7話
──リオルド・スノーケアは、このアロースタリーズ国の最北端にあるタナトス領──辺境にある領地の子息だ。
辺境伯の当主としてリオルドの兄が当主を継いでおり、リオルドは次男として当主である兄の補佐が出来るよう騎士団に入団しにここ王都までやって来ている。
騎士団の入団試験に合格して、辺境伯を希望勤務地に記載すれば、ほぼその希望は通る。
平和に慣れ親しんだこの国の民──貴族であろうと国が攻められた時、真っ先に狙われるタナトス領をわざわざ希望する人間は少ない。
タナトス領は、国の北部にある為冬が訪れると領地の行き来が出来ない程の豪雪地となり、無理に行き来をして被害が出ないよう完全に封鎖される。
その為、雪解けの春までは情報も一切遮断されるのだが、タナトス領では以前からその時期を狙って他国が攻め入る危険性を上奏していたが、そのような季節に他国も攻め入っては来ないだろう、と楽観視しており未だに対策を取っていない。
リオルドは、もし雪解けを待つ間に領地が攻め込まれてしまったら、とその危険性を楽観視しておらず騎士としての力を付ける為にこの王都にやって来ていたのだ。
まるで冬の間に降り積もる雪の白さを表すかのような白銀の髪色を持ち、瞳はブルーサファイアのように煌めき凛とした冷たさを感じる。
整った顔立ちに、凛とした雰囲気から冷たい人物に見えるが実際はそのような事は無く、情に厚く、親交を深めれば良く笑う。
リオルドは、自分と同じく感情が表に出にくいのであろうリスティアナが、先程小さく声を上げて笑った姿を見てついつい自分まで嬉しくなり、自然と微笑んでいた。
今まで遠くから見掛けるリスティアナの姿は、凛と背筋を伸ばし颯爽と歩く姿で、にこりとも笑わずきゅっ、と吊り上がった瞳に見つめられると悪い事をしていないのに何故だか謝罪しなければいけない、と言うような気分になってしまう程の冷たい美しさを持つ。
まるで紅を差している程の血色の良い唇が愉快気に笑みの形に変わっていた事に、リオルドは何故か自分の心が波立つのを感じた。
動揺し、唖然とし、楽しげに笑い声を上げるリスティアナと、まだもう少し共に居たい、と言う気持ちが溢れてくる。
親交を深めれば、友人の令嬢達と笑い合っている時のように自分にも笑いかけてくれるだろうか、とリオルドは考えてしまってそこではっとする。
「──あ、ですが……リスティアナ嬢は殿下の婚約者ですね。私のような人間と二人で居るとおかしな噂が立ってしまう可能性が……」
「……ああ、そうでしたわね……」
「残念ではありますが、リスティアナ嬢を教室までエスコートするのは控えさせて頂きます」
「ふふ、お気遣い痛み入ります。……私は、もう少しだけ何処かで過ごしてから教室に戻りますわ。スノーケア卿はどうなさいますの? 医務室でお休みになられていたと言う事は体調が悪いのでは?」
じっ、とリスティアナに見つめられてリオルドはたじろぐと唇を開いた。
「あ、ああ──頭痛で、少しだけ休んでいたのですが……あの場であれ以上は休めないので、お気になさらず」
「まあ……具合が悪かったのに、私達のせいで申し訳ございません」
「リスティアナ嬢が謝る事ではございませんよ」
リオルドは瞳を細めて口元を緩めると、リスティアナに向かって軽く一礼をして「では」と言葉を口にする。
「それでは、私はここで……。もう少し時間が経てば午前の授業も終わるでしょう。授業が終われば、自然に教室へと戻る事が出来ますのでリスティアナ嬢もその時に戻られるとよろしいかと」
「お気遣い頂きありがとうございます。スノーケア卿も、お大事になさって下さいな」
「──ありがとうございます」
リスティアナとリオルドは、互いに一度頭を下げ合うと最後に一度笑い合い、その場で別れた。
リオルドと別れたリスティアナは、教室へ続く廊下を真っ直ぐに歩くと、途中で空いている自習室に入り、鍵を閉める。
リスティアナは溜息を吐くと、手近にあった椅子に力無く腰を下ろす。
「──本当、に……あのような場所であの女性は何を言い出すの……」
