26話
ナタリアは何処か興奮したように頬を染めてヴィルジールに駆け寄ると、あろう事かそのままヴィルジールの腕に自分の腕を絡めて話し掛ける。
ナタリアのその行動に、流石にヴィルジールもギョッと瞳を見開くと「ナタリア嬢!」と鋭い声を上げる。
「──この会場の様子が分からないのか……っ! もう少し場に相応しい対応をしてくれ……っ」
「会場の様子、ですか?」
ヴィルジールの言葉にナタリアはムッとしたような表情を浮かべると、ゆっくりとヴィルジールの周りを見回す。
ヴィルジールを始め、その場には壇上から降りて来ているバルハルムドの姿もあり、ナタリアにとっては敵とも言えるリスティアナも直ぐ傍にいる。
そして、リスティアナの前には良く分からない女性がいて。
「……あの女性は誰ですか? 見た事の無い人ですが……何処のご令嬢ですか?」
ナタリアの言葉に、ティシアの後方に居た護衛達が殺気を放つ。
自国の王族、王女殿下に何と失礼な態度を──と、そう思ったのだろう。
だが、ティシアは護衛達を止めるように片手を上げて抑えると口元を吊り上げる。
その様子を見たヴィルジールは顔色を悪くさせると慌ててナタリアを止めにかかる。
ナタリアのあまりもの空気の読めない様子や、初対面の人間に対する配慮の無さに、周囲に居た学園生達も流石に表情を曇らせてナタリアに侍っていた者達もナタリアから視線を外した。
「ナタリア嬢……! 王女殿下の前で何と言う言葉を……! 頭を下げてくれ!」
「王女殿下? アロースタリーズには王女様はいらっしゃいませんけど……」
「我が国では無い……! ウルム国のだ……!」
「──まぁ!」
ヴィルジールの言葉にナタリアはぱあっと顔を輝かせると、いそいそとカーテシーを行う。
「お初にお目にかかりますわ、王女殿下。私はナタリア・マローと申します」
にこり、と笑顔を浮かべるナタリアに周囲は固唾を呑んでただ見守る事しか出来ない。
ぴりぴり、とした緊張感溢れる空間にティシアは耐えられなくなったのだろう。
声を上げて笑うと、ちらりとバルハルムドに視線を向けた。
「──はははっ! これ程とは、恐れ入りました、バルハルムド殿」
「申し訳無い、ティシア殿……直ぐに下がらせよう」
「いえ、なに……彼女の育った環境を鑑みればこれでも及第点でしょう?」
何処か含みのあるティシアの言葉に、ヴィルジールは「え」と小さく反応するとティシアと自分の父親であるバルハルムドに視線を向けた。
何の話をしているのか分かっていない様子のヴィルジールに、バルハルムドは呆れたような視線を向けるとヴィルジールに向かって唇を開いた。
「──此度の一件で、直ぐにナタリア・マロー嬢の子爵家を調べた。……お前は調べなかったのか? 知った上で行動しているのだとばかり思っていたのだが……」
「な、なんの事でしょうか陛下……子爵家を、調べる……?」
「……ナタリア・マロー嬢は幼い頃に引き取られた子供だ。……子が出来なかった子爵家当主が外で子を作った婚外子……。ナタリア嬢を引き取った後に長男が生まれた為、子爵家には今は跡取りは居るが……。ナタリア嬢は子供の頃は市井で暮らしていて、貴族としての礼儀や教養は十歳の頃から学び始めている」
「──えっ、ナタリア嬢が……?」
「だからこそお前は正式にナタリア嬢との関係を発表しなかったのだと思っていたのだが……それすらも調べていなかったのか……? 王家に入る者の背後は調べるのは当たり前だろう」
バルハルムドの言葉に益々顔色を悪くしたヴィルジールは慌ててナタリアに視線を向けるが、ナタリアはきょとんとした顔でヴィルジールへ「そうですよ」と肯定した。
「あの夜……私は殿下にそうお伝えしたのですが……。殿下は"関係無い"と仰いましたよ? ナタリアがナタリアであればそれだけで良い、と仰って下さったのです」
うっとりと瞳を細めてそう告げるナタリアに、ヴィルジールは欲に走ったあの日の自分を心の底から悔いた。
