Incredible yet Expendable.Ⅱ
僕は人前に立つのが苦手だ。というか嫌いだ。できれば一生、後ろの方の壁になりきって生きていたい派だ。
筋肉が三密してるようなモンスターに囲まれてる方がまだ気が楽。こっちは汗で湿っていたとしても、彼らは乾いてるし。肌つやもいい。ものによるが。
慣れない場所で、慣れないスーツを着て、見慣れない人間の山に囲まれ、僕は今、全身の穴という穴から液体が排出され続けていた。
あまりに排出過多で、このままミイラにでもなるのではと考えたが、どうやら汗まみれのミイラというのは存在しないらしい。じゃあどうなるんだ、僕。
「会場の皆様にご案内申し上げます。まもなく第五特別講演を開始いたします。なお、会場内では現在魔法干渉障壁を展開しております──」
もしかして僕、テロリストと思われてる? スッと汗が引くと同時に、喉が渇いてくる。いよいよ、干物になりそうだ。
「──質疑応答の際に限り、所定の拡声術式のみご使用いただけます。魔法のご使用はご遠慮くださいますよう、皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。それでは、開始まで今しばらくお待ち下さい」
何対策なのか分からないアナウンスが流れると少しだけ空気が静かになる。が、終わるとすぐ、またざわざわと音が戻ってくる。戻るの早いよ。
人間って本当に喋るのが好きだなと感心した。研究者も歯科医も魔族ハンターも兵士も、最終的には喋る。
で、僕はといえば、その喋るための壇上に、気がつけば立っていた。
広さ的にはレッドドラゴンが一匹寝そべっても「まだちょっと余裕あるワヨ!」と宣うほどのステージだった。
「会場内、大変混雑しております。壇上から向かって左前のスペースわずかに空きがございます。立ち見の先生方、どうぞ一歩前に詰めてご覧になるようお願いいたします」
そんな声に促されて、立ち見の先生たちが前へと詰めてくる。よく訓練された人間は本当に従順だ。
会場はもう、人間の海だ。しかも波打っている。声のうねりと熱気で、もはや灼熱の室内ビーチと化していた。
この湿気の中で、僕はすでに思考が数秒に一度止まっている。とてもシンポジウムどころではない。
「ただいまより、第五特別講演を始めさせていただきます。本講演の座長は、中央歯学評議会議長、歯術総監・顕屋敷先生です。それでは、顕屋敷先生、お願いいたします」
拡声術式の耳に優しい重低音が響いた。音がでかいのにうるさくないのは、さすが魔法技術の進歩だと思う。音響の魔術師がいたら今すぐ握手したい。
出てきたのは、座長の顕屋敷先生──分類上はたぶんペンギン。動きがやけに湿っていて、ぬめりを感じる。失礼。しつこいね。これは偏見だ。
「アマギ先生はですね、私が知る限り最も優秀な先生でして──」
ねっとりした声で先生は僕をべた褒めしてくれる。もちろん、それは僕を勇気づけるためじゃない。
聴衆の警戒心を和らげるための、公開スペック紹介だ。僕が味方であると保証してくれる。たぶん、いや絶対、疑われていた。
「──先生はね。我々の味方です。皆様、お手柔らかに。では、アマギ先生、お願いします」
上手の壇上で座ったまま一礼する顕屋敷先生と入れ替わるように、下手側の僕は一歩前に出た。
会場の空気は、静寂ではない。静かすぎて、「息を潜めて観察している」音が聞こえる。
それはつまり、「失敗しないかな」と思われているということだ。
失敗しないよ。たぶん。なるべく。できる限り。
僕は拡声術式を展開する。口元から少し離した魔法陣は、僕の震えを隠してくれる装置でもある。
「過分なご紹介をいただき恐縮です。早速ですが、“On the Aberrant Intra-cavitary Habitat of Symbiotic Draconid Entities and Their Clinical Management”──について、お話しさせていただきます」
静まり返る会場。というより、息を止めて見守る群衆。
彼らの目は、僕の背中を押してくれない。僕の足元に落とし穴を掘ろうとしている。
でも、まあ──そういうのには慣れてる。
僕はスライドを操作する。もちろん手を使うわけではない。魔法だ。これは学会の方で用意してくれている。
表示されたのは、ドラゴンの歯周ポケットの拡大図。続いて、そこに棲みついていた寄生体の写真──例の、真っ黒に炭化される直前に撮っておいた彼だ。記録は、こういうときのために日常的に撮っておくべきなんだ。倫理よりも学術的責任の方が先に来る。たぶん。
続けて、病変部位の立体構造解析や、寄生体の拡大画像。いよいよ視線がざわつき始める。顔をしかめる人、息を呑む人、スマホを構えかけてやめる人。ホラー映画を見てるような顔、というのはこういうのを言うのだろう。興味五割、嫌悪三割、無関心のふり二割。
──まあ、どれも正しい。
僕が扱うのは「歯科」+「境界」。モンスターと人間の、というより、人間の認識が辛うじて及ぶかどうかの、あの境界線上にいる連中。ドラゴン。スライム。キョンシー。無口な大口。夜の女王。患者として、彼らを迎え入れたときから、僕の診療所は人間の医療地図からこぼれ落ちている。
「……寄生ドラゴンは唾液の分泌に応じて周期的に活性化します。これが本来の住処である歯周ポケットでは問題とならないのですが、窩洞内部に侵入した場合、活動サイクルが変調をきたし、最終的に……」
説明は単調に。感情を交えずに。抑揚を抜いたまま、僕は話すスピードを意図的に落とした。
「あの歳……これか……う……教授が黙るわけだよ」
前の方にいる壮年の男たちが、ヒソヒソと何か言っている。内容までは聞き取れない。でも視線は、確かにこちらに熱を持って突き刺さってくる。刺さると、ちょっとだけ震える。ちょっとだけ。
彼らが理解しているかどうかは問題じゃない。理解している「フリ」が間に合うように、僕は話を進める。言っておくけど、意地悪してるわけじゃないんだ。本当だよ。アラヤシキセンセイからはこう言われてるんだ。
──「遠慮せずドラゴンの話をしてくれ。曲がりなりにも我々は歯医者だからね」
それに従ってるだけ。従順で従順で、まるでさっきの会場のヒトたちみたいだね、僕って。
スライドに向けられた彼らの視線は、明らかに三分の一ほどが僕に向いていた。というより「僕のようなものが、なぜそこにいるのか」を探していた。理由は簡単。若すぎる。異質すぎる。研究が非現実的すぎる。そしてなにより、“人間の側”にしては、モンスターに肩入れしすぎている。
ちらほら、目を輝かせてノートを取っている若手の先生もいる。いるにはいる。ありがたいことに。けどそれはそれとして、場の空気はしんとしていく。だんだん、耳に聞こえない問いかけが満ちてくる。
(この子、いったい何者?)
