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Dragon in Dragon Ⅲ

 



 空は見渡す限り青一色。雲ひとつなく、まるで絵に描いたような快晴だ。その中に映えるのは、どこまでも鮮烈な赤──真っ赤なその巨躯が空をキャンパスにしてその存在を主張するように佇む姿はあまりにも美しかった。

 だが、そんな美的感傷に浸る暇も与えられない。

 目の前の巨大なオネエドラゴンが、僕の思考を寸断するように、その言葉をまるでナイフのように叩きつけてきたのだ。

「アマギ先生、本題よ!こんなアタシで申し訳ないんだけどネェ?下の奥歯がね、もう痛いのよォ!熱いもの食べたら『ギャァァ!』って。ヤンナッチャウ!ドラゴンブレスなんてやったらもう地獄ヨ!激痛がビンビンビーンって!下ネタじゃないのよ?火を吹けないレッドドラゴンなんて、このままじゃ家系図に載るのも恥ずかしい!」


 ドラゴンのプライドと歯痛はどうやら共存できないらしい。いや、そもそも歯が痛いドラゴンってなんだろう。伝説感、ゼロじゃない?


 院内で診療できるわけもなく(まず前歯すら玄関に入らない)、外で訪問診療セットを用いた診療になった。彼女が書けなかった問診票(鉛筆が細すぎて持てないらしい)には、キリアが代わりに記入してくれた可愛らしい字でイカつい名前が記載されている。

『ヴァルミラアス・ルーゼンヴェイン』──。

 おお、なんと高貴で荘厳、まるで千年の歴史を背負ったような響きだ。僕がこの名前だったら名前負けも甚だしいな。アマギでよかった。


「えっと、ルーゼンヴェイン様」

 僕がそう呼ぶと、彼女──いや彼──いややっぱり彼女がこちらを睨みつけて、その顔を近づけてくる。

「あ゛あ゛ん゛?゛!」

 なんとも破壊的な声量。前みたいな圧倒的な恐怖こそないけど、心臓には良くない。


「えぇ怖……じゃあ、ヴァルミラアスさん?」

 僕は恐る恐る名前で呼び直した。姓がダメならなら名でどうだ、というささやかな妥協案だったが──。


「ヤメテ! イナッ! フッ!」


 再度の拒否反応。巨大なドラゴンが両前脚で胸の前にバッテンを描くその姿は、もはや『威厳』という概念を地の底に叩き落とす勢いだ。ドラゴン界隈における威圧感が、どこへ消えたのか本当に気になる。いや、やっぱり別に知りたくない。


「……なんて呼べばいいんですか?」

 問いかける僕の声には、半ば投げやりな響きが混じっていた。だって、どうせまた変な返答が来るんだろう。ドラゴンが何を求めているのか、僕の理解を超えているのは確かだ。


 待ってましたと言わんばかりに、彼女は大きく息を吸い込んだ。背中の翼がバサリと動き、AMDS前の広場につむじ風?竜巻?がいくつも巻き起こる。その仕草だけはドラゴンらしかったが──次に発せられた言葉は、想像の遥か斜め上をいった。


「アタシのことは、ミラたんって呼んで!」


 ……何を期待していたんだ、僕は。いや、期待していないのに裏切られるこの感じは何だ。ミラたん。たん、って。千年を生きる伝説のレッドドラゴンが「ミラたん」とはどういうことだよ?


「えっと、ミラさん、でいいですか?」

「ダメよ!」

 即答。彼女の目がキラリと輝く。どうやら一切の妥協を許さないらしい。


「ミ・ラ・た・ん!」

 一言ずつ区切って発音されるその名に、僕はただ無力にうなずくしかなかった。どこかで天を仰ぎ、助けを求めたい気分だ。でも目の前には地上最強のレッドドラゴン、いや「ミラたん」がいる。どう足掻いても逃げ場はない。


「……ミラたんね。まあ、なんでもいいです」

「なんでもはよくなーいわよーん!」


 軽快なツッコミが僕の心をさらに削る。しかもレッドドラゴンに相応しくないクネクネとした珍妙な動きが嫌でも視界に入り絵面がうるさい。ドラゴンが「よくなーいわよーん!」と言う世界線に迷い込んだ僕は、もはや抗う気力すらなかった。



 彼女の言い分は、まあ分かった。でもその後の診療のやり方をどうするかで、僕らは軽く戦争状態だった。僕は温厚でビーガン志向のドラゴン──これまた変わり種だった──を診たくらいの経験しかないわけで、そもそも肉食系ドラゴンの口に体ごと入っていくなんて命が幾つあっても足りない気がする。


「絶対飲み込まないって約束できます?いや、できないですよね?」

 僕は冷や汗を流しながら詰め寄る。どちらかといえば状況的に僕が詰められているのだけども。


「わ、分かんないわヨォ! だってそんな、ランチ……人間を生きたまま口の中で溜めとくなんて、はぁ、はしたない真似、したことないワァン!」

 彼女は胸元に手を当て、乙女のように恥じらっている。いや、そのサイズ感で恥じらわれても、こっちは逆に恥ずかしいんですけど。あれ? 僕のことをご飯って言った?


