目の前で行われる暴挙
可哀想なパトリツィアちゃん
男爵の腕の中にいるパトリツィア夫人と目が合う。彼女は瞬きをして、何か言葉にしようと口を開いたけれど。
「貴女が王都にいるとは聞いていたが、このホテルに滞在していたとはな。間の悪いことだ」
遮るようにノヴァが私へと言葉を言い放つ。嫌悪、とまではいかないけれど彼の視線は好意的ではなかった。
「間の悪いとはどういうことでしょうか?貴方はノヴァ・ガリアード伯爵令息ですよね。税務官として務められているようですが、こうして見せしめのように取り締まるのはよろしくありません」
「今は伯爵だ、父から継いでいる。そして、見せしめのようにではなく、正真正銘の見せしめだ」
ノヴァの目が辺りを見渡す。官職の伯爵から受ける厳しい眼差しに、周囲にいた人々は緊張を走らせ、数組の夫婦か恋人の男女が逃げるように立ち去った。
「国王陛下直々に取り締まりの命を受けている。収支に不明瞭な部分がある者、明らかな犯罪で富んだ者を処断するのが俺の仕事だ・・・清廉潔白なベルアダム侯爵にその影はないが、この男はそうではない」
私を流し目で見ると、ノヴァのその鋭い眼差しはノリス男爵に向かった。
「税務執行官として看破できない。土地に眠っていた宝石鉱山で収益を上げているとはいえ、あり得えない金額が記載されていた。ここ数年で異様に跳ね上がっている。何事か犯罪に手を染めていなければおかしい。なので、他の者が同じ罪を犯さないように、この場を借りて見せしめにするべきだろう」
「私が罪を犯していると仰るのか?」
ノリス男爵が少し声を荒げる。夫人は顔を上げて、首を横に振ると、恐る恐るノヴァに目を向けた。
二人の目が合う。引き攣った顔のパトリツィア夫人と、先程までとは打って変わってうっとりした眼差しを向けるノヴァ。
彼の目的が完全に分かった。この見せしめのような断罪も、そのために国王の権限を用いたのも、ノヴァだと理解してしまった。パトリツィア夫人を手に入れるために画策したのだろう。
「お、夫は、罪など犯して、おりません・・・わ、私達は、共に領地での収益を算出し、計上しました。不明瞭な点など、ありません」
「パトリツィア、君は何も知らないんだ。その男に騙されているんだよ」
思わずゾッとした。ノヴァが発したのは聞いたことのない甘ったるい声。デイナに操られていたときは本来の彼ではなかったとはいえ、まるで恋人に囁くような今の声は異様だ。パトリツィア夫人は既婚女性で、夫は今まさに彼女を抱き寄せている方。ノヴァが出していい声ではない。
非常識な行いに、ノリス男爵が不快だと顔を顰めるのはしょうがないことと思う。
「ガリアード伯爵、私の妻を名前で呼ぶのは止めていただきたい。パトリツィアはもう」
「貴様こそパトリツィアを名前で呼ぶな。魔女なぞいなければ、卑しい貴様は見ることすらもできなかったんだ!パトリツィアを渡すなどという馬鹿な真似もしなかった!」
突然激昂した。あの時、学生の時にパトリツィア夫人を斬り付けた時の顔で、ノリス男爵に詰め寄り、腕を掴み取る。
男爵は睨み返しているけれど、私も夫人も突然の怒号と怒りに体を跳ね上げた。ノヴァは元々短気なようで、それが純粋に怖い。
「貴様には密売と横領、人身売買の嫌疑がある。だが・・・」
様々な捏造しただろう罪を羅列したノヴァは、ノリス男爵の耳元に口を寄せた。何か言っているようだけれど聞こえない。ただ、それは男爵の怒りを買ったようだった。
「誰が手放すものか!パトリツィアは私の妻だ!!」
そう言い放って手を振り払うと、ノリス男爵は席を立つ。腕の中のパトリツィア夫人も目を白黒させながら立ち上がった。夫から離れまいとしっかり腰に手を回している。
