒に対する解毒薬が発見されたのは一年前。シルヴァン王国のベルアダムという地に分布している野草の成分が、蛇毒の毒素を分解したと研究発表されています」
「シルヴァンの」
「よりによって」
近衛騎士や将兵はざわつく。一瞬、希望を得たと瞳に光が宿ったのに、シルヴァン王国と聞いて顔も目も伏せてしまった。現在の交戦中、国交も結んでいない。野草を求めたとしても、応じてくれる以前に連絡が取れるかも怪しい。
でも、私はそのためにいる。そのために来た。私自身が、指揮官のエリオット様と交渉をすれば、キリアンお兄様は助かる。
「あちらも、こちらの内情を察したかのように停戦を受け入れました。何より、クローデット王女殿下と指揮官のエリオット王太子は浅からぬ仲。文を送れば聞き入れてくださいますよ」
「ベイツ侯爵、それは軽はずみな発言です」
「姫様とあのエリオット王太子の関係をそのように仰るなど許せません」
私の近衛騎士達は憤慨して声を上げ、ベイツ侯爵に詰め寄っていく。私は彼女達を声で制して、椅子から腰を上げた。ほっと息を漏らしたベイツ侯爵を正面から見る。
「私はエリオット王太子殿下に休戦と和平交渉をすべく参じたのです。あちらに会談を願う書状を送ります。書き物を持ってきてください」
何よりもキリアンお兄様のこと。そして、無意味な戦いを終わらせる。そのために私は、エリオット様と対面をしなければならない。
恐れていてはいられない。私は国を代表する王女なのだから、会いたくないなど、もう言えない。




