恐ろしい男
アベルを盗み見る。
それなのに目が合った。顔を覆った手の間から覗く仄暗い瞳が私を見ている。ずっと私を見続けていたのだろう。不気味だと、それしか思えなかった。
エリオット王太子は、とどのつまり私とアベルの復縁させたいだけ。他の男達のように関係を元に戻したいだけ。ベルアダム侯爵家がディルフィノ公国に与するのを懸念してなど、体の良い理由付けに過ぎない。
「・・・私個人、どなたとも結婚をするつもりはございません」
「それは、ベルアダム侯爵家を没落させるつもりか?」
「まさか・・・祖父に兄弟がおり、その血筋がベルアダム領にいます。分家筋ではありますが、そちらの嫡男には子供が二人。どちらかを本家の養子として迎えることにいたします。ですから、私が産まずとも跡継ぎになる者はいるのです」
「そんな者はいらない」
非常に暗く低い声。広い謁見室に響いて、それはアベルから発されたものだった。
蹲っていた体が立ち上がる。長身の彼は私を見下ろしながら、体格に見合った大きな手を伸ばしてきた。
「私に触るなと言って」
「コルネリアに俺の子を孕ませればいいんだ。そうすれば、俺のコルネリアはディルフィノ家の次男なぞに奪われない。跡継ぎ問題も解決する」
「・・・は」
短い息を漏らした。言われたことが恐ろしく、返答は喉に引っかかる。手を伸ばしてくるアベルが怖い。端正な顔に見開いた目。ひたすら見つめてくる瞳は淀んでいて、邪な感情が見える。
「何を言って!?ア、アベル、下がりなさい!私に近付かないで!」
「俺のものだ、ずっと俺のものだった。コルネリアに触れていいのも抱き締めるのも愛していいのも俺だけだ。渡さない、誰にも渡さない」
アベルは聞かない。じりじりと私に近付いて来て、鉤爪のように曲げた手で掴もうと伸ばしている。私を追い詰めようと、捕らえようと迫ってくる。
恐怖で後退しながらエリオット王太子を仰ぎ見た。助けてほしくて、アベルを止めてほしくて見たけれど、ただ私達を眺めている。
「・・・そうだな、コルネリア嬢は頑固だ。言葉では分からないようなら、先に子を作ってしまえばいい。そうすれば従わざるを得ないだろう」
なんて死刑宣告にも等しい言葉だろう。これが我が国の王太子の発言なのか。私を、アベルに、アベルが私を捕まえようと。つ、捕まったらどんなことをされるのか。
「い、いやっ!誰か!!」
大扉のほうを見る。警備の近衛騎士達は狼狽えているようだったけれど、助けようと走り出しもしない。
私が卑劣な男に襲われようとしているのに、誰も助けてくれない。
「大丈夫だよ、コルネリア。怖がらなくていい。俺は君を愛したいだけ。愛し合えば分かる。俺の気持ちを分かってくれる」
「い、嫌、嫌よ!来ないで!誰か、誰か助けて!!」
大扉に向って叫んだ。その声に反応して、扉の向こうが騒がしくなり、勢いよく開け放たれた。私の護衛騎士達だ。近衛騎士達が引き留めようとしているけれど、彼女達は飛び込むように駆け付けて、すぐにアベルの前に立ち塞がってくれた。
「お下がりください」
「ベルアダム侯爵を害すならば、容赦はいたしません」
二人の背に庇われてホッと息を吐く。だけど、鋼鉄の鎧の向こうに見えた男の顔に心臓が悲鳴を上げた。
怒りで歪んだアベルの顔。それは、私に暴力を振るったときの顔そのものだった。怒りの矛先は護衛騎士達に向けてのものだろうけれど、恐怖を感じて身が竦む。まともに立っていられない。
黒髪の護衛騎士の背に身を寄せた。彼女は後ろに手を伸ばし、私の体を支えてくれる。
「邪魔をするな!コルネリアを渡せ!」
「・・・下がってください、フィガロ公爵令息」
