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EYES ON ME.Ⅲ

「あ、あのう。ちょっと近くないですかね」

 メデコに機嫌を損ねられてはまずいことになりそうなので、体はその場に置き去りにして、メデコの頬から頭を傾けるようにして逃げた。

「こんなもんで」

 耳元でゆっくりとした透き通るようなメデコの声がする。メデューサも魅了が使えたっけな?と聞き惚れていると、キリアが鏡越しに僕を睨んでいることに気がつく。僕のせいなのかなこの状況。


「では、メデコさん。3番のお席へどうぞゆ」


「はい。先生、よろしくなもんで」


 ぬるりと診療室に向かおうとするメデコの姿を直視しないように肩でブロックしつつ、鏡越しにはにこやかな対応をした。


「先生。いくらなんでもこんな時に鼻の下伸ばさないでくれゆ」


「さすがに雑食がすぎるっす。たしかにメデコさん面は強いっすけど、違う意味でも強いんすから。種として」


「伸びてない伸びてない!やめてくれない?そんな蓼食う虫みたいな言い方。メデコさんにも失礼よ」


「第一、もしお付き合いしても大変っすよ先生。君の瞳に乾杯、なんてできると思ってるんすか」


「お、お付き合いっ!? あ、ありえないゆ!」


「なんで先輩が出てくるんすか。仮定の話っすよ」


「そ、そんな仮定ありえないゆー!」


「いやぁ、実際患者とドクターが、付き合うって話なくもないらしいっすけどね」


「どこ情報ゆそれ」


「風の噂っす」


 いつまでも無駄話をしている二人を無視して、僕は後ろ向きによたよたと診療室に向かう。キリアもなぜかついてきたが、僕を睨むと三番ユニットを超えて診療室の奥に消えていった。


 え、本当になんのバフもなくラスボス級モンスターの診療に挑むんですね僕。


「では、どうぞおかけください」

 鏡越しに笑顔を作ったのだが、それが相手に届いているかは不明である。なにせ鏡越し。しかも相手はメデューサである。鏡がなければ地獄。ある意味、鏡が命綱。

 そんなシビアな医療現場に、メデコはまるで夜会に現れた女王のようにしゃなりとユニットに腰掛けた。どこから出してきたんだその艶やかさ。髪の蛇たちがそうさせるのか。


「失礼するもんで。先生、早速だけど、踊り食いをご存知?」


「ええ、あの、生きたまま魚とか食べるんですよね」


「そう。それ、してみたいもんで。わっち」


「全部、固まっちまうってことっすね」

 フォンファがまるで、過去の石になった魚の代わりに言葉をつつくようにコメントする。


「そうなの。気づいたらみーんな石になってるもんで」


「はあ」

 意図せずため息が出る。


「そんな寝ぼけた相槌打たないで先生。悲しくなるもんで」


「失礼しました。そしてなぜうちに?」


「そこでね。雰囲気だけでもいいから味わいたくて」


「はあ」

 またため息が出る。ため息も石のように重い気がする。


「石も噛み砕ける歯が欲しいもんで。先生」


「はあ。……はあ?」


 さっきから「はあ」しか言ってない気がする。語彙力が石化してきた。


「どう? できるかしら」


「あのう。メデコさん。お言葉ですが、目を瞑ればいいのではないでしょうか」


「そんなの怖いもんで! 唇噛まれたらしたら、わっち、もう立ち直れない」


 噛まれるの承知で食えよ。喉元まででかかったツッコミを石のようにして飲み込んだ。突っ込むのも憚られる奇天烈な理論展開に、脳が消化不良を起こしている。


「そんなことで、健康な歯を削ったらもったいないっすよ。虫歯になっちゃうっすよ。めでこさん」

 僕が沈黙を貫こうとするのを察して、フォンファが代わりに優しい警鐘を鳴らしてくれる。彼女はこういうときとても頼もしい。たとえ見た目が不死で可愛いキョンシーでも。


「え、被せるだけなもんで、虫歯にならないもんで」


「なりやすくなります。少なからずね」


「そんなもんで!? じゃあ嫌なもんで」

 急なキャンセル。早すぎる気持ちの冷却。マグマが水に触れた時みたいなスピード感。


「ちょっと待つゆ」

 その場の空気をぶった斬るように、診療室の奥からキリアが美少女補正を振りかざして登場した。背面でカニ歩きで、だ。両手に持っているうねうねした二対の物体が全ての希望を奪い去る。


