3話
午前中の授業が全て終わり、今は昼食時。
リスティアナはいつものようにコリーナを含む友人達で学園の庭園にあるテーブル席まで昼食を取りに来ていた。
「──何だか、嫌な視線よね……」
コリーナが不機嫌そうに周囲に視線を向けてそう呟く。
敢えて周囲に聞こえる程度の声量でそう言葉を発したコリーナに、周囲に居た学園生達はリスティアナ達からサッと視線を逸らした。
「本当ですわ……! リスティアナ嬢、気にする事ございませんからね!」
「ゆっくり昼食を食べたいのに、……本当に噂話がお好きな事……」
コリーナに続いて、友人の子爵令嬢のティファと伯爵令嬢のアイリーンがリスティアナの代わりにプリプリと怒るように言葉を紡ぐ。
学園に登校時の王太子ヴィルジールの登場と、奇行は既に学園生の間に噂が広がってしまっており、皆不躾にヴィルジールの婚約者であるリスティアナに探るような視線を向けたり、好奇心を隠し切れない視線を向けて来ている。
昼食の際にリスティアナ達四人がこの庭園に姿を現してからヒソヒソと噂話をしている状態だ。
その噂話には興味が無いものの、リスティアナの耳はその声を拾ってしまい、聞きたくもないのにヴィルジールの朝の行動が耳に入って来てしまっていた。
──王太子殿下が、何故か子爵令嬢と職員棟まで連れ立って学園の職員に何か話をしたそうだ
──子爵令嬢の体調や、身辺には特段注意をするように、とわざわざお声を掛けたそうだぞ?
──婚約者であるリスティアナ様は何故沈黙しているんだ?
等々……、ヴィルジールが取った行動が知りたくもないのにリスティアナにまで届いてしまい、リスティアナは完璧に貼り付けた微笑みの下で溜息を吐き出す。
(殿下のなさる事に、臣下である我々が口を出す事では無いとは分かっているけど……)
もう少し、そう例えばリスティアナとヴィルジールの婚約が正式に解消されてから、今日のような行動を起こしてくれれば良かったのに、と思ってしまう。
(殿下は、まだ私との婚約が解消されていないと言う事を忘れてしまっているのかしら……? 書類の手続きには少なくとも数日は掛かる……。それならば、婚約が解消となるまで、身篭られた令嬢は学園をお休みするなど、対応をされればよろしいのに……)
これでは、悪戯にこの国の国民や貴族を混乱させてしまう事態となってしまう。
(王家も、王族の血筋をその身に宿した方が突然姿を現して混乱しているのかしら……そうでなければ……)
ヴィルジールの奇行を止めた筈だ、とリスティアナは心の中で呟く。
王族の血筋を宿した人物を大事にする事は分かる。
それも、ヴィルジールはこの国の王太子だ。次期国王となる人物の御子を宿した人物の身に何かあっては遅い。
それは分かる、が──。
(臣下に対して、これでは配慮が無さすぎでは……? 聡明であった殿下は、このような配慮が出来ぬ方だったかしら……、浅慮な方だったかしら……? それ程までに、殿下も混乱していると言う事……?)
リスティアナは邸の料理人に作って貰った昼食を口に運びながら首を傾げたのだった。
夕刻になり、全ての授業が終わった。
リスティアナに向けられる視線の数は多くなる一方であったが、この国の四大侯爵家の令嬢に直接何かを言ってくる人間は居らず、リスティアナは少しだけ居心地の悪さを感じながら一日を過ごし、席を立った。
「──リスティアナ嬢、また明日」
「ごきげんよう」
リスティアナに微笑みながら声を掛けて帰って行く友人のティファとアイリーンに、リスティアナもまた微笑みながら言葉を返して学友と別れる。
「リスティアナ。帰りの馬車、ご一緒してもよろしくて?」
リスティアナの元にコリーナがやって来て、にっこりと笑顔でそう話し掛けてくる。
リスティアナも笑みを深くして頷くと、学園を後にした。
学園の正門前で待っていた、リスティアナのメイブルム侯爵家の馬車にリスティアナとコリーナは二人揃って乗り込むと、コリーナはしっかりと馬車の扉を閉めて施錠する。
「──さて、リスティアナ? 何があったのか話してくれるかしら?」
扉の施錠をしたコリーナがにっこりと笑みを浮かべて振り返った事にリスティアナは苦笑いを浮かべると、壁に取り付けられている窓も全て締め切り、コリーナに倣って施錠する。
これで、簡易的な密室空間の出来上がりだ。
窓と出入口をしっかりと施錠した事で、声を潜めて会話をすれば外に声は殆ど漏れないだろうし、馬車の進む音で掻き消える筈だ。
密談に最適な空間が出来た事で、リスティアナは息を吸い込むと真っ直ぐ視線を向けて来るコリーナに向かって自分自身も真剣な表情で視線を返すと唇を開いた。
「──殿下からは、婚約の解消を申し入れられたわ」
「……え、?」
リスティアナの言葉を聞いてたっぷり数秒程経ってから、コリーナは信じられないとでも言うように素っ頓狂な声を上げてしまった。
「え、? ちょ、ちょっと待ってくれるかしら? 殿下"から"婚約の解消を告げられたの?」
「ええ。そうよ」
「ちょっと待って、信じられない……。だって、長期間戦闘訓練に殿下が参加される前も、参加されている時も、仲睦まじく手紙のやり取りをなさっていたじゃない? 訓練に参加される前は、良く殿下とお会いしていたじゃない? とても仲睦まじく過ごされていたじゃない?」
混乱したように矢継ぎ早にコリーナから言葉を投げ掛けられて、リスティアナは「そうなのだけど……」と眉を下げる。
「え、何で……。だって、傍から見ても殿下はリスティアナをお好きなようだったし、リスティアナも殿下をお慕いしていたわよね? それなのに、何故突然婚約を解消などと言う話になるの……?」
コリーナはそこではっ、と瞳を見開くと「分かったわ!」と声を上げた。
「あの女性……! 今日、殿下が一緒にいらしたあの女性! まさか、あの女性か横恋慕の末に殿下を籠絡しようとしたの!?」
「ち、違うわ……! 落ち着いて、コリーナ。それともう少し声を抑えてちょうだい……っ」
「──あ、あらっ! ごめんなさい……っ戸惑って声を荒げてしまったわ……」
リスティアナに声を抑えるように言われたコリーナは、恥ずかしそうに自分の口元に手のひらを当てるとそっと視線を落とす。
「いいえ、大丈夫よ……。きっと馬車の音が全て消してくれていると思うわ……。これからコリーナ、貴女にお話する事はまだ貴女のご家族にも告げないでちょうだいね」
「え、ええ」
「きっと、直ぐに私と殿下の婚約解消の事実は明るみに出ると思うし、殿下と……その、お相手のご令嬢の方のお話も高位貴族であり、四大侯爵家の家の貴女には直ぐに情報が伝わると思うのだけどね……」
リスティアナは、言葉を選びながらゆっくりとヴィルジールと自分の婚約が解消に至る事になった切っ掛けを掻い摘んで説明して行く。
何故婚約解消をしなければいけなくなってしまったのか、その理由だけを簡潔に、結果だけを言葉を選びながら説明するリスティアナの言葉を最後まで黙って聞いていたコリーナが、話し終わったリスティアナに向かって発した言葉は。
「──最っ低」
と言う、王族に向かって口にするには何とも失礼で、無礼な一言だった。