次から次へと明らかになる情報に、本当にヴィルジールは何も調べもせず、どうにかなるだろうと楽観的に考えていたと言う事が傍目からも察してしまえる程で、リスティアナは自国の王太子であるヴィルジールがここまで愚かであったとは、と瞳を伏せる。
それはリオルドも同じらしく、リオルドも額に手を当てて天を仰いでいる姿が視界に入ってしまい、リスティアナは自分達が大人になった時にこの国を導いて行く人物がヴィルジールである事に一抹の不安を覚える。
(けれど……ウルム国の王女殿下が殿下とご成婚されるのであれば……大丈夫ね……)
リスティアナとリオルドは何処か互いに仲間意識が芽生えたようにお互い視線を交わすと励まし合うように強く頷き合った。
「──さて、タナトス領の件もありますし……バルハルムド殿、何処かで落ち着いてお話を致しましょう。……此度の件について、落とし所を決めなければなりませんでしょう?」
ゆったりと周囲を見回したティシアがそう提案すると、バルハルムドは「うむ」と小さく言葉を返し、リスティアナやリオルドにちらりと視線を向けた。
「そのようにした方が、良さそうだな……。部屋を用意させよう。元凶であるナタリア・マロー嬢、ヴィルジール、そしてオルファ・メイブルム卿は共に。……リオルド・スノーケア卿、タナトス領については後ほど声を掛けるのでその際に来てくれ」
「──かしこまりました」
「リスティアナ・メイブルム嬢も、此度の一件に無関係では無い。タナトス領に関しては侯爵が対応中だ。タナトス領の件に関しての話をする際に改めてリオルド・スノーケア卿と共に呼ぶので共に来てくれ」
「仰せのままに」
バルハルムドはテキパキと周囲に指示を出すと、ウルム国から来たティシアと、使節団の代表を務めたオルファ、そしてヴィルジールとナタリアを伴い、会場のフロアを横切って行く。
ちらり、とリスティアナに視線を向けたオルファが「また後で」と言うように唇を開き、リスティアナに向かって手を振ると、そのままバルハルムドの後を追って背を向けた。
ちらちら、と未だにリスティアナへと視線を向けるヴィルジールに、リスティアナは視線を外すと近くに居たリオルドへと話し掛ける。
「──スノーケア卿。どうやら我々も後ほど陛下よりお声が掛かるようですが……何処かでお声が掛かるまで待ちましょうか?」
「そう、ですね……。このままこの場に居ると声を掛けられてしまいそうです」
リスティアナの言葉に、リオルドは苦笑を浮かべると、じりじりと距離を詰めて来る周囲の学園生達を振り切るように衛兵に声を掛けた──。
衛兵に、パーティー会場にある客間で待機しているので、陛下より声が掛かった際には教えて欲しいと言う旨を伝え、リスティアナとリオルドは客間へと一旦場所を変えていた。
あの場所で、ナタリアの愚かさ、そしてどうやら王家はナタリアをとうに見切っていた、と言う事を察した学園生達や、学園生の家族達がリスティアナやリオルドに接触しよう、とじりじりと近付いて来ていた。
だからこそ、そのような煩わしさから遠ざかる為に客間に移動して来た二人だったが、移動する為にフロアから出て行く時も纏わり付く視線の多さに辟易としていた。
どさり、とソファに力無く腰を下ろしたリオルドが、疲れたような表情でリスティアナに視線を向けた。
「……リスティアナ嬢は、全て承知の事だったのですか……?」
リオルドの拗ねたような声音に、リスティアナはきょと、と瞳を瞬かせると苦笑する。
「全て、ではございませんわ……。ナタリア嬢が妊娠を偽っていた事も知りませんでしたし……。私は、ウルム国の王女殿下が我が国の王太子である殿下と縁を結びに来るらしい、と言う事くらいしか……」
「リスティアナ嬢も他は全くの初耳だったのですね……それなのにお顔に出さず表情を崩さない様は流石です」
「あら、ありがとうございます。でも……次々と語られる事実にとっても動揺していたんですのよ?」
困ったように笑顔を浮かべ、肩を竦めるリスティアナに、リオルドが笑顔を返した時。
リスティアナとリオルドが休む部屋の扉の向こうがバタバタと慌ただしくなった。