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Tomorrow Never Comes Ⅴ



 三日三晩と続いた身元確認の作業は、僕らの体力と精神をじわじわと削っていった。自分で言うのもなんだが、モンスターの歯医者を名乗っているだけあってAMDSにはパーン族の行方不明者のカルテが全員分揃っていた。そのおかげで、僕は眼術魔法を駆使して遠隔参照し、次々と照合を進められた。それでも、これまで経験したことのないほどの体力仕事に、音を上げそうになる自分を必死に奮い立たせる。

 キリアとフォンファもまた、顔を顰めながら涙を堪え、黙々と補助の仕事を続けてくれていた。当然だけど見た目も匂いもキツイ。彼女たちが仕上げていく書類の山を見るたび、胸の中にじわりと感謝が広がる。


「やれやれ、あんたらがこんな風に夜通しで手伝ってくれると、嫌でも思い出しちまうな」

 常連のおじさんが、作業の合間にふと口を開いた。その目には、じわりと涙が浮かんでいる。

 フォンファは手を止めて顔を上げる。「嫌なこと思い出させて申し訳ないっす」と暗い声で返すと、おじさんは慌てて手を振った。

「いやいや、悪かったな。言葉が足りなかったよ。嫌な思い出じゃあないんだよ。復興の光が見えた時の話さ。あんたたちには、あとで酒場で話してやるよ」

 その言葉に、フォンファも「楽しみにしてるっす」と小さく笑顔を見せた。


 確認作業が三日目の夜を迎えたころ、気づけば集会所には村人たちが集まり始めていた。作業は最後の段階に差しかかっていたが、マスターの奥さんだけがどうしても見つからない。焦りと諦めが混ざり合った空気が漂う中、僕はふと口腔内の治療痕に目を留めた。そして、その特徴が奥さんのカルテと完全に一致するのを確認する。キリアとフォンファに目配せをした。


「こちらにいらっしゃいましたっす!マスターの、奥さんっす!」


 思わず声を上げてしまったフォンファの言葉に、集会所中が静まり返る。張り詰めていた空気は、やがて次第に温かい安堵へと変わっていった。だが、マスターはフォンファの声を聞くと同時に集会所内から出て行ってしまった。数人がマスターの後を追いかける。

 マスターの顔をこっそり見てしまった僕は気にせず続けた。


「これで、全ての方の身元が判明しました。皆さん、本当にお疲れさまでした」


 冷たく固まっていた村人たちの表情がほぐれ、次々と涙を流し始める。肩を震わせる者もいれば、静かに目を閉じて祈る者もいた。その光景に僕たちも深い息をつき、肩の荷を下ろすようにほっとした。


 後片付けを終えて外に出ると、マスターが集会所の外壁に仏頂面のまま寄りかかっていた。数人の常連に囲まれている。

 フォンファがさきほど奥さんのことを伝えた時、マスターが声も出さず涙を流していたことを僕は見逃していなかった。


「俺は何度もあきらめようとしたんだが、そのたびにこいつらに止められてな。無理やりだ」

 砂利を踏む足音が響き、常連たちがマスターに詰め寄る。

「流石に言い方が悪いぞ。このおっさん」

「マスター、そりゃねえぜ。こりゃあ怒られるな」


 その瞬間、マスターは両手を交差するように反対側の角を掴み、膝をついて目を閉じた。周りの常連さんの反応を見るに、パーン族の最敬礼みたいだ。


「だがぁ、お前らが諦めなかったからアイツにまた会えた。感謝してもしきれねえ。本当に、何から何までありがとう。オラァ、なんて言えばいいか分かんねえ……」


 僕は慌てて駆け寄ろうとしたが、常連たちがそれよりも早くマスターを助け起こす。そして、無骨な手でその背を何度も叩き、励ますように声をかける。


「おいおい! マスターがありがとうなんてなあ! 今日は大雨が降るぞこりゃあ!」


 快晴の空の下、ぐしゃぐしゃに濡れた顔がいくつも笑っていた。誰もが涙を拭いながら、けれどどこか誇らしげに、穏やかな顔をしていた。




 マスターのもとに奥様が引き取られ、すっかりと集会所は静まり返っていた。

 奥様の体が最後の帰宅を果たした後、村人たちは送り火の準備を始めた。ちいさな風車たちが次々と取り外され、その羽の部分に特別な液体が丁寧に塗られていく。そして一本一本が火を灯され、もとの場所に戻されると、風に乗って回り始めた。


 炎が風に踊り、夜の空気を鮮やかに染める。揺らめく赤橙の光は、まるで亡き者たちの魂が微笑みながら旅立つのを見守るようだった。僕らはその幻想的な光景に息を飲み、立ち尽くすしかなかった。風車の軋む音が静かな歌のように響き渡り、村人たちのすすり泣く声がそれに重なっていく。


