Incredible yet Expendable.Ⅲ
「──加担、ですか」
とぼけたふりをしながら、口元に浮かべた魔法陣をわずかに膨らませる。反射的に、周囲の空気が引き締まる。
魔族擁護ととられれば、即・社会的死刑。
異端は笑顔で吊るすのが、この学会のやさしさだった。実際のところは分からないけど、きっとそうだ。
「……どっちの歯であっても、治せるようにはなったってだけですよ」
言葉が終わると同時に、会場の空気が溶けた。多分、前列の金髪ギャルが「ぷはー」って、炭酸でも飲んだようなため息をついたせいだ。彼女の爪にはまだ乾ききってない翡翠の羽のようなマニキュアがあって、それがやけに目に入った。漢字がそれぞれの爪に書いてある。気になって目を凝らす。勅命陏身保──それ以上は読めなかった。まぁ今はそんなこといっか。
質問者に目を遣る。
セラの目からは、光が抜け落ちていた。まるで興味という電源を落としたように、こちらから視線をすうっと外していく。
一度、天井を見た。何か祈るように。
それから落ち着き払った声で、まるでAIの読み上げ音声のように告げる。
「貴重なご意見を賜り、誠にありがとうございました」
優等生のテンプレに、誰かが拍手を合わせる前に、僕はひとつ息を吸った。彼女が踵を返した瞬間、後頭部に狙いすまして放り投げる。
「──そのあとに、噛みつくか笑うかは、僕の仕事じゃないんで」
セラの足が、一瞬だけ止まる。
振り向きざま、口元にごくごく微量のカーブ。あれが笑みかどうかは、記録映像を10倍スローで解析しても分からないだろう。でも、少なくとも僕は、彼女に対して初めて「人間くさいな」と思った。
あるいは、それは予定通りの離脱。得るものを得て、情報を引き出して、そつなく舞台を後にする。
その背中には、敗者の影はなかった。むしろ、火種をひとつだけ置いていったような、そんな感じ。
──いずれにせよ、その日、壇上でもっとも雄弁だったのは、喉を通らなかった言葉のほうだった。
「ふあ〜……二度と人前で喋りたくない……」
学会の屋上、アスファルトの床にちょっとだけ魂を置き忘れた僕は、柵にもたれかかって干されていた。太陽による遠赤外線ヒーリングタイム、通称・現実逃避の儀式である。
背中には陽光、頬には風。天気が良すぎるのもたまには罪だなと思う。こんなに平和なら、もうこのまま植物になってしまいたい。光合成と寝返りだけで生きていける世界に帰りたい。
「……ま、でもこれで、アミダスが人間側に襲われることはなくなった、か」
壇上で一歩間違えば爆散しかねなかった緊張感が、いまは雲ひとつない青空に吸い込まれていく。太陽神がこのあと爆美女の姿で現れて、「よくやったな」とか言ってくれたら一発で信者になります、はい。
「キリちゃんもフォンファも、お留守番ちゃんとできてるかなぁ……」
あのふたりの不在、意外とデカい。耳の中が静かすぎて逆に不安になる。誰かと誰かの掛け合いがないと、逆に調子が狂う体になってしまったらしい。自販機で買った缶コーヒーのプルタブを開けて一口。苦い。うまい。帰りたい。
一陣の春風が、耳もとをそよぐ。
「先生!」
──幻聴か? 太陽の神託か? それとも、空耳ブレンドの副作用か?
「アマギ先生、かっこよかったっす……です!」
振り返ると、金髪ギャルと黒髪ロングの清楚ガールがこっちに猛ダッシュしてきていた。ちょっとしたファンアタックみたいな様相である。誰かに見られたら本気で誤解されるやつ。
──え、まって。どなたさま??
