誰も救えない
「アリアは、ルーベンスに嫁いだ?」
願いは叶わなかった。呆然としてしまって思わず、言われたことを復唱する。私の目の前にはレーヌ伯爵。アリアのお父様は、力なく立ち尽くしていた。
「今朝方ルーベンスがやって来て、アリアを拐うように連れて行って・・・止めたんだ、アリアも嫌がっていたのに、しかし止められず」
うっすらと涙を浮かべた伯爵を前に、私は言葉すら失ってしまう。
気付くのが遅すぎた。私が王都に立ち入った時には、アリアはルーベンスの手中に収まっていた。いや、間に合うはずはない。あの男は王都にいたのだから、いつでも彼女を手にすることができた。
ああ、あのとき、アリアがルーベンスの脅威を訴えたときに保護をしておけばよかった。
「・・・どうして、止めることができなかったのですか?」
絞り出すように発した声。
伯爵邸のエントランスに私達はいた。出迎えたレーヌ伯爵が、そのままアリアのことを伝えたから、移動すらできないでいた。
「ルーベンスは魔女によって正気を失っていた。その正常な判断ができない状態で処された婚約破棄は、正当なものではないと言ってきて・・・あの男の言い分だが、司法も国王陛下も味方につけて現在も婚約関係だと告げられた。あ、あんなに嫌がって泣いていたのに。私は、父親にも関わらず娘を守れなかった・・・うぅっ、こ、婚約破棄の証書は偽物だと言って、偽物の写しがあっても無効だと・・・何故、あちらが、アリアを捨てたのに、偽物の証書など・・・何故?」
頭を抱えて蹲ったレーヌ伯爵。思ったことを垂れ流すように言う伯爵を、私は見下ろす。どこか現実味を感じなくて、夢のようなぼんやりとした感覚で見ていた。
「婚約破棄はしていないのだから、じょ、情勢を考えて婚姻をすべきだと・・・あの男、アリアの手を掴んで婚姻届に無理矢理、記入させていた。そ、それを今朝には提出すると言って・・・」
「強引に婚姻を結んだのですね」
「す、すまない、コルネリア嬢。娘のために修道院を紹介してくれたのに、娘は、アリアはもう・・・私すら会うことも困難になってしまった・・・」
「代々宰相を務めるマルチェロ家は侯爵位。何より、おじ様の上司ですもの。抗議すらできませんね」
「そう、そうなのだ・・・アリア、すまない・・・我が家では勝てぬ相手だ・・・アリアぁ、うぅっ」
レーヌ伯爵は涙声だった。身を震わせて啜り泣いていらっしゃる。立場から、領地を持たないことからも、王都から出ることができない身の上だった。だから、アリアは隠れるようにこの屋敷で過ごしていたのだろう。
いつデイナに処刑を宣告されるか不安に思い、監視の目を怖がっていたはずだ。外出するにも警戒をしながらで心が晴れることはなかっただろう。
それが、やっとデイナの死で解放されたのに、その不安が拭えたと思ったのに、次はルーベンスに狙われた。そして拐われてしまった。
やっぱり王都に帰すべきではなかった。修道院に入りたいと訴えた日から、私の屋敷で匿っていれば、こんなことには・・・いや、違う。こんな横暴を許してはいけない。嫌がる本人を無理矢理連れ去るなんて人攫いそのもの。立派な犯罪だ。
「私が行きます」
「コルネリア嬢?」
勢いよく顔を上げたレーヌ伯爵の泣き顔を見下ろす。
「ベルアダム家とマルチェロ家は同等の爵位です。仕事上の上下関係もありません。何より、アリアはベルアダム修道院に入る手続きを私がしていました。横槍を入れて拐うなど、準備をしていた私の顔に泥を塗る行為です」
「そ、それはそうだが、ルーベンスは口が上手い。次期宰相としても地盤を固めている最中だ。ベルアダム侯爵という肩書があっても彼は怯みはしないぞ」
「だとしても、私には抗議をする権利があります」
決意をして私はレーヌ伯爵邸をあとにした。見送る伯爵は憂いを帯びた表情のままだったけれど、黙って従うなんて私の気持ちが許さない。
私との約束があるのにもかかわらず、勝手に婚姻を結んで連れ去ったことの抗議をする。何よりアリアの身柄を確保する。そう思ってマルチェロ侯爵邸に馬車に乗って向かった・・・それなのに。
