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Dragon in Dragon Ⅴ

 


 ヴァルミラアスの巨大なベロは奥歯の真横に到着した。赤い舌が輝くその光景は、もはや神話じみていたが、現実的にはただの口内診療だ。ヴァルミラアスは無言だ。どうやら話すと僕らが吹き飛ぶかららしい。無言の配慮、感謝します。


 僕はゆっくりと中腰になり、バランスをとるため手を広げた。舌の表面は微妙に揺れていて、まるで細かい地震が続いているようだった。いや、これ地震じゃなくて、舌がプルプルしているだけだ。どんどん振動が大きくなる。ヴァルミラアスの忍耐力が限界に達しつつあるのだろうか。舌の上にいる僕たちを「維持」するというこの壮大な努力に、彼女の身体が抗議しているのかもしれない。と、ふと真横の裂肉歯の咬合面に目を滑らすと先ほど眼術魔法でみつけた大きな縦穴が空いていた。


「行こう! キリア!」

 僕は隣で呆然としているキリアを助け起こし、患歯への移動を決断した。舌の上でのんびりしている時間は、もうなさそうだ。ていうか、今の僕のセリフまるで、RPGの主人公みたいで格好良い。


 それは、まるで映画のクライマックスのようだった。勇者たちが崩れゆく橋を飛び越える瞬間。あるいは、燃え盛る城から脱出する場面。そんなドラマティックな映像が浮かんだ……が、実際は、歯医者が患者の虫歯を探していただけだ。どこをどう見てもファンタジックとは言えない光景。


 僕らは勢いをつけて跳んだ。滑りそうな舌から解放される瞬間、ヴァルミラアスのひそめた呼吸なのか肉臭く生温い風が追い風のように全身を押した。もっと精霊姫の風魔法みたいなのでキラキラ飛びたいがワガママは言えない。足元の感触が変わり、次の瞬間には、僕らは巨大な双児山のような奥歯のちょうど間の谷に当たるところに転がり込んだ。カツン、ガツンと装備と歯面がぶつかる乾いた音が何度か連続で響く。硬い歯の表面は炎のドラゴンの歯とは思えないくらい冷たく、足の裏にじわりと冷気が伝わる。手で触るとやはり冷たい。ドラゴンブレスに耐えられる性質を持っているのか。


 背後を見ると、舌はすでに引き下がっていた。その様子は、まるで赤い海が引き波となって消えていくようだった。一瞬前まで僕らを支えていたものが、今は遠ざかっていく。ありがとう、ヴァルミラアスの舌。君の柔らかさと不安定さは、僕たちの記憶に永遠に刻まれるだろう。


 ……まあ、オネエの口の中にディープに入ってしまったなんて記憶はできれば封印しておきたい類いのものだけれど。


(アンタたチィ! 無事着いたみたいダワネ!)

 ヴァルミラアスの声が脳内に直接響く。鼓膜を通さない声というのは、こうも強烈なのか。脳が直接揺れるような感覚に僕は思わず片手で額を押さえた。音量調整はできないんだろうか。チラリと隣を見ると、キリアも同じように耳を塞いでいた。無駄な抵抗だ。声が耳を経由していないのは、彼女も気づいているはずなのに。


(たぶんアンタたちがいるところが、ちょうど痛い歯だと思うワ! なんとかしてちょうだい!)

「では早速。キリちゃん。麻痺魔法かけてくれ」

「合点ゆ」


 キリアが軽く頷くと、手のひらから黄色味がかった稲妻が飛び出した。稲妻は歯の咬合面を這い回るように駆け抜け、そして縦穴の奥へと吸い込まれていく。僕は僅かにその振動を足裏に感じた。


(あらなんか、じんわりとぼんわりした気がするワ)

 ヴァルミラアスの声がまた頭に響いた。どうやらキリアの麻酔が効いたらしい。


 キリアが指でギャルピのピース部分だけをグッドの形に変えた、妙なポーズを決めている。なんというか、すごく新しいけど絶妙にダサい。

「なにそれキリちゃん。流石に流行らないよそのポーズ」

 僕がそう言うと、彼女は満足げに目を伏せたまま固まってしまった。なんだろう、気に入ったのか。


 僕はそのままキリアを放置して、縦穴の縁に足をかける。ガンガンと縁を蹴ったがとても丈夫そうだった。

(虫歯じゃないのか?)