あのような場所で、王族の──王太子であるヴィルジールの子供を身篭った、と口にしようとしたのだ。あのナタリアと言う令嬢は。
リスティアナと、ヴィルジールは「まだ」婚約関係ではある。
数日中にはこの婚約は白紙になるだろうが、リスティアナと婚約しているヴィルジールが他の女性との間で子が出来たと言う事をこの国の王政に不満を持つ貴族達に知られたらどうするつもりだったのだろうか。
「殿下も、殿下だわ……何故あのような……。聞いてしまったのが、タナトス領を治めるスノーケアの家の者だったから、まだ良かったものの……」
あまりにも浅慮で、稚拙な様子のナタリアを見てリスティアナはこの国の先行きに不安を覚えた。
午前中の授業が終わる頃合を見計らい、丁度昼食の時間に差し掛かる頃にリスティアナは教室へと戻った。
リスティアナが教室に姿を現すと、ヴィルジールに連れ出されたからか、朝よりも視線が集中し、内心で溜息をつく。
「──リスティアナ! お帰りなさい。今日はどちらに食べに行きましょうか?」
「リスティアナ嬢、ご無事で良かったですわ」
リスティアナが教室内に戻って来ると、直ぐに友人のコリーナとアイリーンがやって来て声を掛けてくれる。
二人の友人にリスティアナはいつも通りに微笑むと、「あら?」と不思議そうに声を上げた。
「そう言えば、ティファ嬢はどちらに? 朝はいらっしゃったわね?」
「ああ、ティファ嬢でしたら授業で分からない部分があったので先生に聞いて来る、と言ってましたわ。遅くなるかもしれないので、待たずに食べて良いと」
「あら、そうですの?」
キョトン、と瞳を瞬かせるリスティアナにコリーナはずいっと顔を近付けると小声でリスティアナにぽつり、と零す。
「ティファ嬢は、良い機会だからと一度学園内の噂がどれ程か、見て回ってくる、と」
「──!」
リスティアナに向かって片目を瞑り、口端を持ち上げるコリーナになるほど、と納得する。
ティファは、ハナム子爵家の令嬢だ。
リスティアナやコリーナは例え一人で廊下を歩いていても目立ってしまう。
家柄も良ければ、美しい容姿の二人はただ立っているだけでも視線を集めてしまうのだが、子爵家のティファは逆に下位貴族の出である為、周囲に溶け込みやすい。
可愛らしい顔立ちをしてはいるが、それでもやはり侯爵家のリスティアナやコリーナ二人の洗練された美しさとは比べようがない。
アイリーンは、伯爵家の令嬢である為ティファよりは目立ってしまう為に、今回はティファが動いているらしかった。
リスティアナは、友人達が自分を手助けしてくれる事に感謝をしつつその感情を表に出してしまわないように気を付けながら唇を開いた。
「それでしたら、参りましょうか。お待たせしてしまってごめんなさい」
利用する事が多い庭園では無く、今日は学園にある食事をとる為に用意されたホールで、リスティアナとコリーナ、アイリーンの三人はゆったりと昼食を楽しんでいた。
食堂、のように使用する事が出来るこのホールは室内の為声が響きやすい。
外よりも学園生の噂話が拾える事を見越して三人はホールにやって来たのだが、学園生も考える事は同じで、リスティアナ達三人の会話に聞き耳を立てているようであった。
聞き耳を立てられている、と分かった上で情報を与えてやる気は無い。
リスティアナ達は午前中の出来事には一切触れずに今流行りの観劇の演目の話や、休日に読んだ本の話など、聞かれても何ら支障の無い事達を話し、談笑しながら昼食を食べ進める。
リスティアナ達が期待していた事を話す気配が無いからだろうか。
聞き耳を立てていた学園生達は次第に聞き耳を辞めて思い思いに自分達が話したい事柄達を話始める。
今度は逆にリスティアナ達は談笑をしながら静かに聞き耳を立てる。
ホール内に居る学園生達はそれぞれ自分達が興味を持つ事柄を話しているが、リスティアナの耳にヴィルジールと、そのお相手のナタリアの名前を出して小声で会話をしている者達の声を捉えてそっと耳をそばだてたのだった。