「めでこさんが可哀想ゆ。やっとの思いでここまで来たんだから、食べさせてあげるゆ。ちょうど活きのいいイカが入ったゆ」


 ああ、アミダス医院。夜は歯医者、昼は水族館、深夜は謎の屋台になる不思議な施設。嘘です。イカ、どこから出した。


「さあ、先生。口にぶち込んでやれゆ」


「なになになもんで」

 メデコが首をくいと傾げながら、イカと視線を交差させた瞬間、

 ──ゴトリ。

 床に転がったのは、イカの彫刻。新作。卸したて。石化職人メデューサ、魂の作品。


「怖いもんで! イカは特に怖いもんで!」

 声が本気で震えている。イカに過去を抉られたかのような反応だ。


 それでもメデコは、もう一体のイカを覗き込もうと身を乗り出す。キリアは僕と手鏡を駆使して、それを華麗にひらひらとブロック。僕を盾にすな。

 僕の視界には、ぬるりとした触手と、メデコのグラマラスな体が交互に映って心拍数がごちゃまぜになった。


 摩訶不思議な小競り合いが数ターン続き、院内の湿度と精神エネルギーが限界を迎えたとき。


「つかれたもんで!!」


「いまだゆ!」

 まるで合図のように、キリアが触手を開放。イカは生き物らしからぬ軌道で僕の胸へと飛び込んできた。


 見つめあう二つの瞳──僕とイカ。そこに奇妙なロマンスが芽生える余地はなかった。


 僕はすばやく右目に魔法陣を浮かべる。メデコの口元が鏡の向こうでニヤリと歪む。


「先生、一応言っとくもんで。その魔法陣を通してわっちの目を見つめないちゃいけないもんで」


 石になりたくない一心で固唾を飲み込んだ。固唾なんてもんじゃない。その唾まで石になった気がした。喉がカリッといった。気のせいだと信じたい。


「鏡以外だと、先生も彫刻になるもんで」


 なるほど、これはもはや戦術だ。歯医者専売のミラーテクニック発動。イカの目を隠し、触手をつかんで、そのエロすぎる口へとヘッドスライディングさせた。


 ──ズブリ。


 刺さるイカ。絡まる触手。ぬるぬると消えていく命。

 妖艶な絵面。刺さる人には刺さる。まさかの展開。映す価値なし。


「むごむご!!」

 しかし、メデコはすぐに順応した。むしゃむしゃもごもご、美味しそうにイカを平らげる。絵面が恐ろしすぎる。


「すっきりしたゆ?」


 すっきりしたのはお前だろと言いたい気持ちを、亡きイカの尊厳を守るために飲み込んだ。


「美味しいもんで!癖になりそうだもん!」

 今日びイカを素材の味で楽しむ人はいねーよ。あ、人じゃねえか。


「それはよかったゆ。歯医者冥利に尽きるゆ」


「歯医者冥利には尽きません。あ、めでこさんお代は結構ですので」

 遠巻きに牽制する。踊り食いする度にうちに来られては困る。食べログが付いてしまう。


「いえいえ、そういうわけにも。またきますもんで」


「あ、あの! うちは歯医者です! お口で困ったら来てください!」


突き放すように言った途端だった。あらぬ方向からの袋叩き。

「先生! 冷たいっすよ! これもお口のトラブルの範囲っすよ!」


「そうゆ! 器量の小さい男ゆ!」


「あ、え、僕がおかしい?」

まごついているとメデコはそそくさと身支度をし始めた。


「ありがとうなもんで! 素敵な歯医者なもんで! ごちそうさまでした!」

 最後は綺麗な笑顔と感謝の言葉で、メデコは磯の香りを残しながら退室した。にこやかに。満腹そうに。


 患者さんから歯医者で言われることのないセリフを頂戴したところで、手鏡に映る僕の顔は、確実に数歳老けていた。

 白衣についたイカの粘液と、院内に似つかわしくない潮の香りが、今日一日の記憶に深く深く染み込んでいった。

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