34話
タナトス領、スノーケア辺境伯の邸へと行軍を開始して数時間。
騎馬と合流したリオルドは、リスティアナを追軍の後方支援部隊の中に居るスノーケアの兵達に頼み馬で駆けて行った。
その後ろ姿を心配そうに見詰めるリスティアナに、スノーケアの兵が「心配ございませんよ」と声を掛けてくれる。
「辺境伯の弟君であられるリオルド様は、実戦経験は無いとは言え、学園に入るまでは兄君であられるご当主様の指揮の元、スノーケア辺境軍で日々研鑽を積んでおりましたし、武術や剣術、馬術の腕もとても優れております。屈強なウルム国の味方も多くおりますので、きっとご無事でしょう」
「──ありがとう、ございます。そうですわね……、スノーケア卿の武の強さは学園内でも噂の的でしたもの……」
アロースタリーズ国では王都に近い場所で暮らす中央貴族の多くは戦を知らぬまま一生を過ごす事が多い。
その為、万が一の時に備え年に一度大規模な模擬戦闘訓練が行われる。その戦闘訓練に参加出来るのは学園の最終学年、十八になってからなのだが、リオルドは元々はタナトス領の者だ。
中央の貴族達よりも早く戦闘訓練に参加していたっておかしくない。
寧ろタナトス領を守るスノーケア辺境軍の元で日々研鑽を積んでいたのであれば、年に一度程度の戦闘訓練に参加する事よりも学ぶ事が多かっただろう。
リスティアナが「どうか無事で」と心の中で願い、前方へと視線を向ける先で大きな土埃が上がり始めた。
ウルム国のルカスヴェタ率いる追軍と、敵方の帝国軍が戦闘を開始した。
午前中の早い時間帯に両軍がぶつかり、どれ程時間が経っただろうか。
時が経つのが遅いかもしれない、と考えていたリスティアナの思いとは裏腹に、リスティアナが居る後方の部隊も慌ただしく時間が過ぎて行く。
戦場よりは距離が離れているとは言え、ピリピリとした戦場の緊迫した空気や、戦闘の喧騒が風に乗ってリスティアナの居る場所まで伝わって来る。
様々な情報が後方部隊にもたらされ、ウルム国の軍師の元へと次々と前線にいた兵士が情報を届け、そしてまた戻って行く。
リスティアナを守るスノーケアの兵士達の元へもウルム国の軍師は情報を共有してくれて、時間が経つにつれて増えて行く負傷者の怪我の手当をリスティアナも手伝うようになる。
「メイブルム嬢、申し訳ございませんが清潔な布を……っ!」
「はっ、はい! すぐに持って行きます!」
バタバタとリスティアナも、スノーケアの兵士達も慌ただしく後方の陣の中を走り回り、気付けば日はだいぶ西に傾き始めている。
リスティアナは、土埃や汗に濡れ汚れた服のままふと沈む太陽に視線を向ける。
「──もう、日が沈む……」
あっという間に時間が過ぎていく中、リスティアナはリオルドは今何処で戦っているのだろうか、無事だろうか、怪我はしていないだろうか、と不安になってしまう。
だが、ウルム国の軍師からはそう言った情報は入っては来ていない。
多くは無いが、死傷者も出てきている。
リスティアナの元へは極力、そう言った情報が耳に入らないように配慮してくれているようだが、伏せてもらっていても、味方の者達の表情や、雰囲気から察せれてしまう。
「アロースタリーズの為に、ウルム国の方も命を落としている……。国として、その恩義に報いなければならない……」
父親であるオースティンが療養するあの砦に居たままでは気付けなかっただろう。学べなかっただろう。
アロースタリーズ国のメイブルム侯爵家の者として、この追軍に参加せよ、と言ったオースティンはリスティアナ自身に学ばせたかったのだろうか。
国と国が手を取り同盟を結ぶと言う意味。
国が内部から蝕まれればこうした事態を招く可能性があると言う事。
様々な思惑が行き着く先にはこうした国の危機が訪れる、と言う事。
「アロースタリーズは、ウルム国に返せぬ程の大恩が出来たわね」
一体、いつ頃からこの国の国王陛下はこのような未来を予想して、ウルム国の王女殿下と連絡を取り合っていたのだろうか。
一体、オースティンはいつこの事態に気付き、動き出したのだろうか。
「これから先、ウルム国との関係はどうなるのかしら……」
ヴィルジールは、ウルム国の王女殿下ティシアを伴侶として迎えるだろう。
いくら本人がそれを拒んでいてもアロースタリーズは断われる立場では無いし、国王陛下もそれを望んでいる。
これから先、アロースタリーズ国はどうなって行くのだろうか、とリスティアナが考えていると前線から勝鬨の声が上がった──。
どっ、とリスティアナが居る後方にまで響いて来た歓声に、どきりと心臓が跳ねる。
「──スノーケア卿、は……!」
リスティアナは前方へと目を凝らしてリオルドの姿を必死に確認しようとするが、このような離れた場所からは当然確認など出来る筈も無い。
怪我は無いだろうか。
無事だろうか、とリスティアナが前方へ視線を送っていると、ウルム国の軍師がリスティアナの方へと歩いて来た。
「メイブルム嬢。我らの勝ちです。帝国軍は退却しましたよ」