 我に返った僕は、思わず目を伏せた。自分と同じ人類が、この村に、そしてこの人々にしたことを恥じた。戦争を引き起こした種族としての罪は、こんな美しい送り火の光景でさえも浄化しきれるものではないだろう。


 火が消え、最後の風車が静かに止まった頃、村のご老人が僕のもとに歩み寄ってきた。穏やかな笑みの奥に深い威厳を宿したその方は村長さんだった。

「先生、そして嬢ちゃんたち。この度は本当にありがとう。おかげで皆、帰るべき場所へ戻れた」

 村長の声は低く、重かった。僕は角に見立てた髪束を握り「お力添えできて光栄です」と答える。


 村長は一歩近づいて続けた。「お礼と、その代金をお渡ししたいんだが」

「お気持ちだけで十分です」と丁重に断ると、何度か押し問答をした後、村長は少し考え込むようにしてから笑みを浮かべた。「それなら、ご飯だけでも食べていってくれ。あのヤギ亭で、村のみんなと一緒に」




 再びヤギ亭に戻った僕らを迎えたのは、温かい空気とざわめきだった。

 常連の一人が大きな声で叫ぶ。

「みんな! お疲れ様だったな! 家族が帰ってきたぞ! 盛大に迎え入れてやろう!」


「おかえりなさい!」


 それを皮切りに、酒場は再びどんちゃん騒ぎに包まれた。先日よりも少しだけ柔らかい空気が流れている気がした。人々の感謝の言葉が次々と飛び交い、僕らの存在を祝福する声があちこちから響く。

「フォンファちゃん、キリアちゃん、そしてアマギ先生! あんたらがいなきゃ、みんな帰ってこれなかった! ありがとう!」


 あまりの熱意に、フォンファとキリアはあからさまに顔を赤らめ、目をそらしている。僕も内心照れて仕方なかったが、どうにか微笑んで応じた。





 何杯目かのエールが配られる。みんなの声も酔いに合わせてドンドン大きくなっていった。


 常連の一人がキリアに耳打ちする。その瞬間、キリアの目がまん丸になった。


「あのデカい店員さん、実はマスターの娘さんみたいだゆ」


「えええ! 全然似てないっすよ!」

 フォンファの声が思わず大きくなった。案の定、その声で店員さんとマスターがこちらに気づく。二人の表情は「ああ、またこの話か」というお決まりの顔だ。


 店員さんがこちらに微笑みながら言った。

「ふふっ。でも、口元が似てるって言われるわ」


 そう言われると、思わずまじまじと見比べてしまう。……いや、似てるか? マスターは髭もじゃだし、そもそも顔つきが全然違う。


「あのなあ先生」


「うっ」

 しまった。マスターと目が合った。じっとりとした視線が僕に突き刺さる。見すぎたかと慌てて謝ろうとするが、マスターは手で制して続けた。


「先生さえよけりゃあ、こいつ貰ってやってくんねえか」


「はぁ?」

 思わず間抜けな声が出た。いや、何言ってるんだこの人は。


 娘さんが僕に向かってニコッと笑いながら腕を寄せて首を傾げる。……これは、なんという破壊力。こんな可愛い笑顔で見つめられたら、誰だって少しは……って、違う!  今のはただの錯覚だ!


 そんな僕の葛藤を見透かしたように、キリアがジョッキで僕の肩を叩く──いや、ほぼ殴りつけてきた。

「ダメゆ。絶対ダメゆ。店員さんはマスターを支えないとダメゆ」


「そうっす! ダメっすよ! こんなやつに大事な娘さん渡したら!」

 フォンファが全力で追い打ちをかける。


 マスターは二人の剣幕に目を丸くしたあと、大きな声で笑い出した。

「それもそうか! 」


 それを聞いて、周りの常連たちもつられて笑い出す。酒場全体がほっこりした雰囲気に包まれた。


 僕は黙って口を尖らせながら、マスターと娘さんの笑顔をもう一度見比べる。そして、ようやく気づいた。

 ……確かに、この親子、笑った時の口だけは似てるかもしれない。


 そう思ったのを悟られないように、僕はそっとジョッキを持ち上げてエールを飲み干した。





 宴がたけなわを大きく過ぎた頃、僕はカウンターでしっぽりひとり酒をしていた。そこへマスターが僕の右隣の席に静かに座り、何も言わずに酒をついだ。その手つきはぎこちなく、少し震えている。


 気づくと左隣に座った常連の一人が、僕の肩を軽く叩いて言った。

「先生、この人、不器用なだけなんだ。言葉で感謝を伝えるのがどうにも苦手でな」

 僕が返事をしようとすると、彼は続けた。

「ちょっと長くなるけど、聞いてくれねえか? この村とマスターの話を」


 その声には、酒に酔った陽気さではない、深い思いが込められていた。彼は酒を煽りながら当時のことを語りはじめた──



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