拒絶
アベルが、私の代わりにベルアダム侯爵になり、私は、彼の妻になる。王太子が言わんとすることはそれだ。
理解したくない。認めたくない。絶対に嫌だ。ベルアダムを渡したくはない。私が守ってきた場所だ、お父様から受け継いだ場所だ。私だからこそお父様は守るようにと仰っていた。それを、アベルになんて、私が妻になって共にいるなんて。
無理。できない。彼と一緒にいることすらできない。怖い。私を見つめているだろう視線の強さを、見えなくとも感じる。息苦しく思う。怖くて恐ろしい。
そんな人を夫として受け入れるなどできるわけがない。
ゆっくりと息を吐く。私は大丈夫だと、自分自身に言い聞かせて息を吸い、エリオット王太子殿下を見上げる。
「アベル・フィガロ公爵令息をベルアダムに迎えることはありません。彼はフィガロ家の方です。当家と血筋は繋がっておらず、現当主として認めるわけにはいきません」
後ろから漏れる吐息は近い。アベルは、足音を立てずに私に近付いたようだった。
手を伸ばされれば、私はまた捕まるのだろうか。そう思っても私は前を向く。様子がおかしく、何より恐ろしいアベルでは話し合いはできないから。
「アベルは君の夫となるのだ、コルネリア嬢。我が父リカルド国王陛下が王命として下した。不在の国王陛下の代理人として、私が改めて命ずる」
私の腕にアベルの手が触れた。掴まれる前に振り払い、私は数歩動いて距離を空ける。
「コルネリア、お願いだ。俺を無視しないでくれ。俺を拒絶しないでくれ・・・」
雑音など聞こえない。
エリオット王太子は、私とアベルを交互に見て息を漏らすと、言葉を続けた。
「正当なるベルアダムの後継者コルネリア・ベルアダムはアベル・フィガロを夫とし、ベルアダム侯爵位を譲渡せよ。妻なりしコルネリア・ベルアダムは共にベルアダム侯爵領を盛り立てよ」
「お断わりします」
「これは王命だ、コルネリア嬢」
私は視界の右側が狭い。失明しているのだから当たり前だけれど、右にあるものの認知が遅くなる。
突然、右手が掴まれた。アベルが右側に移動していたようで、掴んだ私を引き寄せ、肩を抱き締めてくる。
「君は俺と結婚するんだ。昔から、婚約を結んだ日から決められた。あの日から君は俺のものなんだ」
アベルの青い瞳に覗き込まれる。表情は無く、ただ私を仄暗い目で見つめている。このような顔や態度をするような人だっただろうか..
ああ、きっと彼は変わってしまったのだろう。操られていたとはいえ、デイナから少なからず影響を受けているのかもしれない。強引に、従わせようとするさまに嫌悪感しか与えられない。
「離しなさい、アベル・フィガロ。離さぬのなら、私に対する強要罪で訴えます」
「なんで、どうして!どうしてそんなことを言うんだ!俺は君を愛しているだけなんだ!君を傷付けたことを悔いている!生涯をかけて償いたい!だから」
「二度は忠告をしない。離しなさい、アベル・フィガロ。公爵家令息とはいえ、侯爵位を持つ私に対して適切な態度ではない」
「・・・・」
アベルは離してくれない。ただ、悔いるように顔を顰め、私に身を寄せる。抱き締めようと腕の中に包もうとする。
「嫌だ、コルネリア。俺を捨てないで・・・愛してるんだ、君だけを、愛してる・・・」
「・・・貴方の愛など不要です」
「コルネリア!」
体を揺らして拘束しようとする腕を解く。その勢いのまま彼の胸を精一杯押せば、そのまま押されて、アベルは力なく床に崩れ落ちた。項垂れながら両手で顔を覆っているけれど、私には関係のない人。慰めることも、受け入れることもない。
息苦しさから一息吐いて、私はエリオット王太子を見上げた。
「このように、私がアベル・フィガロ公爵令息を受け入れるつもりはありません。ましてや、ベルアダム侯爵を継がせるなど私が許しません」
アベルが起こした茶番を見ていたエリオット王太子は、考え込むように口元に手を当てていた。その目が、私からそらされることはない。
「・・・君は酷い女性だな。愛を乞う男に対して一切の情を感じない。魔女が介入する以前は、恋人のようだったと聞いていたのだがな」
「私の愛など顔と共に失いました。今の私はアベル・フィガロ公爵令息に対して・・・何の感情もありません」
あるのは恐怖だけ。
こうして前を向かなければ、きっと震えて何も言えない。アベルの手も、声も、大きな体も、何もかもが怖い。
受けた暴力は凄まじいものだった。のたうち回るほどの痛みで眠れない日があったなど他人には分からない。右目が見えない恐怖も本人だけが知ること。一生残る傷に感じた絶望がどれほどのものか。私の感じた苦しみは、私にしか分かることができない。
