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Haisha of the Dead Ⅰ

 挿絵(By みてみん)








 朝日が雲に飲まれて、霧雨がじとじと地面に吸い込まれていく。

 嫌いじゃない。

 けど──じんわりと歯に染みるみたいで、落ち着かない。

 そんな微妙な空の下、僕はガラス戸にもたれて、ぼんやりしていた。


「平和だなあ」


 湿気でうねった髪をいじりながら、ぽつりとこぼした。

 雨音以外、何もない朝。

 ここの歯医者にとって、静かな雨は──よくあることだ。



 仕事を始めて4年以上経つけど、雨の日は決まってこうだ。患者がほぼ来ないのは、はたして土地柄か、単にみんな家で雨宿りしてるだけなのか。


 でも、まあ困るわけじゃない。お金のためにやってる仕事でもないし、普段はそれなりに忙しい。暇を持て余すぐらいがちょうどいい。


「アマギ先生、ひとウェーブ来そうゆ」


 背中越しに、やる気あるんだかないんだかわからない声が聞こえた。振り向くと、受付のカウンターの向こうで、小さな影がぽつんと座っている。肩まである桃色の髪をこめかみのあたりでぎゅっと押さえている姿は、いつものポーズ。なんかあざといけど、それを言ったらまた面倒臭いだろうな。


 彼女は目を閉じている。それなのに、何かを「見ている」感じがするのが不思議だ。というか、実際「視えている」らしい。


「ウェーブってキリちゃん、患者のこと? それともゲーム?」


 僕が聞くやいなや、彼女は目をかっ開き、首にかけていたヘッドホンを頭に恭しく装着し直した。


「患者だゆ。……我が隊たちは、惜しくも、全滅したゆ」


 唇を血が出そうなほど噛み締めている。未来視でみえた患者さんの辛そうな顔に共感的態度を示している──とは思えない。彼女は頬を両手でパチンと叩いて、親の仇とばかりにモニターを鋭く睨んだ。


「強化しかねえゆ」

 彼女が何やら呟くと、彼女の右手が眩く光を放つ。彼女は即座に前傾姿勢で机に齧り付き、激しくマウスをクリックし始めた。もはや右手の人差し指が残像を見せるほどの目にも止まらぬ速さだ。

……既視感の正体は、某配管工ニキのスター状態だ。例のBGMが脳内に鳴る。


「雨の中、こっちに向かって走ってる方が見えたゆ。尋常じゃないゆ。すごく速いゆ」


 湿気がこれだけあるのに、彼女の髪はなぜかサラサラのまま。


「……あの日の雨と、似てるゆ」


 うるつやヘアーをマウスとは逆の手で触りながら、心ここに在らずと言った風に呟く様子はなんというかちょっと儚げに見える。これが、無我の境地というものなのか。モニター画面の激しい明滅が記者会見のカメラのフラッシュみたいに彼女の顔をバチコリと浮かばせていた。僕はよくもわからず見惚れてしまう。何話してたっけ? 


「……すごく速いって、それ雨が嫌だからとかじゃなくて?」


「いや、歯が痛いんじゃないかゆ。普通の速度じゃないゆね」


 ふんわりした雰囲気をまといつつも、言うことはどこか鋭い。僕は肩をすくめてから、ゾーンに入った彼女が食い入るように見つめるモニターを覗き込む。キャラを掴んではマージし、押し寄せる敵を次々と捌いていく。画面の端には「Hell」。パソコンが悲鳴を上げて僕に助けを求めていた。


「キリちゃんも尋常じゃない速度ですね……で、アポはどんな感じ?」


「んゆ。今のところ大丈夫だゆ」


 彼女はモニターを見ためたまま答えるけど、この視線が本当に予定表を確認してるかどうかは怪しい。だって、モニター画面ではキャラたちが次々とやられてるし、マウスのクリック音がどんどん激しくなってるし。あれは間違いなくアポではなく戦況を見てる音だ。まぁいいんです。あとで自分で見ますから。


「そっか。じゃあ準備しとこうかな」


 適当に流して返事すると、あれだけ集中していたのに彼女はマウスからパッと手を離した。画面をみると『Defeat』の文字がモニターにデカデカと浮かんでいる。彼女は小さく舌打ちしヘッドホンを首に打ち掛けると、「だぁクソぼけゅー」とおっさんのようにため息を吐き天井を仰ぎ見た。目を数回ぱちくりさせた後、切り替えられないように苛立ちの混ざった声を僕にぶつけてくる。