「執行官殿の私情には付き合えん!」
「だからと言って逃がすものか。憲兵、その男を取り押さえろ。パトリツィアから引き離せ」
「なっ、ぐぅっ!?は、離せ!!」
「えっ、嫌!触らないで!嫌、嫌よ!ロバート様ぁ!!」
憲兵達がノリス男爵を捕えて、しがみついていたパトリツィア夫人を引き離す。夫人は縛り上げられて藻掻く男爵に手を伸ばすけれど男性の、それも兵士の力に敵うはずもなく、簡単に離されてしまった。
「なんて乱暴な!」
私を一瞥するノヴァ。立てた人差し指を私に向けると、ロビーを示すように横に動かした。
「貴女には関係のないことだ、口すら出すな。立ち去れ」
そう言って、床に押し付けられたノリス男爵の前に立つ。膝を折って覗き込む冷酷な顔。目なんて暗く濁って見えた。
「素直にパトリツィアを返せばこうはならなかった・・・連れて行け」
「な、き、貴様っ!パトリツィア!パトリツィア逃げろ、その男は!!」
「ロバート様!嫌よ、ロバート様を返して!ロバート様ぁっ!!」
続きは布で口を塞がれたから聞こえなかった。パトリツィア夫人は身を乗り出して手を伸ばすけれど、彼女についた憲兵が許さずに立ち塞がっている。
二人の憲兵に押さえられたノリス男爵は、暴れることで引き摺られるようにホテルから出された。
私が足を踏み込もうにも、他より一際逞しい体格をした二人の憲兵に阻まれてしまう。
「ベルアダム侯爵、落ち着いてください。貴女には関係のないことです」
「我々は法に則った取り締まりを行っているだけです」
「いいえ、これはあまりにも人権を無視したやり方です。このような力尽くで事を運ぶなど、許されるべきことではないわ」
「貴女の許しなどいらん」
私の訴えにノヴァは答えて、厳しい眼差しをそらした。彼の顔は前に、憲兵の後ろにいるパトリツィア夫人に向かう。
「ひっ・・・」
彼女は喉を引き攣らせると、そのまま後退していった。だけど、すぐにラウンジの壁が進行を妨げる。ぴったりと背中を預けたパトリツィア夫人の目の前に、もうノヴァがいた。手を壁に付けて、逃さまいと囲い込んでいる。
「パトリツィア・・・」
「やめ、やめて、わ、私、なっ、何・・・何も、してない!」
私からは後頭部しか見えないからノヴァがどんな表情をしているのか分からない。でも、ぽろぽろと泣き出してしまった夫人の頬を優しく撫でて、指の腹で涙を拭っている。まるで愛しい人を慰めるように。愛しているかのように触れている。
「ああ、そうだよ。君は何も悪くない。悪いのは俺だった。魔女に操られて君を傷付けた。もうあんな非道は犯さない。君を守りたいんだ、パトリツィア。俺は君を保護するために来たんだよ」
「ま、魔女?まも?保護?な、なに?いっ、意味が、いやっ!やだ!!さわら、な!触らないでぇ!離してぇ!!」
ノヴァは、恐怖でしゃくり上げていたパトリツィア夫人の手を取ると、引き寄せて抱き締めた。大きな体で包み、離さないように腕で締め付けているけれど、密着させられた彼女は逃げようと身を捩らせて、私に手を向ける。
「たす、助け!殺される!殺される!」
学生時代のことを思い出してしまったのだろう。必死に藻掻く様子は痛ましかった。
「離しなさい!彼女は貴方を怖がっている!」
「うるさい!黙れ!!部外者がしゃしゃり出るな!!」
「ひぃっ!」
私に向けての怒号にパトリツィア夫人は引き攣った悲鳴を出し、身を強張らせた。
彼女の背を優しい手つきで撫でる男は、労っているつもりだろうけれど、自分こそが恐怖心を抱かれているとは分からないのか。
「ああ、違うよ。君に怒ったんじゃない。君は悪くない、何も悪くない・・・さあ、行こう。君に謝らなければならない。色々と話すこともあるんだ」
