私の幸せ
ロンド辺境伯を思い出す。
エリシャと同じく赤い髪を持つ精悍な顔立ちの方だった。左眉から左頬にかけて縦に傷があったけれど、彼の容姿は損なわず、女性の目を引いていた。四十代半ばにも拘らず、デイナが気に入って侍らせるほどの雄々しい美男。
その方は、今や気が触れて狂人になっているという。他者から奪うほど欲した夫人と、自身によく似た実子のエリシャを殺害してしまった罪悪感。取り返しのつかないことに、心が壊れてしまったのだと。
でも、実際はエリシャと夫人は生きている。もし生存を知られたら・・・。
「エリシャ、貴女のことがロンド辺境伯に知られたら大変なことになるわ」
「分かってる。あいつ、私とお母様を殺してしまったと『きちんと理解した』から狂ったんだろう?ベルアダムに来る前にロンド領を通ってきたから領民に聞いたよ。ルノー領でも似たことを教えられた」
エリシャは私に顔を近付けると、密やかな声で話した。
その表情は何とも言い表せない。怪訝、というよりは憤りを感じて顰めているようだった。
「ロンドとルノーも渡ったの?危険だわ。貴女を分かる人に見られたら、きっと辺境伯とウリエルに知らされる。彼らが貴女とお母様が生きていると知ったら連れ戻そうとするわ」
「それも何となく分かってる。魔女の魅力魔法が解けたことで、侍っていた男達が正常に戻ったらしいじゃないか。そして、以前危害を加えた元婚約者や元妻と復縁を迫っているともね。私達商団は物だけでなく情報も商品なんだ。有効活用するために確実に手に入れる。だから、この国に起きている二次被害のことも分ってるよ」
「だったら、どうして危ない経路を取ったの?」
「情報収集だからだよ。それが今後の私の武器になる。情報を知っていれば、お母様を狙う奴から守れるからね」
眉間にあった皺が取れたエリシャは、紅茶を飲もうとしてティーポットに手を伸ばす。私は急いで、それでも慌てた様子を見せないように素早くティーポットを手に取り、綺麗な所作を心掛けてカップに紅茶を注いだ。
用意が終わってすぐ、彼女はカップを手に取る。
「ありがとう・・・私はお母様を守りたいんだ。初恋も実らず、結婚を強いたあいつに二十年以上も仕え続けた。それなのに魔女の魅了だか知らないけど、そんなものに引っかかったあいつに殺されそうになったんだ。助かりはしたけど、視力を奪われたんだよ?信頼していた軍師も失った。何もかもを奪われて、それでやっと初恋の男性と結ばれたんだ。あいつがお母様に気付いたら、きっとまた大切なものを奪われる。お父様を殺されることで奪われてしまうんだ・・・そんなこと許せないだろう?そちらの落ち度なのにお母様を求めるなんて、許したくない。だから、私は身分も姿も偽装して情報を集めることにした。あいつの動きを知ればお母様、そしてお父様も守ることができる」
しっかりと答えると、エリシャは紅茶を飲んだ。話し続けたせいか、何度も喉を上下して飲み込む。
「少し冷めちゃったけど、それでもこの銘柄は美味しいね」なんて暢気に言ってる。でも、表情は緩んでいなかった。
飲み干して空になったカップをソーサー戻した彼女は、私の顔を正面から見つめた。力強い眼差しが私を見つめている。
「コルネリアは知ってる?ロンド家とルノー家に諍いが起きているって」
「・・・いいえ、知らなかったわ。私は少し余裕がない状況なの。だから、他家同士の小競り合いに関心を寄せてはいられないわ」
「そうだね、貴女にも『いる』からね」
アベルのことだろう。二次被害と言っていたエリシャは、情報を得たことで、私の置かれている状況を理解してくれた。
「ロンド家とルノー家、まあ、あいつとウリエルがさ、争っているんだよ。私達を殺したことの擦り付け合い。どちらも相手のせいだって言い合ってて、あいつに至っては狂ってるだろう?戦争を仕掛けるつもりだよ。お母様と私の弔いだってさ」
「まさか内乱を引き起こすつもり!?」
「あいつはね、ウリエルは二の足を踏んでるみたいだけど・・・魅了でおかしくなる前のウリエルとは、姉弟みたいな関係だったから情はあったけど、今はね。どんな理由だろうと殺されかけたことには変わらないんだ。どうなろうと知ったことじゃない。どうとでもなれって思っている」
「でも・・・」
「お互いの領民に被害が出るとは思うけど、だからって私が名乗り出ればお母様に危険が及ぶ。静観するしかないんだ・・・この国が、いつか正常になるのを待つつもり」
エリシャの手が、膝の上に置いていた私の手に重なる。柔い力で包んでくれた。
「ただ、貴女のことは心配だ。あいつやウリエルみたいな男に狙われているんだろう?デイナの男達だった連中は、正気に戻ったと見せかけいるだけ。決して正気じゃない。目当ての女性を手に入れるために、何でもするって知っているよ」
「そう・・・そうなの」
弱々しく声を漏らしてしまう。恐ろしいアベルのこと。そして、私が見てきた異常な男達に気持ちが弱まってしまった。
「ア、アリアがルーベンスに捕まって無理矢理結婚させられたわ。今は監禁状態だと思う。パトリツィア嬢は覚えている?彼女は結婚していた旦那様を処刑されて、元婚約者のノヴァのところにいる。カーラも・・・カーラはこの間の火災で死亡したことになったのだけれど不審なの。元婚約者のレグルスが、もしかしたら拐ったのかもしれない。そのときにカーラの旦那様を殺して、病院に火を放ったのかも・・・確証はないけれど、レグルスの様子と、他の男達が婚約者だった女性達に固執することから、そうではないかと思って・・・」