辿り着いたマルチェロ侯爵邸の門は固く閉ざされ、守衛に訴えても開くことはなかった。マルチェロ家の跡継ぎが花嫁を迎えたことで厳戒態勢だそうだ。今までの情勢から跡継ぎのルーベンスは不安に思い、花嫁を、アリアを守るために来訪者は誰であろうとも進入すら許さないそうだ。邸の者でなければ、親戚も通さないとも言われた。
(・・・アリア)
途方に暮れて、馬車の中から離れていく侯爵邸を見つめる。
アリアも、パトリツィア夫人も無力な自分では助けることができないと痛感して、自分自身に呆れた・・・───。
───・・・すっかり日が落ちた時刻。
月明かりに照らされた王都の街並みは、僅かな灯りもあることで、黒の中にぼんやりと輪郭を浮かび上がらせている。
私はホテルの部屋の窓枠に腰を下ろして眺めるだけ。本当は夜風に当たりたくてバルコニーに出ようとしたけれど、侍女に止められてしまった。
「そのような薄着ではいけません。湯冷めをして風邪を引いてしまいますよ」
そう言って厚手のケープを肩にかけてくれた。確かに、生地の薄いナイトドレスはスカートの裾がうっすらと透けている。足のラインも分かるほどだから、外に出るべきではないだろう。
着心地の良さから選んだナイトドレスの生地、太腿の辺りを撫で擦る。手触りの良さに感心しながら、私はひたすらに夜の町並みを眺めている。
アリアも、パトリツィア夫人も自分を捕らえた男に恐怖して泣いているだろう。ノヴァの態度から、ルーベンスはどのような人か知らないから憶測だけれど、彼女達に酷いことだけはしないと思う。
それでも、二人はきっと泣いている。この王都のどこかで、男の身勝手に振り回されて苦しんでいる。
「・・・無力ね」
親友も学生時代の同級生も救えない。爵位に付随する権力はこの王都では無力だ。デイナとその男達がいるから、私はこの地から撤退していた。仕方のないことだったとはいえ、人脈も発言力のある立場もなく、ベルアダム侯爵という肩書があるのみ。
どこまでも無力だし、ノヴァの言葉を借りれば部外者に他ならない。
「でも、見過ごせなかった」
元婚約者だからといって、一方的な気持ちで言い寄る男達に我慢ができない。愛を乞う行いが彼女達を苦しめていると気付かないことが許せない。
「もう、貴方達に対する気持ちなんてないのよ」
代弁するかのように呟けば、部屋の扉がノックされる。入室を許可すると、それは侍女だった。彼女は頭を下げ、すぐに戻してテーブルを凝視する。
「コルネリア様。この際、お菓子でもいいので口にしてください。お体に触ります」
「・・・そうね」
テーブルには、護衛騎士が買ってきてくれたチョコレートケーキの乗る皿と、なみなみと紅茶の注がれたカップが置かれている。チョコレートケーキは表面のチョコが溶けて形がやや崩れている。紅茶はすっかり冷めていた。
どうにも食欲が湧かず、夕食を断った。それを見かねた侍女が、せめてものと用意していてくれのは二時間くらい前のこと。
「今日中に食べるわ。紅茶もそのままにして、冷たいものが飲みたいの」
「・・・必ずですよ」
眉間に皺を寄せたのは心配してくれているから。
彼女の気持ちを無下にしないと思いつつ、私は月を見上げる。もう少しで満月になるだろう天空から注ぐ照明。青白い光はとても美しく、清らかだった。
(・・・ルーベンスは、跡継ぎとして父親の宰相に付き王城で働いている)
明日も謁見のために登城する。時間があれば、話すことができるはずだ。身勝手な行いに抗議をして、約束の反故だと訴えれば、アリアは助け出すことができるかもしれない。
(おじ様は口が上手いと仰っていたけれど)
言わないよりも、行動しないことよりも、自分にできることがあるのならやるべきだ。だから、私は頭の中で決めたことを実行するつもり。
窓から離れてテーブルに向かう。ふわりと舞うスカートの裾に注意をして椅子に座った。
「よろしければ、夕食もご用意致します」
「大丈夫よ」
感情から胸が詰まってしまっているけれど、お母様が好きだったチョコレートケーキは私も大好きだ。食べなければ、天国のお母様の叱責を受けるだろうと思いつつ、フォークを手にして一口切り分けた。




