これを寵愛だという
息が詰まったと感じたから、ゆっくりと吐き出しつつ、目を開いた。片目に映るものは変わらない。
鬱々とした気分に溜め息が漏れる・・・ああ、私、息しかしていない。このままでは駄目。気が滅入ってしまう。何とか起き上がって、せめて体を清めたい。
体を横にすると、手を支点にして重い体を上げる・・・何とか上体は起こせた。少しの時間とはいえ、寝そべって休んでいたから体力が戻ったのかもしれない。その束の間に寝室の扉がノックされた。
「奥様、起きていらっしゃいますか?」
軽やかな声色の女性の声。相手が分かった私は口を噤もうと思ったけれど、「失礼いたします」と言葉が続いて、遠慮なく扉が開かれた。
「おはようございます、奥様」
にこやかに挨拶をしてくるのは、フィガロ家から手配された侍女。以前はアベルの乳母を務めていて、今は私専属の侍女となっている。彼女は、元々いる侍女達を押し退けて侍女長のように居座った。
アベルの息がかかっている人。私に仕えながらも常に監視して、妙だと感じた行動を取れば、逐一報告している。厄介な存在。そう思っても私には人事異動などできない。この侍女が真に仕えているのはアベルだから。
「まあ、奥様!この様な時期に肌を晒されるなんてお体に悪うございます。すぐに湯殿をご用意いたしますね!」
侍女は後ろに振り返り、控えていた他の侍女達に目で命じる。居心地悪そうにしていた元々いる侍女達は、すぐさま動いて浴室へ向かったり、タオルを用意し始めた。
「暫しお待ち下さい」
裸のままだった私に肌触りのいいガウンをかけ、にこやかに威圧してくる。
今の境遇に不満を持つなと、侍女は言わずとも態度で示していた。アベルの乳母だった人だもの。彼の考えに従うのは当たり前。
「奥様は、非常に旦那様に愛されていますわね」
羨望も嫉妬してのものではない。彼女は第二の母なのだから、「息子のアベルの愛情を理解しろ」と言っているのだろう。
「毎晩、朝に起き上がれないほど抱き潰されているのに?それが愛する人にすることかしら?」
率直な疑問を述べた。アベルが私に向けてくる愛は偽装されたもので、執着なのだと。異常な行為だと訴えたつもりだった。それなのに、侍女はにこやかな顔を崩さない。
「ご寵愛を受けているのですよ。旦那様は愛情深い方です。本来ならば、奥様を奪われまいと誰の目にも留まらないようにお隠ししたいほど。それを耐えられていらっしゃるのですから、真に奥様を愛していらっしゃるのですわ」
下手に追求すれば、きっと監禁されるだろう。私の不満をそのままアベルに伝えるはずだ。これ以上、この侍女と話すべきではない。
曖昧に微笑みを作れば、彼女の笑みも濃くなる。私を言い包められたと思ったようだ。
機嫌も良くなったようで、他の侍女の呼びかけに明るい声で答えた彼女は、浴室へと向かっていった・・・───。
───・・・用意された軽食を、ベッドに座りながら完食して丁度。お湯の準備ができたと、私は侍女二人がかりで運ばれた。微かに薔薇の香りがするお湯に浸かり、全身にマッサージを受ける。体の疲れが取れたことで、背中に流していた長い髪も洗われ、無数の赤い跡の残る体も丁寧に磨かれた。
「アベルに来客?」
再び湯に浸かって、体を温めている最中に侍女から聞かされる。
「はい、旦那様というよりはベルアダム侯爵としてご来客がございます」
「それを私に・・・いえ、私にも関わりがある方なのかしら?」
本当なら「それを私に聞かせてなんのつもり?」と言いたかったけれど、にこやかな侍女の圧に屈してしまった。下手な発言は控えるべき、なのだろう。
彼女は、未だお湯に身を委ねている私に近付くと、タオルで長い髪を包んだ。水気を取るために優しく叩いている・・・早く出たほうがいいかもしれない。
