4話
「コ、コリーナ……っ貴女、その物言いはちょっと……」
「だって、最低じゃない? リスティアナは最低だと思わないの? 尊い王族の血が流れているお方が、次期国王となられるお方が婚約者を裏切って、その行為により生じる不利益や国内貴族の情勢を鑑みずに行動したのよ? やっぱり、最低じゃない」
コリーナはふんっ、と鼻を鳴らすと憤りを隠し切れないように続けて唇を開く。
「それに、一番腹が立つのは、私の大事な友人であるリスティアナを傷付けたくせに、のうのうとその"お相手"を心配してのこのこと学園にまで姿を現した殿下に一番腹が立つわ」
コリーナの自分を心配して、そして友人を傷付けられた事が一番許せない、と怒りを顕にして告げてくれる事がリスティアナは嬉しくて、大好きだった婚約者に裏切られてしまったとは言え、友人を想ってくれるコリーナに温かい気持ちになる。
「──ありがとう、コリーナ。貴女にそう言って貰えるだけで嬉しい。殿下との事はもう、過ぎた事だし、終わった事だわ……。──確かに王家が子爵家の令嬢と婚姻関係を結ぶと言う事はちょっとした騒ぎになってはしまうだろうけれど……きっと殿下も、陛下もその事は予め予測して手を打つのだと思うわ」
「そう、だと良いのだけどね……」
不満気にしながら、それでもコリーナはリスティアナがそう言うのであれば、と友人の決定に異を唱える事は無かった。
馬車がメイブルム侯爵家に到着すると、リスティアナとコリーナはそのまま談笑をしながら邸のサロンへと向かう。
出迎えに来たメイドにリスティアナは自分の荷物を渡すと、サロンにお茶の準備をして貰うように頼む。
リスティアナの言葉を聞いて、別のメイドがリスティアナとコリーナのお茶の準備に取り掛かる。
「コリーナ。最近ね、新しい紅茶を仕入れたみたいなの。とてもすっきりとした味わいで、舌の上に少し甘さが残るのよ。きっとコリーナも気に入るわ」
「あら、本当? それはとても楽しみだわ」
二人は顔を見合わせて笑い合うと、二人だけのお茶会を時間いっぱい楽しんだ。
翌日。
リスティアナはいつものように支度をして、いつものように学園へと向かう為に馬車に乗り込む。
今日も、昨日のようにヴィルジールがあの令嬢に付き添い、学園までやって来る光景を見てしまうのだろうか、とリスティアナは若干憂鬱な気分になってしまったが、気にしていても仕方がない。
「──もう、私と殿下は無関係なのよ……。いつまでも殿下の姿に過剰反応していては駄目だわ……」
リスティアナは馬車の窓の外に視線を向けて、流れる景色を静かに眺めた。
リスティアナが学園に到着し、無意識に周囲を見回してみれば、昨日のように王家の馬車を見付ける事は無かった。
後に続く馬車にも、その姿は無くリスティアナはほっと息を吐き出すとそのまま学園の建物の方向へ足を進めた。
廊下を歩いていると、昨日と変わらずリスティアナに向けられる視線は多いが声を掛けてくる人間は居ない。
リスティアナはいつものように友人と挨拶を交わして席に着いた。
午前中の授業は教室内で受ける物が一つと、ダンス練習が一つ。
貴族に生まれたからには、ダンスやマナー、教養が必要となる。
高位貴族や裕福な家の者は、勿論家で用意した教師から学ぶ事が出来るが全ての貴族が教師を雇える程裕福では無い。
その為に学園では基本的なダンスや礼儀作法を学ぶ機会が設けられている。
リスティアナ達も勿論その授業には参加する。
その為、リスティアナやコリーナ達四人はダンス用の簡素なドレスを手に持ちダンスの授業を受けるホールへと向かって歩いていた。
ダンスホールは学園の別棟にある。
その為、庭園を横切りその別棟に向かうのだが、そこでリスティアナは昨日ヴィルジールと共にいた令嬢の姿を視線の先で見付けた。
「──あ」
リスティアナが小さく呟いた事で、コリーナが反応しリスティアナと同じ方向へと視線を向けて不愉快そうに表情を歪めた。
リスティアナとコリーナの後ろを歩いていたアイリーンとティファはお喋りに夢中になっており、気付いてはいない。
「リスティアナ、早く通り過ぎちゃいましょう」
「え、ええ……そうね……」
ホールに向かうには、令嬢の側を通る必要がある。
令嬢も、ホールの方向から歩いて来たのだろう。ダンスの練習で使用するドレスを手には持っていないので、ダンスの練習には参加はしていないのだろう。ドレスの代わりに何枚かの紙を持っているので、何か課題を出されたのかもしれない。
子を身篭っていると言うのであれば、ヴィルジールがきっとその授業には出させないだろう。
コリーナの言葉にリスティアナが頷き、四人でホールへと向かい足を進める。
向こうからやってくる令嬢との距離が近付いて来た所で突然、強風が吹いた。
「──きゃあっ、!」
令嬢が小さく声を上げて、咄嗟に髪の毛を押さえた。
その時に、手に持っていた紙がぶわりと風にさらわれた。
その紙は、リスティアナ達に近い噴水の方向へと飛んで行ってしまい、運悪くぽちゃり、と噴水へと入ってしまった。
「──あ」
令嬢がうろ、と瞳を彷徨わせ、困った表情を浮かべたのが分かったが、リスティアナの隣に居たコリーナが冷たい声音で「行きましょう」と小さくリスティアナに声を掛けた。
「え、ええ……そうね……」
きっと、誰か教師が紙を取ってくれるか、新しい紙を渡すだろうとリスティアナが考え頷いた所で、恐る恐る前方にいた令嬢が声を掛けて来た。