「──ほっ、本当ですか……!?」
リスティアナがぱぁっと顔を輝かせ、前線へと向かおうと体の向きを変えた所で軍師が慌てて声を掛けた。
「──お待ちを……っ! 帝国軍の大半が退却したと言っても、まだ敗残兵は居ます。敗残兵を全て対処するまで、この場でお待ち下さい」
「……っ、た、確かに……っ。失礼致しました……。その間、移動のお手伝いを致しますわ」
「ありがとうございます。スノーケア卿も、ご無事ですよ。ご安心下さい」
「──っ! ありがとうございます」
軍師の言葉に、リスティアナは笑顔でお礼を告げると後方の陣へと向かい駆けて行った。
「スノーケア卿、ご無事でしたか!」
「──軍隊長殿……!」
リオルドと、ルカスヴェタは別の隊で戦闘を行っていた為、お互いの無事を確認するとほっと表情を綻ばせた。
「帝国軍はタナトス領から撤退したとは言え、残兵が居ますから掃討してから後方の部隊を呼びましょうか」
「──ありがとうございます、そう致しましょうか」
二人は少ない会話を交わした後、直ぐに残兵の処理へと移る。
ルカスヴェタはウルム国の兵士達に、リオルドは自領の兵士達に素早く指示を飛ばすと撤退して行く帝国軍にも追撃を行わせ、完全にタナトス領内から帝国軍を撤退させた。
リスティアナ達後方部隊がリオルドやルカスヴェタ達と合流する頃には、とっぷりと日が暮れ夜の闇が辺りを覆い隠すような時分になってからだった。
リスティアナは数名の護衛と共にリオルドを探しに前線に居た兵達の間を進み、前方に月の明かりを受けて輝く白銀の髪の毛を見付けて無意識の内に駆け出した。
「──スノーケア卿……っ、!」
リオルドも、リスティアナを探していたのだろうか。
きょろきょろと周囲を見回していたが、リスティアナの声が聞こえた途端、勢い良く振り向くとリスティアナの姿を見付けて表情をゆるゆると緩めた。
「リスティアナ嬢、ご無事でしたか……!」
「スノーケア卿も、ご無事で良かったです。お怪我はございませんか?」
お互い顔を見合わせて安心したように肩から力を抜くと、笑顔で言葉を交わし合う。
リオルドは、リスティアナの頬に付いた砂や土汚れを自分の指先で拭う。
躊躇いも無く触れてくるリオルドに、リスティアナは頬を染めるとうろ、と視線を彷徨わせる。
以前、リオルドとリスティアナはお互いに自分の気持ちを認め、互いにその想いをそれとなく吐露しているのだが、それ以降からリオルドはリスティアナに対する距離感が近くなっている。
学園で過ごしていた時は「学友」として適切な距離感をお互い保っていたと言うのに、気持ちを自覚し、言葉遊びのように相手に言葉を返してからリスティアナはリオルドから向けられる視線に、熱が伴うようになっているような気がしていた。
「あ、ありがとうございます……スノーケア卿……、大丈夫ですわ……」
「ですがお顔に汚れが……。早く邸に入り、汚れを落としましょう」
汚れを拭った後も、大切な物に触れるように何度も指先で頬をなぞられ、リスティアナは擽ったいような心地になりリオルドから視線をそっと外しながら唇を開いた。
「スノーケア卿の、辺境伯邸がご無事で良かったですわ……その、もう……邸内に入る事が可能なのですか?」
「──ええ」
リオルドはリスティアナの頬から手を離すと、すっとリスティアナの手を流れるような仕草で攫い、優しく歩き始める。
「兄上と連絡が取れまして、跳ね橋を下げて頂く事になりましたので、城塞内に入る準備をしましょうか。追軍の多くの兵達はこのまま帝国軍に備えたままこの場所で待機して貰うので、後は我々が中へと入るだけです」
「そうなのですね……、スノーケア卿のお兄様もご無事で良かったです」
「ええ、ありがとうございます」
リオルドが笑顔でリスティアナに言葉を返した後、今回の戦闘で得た情報をスノーケア辺境伯の邸──もはや城塞と呼べるその地へと向かいながらリスティアナへと説明してくれた。
「敵方は帝国軍のみならぬ、タナトス領と国土が隣接している隣国の兵も含まれておりました。……二国の連合軍だったのです。帝国軍の兵士の姿も多かったのですが、隣国の者の姿もあったので……二国は恐らく奪ったタナトス領を足掛かりに、本格的にアロースタリーズ王都まで侵攻を開始する予定だったのでしょう」
「タナトス領を孤立させる為に……帝国はあらゆる事件を王都内で発生させていたのですね。タナトス領での異変を少しでも察知するのが遅れるように、と」
「──ええ。国盗りのために様々な布石を打たれていたのでしょうね。実際、我々は王都に目を向けてしまっており、タナトス領の異変に気付いておりませんでしたから。……いち早く気付いたのはやはりメイブルム侯爵様で、兄上も心から感謝している、と言っています」
「父が、少しでもお役に立てて良かったですわ」
「ふふ、リスティアナ嬢のお父上はこの国の救世主ですよ」
リオルドはそう言葉にすると、リスティアナと共に跳ね橋を通過してスノーケア辺境伯家へと足を踏み入れた。