「お客様は奥様にもお会いしたいご様子です。旦那様は拒否されていましたが、高位の方ですので、命じられれば奥様をお呼びするしかなく」
侯爵のアベルより高位。それならば、公爵位と王族のみ。父親のフィガロ公爵ならば身内だからご来客などとは言わないし、そのまま名前を告げてくるはず。そして、現在の国情を考えれば他家の公爵ではないだろう。つまり来客は王族の誰か。
(面倒事でなければいいけれど)
私は髪を包むタオルに手を当てる。合図が分かった侍女が数歩下がったことで、いい香りのするお湯から体を出してくれた。
「お待たせしてはいけないから、すぐに服の用意を・・・ああ、ドレスは着ないわ」
どうしても譲れないと釘を刺せば、あからさまに侍女は顔を顰めた。
私に可愛いデザインや色のドレスを着せたがっているのは知っている。でも、絶対に着たくはない。今の私が着ていいものではないのだから・・・───。
───・・・いつものように女性用の濃緑色のジャケットと男性用の白いトラウザーズを身に着けた。ベージュのブーツには同色のリボンの飾りが着いているから、少し可愛らしい。侍女の妥協で、私も気に入ったから問題ない。
アベルと結婚して最悪なことばかりだけれど、服装は許容してくれたから良かった。
熱心にタオルで水気を取られたチョコレート色の髪は、ふんわりと背中に流された。髪を下ろして人に会うなんて久しぶり。学生以来だろう。
私を醜くさせている右目の傷は、いつもと同じく眼帯で隠すけれど、その眼帯のデザインを変えられた。今までのシンプルな黒い眼帯はあっさり捨てられ、優美な装飾に見えるように、リボンで留めているような白い眼帯を用意された。前髪と右側の髪を使って、傷が隠れるような髪型にもされる。
(気にしているのよね)
アベルは、私が気にしないように配慮させているのだろうけど、逆効果だと思う。
「何も髪型まで変えなくても」
「奥様は愛らしいご容姿ですから、相応しい装いにさせて頂きたく思いました。本来ならば、あちらのドレスが一番お似合いだと思うのですけれど」
「何度も言うけれど、ドレスだけは着ないわ」
レースと刺繍がふんだんに縫い付けられた白いドレスが、トルソーにかけられている。花嫁衣装と見紛う純白に頭が痛くなった。
「・・・そうですわね、純白ですもの。あの色でしたら旦那様との挙式で身に付けるべきものですわ」
うっとりとした声で言う侍女。自分の想像した世界に入り込んだようで、満足そうな表情を浮かべていた。
その顔に、頭痛を強く感じたから素早く扉に向かう。静止の声に耳を貸さずに、即座に部屋を後にした。
あの侍女との会話は苦痛。どうしても私にアベルを意識するよう仕向けてくる。
(貴女に言われなくても、私の中からアベルはいなくならないわ)
怖くて、気持ち悪くて、許せなくて、腹立たしい男。そんなアベルに捕らわれてしまったのだから、日々私の中にいる。彼は常に私の頭の中にいる。
「こんな気持ちを抱えながら、アベルと生きねばならないなんてね・・・」
ふとした呟き。私には新しい護衛騎士が与えられたけれど、私を囲うように歩き進む彼女達には聞こえているはずだ。
それでも無言を貫いてくれることに感謝をしてしまう。彼女達は元よりベルアダムにいた騎士達。私の境遇を思って、軽はずみな発言を聞かなかったことにしてくれる。
心身とも安心感がある護衛騎士達に連れ立って、私はアベルと王族の客人がいる執務室までやって来た。彼女達を脇に控えさせると、扉を手で軽くノックする。
「・・・コルネリアです」
こういった時、以前ならば「ベルアダム侯爵」と告げていた。奪われた名称に悔いを感じながら、現在のベルアダム侯爵の返事を待つ。
「ああ、入っておいで」
アベルの声色は優しい。昨夜の蛮行は夢だったのかと思わせるほど穏やかで、私は若干の苛立ちを感じた。だから、そんな気持ちを乗せて、勢いよく扉を開く。




