最初の被害者
馬車に乗り込み、流れていく景色を見る振りをする。景色なんて頭に入ってこない。苛立ちが凄まじくて、叫びたくなりそうになる。
国王も、レグルスも、フィガロ公爵含む臣下達も、色々と怒りを燃え上がらせるような方ばかり。この場にいない方々だけれど、暴言を言ってしまいそうだった。彼らはあまりにも身勝手だ。被害を受けた女性達の気持ちを考えていない。
窓に映る景色に王城があることで、視線をそらす。そうして見えたのは、一緒に乗っている護衛騎士達が私を窺う様子。目が合えば、居づらそうに目線を下げられる。ああ、部下に緊張感を与えるなんて駄目だ。
荒ぶる気持ちなどないと、私は彼女達に笑いかける。そうすれば彼女達も安心したようで、小さく息を漏らして表情を和らげてくれた。
「ホテルに付いたら買い物を頼めるかしら?近場に美味しいケーキ店があって、数量限定で販売しているチョコレートケーキが売ってるの。気分転換に食べたいわ。お釣りで貴女達も好きなケーキを買っていらっしゃい」
そう言って紙幣を手渡した。護衛騎士達は目を輝かせて嬉しそうに返事をしてくれたから、先程まであった緊張感も解れただろう。
(人前で苛立ってはいけないわ)
立場のある私が荒ぶれば、身近にいる人に圧力を与えてしまうと自覚して、苛立つ気持ちを落ち着かせようとした。再び景色に目を向ける。
ホテルに着いたのは然程の時間もかからず。髪の短い護衛騎士の手を借りて馬車のステップから降りると、ケーキ店に向かう彼女達とは別れた。姿が見えなくなるまで大きく手を降って喜ぶ黒髪の騎士のことを思えば、自然と笑みが溢れて、苛立ちなんて失せていた。
(ケーキを食べてから明日のレーヌ伯爵邸に向かう準備をしよう)
ドアマンに開かれたガラス張りの扉を潜り、ホテルのロビーを歩き進む。
シックで落ち着いたデザインの内部は、今朝よりも人の数が多い。何か男女に関する催しがあるのか、夫婦と思しき人達をよく見かける。
(建国祭ではないし、ホテルが恋人や夫婦に関連した催しを行うのかしら?)
ふいに隣接したラウンジに目線を向けた。どのテーブルにも男女二人組で座り、身を寄せて話していて。
(あの女性は)
ロビー側の席に座る女性が目に止まる。彼女の美しく上品な顔立ちと、少し伏せ目がちのサファイアのような綺麗な瞳。艶のある栗色の髪は綺麗に結い上げているけれど、つばの広い帽子で細やかな編み込みは隠れてしまっている。濃紺のドレスはシンプルなデザインで、清楚な雰囲気を引き立てていた。一目で美しいと分かる女性は、誰の目に留まらぬようにひっそりと、顔を隠すようにしている。
私は女性を知っていた。覚えている、忘れられるわけがない。学生時代に起きた凄惨な事件の被害者、デイナの言いがかりで元婚約者に斬り付けられたパトリツィア・オルセイン嬢だ。
悪だと断じられて退学処分にされて、新興の男爵家に嫁がされていた。そのパトリツィア嬢が王都のホテルにいる。
彼女が身を預けるように寄り添っている男性を見た。
日に焼けた厳しい面差しで、口の上に髭を蓄えた四十代と思われる。体つきは肉体労働者のように引き締まってはいるけれど、太く逞しい。サイズが小さく見えるグレーの礼服は下ろし立てのようで、着慣れていないと分かることから、一目では貴族と思えない。
ただ、、パトリツィア嬢を気遣う眼差しと労る手付きが優しくて、嫌な人物とは感じなかった。
彼は、恐らく彼女の旦那様なのだろう。元婚約者のノヴァ・ガリアードが、権力を用いて元平民の男爵と無理矢理結婚させたと聞いていたけれど、二人の雰囲気は悪くない。旦那様の男爵のほうは、明らかにパトリツィア嬢に愛情があると分かる。
(意に沿わない結婚をさせられたと思ったけれど)
ぴったりと身を寄せ合う二人は正しく夫婦だった。独り善がりではない信頼し合った関係。誰の目にもそう映るだろう。
(今は幸せ、なのかしら?)