「置かれている状況からアリアを助けるのは難しいと思っていたし、パトリツィア嬢もか・・・カーラの件は初耳ばかりだけど、レグルスのことを知ってる。カーラはレグルスのところだ。今のあいつの落ち着き払った様子から分かるんだ。手酷く傷付けた元婚約者が死亡したのにあれほど平静なのはおかしいからね・・・全く、本当に酷い状況だ」
一息入れると、エリシャは言葉を続けた。
「リカルド国王もおかしい。殺害しようとした王妃を連れ戻すために、王妃の実家の公爵家を奇襲した。王女と一緒に確保して王城に閉じ込めたって聞いたよ。それと、王太子のエリオット。あんなことをしたフラメルの王女を求めて戦争を始めたって話だけど、それも真実?」
間髪入れずに頷くと、エリシャは溜め息を漏らした。私の手をしっかりと握り込む。
「やっぱりコルネリアをシルヴァン王国には置いておけない。一緒にクレイバーンに行こう?」
「・・・クレイバーンに?」
「そう!クレイバーンに来れば、ロウ商会が守ってくれるよ。国内の流通を完全に制御した大商会だし、クレイバーンの王侯貴族とも親交がある。それに、ほら!ディルフィノ公女!」
突然上がった名前に驚いて、瞬きだけしかできなかった。
でも、そうだ。ディルフィノの公女殿下が逃亡した隣国はクレイバーンだったはず。アリアの言葉を思い出せば、公女殿下は国内に根を張る勢いで溶け込んでいるらしい。
「ディルフィノ公女レイチェル殿下とも親交がある。何なら友人として交流しているんだ。あちらは私のことを知っていたみたいで、すぐに正体がバレたんだけど、とても友好的な方だよ。コルネリアのことも知っていたし、下のお兄様の妻にしたいとか漏らしていた。思惑は垣間見えるけど、コルネリアが損をすることはない。公女殿下自身が強い方だから、いざというときに守ってくれるよ。主に剣と槍で!」
ディルフィノ公国の大公殿下が、リチャード公子殿下と私の縁談を考えているとは聞かされた。公女殿下も望まれていると分かったことで、縁談は確定なのだろう。
もし、ディルフィノ公女殿下を頼ってクレイバーンに行けば、私は保護される。私、というよりもベルアダムに対する評価から無下にはされない。
私としても、ディルフィノ公国の印象は悪くない。話し合って受け入れて、リチャード公子殿下を夫に迎えれば、ベルアダムは属領にされる。
でも、それでいいのだろうか。ディルフィノ公国との繋がりが強化されれば、シルヴァン王国は良しとしないはず。エリオット王太子も示唆していた。
アベルを使って私を抱き込もうとするほどに。襲いかかろうとしたアベルを止めることもせずに。
アベルは私を狙い続けている。こうしている間も領境に詰めていて、侵入しようとしている。身勝手な執着から私を手に入れようとしている。でも、何とか騎士や兵士、時にはベルアダムの司法官が押し留めてくれている。とりあえずは事なきを得ていた。
それなのにディルフィノ公女殿下を頼れば、弊害は必ず起こる。簡単に頼ってはいけない方だ。では、エリシャのロウ商会を頼れば、と考えてもベルアダムから出るわけにはいかない。
私はベルアダム家の当主。正当なるベルアダム侯爵。お父様から託されて、ベルアダムを守るためにいる存在。
どんなに平凡な女であろうとも、要として在るのだから他国に逃げるなどできない。こんな私でもいなくなってしまったら、ベルアダムは崩壊してしまう。
「レグルスを知っているって言っただろう?あいつ、シルヴァンのジャレッド王子の護衛としてよくやって来るんだ。王子なんて公女にとっては羽虫みたいな存在でさ。いつも適当に扱われて、時には武器で殴られている。それをレグルスが・・・コルネリア?」
私のことを見つめる夕日。綺麗で、それでいて切ない気持ちにさせる。決断を伝えなければと、物悲しくなっていく。
「クレイバーンには行けないわ。私にはベルアダムがあるの。ベルアダムを守るために私がいる。だから、行けない」
「・・・狙われているのに?貴女を狙っているのはアベルって奴だけじゃない。その後ろには国がある。シルヴァン王国の国王は、貴女を逃さないためにアベルを使っているんだ」
「分かっているわ。デイナの男達だった方達は結託している。自分達が捨ててしまった女性達を取り戻して、全てを元に戻そうとしている。それを嫌がって逃げてはいけない。私はお父様からベルアダムを託されたの。私の命がある限り、この地を守っていかないと」
「どうして!」
「私がベルアダム家の女だからよ。代々守ってきたベルアダムの地。そこに住まう人々を守るのがベルアダム家の使命。だから、私は離れられない」
エリシャは何か言おうと口を開いたけれど、戦慄きながら閉ざした。感じていた手の温もりも、離されたことで失う。
「それだと、コルネリア自身はどうなる?幸せは、貴女は幸せを感じることなく生きていくことになるよ・・・いいの?」
私の幸せ。
そんなことは考えたことがなかった。幸せだった時はある。でも、それは遥か過去のこと。今は色褪せて、聞かれるまで思うことがなかったほど。感じることもなかった。
このままでは、私はアベルに怯える日々が訪れるのだろう。幸せとは程遠い。捕まれば、苦しみの中で生き続けることになる。
でも、私が一時の感情からベルアダムを飛び出せば、私は後悔をする。お父様に託された場所を失うのだから、私の幸せとは程遠い。
「・・・私の幸せはベルアダムの繁栄よ」
「それは、嘘だよ」
嘘だとすぐに分かられた。
それでも私は是とは言わない。だって、ベルアダムこそ私の在る場所だから。
幸せなど訪れない