 続けてそっと屈んで奥を覗き込んだ。暗闇の底には、何かが潜んでいるような気配だけがある。

「だいたい直径2.3メートル程度か、な。パーン族の酒場の娘さんが寝転んだ程度だね。はは、逆に分かりにくいか」

 誰に向けた説明か分からない独り言が口をついて出る。それにしても、光が足りない。ドラゴンの外から入ってくる太陽光と、AMDSの防御魔法の光だけでは、底までを照らすには全然足りない。


「キリちゃーん。光魔法をおでこから出せるようにして欲しいな、できれば歯医者っぽく」

 縦穴を見つめたまま頼むが、返事がない。何だろう。返事くらいしてもいいんじゃないか。


「キリちゃん?」

 そう言って振り返ると──まだだ。彼女はまだギャルピもどきのポーズを決めたままいる。屈んだ僕の視線と、彼女の伏せた顔の目線がちょうど同じ高さでよく見える。彼女は無表情だが凄まじい眼力でこちらをじっと見つめていた。


 ぎょっとした。まるで、ドラゴンの歯の間に挟まったまま死んでしまった地縛霊が、そこに居座っているかのようだ。冷や汗が首筋を伝う。

「あー……もうヤダヤダ」

 気を取り直そうと心の中で呟いたが、その「もうヤダヤダ」になぜかヴァルミラアスの口調が混じっていて、自分で自分が嫌になった。



「……」

 言葉のない空気が痛い。無言の重圧に押しつぶされそうになりながら、僕は仕方なくキリアの近くまでゆっくりと歩いていった。そして、近くにたどり着いた瞬間に全てを放棄したかのように脱力し、次の瞬間、彼女と同じポーズを全力でキレッキレの速度でキメてやった。


 ──数秒。

 ドラゴンの歯の上で、そんな奇妙な間が過ぎていく。なんだこの時間。僕は何かを失ったような気さえした。


「……許してやるゆ。光れ! デコ!」

 キリアが堂々と唱えた呪文は、僕の心に深い不安をもたらした。直感的に分かる。激しくハゲそうな魔法だ。そう思う間もなく、視界が一瞬にして眩しくなる。どうやら僕の頭、いやおでこが光源になったらしい。


 念のため、おでこを触ってみた。確かに何か光を放っている。しかし、そこに触れるべきだったはずの前髪がない。嫌な予感が全身を駆け巡り、僕はとっさにミラー魔法を展開した。


 ──その直後。

 ミラーが展開される音と同時に、ガラスが割れるような「パキィン!」という小気味良い音が響いた。


 説明しよう。この音の正体は、──キャンセラーだ。

 ミラー魔法の発動を妨害する、いわば魔法の逆張り。しかも、詠唱の一分のズレもなくタイミングを合わせて発動するという、とんでもない超絶高等テクニックだ。


 もう一度ミラー魔法を唱えてみるが、またも「パキィン!」と割れる音が響く。何度唱えても結果は同じ。ドラゴンの口腔内に音がこだまするばかりだった。


「なにしてんの、キリアさん」

「大丈夫ゆ。ハゲてないゆ」

「まだハゲてるかどうか聞いてないんだけど」


 とっさに返しながら、僕は光り輝くおでこをキリアに向けた。

「ゆ!?」

 キリアが目をぎゅっと瞑り、声にならない声を漏らす。その隙をついて、僕は再びミラー魔法を展開した。


 ──結果。

 ミラーには反射する光源の輝きが映り込むばかりで、肝心の自分の姿はよく見えない。それでも分かる。僕の前髪は、ない。

「ねえ!?」

 思わず叫んでしまった。慌ててミラーを掴み、デコの光を塞ぐように掲げた。その隙に、キリア──いや、人魚の形をした悪魔──が、ふとほくそ笑んでいるのが見えた。


「これぐらいしたほうが肩の力を抜けるかなって思ったゆ。それに、視野が髪で埋まるのは治療の時に危険ゆ?」

 もっともらしい理由を述べているが、絶対に嘘だ。この悪魔、さっきのオリジナルポーズを否定された腹いせにやったに違いない。


 冷静になれ、僕。一回りも年下の女の子に本気で怒ってどうする。


 深呼吸を繰り返しつつ、僕は黙っておでこの光源を隠したり、わざと光らせたりを繰り返した。


 それが妙に滑稽だったのか、キリアは突然、歯をカンカン叩きながら笑い出した。


「だはははゆ! ゆはははは!」

 彼女は完全に転げ回っている。何がそんなに面白いんだ。


 それでも、あまりに楽しそうに笑うキリアを見ていると、なんだか僕も楽しくなってきた。デコを明滅させる速度をさらに早め、小さく踊り始める。


「あ、ソレ! アソレ!」


 調子に乗り始める僕。いつの間にか僕たちはドラゴンの歯の上で奇妙に和やかなひとときを過ごしていた。




 

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