それならば、パトリツィア嬢・・・パトリツィア夫人の心配はしなくていい。幸せならば、彼女が幸せならば、何も言う必要はない。あの時、受けた仕打ちは男性に対して恐怖心を抱く酷いものだった。それなのに、こうして年配の男性に信頼を寄せているのは、その優しい旦那様が慰めてくださったからだろう。
「・・・・」
私は二人の真横を歩き去ろうとした。嫌な思い出だった学生時代の知り合いである私と言葉を交わすよりも、愛してくださる旦那様といたほうが、パトリツィア夫人の心は平穏を保てるから。
(パトリツィア夫人は、王都の立ち入りを永劫に禁止させられたはず)
思い出して立ち止まる。
その時、聞こえてくるのは二人の密やかな会話。
「やっぱり怖いわ。突然王命で呼び出しをされるなんて。わ、私の判決の見直しがされたのではない?死罪が妥当だと、処刑をするつもりで呼び出したのではないの?」
「大丈夫だよ、パトリツィア。判決はもう六年前のことだ。見直すにしても、そういった記述もなかった。呼び出して闇討ちのように処罰をするなんてしないさ。大体、呼び出しは僕も一緒じゃないか。きっと君が呼ばれたのは、僕の付き添いというだけだよ」
「でも、でも、デイナ様の気が変わったと重罰に課せられるかもしれないわ」
「そうだとしても僕がいるから大丈夫だ。君は六年間も国から受けた命令に従い、品行方正に暮らしていた。そう証言できるし証拠もある。だから、処刑なんてことにはならないよ」
「そう・・・そうよね・・・大丈夫、よね?」
デイナはもういないのに、二人は生きているように話す。パトリツィア夫人が嫁いだ男爵家は国の端。王都の情報が届くまで時間がかかるのかもしれない。デイナが死の直前にすぐに呼び出されて移動したのなら、情報ともすれ違う可能性が。
(いえ、どうして彼女を呼び出したの?)
理由が分からなくなった。もしデイナが呼んだとしても、パトリツィア夫人はひっそりと男爵領で生活していたはずだ。デイナが気にするだろうノヴァとの接触も、ノヴァが怒り狂うだろうからしない。王都に立ち入ったから、というのもあり得ない。もしそうであるならば、わざわざ王都に呼び出すなど本末転倒だ。デイナが呼び寄せたはずがない。
だとしたら、誰が、何のために呼び出したのかとなる。それも王命として。国王の権限を使い、パトリツィア夫人を呼び寄せる理由は。
(王命の、呼び出し・・・)
嫌な予感ではない、気付いてしまった。同じことを私もされたから、これから彼女に起こることが分かった。
私は話しかけようと踏み込む。そうすれば、ホテルのエントランスが騒がしくなった。人々の驚きの声と複数人の足音、細やかな金属の接触音。
目を向ければ、こちらに向かって歩いてくる五人ほどの鎧を纏った憲兵と、その後ろにいる男性が映る。
男性が着ているのは税務官の制服。よりによって税収に置いて不明瞭な収支が確認された場合に、調査と処断をするという執行官の紋章が胸元に縫い付けてある。
(なぜ、こちらに・・・ああ、そうだわ)
執行官の男性の顔には見覚えしかない。長髪の緩く波立つ焦茶色の髪に、茶色の瞳という色味ながら麗しい顔立ちのおかげて貴公子の様な方。デイナの男達だった一人。何より、気付いたことで震え始めたパトリツィア男爵夫人の元婚約者。彼女を殺そうと斬り付けた張本人、ノヴァ・ガリアードだ。
彼の目的は分かり切っていた。憲兵達を引き連れて、ラウンジの席にいる夫人の正面に立つ。
「ロバート・ノリス男爵だな?」
冷たい眼差しと抑揚のない声。冷めた様子でパトリツィア夫人を抱き寄せるノリス男爵を見ている。
「・・・ええ、勿論。私がロバート・ノリスですが、税務執行官殿が如何様なご要件でいらっしゃられたのでしょうか?」
ノリス男爵は腕の中にいる夫人をしっかり抱き締める。きっと、やって来た執行官が何者か分かっているのだろう。男爵に嫁がせたのは彼自身だから面識もあったのかも知れない。だから守るように、隠すように抱き締めていた。その姿には愛情しか感じなかった。
「執行官が訪ねてくる理由など分かっているだろう。貴様が報告した収支に不明瞭な部分が見受けられた。収支の額から重罪の可能性もある。我々に同行して頂こうか?」
「それはおかしい。私はきちんと算出して報告させていただきました。そちらの勘違いではないでしょうか?」
「そうではないから俺が出てきた。新興の男爵家ゆえか、怪しい部分が多数見受けられる」
ノヴァが手を掲げれば、憲兵達は動いてノリス男爵夫妻を取り囲んだ。男爵の腕の中にいるパトリツィア夫人は恐怖から、震えが止まらない様子。
「このようなところで騒ぎ立てるのは如何なものでしょう」
思わず声を上げた。パトリツィア夫人のことが心配だったし、ノヴァのやり方は強引だったから。税務に関する捜査のためとはいえ、公衆の面前で吊るし上げるように詰問すべきではない。
私の声が聞こえたのか、パトリツィア夫人は顔を上げた。驚きで丸くなる目から、私のことが分かったらしい。
そして、ノヴァも射殺すような鋭い目を私に向けてきた。
「・・・ああ、ベルアダム侯爵か」
「ベルアダム、侯爵?」
ノヴァに続く声はパトリツィア夫人のもの。不思議そうに呟いていた。