終盤のスライドに到達する。歯肉上に発現した意思反応パターンの解析グラフ。口を閉じ、レーザーポインタ代わりの魔法を解除する。スライドの裏にあった「気配」──あれが、そろそろ聴衆の脳に染みはじめる頃合いだ。
「──ってかビジュやばくないですか」
前列の金髪ギャルが、僕と──隣の女性を──交互に見比べて目を見張っていた。
見た目も声も、服装も場違いだ。まぁそもそも“この内容”に似合うヒトなんて存在するのか怪しいけどね。僕は眉をひとつだけ動かす。
視線がくすぐったい。悪くはない。でも、困る。やめてほしい、とは言わないけど。
さらにその隣──落ち着いたロングスカートの女性が、口元を押さえてトロンとした目でこちらを見ている。
頬に赤み。目元に涙。いや、ちょっと待って、それは。
今までの説明、全部漏れてた? それはそれでちょっと困る。
心に訴えかけるパートは、もうちょっと後なんですけど。
僕は咳払いひとつで場の空気を巻き戻す。
「このように、知性を持つ病原体と向き合う以上、医療行為が中立たりうるのか、今一度、問われるべきです。特に──“感染”が文化を持つ段階にまで進化したのであれば」
そこまで言って、魔法陣をひと呼吸ぶんだけ縮める。空気を吸って、吐いて、場の空気も一緒に折りたたむ。
スライドは消えた。場内が明るくなる。誰かが椅子を引き直す音。しん、とした。さっきまで偉そうに腕を組んでいたおじさんが、そっと姿勢を正すのが見えた。
さて、このあと、質問は来るのか。そもそも、言葉が出るのか。
顕屋敷教授が、ぱちぱちと瞬きを打ち鳴らし、重たげに肩を揺らした。
「……我々には、想像し得ない世界でしたね。それでは質疑応答に移りましょうか」
(たぶん、教授もわかってない。寄生体を排除したことは、ドラゴンにとっては正義かもしれない。でも、その寄生体にとっては?──とりわけ、それが知性を持って“そうあろうとしていた”存在だったとしたら。)
その瞬間を待っていたかのように、すっと一つ、手が上がった。いや──おそらく、最初から上がっていたのだろう。ただ、この会場の空気が、ようやくその存在を認識できるだけの密度に達しただけで。
「あ、では──」
座長が言いかけるより速く、通路を滑るように歩み出たのは、一人の少女──ではなく、より正確に言えば──。
所作は音もなく、軍事演習に臨む兵士のように統制されていた。魔力の展開動作に移る一連の流れが自然すぎて、魔術に慣れていない者たちは“それ”を魔法とは認識すらできない。
拡張音声術式が静かに発動する。魔法陣の幾何学が波紋のように広がり、天井に幽かな光の反射を描いた。
「中央歯学評議会直轄、術理実証アーキタイプ、セラ・グラヴィタと申します。素人質問で、恐縮ですが」
うわ。来た。素人じゃないやつの、素人質問。
よく見れば、さっき廊下の大理石にヒールの爪痕を残していた、あの亡霊みたいなスーツ姿。つまり、アラヤシキ教授の黒幕、あるいは飼い犬。
セラは、そこにいた全員の知覚から感情を削ぎ落とし、ただ一つだけ──感情の“核”に届くような声で、こう言った。
「──先生は、“ヒト”という種に、まだ加担していますか?」
場内が、微かに震えたような気がした。振動というより、沈黙の軋み。
その言葉は、評価でも、疑念でも、敵意でもなく。
ただ「分類」だけを見ていた。
彼女にとって、僕の国籍も信念も過去も未来もどうでもよくて、重要なのは──
“今この瞬間、この人間が、どちら側にいるか”──それだけ。
僕は、それを見透かされてもなお、狼狽するでもなく、ただひとつ。
「どこから答えればいいんだろうか」と、それだけを静かに考えていた。
──そうして、壇上の空気が、ようやく“選択の重み”に気づいた頃。
魔法陣の残光のなか、僕は、一つの呼吸を整えた。
(じゃあ──話そうか)