「分かんないって……。いやいや、約束して欲しいんですけど!これ命の話ですよ!ミラたんを信じて口に入って食べられました、で済むと思ってます?!」


 僕とミラたんの、このやたらとドラマチックな掛け合いを黙って見ていたキリアが、ふと口を開いた。

「ミラたん。最初に来た時の話し方に戻せないゆ?」


「え゛っ!?」

 ヴァルミラアスの顔が一瞬で固まる。いや、ドラゴンの顔ってこんなにわかりやすく驚きで固まるんだな……。彼女の尾が地面をバタバタと叩いている。その度に地震が起こる。


「なによ、キリアちゃん、そんなの無茶ぶりヨ?あの時はカッコよく登場するために、友達集めてめちゃくちゃ練習したんだから! ……無理よ! ムリムリ!」


 僕はこの時ふと思った。緊張感というのは、こうも簡単に霧散するもんなんだな、と。


 キリアには午前中の患者さんたちのアポイントを、午後以降にずらしてもらった。お昼までにこの診療が終わるのか、それ以前に午後まで僕が生きていられるのか──正直、どっちも怪しいところだ。


「うーん。バイトブロックが、必要かなあ」

 僕がなんとかひねり出した案を口にすると、目の前の空気がなんとなく張り詰めた。


「なんすか?それ」

 フォンファに倣って全員が首を傾げた。知らないなら説明するしかないじゃないか。たまに使ってるんだけどな。


「自力で完全に口を閉じられないようにする器具だよ。簡単に言えば突っ張り棒みたいなもんさ。その方が口を開ける労力を省けるから患者さんも楽だし、僕らもwin-winってわけ」


「たださあ、このサイズの突っ張り棒なんて、ないんよなあ……」

 ふと漏らした僕の言葉に、フォンファがピンときたように指を一本突き出す。


「あるじゃないっすか、ここに」


「え?本当に?」

 フォンファが指差す先を見てみると──そこにはAMDSがデンと鎮座していた。いやいや、待て待て。


「ミラたんが寝転んでAMDSを噛んでもらえばいいんじゃないっすか?」


「秒で壊れない?!」

 正直、ミラたんのあの顎の力で噛まれたら何だって粉々になりそうだ。


「そこは先輩と先輩のお母さんに極大の防御魔法でコーティングしてもらって。アーマード・マウス・ディバイダー・システム略してAMDSっすね」

 フォンファがさらっと言い放つ。いや、さらっと言うことじゃないよそれ!あと、誰が上手いことを言えって言ったよ。


「うんゆ!たしかにそれならいけそうゆ。フォンちゃんすごいゆ!」

 キリアがぽんぽんとフォンファの肩を叩いて何故かやたら嬉しそうだ。こういう時だけやけに素直だなこの子。


「じゃあ先生、時間も決まってるから早速行くゆ!」


「ちょっと待って、僕が決めることでは?! あと、なんかあった時用に命綱が必要だね……」


「前に来た蜘蛛のモンスターのアラクネさんの糸なら安全ゆ。何しても切れなかったじゃないゆ?これならいくらドラゴンでも簡単には切れないゆ」

 さすがのキリア、準備がいい。


「そしてすでにここにあるゆ」

「えぇ、なんか仕事早くない?」

 僕が呆れたように言うと、キリアはなぜかそっぽを向いて肩をギクッと動かした。


「な、なんのことゆ……?あはは……」

 あ、この娘。絶対ゲーム感覚で楽しんでる。

「僕はゲームキャラとちがって残機ないからね?!」


「私とお母さんがいればある程度は治るゆ〜」

 やっぱりそうだ。キリちゃんてば、恐ろしい子。


 一方、ヴァルミラアスはあっちへ行ったりこっちへ行ったり、巨大な体を右に左に揺らしてワタワタしている。


「なんか私が緊張しちゃうワネ! いやぁ、こう見えて初めてなのヨォ! きゃあどうしよう!」

 彼女の一挙一動が大地を揺らし、大気を震わせている。おかげで遠くのモンスターたちが一斉に悲鳴を上げて逃げていった。いや、本当に近所迷惑だからやめてくれないかなそれ。


 この診療が終わる頃には、ヴァルミラアスの奥歯の心配よりも僕の精神の心配をして欲しい。いや、本当に。切実に。


 

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