32話
リスティアナ達が入城した砦内、各々に割り当てられた部屋でリスティアナは休むでも無く、オースティンが療養している部屋でじっとオースティンの傍に控えていた。
オースティンは傷の深さからか、リスティアナ達と話を終えた後熱を出し、今は眠っている。
父親の弱々しい姿に、リスティアナは自分の唇を悔しさで噛みながらどうしようも無い感情を押し込めるように拳を握り締めていた。
じっとリスティアナがオースティンの部屋で過ごしていると、控え目に部屋の扉がノックされる音にハッとする。
「──どなたでしょうか」
リスティアナは声を潜めてそう返事を返す。
時刻は夕食を終えてから大分時間が経っている。明朝、敵方の砦に攻撃を仕掛ける為、参戦する者達は早めに体を休めている筈だ、と訝し気に返事を返すと扉の向こうからはリオルドの安心したような声音が聞こえて来た。
「──良かった、リスティアナ嬢。こちらにいらっしゃいましたか」
「スノーケア卿?」
リオルドの声に、リスティアナは急いで扉まで向かうと音を立てぬよう気を付けながら扉を開き、廊下へと出る。
廊下にはまだ休みやすい格好に着替えていないリオルドが居て、長剣を携えている。
「──リスティアナ嬢のお部屋に伺ったら……お返事が無かったので……」
「まあ……っ、申し訳ございません。父の具合を確認しに来ておりました……。もう戻りますわ」
「でしたら、お部屋までお送りしますよ」
「ありがとうございます」
リスティアナとリオルドはぽつりぽつりと言葉を交わしながら廊下を歩き、部屋へと戻って行く。
追軍の多くの兵士達は砦の外で天幕を張り、夜襲等に備えて野営をしており、指揮官級の者達はルカスヴェタの部屋へと集まり、明日の戦術について話し合っているらしく、リスティアナとリオルドの部屋がある付近には人の気配が少ない。
最低限、見張りの兵士達はいるがリスティアナが部屋に居ない、と言う事を知りリオルドは自分の心臓がバクバクと嫌な鼓動を刻むのを感じたが、直ぐにオースティンの部屋へとやって来て、リスティアナの無事を確認した事でほっと肩の力が抜ける。
「少し前までは、王都の学園に通い……のんびりと過ごしていたのに……今ではそれが嘘のようですね」
リオルドの言葉に、リスティアナも苦笑してしまう。
「ええ、そうですわね……。卒業パーティーや、ナタリア嬢の事で頭を悩ませていた時が懐かしく感じてしまう程ですわ」
「まさか、タナトス領が危機に陥っているとは……メイブルム侯爵様がこの地へ来て、色々と調べ我々に有益な情報を得て下さっていなければ……、と考えるとゾッとします……。王都で何気なく過ごしていたらタナトス領が落とされ、アロースタリーズ国は帝国に落とされてしまっていた可能性がありますからね……」
「ええ、本当にそうですわ。……まさか、ナタリア嬢の一件も、侯爵家を襲った事件も、全てこの時の為に布石を打っていたと言うのであれば……」
「我々はウルム国と同盟を結んでいなければ、アロースタリーズは滅んでいた可能性がありますしね……」
言葉にして、改めてその言葉の意味の重さに二人はぐっと言葉を呑み込む。
ただ、何も考えず王都で暮らしていたら今頃は王都内は大きな混乱に陥っていた可能性がある。
敵国から攻め入られ、アロースタリーズの領土が敵国に落ち、その混乱が王都へと流れて来ていても不思議では無かった。
暫し歩くと、リスティアナの部屋へと到着し、二人は扉の前で足を止めると視線を合わせて暫し見詰め合う。
「──……、リスティアナ嬢、また明日……。日が昇る前に砦を発つ事になると思いますので、早く体を休めて下さいね」
「はい。スノーケア卿も。送って下さりありがとうございました。……早くスノーケア卿のお兄様に会いに行きましょうね」
ふわり、と笑顔を浮かべるリスティアナに、リオルドと笑顔を返すと「それでは」とリスティアナに声を掛けて振り返ると、自分の部屋の方向へと歩いて行く。
リオルドの後ろ姿を見ながら、リスティアナは以前のように話せたかしら、と考えつつ自室の扉を開けて室内へと入った。
夜が明ける前には、この砦を発つ。
今は少しでも休息を取らねば、とリスティアナとリオルドは早めに床に着いた。
翌日。夜明け前。
リスティアナは、多くの人が行動を開始している気配にぱちり、と瞳を開くとベッドから起き上がり、足を下ろして寝巻きを脱ぎ着替え始める。
寝起きと言うのに驚く程頭の中はすっきりとしていて、リスティアナが出立の準備をしていると、扉が控え目にノックされた。
「リスティアナ嬢、私です。リオルド・スノーケアです。起きていらっしゃいますか?」
「スノーケア卿、起きてますわ。入って頂いて大丈夫です」
リスティアナは自分の長い髪の毛を頭の高い位置で纏めると髪紐で括る。
髪の毛を纏め終わるのと、リオルドが扉を躊躇いがちに開けるのが同時で、リスティアナが纏めた髪の毛を背中に払うと、リオルドに顔を向けた。
「おはようございます、スノーケア卿。出立ですか?」