「あ、あの……申し訳ございません……。噴水に落ちてしまった課題の書類を取って頂けませんか? その、私は体を冷やしてしまう事を禁じられておりますので……」
令嬢は、申し訳無さそうにしながらも幸せそうに自分の下腹部を見詰めてそっと手を当てた。
令嬢から突然そのような言葉を掛けられて、リスティアナ達は唖然としてしまう。
リスティアナの隣に居るコリーナは、あからさまに不愉快そうな表情を浮かべて小さく「はぁ?」と淑女に有るまじき言葉使いが出て来てしまう程だ。
リスティアナはぽかん、としながら無意識に噴水の方向へと視線を向けると、噴水の中に落ちてしまった課題の書類とやらは時折吹く風に水面が打たれてゆっくりと揺蕩いながら噴水の奥へ奥へと移動して行ってしまっている。
「──えっ、と……。私達、これからダンスの授業がございますの。噴水に入って体を冷やすと私達も風邪を引いてしまう可能性がございますし、授業で使用するドレスも濡れてしまいますわ」
リスティアナは困ったように眉を寄せながら断りの言葉を令嬢に告げるが、令嬢はまさか断られるとは思っていなかったのだろう。
「──え……っ。殿下から、リスティアナ嬢はとても優しい方だとお伺いしておりましたのに……。確かに私は、リスティアナ嬢に対して申し訳無い事を致しました……。けれど、その仕返しとばかりに助けて頂けないなんて……」
「えっ、? ちょっと、待って下さる? 仕返しなど考えも付きませんでしたわ。私達が噴水に入るよりも、新しい書類を頂いた方が宜しいのではなくて?」
悲しそうに表情を歪める令嬢に、リスティアナは混乱してしまいついつい眉根を寄せてしまう。
美しい容姿のリスティアナが眉を寄せてしまうと、その表情はリスティアナを良く知らない人間から見れば「怒っている」と誤解されてしまいそうな表情で。
この時ばかりはリスティアナの凛とした態度や、美しい容姿が周囲に悪影響を与えてしまっているようで、リスティアナ達四人と、令嬢が立ち止まり話している様子を周囲の人間達が不思議そうに眺めている。
令嬢に至っては、連日ヴィルジールに馬車で送られこの学園に来ているのでその事が学園中に知れ渡ってしまっている今、令嬢とリスティアナは学園生の視線を集めやすい状況に陥っている。
「で、ですが……っ! もう一度書類を貰いに戻ると長い距離を歩く事になり、転倒してしまう可能性もあるから、不必要な場所には行かないように、と殿下から言われているのです……っ」
「そ、それを私達に言われましても……」
「どうして、お助け下さらないのですか……っ、殿下はリスティアナ嬢を優しい、と仰っていたのに、リスティアナ嬢は殿下と、その他の人間に対して態度を変えるようなお方だったのですかっ」
「なっ」
酷い言い掛かりだ。
そもそも、自分は入るつもりなど更々無いというのに、他の人間に対して噴水に入り服を濡らしてもいいから書類を取ってこい、などと良く言えたものだ、とリスティアナが呆れ返っていると、怒りを抑えきれなかったのだろう。
リスティアナの隣に居たコリーナと、後ろにいた友人二人が唇を開いた。
「先程から聞いていれば……。そもそも貴女は名乗りもせず、自分の要望ばかりを口にして……何故私達が貴女のお願いを快く聞いてあげなくてはならないのかしら?」
「そうですわ。リスティアナ嬢は侯爵令嬢でいらっしゃるのよ。貴女が何処のお家の方かは存じませんが、この国の侯爵家のご令嬢に対して少し不躾ではございませんこと?」
「先ずは、貴女のお名前をお聞きしても宜しいかしら?」
コリーナの、冷たく相手を威圧してしまうような声が響き、その後にアイリーンとティファがコリーナに賛同するように声を上げる。
庭園には、先程よりも野次馬の生徒達が集まって来ているようで、何事だ? と事の成り行きを見ている人間が多い。
このままでは悪目立ちしてしまう、とリスティアナが考え、この場を後にしてしまおう、と行動に出るよりも早く、令嬢が悲壮感たっぷりに瞳に涙を浮かべながらか細く言葉を発した。
「た、大変失礼致しました……。私はナタリア、ナタリア・マローと、申します……」
「そう……ナタリア嬢と仰るのね……」
令嬢──ナタリアの名前を聞いて、リスティアナは益々表情を強ばらせてしまう。
それは、リスティアナの隣に居るコリーナも、その後ろにいる友人達も同じようで、リスティアナとコリーナの頭の中の考えは恐らく一致しているだろう。
(殿下は……っ、なんと愚かな事を……!)
ヴィルジールの手を借りて馬車を降りて来た姿を見た時から、顔に見覚えが無いとは感じていた。
だからこそ、もしかしたらお相手の令嬢は高位貴族では無い可能性があるとは思っていたが──。
(まさか、子爵令嬢とは……!)
いくら学園内とは言え、流石に侯爵家と言う高位貴族の子女である人間に取っていい態度ではない。
(マロー家は、確か領地も小さく、商家や商人との取引で殆どの収入を得ている家だったと記憶しているけれど……そうなると貴族同士の家の繋がりも勿論無いし、王城に出仕している貴族達とのパイプも無いはず……っ。何故、そのようなお家柄のご令嬢と……っ)
リスティアナが深く溜息を吐いたのを、強い言葉を浴びせさせられると勘違いしたのだろう。
ナタリアは、とうとう瞳から涙をぶわり、と溢れさせてその場に蹲るとしくしくと泣き出してしまった。