そんな疑問が浮かぶ暇もなく、僕は柵とギャルと黒髪の間で無事にサンドされました。いや、「無事」じゃないな。もっと正確に言うと「圧死」寄りの「ハグ」でした。
日大タックルからの人体プレス。これもうファン熱とかじゃなくて戦闘技術でしょ。
「ぐぼぁ!!」
喉が叫んだ声なのか、肺から漏れた空気の悲鳴なのか、自分でもわからない音が出た。次の瞬間、僕はぺしゃんこに潰れて、春の屋上に根を張った。
──誰か助けて、って目で訴えたのに、
彼女たちは一ミリも助ける素振りを見せなかった。むしろにっこにこしてる。どうなってんだ。そうか、春か。
金髪ギャルは、モジモジと両手を胸元でいじくりながら、照れたみたいに笑いかけてきた。
「せ、先生、馬子にも衣装っすね!」
その語尾。
その口調。
そして──その爪。
ちょっと待ってそれ、会場でも見たぞ。お札ネイルじゃない?あなた、文字通り、爪が甘いぞ?
「……まだ気づかないゆ?」
黒髪ロングが、スカートのひらひらと一緒に、綺麗すぎてずるい尻尾をチラ見せしてきた。そんなチラリズムあるか。あと語尾がもうそのまんまだよ。君たち、擬態をやりきる気あんの?
──あー、もう。これは、あれだ。
あの子たちだ。
来てくれたのは正直、めちゃくちゃ嬉しい。でも嬉しいと同時に、それはつまり──危険地帯に勝手に飛び込んできたってことでもある。
ほっぺが緩んでしまいそうなのを必死で押さえ込んで、全力で息を吸う。僕が犬だったら、今もうちぎれんばかりにしっぽを振ってる。でも今は、そんなの見せちゃダメだ。
眉間と喉に力を入れて、叫ぶ。
「来ちゃダメだろがーーーー!!!」
屋上がちょっと震えた気がする。自分の声にビビってるの、他でもない僕だった。
「これは訪問診療じゃないぞ!! ここは! 人間が住む土地なんだぞ!!!」
思い切り言ってから、少しだけ沈黙が落ちた。
二人の笑顔は風に紛れて、どこかへ逃げていった。代わりに目を伏せて、唇を噛んで、すごく言いにくそうな声がこぼれる。
「で、でも……先生に、なんかあったら……」
金色の髪が太陽を受けて、キラキラきらめいた。そんなの、反則でしょ。
「……いやだったゆ。なんか……置いてかれるの」
黒髪ロングのスカートが、風に揺れているのか、心が揺れているのか、もはや判別不能だった。
ポロリ、と涙がこぼれる。少女の目の端から、一粒ずつ、アスファルトに吸い込まれていった。
──もう、ずるい。ずるすぎる。そんな顔されたら、もう勝てない。
「……ごめん。怒鳴って、ごめん」
僕の声は、さっきよりずっと小さくて、さっきよりずっと素直だった。
「……でも。ほんとに。何かあってからじゃ、遅いんだよ」
ぎこちない動作で、そっと二人の肩に手を回す。
そうしてようやく気づいた。
──ああ、これが「無事でいてくれて、ありがとう」って感情か。
ぎゅっと引き寄せると、二人は静かに、ぽろぽろ泣き始めた。怒られたことに驚いたのか、はたまた安心したのかは、まあ、どっちでもいいか。
僕のスーツに顔を埋めて、二人で左右から鼻をかんだ。ああ、もう、なんだこれ。あったかいけど、ぐじょぐじょだ。
「来てくれて……ありがとう」
自分の手だけに聞かせるような声で、そっと言った。
「か、勘違いすんなゆ! 楽しそうだったから来ただけゆ!」
「そっすそっす! べっ、別に心配してたとかじゃないっすから!」
二人から同時に強烈な肩パンを食らって、僕は蹈鞴を踏んだ。数秒前とのギャップにおかしくなって、僕らは笑い合った。
──と思ったら、フォンファが僕のスーツの胸元を指差す。
「先生、鼻水で……繋がってますね。うちらと」
見ると、ふたりの鼻と僕の胸元を結ぶ、テッカテカで透明な、どうしようもないアレが一筋。
「赤い糸かな」
爆発したのはキリアだった。あの清楚ぶった黒髪の暴力が、床に転がりながら笑い転げている。そして鼻水をまき散らしてる。まるでスプリンクラー。
フォンファも僕もつられて笑う。
僕は胸元をそっと隠して、目を伏せた。
──お願い、忘れて。この瞬間だけは、切り取って忘れて。