「ぐゆう……せんせい、コーヒー飲んでもいいゆ?」


 こっちを睨むような目つきで言うわりに、口だけはすこし尖っていて、たぶん本人は真剣だけど、見た目はどうしたって子供のわがまま。というか、可愛い。あと、ゲームとカフェインの優先順位が業務より高いこともバレバレ。


 というわけで、僕は紳士ぶって、すこしだけ大げさに両手を広げた。


「Absolutely【æbsəlùːtli】」


 発音に無駄な気合いを込めたのが効いたのか、「っしゃあゅ!」と跳ねながら彼女はスタッフルームへ消えていった。あれはきっと、嬉しい時のマーメイド特有のステップ……とかじゃなくて、ただの喜びの舞い。


 名前はキリア。13歳。うちの受付嬢にして看板娘。うちっていうのは「モンスター専門の歯医者さん」。需要と供給が三周回って成立してる不思議な場所。正式には、Amagi Monster Dental Studio。略して、アミダス。歯医者さんの響きでは、到底ない。


 彼女は数年前の嵐の夜、飛び込んできた。今では受付どころか、歯科助手、患者の動きの把握から未来の予約まで完璧にこなす、ちょっとした司令塔みたいな存在になっている。未来視ができるからもあるけど、当人はだいたいゲームしてる。


 ゲーマーメイドにとって、ゲームに支障をきたす乾燥は死活問題らしく、受付には小さなバスタブが常設されている。ぬるめのお湯に浸かりながら、「魔法的にめっちゃ消毒してるからご安心ください」と患者さんには説明しているけど、その実態は僕にもわからない。聞いたら「クソセクハラゆ!」って怒られたし。まあ、そのへんは大人の事情で目をつむっている。


 ちなみに制服は濡れても爆速乾の特注ワンピース。そこだけは妙にハイテク。


 コーヒーの香りと機嫌のいい鼻歌が、スタッフルームのドアのすき間から漏れてきた。しばらくして、ちょっと誇らしげな顔でキリアがマグカップを掲げる。


「先生も、飲むゆ! これが“伝説のモンスターにボコされた敗北の味”じゃゆ! 心して飲むゆ」


 元気よくスタッフルームのドアを開けた彼女は、両手で黄色いマグカップを抱えていた。表情は惨敗したくせに勝ち誇った勇者、もとい敗残兵。中身はただのコーヒー。


 取っ手がこちらを向いている。地味だけど、こういう気配りが心にじわる。

 ありがとうの気持ちが湯気みたいに胸に立ちのぼる。


「ありがと、キリちゃん」


 マグを受け取って、ふちにそっと唇をあてる。

 うん、ちょうどいい熱さ。舌の上をすべる苦味。なんか、いつもよりうまい。

 彼女の手からもらったからか? 

 それとも、お暇を貪っているからか? 

 ──まあいいや、美味けりゃそれで。これで、今日もモンスターたちのお口の健康を守ることが──


「クソモンスどもゆ。次こそは必ずぶちのめしてやるゆ。ぼっこぼこのくっちゃくちゃに。ケツしごいて待ってろゆ」


 あ、今のなし。

 感謝の気持ち、撤回します。

 コーヒーがさっきより苦い気がする。

 変な誤解が生まれるからボコボコにするとか、物騒なのやめなさい。


「コーヒーが……我が五臓六腑に染み渡るゆ……」


 えーと、急に昔のリーマンみたいなこと言い出した。

 でもこのギャップがキリアの魅力だから、はい可愛い。帳消し。平和。


「うん、美味しい。平和って感じ」


 湯気の向こうで彼女が髪を指でくるくるいじってる。

 猫っぽいし、子どもっぽいし、なんだかんだ受付嬢だし。


 と、次の瞬間。

 彼女の目がまんまるになったと思ったら、口からコーヒーが噴き出してきて──


「ぶゆゆぶぶ!!!!!」


 顔面に着弾。


 ……そう、これが彼女の平常運転。

 芳醇なコーヒーの香りを、顔全体で楽しむのが最近のトレンド。



 ──平和 is 何。

 



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