「やっ、いや!ロバート様のところに、うぅっ」
苦しいのだろう。身を屈めそうになったパトリツィア夫人。その肩を抱き寄せることで支えながら、ノヴァは歩き出した。足元の覚束ない彼女を支える様に愛情は感じるけれど、それは独り善がりの愛でしかない。
「どこに連れ去るつもりですか?」
私の目の前にきたノヴァに質問を投げかける。彼は、身が竦むような眼差しで私を睨み付けた。あの学生時代の時のように。
「再三言っているが、貴女には関係のないことだ・・・」
「う、ふ・・・ひっ、く・・・ぁ、コ、コルネリアじょ、助け、て」
伸ばされるか細い手。掴もうとしたけれど、憲兵が阻み、ノヴァが歩き始めたことで触れることすらできなかった。パトリツィア夫人は連れ拐われる。夫を奪われ、泣き叫んでも諦めてもらえずに、想いを抱く愚かな男の欲望の犠牲になってしまう。
私は何もできなかった。止めることも、立ち塞がることもできなかった。あまりにも非力で、自分が嫌になる。
「我々も失礼します」
「この度のご無礼をお許しください」
私の前にいた憲兵達も、ノヴァに続いて去っていった。残っているのは何も出来なかった私と、傍観者となっていた宿泊客達。
「魔女の被害者だ」
「ああ、だからか。驚くほど見目麗しい男だったしな。魔女に操られていたときに、捨ててしまった女を取り戻しにきたのか」
騒動の理由が分かっている人々は声を潜めて話している。一人の男爵が謀られて見せしめで捕まったのも、泣き叫ぶ夫人が連れ拐われるのも、異常な執行官の様子も理由を知っているから納得していた。
(誰も助けないのね)
パトリツィア夫人はあれほど拒絶をして怖がっていたのに、手を差し伸べる人などいない。ノヴァが魔女の被害者だからと、常軌を逸した行いを許している。
「このようなことはおかしい」
ぽつりと呟けば、私の元に近付く足音が聞こえた。顔を上げると買い物に言っていた護衛騎士二人が、ケーキが収められている箱を手にして立ち尽くしている。
「閣下、如何されましたか?」
「ぼんやりされているような・・・考え事ですか?閣下は考え事に没頭すると他が疎かななると仰っていましたもの」
「いえ、何でも・・・」
パトリツィア夫人は助けられなかった。あのままどうなるかなんて答えは分かっている。ノヴァが愛を乞い、逃げられないようにするだろう。旦那様の男爵も無事では済まない。犯罪者に仕立てられて夫人から引き離された。彼女がノヴァの元婚約者だったばかりに。
あの時、デイナと学生時代を共にした女子生徒だった方達はは、これから男達の被害者にもなるのだろう。ああいうように男達に狙われて、捕まって・・・学生時代を共にした女子生徒、は・・・。
「レーヌ伯爵邸に向かいます」
「え?」
「今すぐにですか?明日ではなく?」
私は驚く護衛騎士達の間を通ってエントランスに向かった。後ろから慌てて追いかける声と足音が聞こえるけれど、振り返ってはいられない。
アリアもルーベンスに狙われているからだ。ノヴァのように強引ではないけれど、時間をかければあちらの業が煮えて強硬手段に出る可能性はある。
(ルーベンスがどんな方なんて分からないけれど)
正気を失っておかしくなっていた彼しか知らない。アリアから聞いていた話では、真面目な性格らしいけれど、それだけでは安心はできない。
追ってきた護衛騎士と一緒に急いで馬車に乗り込み、レーヌ伯爵邸に向かう。私はアリアが無事なことを祈りながら、早く到着することを願った。
恋人で想っていた相手だからこそ、自分の仕業とはいえパトリツィアちゃんが他の男のものになっててノヴァはブチギレている。誰も制御できない。