アベルが何か呻いているけれど、苦しんでいるのは私。貴方の側にいたくないと分からないのか。
「・・・この婚姻は王家主導の政略結婚だ」
エリオット王太子はそう仰ると、一歩、私の方へ踏み込んだ。
「王家は君を手放さないと言っただろう。中立にあるベルアダム侯爵家を抱き込みたい」
「当家が存在したときから中立を続けていると仰る口で、王権派に所属させたいと言うのですか」
「ああ、そうだ。君は・・・ベルアダム侯爵は中立として、食料に関しては国内の王侯と取引関係にある。相手が誰であろうとも、魔女が君臨していた王家だろうとも供給は怠らなかった」
ベルアダムは農耕地。武力のない領地が平穏を保つためには、生産物を供給しなければならない。勿論、金銭の取引はあれど、誰であろうとも拒否などしたことはない。
王家が君臨する王都も、婚約破棄を突き付けたフィガロ公爵領にも、エリシャを殺したロンド辺境伯領にも、私に悪意ある発言をした貴族達の領地にも分け隔てなく。タリス公爵領とも、離反したディルフィノ公国とも取引をしている。
シルヴァン王国に所属するのだから当たり前のことだ。誰かに悪意をぶつけられたからと供給を断れば、攻撃を受けるのは必然。私達ベルアダムの者達には戦う力が無きに等しいのだから、すぐに潰えてしまうだろう。
「中立であることの美徳だが、好ましく思えない部分もある。タリス公爵家とも取引をしているな?」
「無論です。王家とは対立関係とはいえ、我がベルアダム家とは友好関係にあります。何より同じシルヴァン王国の民。食料を提供するのは当たり前のことです」
「ああ、そうだな。タリス公爵家も今回の武力行使で征する。和解となるのだから特に問題はない」
「和解ですか」
私の呟きにエリオット王太子は鼻を鳴らして笑った。
「武力を用いようとも、それで従ったのなら和解だ。とにかく、タリス公爵家のことは不問だ。しかし、ディルフィノ公爵家はな」
独立を認めていないのだから、あくまで公爵家なのだろう。ディルフィノ公国になってから四年は経過している。デイナの支配下だったとはいえ、王家からの表明が遅すぎた。国の頭脳部が侵されると、取り返しがつかないとよく分かる。
「ディルフィノ公国は、大公殿下が我が国の公爵であったことでの縁があります。長年続いた交易を、シルヴァン王家への不信感からの離反で断絶するなど、当家の方針に反するものです」
「ディルフィノ公爵家だ。立国は認めていない」
「・・・」
これに関しては平行線になるだろうから押し黙る。
私の態度に察したらしい王太子は話を続けた。
「ディルフィノ公爵家は王家と敵対関係にある。その公爵家と忠臣たるベルアダム侯爵家が深く繋がることは好ましくない・・・深く繋がるという意味は分かるな?あちら側は君と公爵家次男の婚姻を提案するつもりだ」
蹲っていたアベルが僅かに身を震わせた。私は視界の端に捉えただけだから、彼の動揺なんて知ったことではない。
「そのようなお話は頂いておりません」
「これからだったのだ、コルネリア嬢。ディルフィノの高官とは何度か取引をしただろう?その男が公爵家の次男だと知っているはずだ。奴は君を得ようと接触していた。ベルアダム侯爵の心を射止め、夫となることでベルアダムをディルフィノの属領にしようとしていた。食料の供給を支配するつもりだろう」
・・・真実なのだろう。王家が有する諜報員は優秀だ。デイナがいたときに機能不全を起こしていたとしても、全てじゃない。
私とディルフィノ家の高官、リチャード公子殿下と顔合わせをしていると知っているのだから。デイナが生きていた頃は、私が彼女に危害を加えないためだろうけれど、常に諜報員は張り込んでいたのだろう。それは現在も変わらないはず。理由は変わったけれど、私のことを見張っている。
「ディルフィノ家には与しません。私はシルヴァン王国の臣民ですから」
自信を持って伝えた。体制を変えずに王国に仕えると言った。
「それは分かっている。しかし、王家の者として不安があるのも分かってもらいたい。恵みの大地と言われるベルアダムをディルフィノ公爵家に渡すわけにはいかない。ゆえに、シルヴァン王家の血を持つアベルと君の結婚を命じる。フィガロ家と親戚となることで、中立だったベルアダム家は王家に与してもらう」
私の他作品を読んだことがある方ならご理解いただけていると思いますが、可哀想な目に遭う女の子は可愛いというものに注力しています。