しっかりと出立の準備が終わっているリスティアナに、リオルドは僅かに驚きながら「ええ」と頷いた。
ルカスヴェタから頼まれたのだろうか。リオルド自身も出立の支度は終わっているようで、リスティアナの部屋を訪ね、リスティアナが起きていなければ起こすように頼まれたのだろう。
だが、リスティアナが既に起床しており、支度も全て終えていた事に驚いているようだった。
「──ふふ、私の準備が出来ていない、と言う理由で出立が遅れてしまってはご迷惑を掛けてしまいますもの。もう、いつでも出られますわ」
「驚きました……もう起きられているとは……。まだ私達が出立するには、少し時間がありますから、ゆっくり下へと向かいましょうか。……メイブルム侯爵様の元へお顔を出しに伺いますか?」
リオルドの言葉に、リスティアナは部屋に置いていた自分の荷物を持ち上げると「いいえ」と断る。
「お父様はきっと"早く行け"と言いますわ。ですので、そのまま下へ向かいましょう」
笑顔を浮かべるリスティアナに、リオルドも笑い返すとリスティアナの荷物をひょい、と奪い二人並んで下へと向かった。
リスティアナとリオルドが下に到着し、砦の外へ出ると、ルカスヴェタが指揮を執る軍勢は既に隊列が組み終わっており、今まさに出立する寸前であった。
「──リスティアナ・メイブルム嬢、リオルド・スノーケア卿! 我々はこれより砦二箇所を同時攻撃致します……! お二人が到着する頃には砦の奪還は済んでおりましょう、焦らずゆっくりと来られよ!」
力強くルカスヴェタが二人にそう言葉を掛けると、馬の腹を蹴り二つの軍勢を率いて走り出した。
◇◆◇
ルカスヴェタ率いるウルム国の軍勢の強さは目を見張る物であった。
タナトス領の砦を落としたと言っても、それは内部に潜んでいた王兄を始めとするバジュラドの手の者達で。
帝国からの人間を多く潜ませる事が出来てはいない砦の攻略は、赤子の手をひねる程に呆気なく、リスティアナとリオルドが砦に到着した頃にはルカスヴェタが宣言した通り、ほぼ決着は着いていた。
ルカスヴェタの指揮と戦略が良かったのか。それとも敵方は退路が絶たれている状況の為、兵の補給も無く、兵糧などの兵站を絶たれてはどう足掻いても先は見えている為士気は下がる。
それら全てがカチリ、と噛み合い夜明け前に二つの砦を同時攻撃したルカスヴェタは敵方が混乱している内に短時間で砦を落とし切った。
少し後方で、砦の攻略が成功したとの報せを受けたリスティアナとリオルドはウルム国の軍隊の強さに目を見張る程である。
「──あちらに、軍隊長殿が居る、と聞いたのですが……」
リオルドは敵方に落とされてしまっていた砦に到着すると、ルカスヴェタの元へとリスティアナと共に向かっていた。
敵方の兵は全て捕縛済であり、砦内の安全も既に確保されているらしい。
ウルム国の軍隊の余りの強さに呆気にとられつつ、砦内部へと進み歩いていると途中で見張りの兵が居る部屋に到着した。
見張り兵がリスティアナとリオルドの姿に気付き、扉の奥へと声を掛けてくれる。
「ルカスヴェタ様! メイブルム侯爵令嬢と、スノーケア卿がお越しです」
「──、分かった」
リスティアナとリオルドが兵に礼を告げていると、部屋の扉が開かれ中からひょこり、とルカスヴェタが顔を出した。
「ああ、お二方お待ちしておりましたよ」
ルカスヴェタは多少の傷を負ってはいたものの、酷い傷は無いようで朗らかに二人を室内へと迎え入れた。
「軍隊長殿、お怪我は大丈夫でしょうか?」
「ええ、問題ありませんよ。お気遣いありがとうございます」
「我らが到着するまでにこのような素晴らしい戦果を上げて頂き感謝致します。──本当に、ありがとうございます」
「なに、我々ウルム国とアロースタリーズ国は正式に同盟を組み、友好国となるのです。友が窮地に立てば助けるのは当たり前の事。……それに、ウルム国が困った際は大いに頼らせて頂きますから」
リスティアナの言葉に和やかに言葉を返し、リオルドの言葉に少しおどけたように言葉を返すルカスヴェタに、リスティアナもリオルドも肩の力を抜く。
この部屋の空気はとても重々しく、ピリピリとした空気が漂っていた。
それが分かっているからこそ、ルカスヴェタは敢えてそのような態度でリスティアナとリオルドへと対応したのだろう。
ルカスヴェタの軍人としても、大人としても懐の深く、気遣いの精神に感謝しながら、リスティアナとリオルドはまるで示し合わせたかのように揃って部屋の奥へと視線を向けた。
部屋の奥には、この砦に潜んでいたのだろう。
しっかりと拘束されたアロースタリーズの王兄であるバジュラドが、恨めしげにリスティアナとリオルド、ルカスヴェタへと視線を向けていた。
リオルドは、アロースタリーズの王族でありながら、この国を滅ぼそうと画策し、スノーケアの治めるタナトス領を他国と手を組み、侵略しようとしたバジュラドに向かって眉を寄せると小さくバジュラドの名前を口にした。
「バジュラド様……、何故このような、母国を滅ぼすような真似を……っ」