騎士に守られたことで安心したようで、恐怖は薄れ、代わりに怒りが込み上げてくる。もう、いい加減にしてほしい。
「私は貴方のものではない、アベル・フィガロ公爵令息。貴方との関係は絶っている。それにも関わらず、身勝手極まりない発言を続けるというなら、今後一切フィガロ家とは絶縁させて頂きます!」
「違う!君は俺のものだ!魔女のせいで狂わされたが俺の気持ちは変わっていない!君だけなんだ、愛してるのは君だけだ!」
「黙りなさい!!」
怒りに任せて言い放つ。
それでも怯まないアベルは私に手を伸ばしたけれど、間に入った護衛騎士達が押し留めてくれている。けれど、やっぱり力の強い逞しい男に、騎士とはいえ女性二人では押されてしまっている。
この場から逃げたほうがいい。早急にベルアダムに戻ろう。
私はずっと静観しているエリオット王太子へと顔を向けた。目を細めて、何やら楽しそうな顔に見えるけれど、おかげで更に私の怒りは沸き上がる。
「アベル・フィガロを私に引き合わせるなど、考えなしにもほどがある!」
「そう叫ぶな、コルネリア嬢。アベルの君に対する愛情の深さがよく分かっただろう?」
「この男は私を、私を強姦しようとしたのですよ!それが愛情だと仰るのなら殿下は異常です!」
躊躇いはあったけれど、はっきりと訴えた。
もし護衛騎士達が近衛騎士達に止められていたら、私は助からなかっただろう。アベルの思うままに扱われて、この場で辱められていた可能性もある。それを思うと悍ましくて、こ、怖くて。再び体が震え始める。
「犯罪を、推奨なさるなど・・・王太子殿下ともあろう方のすべき事ではありません!」
「・・・そうでもしないと君達は我々から逃げるだろう」
何か呟いたようだけど、小さくて聞こえなかった。
「コルネリア!」
アベルが迫ってくる。押し負けて下がった髪の短い護衛騎士が、私の腕を掴んで大扉に駆け出した。背後には黒髪の護衛騎士がいて、追ってくるアベルを牽制している。
「閣下、お早く!」
何もしない近衛騎士達の横を抜け、護衛騎士が開いた大扉を潜る。
ふと振り返れば、黒髪の護衛騎士の向こうに手を伸ばした恐ろしいアベルがいて、エリオット王太子は最初から変わらずに玉座の隣に立ったまま。
「コルネリア嬢。君をディルフィノ公爵家に渡したくない理由は他にもある。交渉結果によっては、私はフラメル王国に進軍するからな。軍には兵糧が必要だ。それはベルアダムがあってこそ賄えるものだろう?ディルフィノ家に食料の流通を握られては困る」
張り上げてもいないのに響き渡る美声。あの方は何を言っているのだろう。
「クローデットを取り戻さなければならない。彼女は私の唯一なのだから」
その言葉を最後に大扉は閉じられた。アベルが私の名前を叫ぶ声が扉の向こうから聞こえる。開くことなどできず、私は護衛騎士達の先導に従って王城から逃げ進む。
やはりエリオット王太子もおかしくなっている。あの酷たらしい行いをしておいて、クローデット王女殿下を手に入れようと考えていた。フラメル王国に戦争を仕掛けてまで、求めている。
愛している、のだろうか。だから欲するのだろうか。
本当に愛しているのなら、側に置くなどという残酷なことはできないはずなのに。酷い行いに関して懺悔をし、クローデット王女殿下が平穏に過ごされることを祈るべきだ。
アベルも私のことを諦めてくれれないのだろうか。貴方のことなど、もう愛していない。執着心を見せて縋られても怖いだけ。私は、恐怖に絡め取られて息すらできなくなりそうなのに。
この国の、デイナの被害者と言われる男達は皆おかしい。私達にとっては現在も加害者他ならない。愛を乞われても更に傷付けられるだけ・・・───。
彼の心はここで壊れた。




