19話
ガタリ、と馬車が侯爵邸の正門に到着した事で小さく揺れて止まる。
「着きましたね」
リオルドがちらり、と馬車にある窓から外を確認した後、馬車の扉を開けてひらりと地面に降り立つと、後から降りようとしていたリスティアナにすっ、と自分の腕を差し伸べる。
あまりにも自然な動作で、美しく流れる所作で差し出されたリオルドの腕にリスティアナは若干頬を染めてから「ありがとうございます」とリオルドにお礼を告げてから自分の手のひらをリオルドの手のひらに重ねた。
(流れるような所作が美しいわね……これは、スノーケア卿が学園に入学した際に令嬢達が騒ぐのも気持ちは分かるわ)
当時、リスティアナにはヴィルジールと言う婚約者がいた為、令嬢達に騒がれているリオルドに大して興味は抱かなかったが、こうして最近関わりを持つようになりリオルドの人となりを知り、貴族としての矜持をしっかりと持ち行動している姿に好感を覚える。
(このような方達がタナトス領で、国を守って下さっているのね……とても心強いわ)
学園や、中央──王都に居る腑抜けた貴族達とは明らかに違う。
リオルドのような貴族が国の辺境伯領を賜り、国防を一手に担ってくれている事に、リスティアナはスノーケア家をタナトス領に置いた過去の国王は先見の明があったのね、と嬉しく感じた。
さくさく、と芝生の上を歩きながらリスティアナとリオルドは何処か緊張した面持ちで邸の玄関へと向かう。
出迎えてくれた使用人達はリスティアナと共に居るリオルドに一瞬だけ驚いていたが、リオルドの名前を聞き、リオルドの挨拶を聞き何故リスティアナとリオルドが共にやって来たのかを何となく察したのだろう。
メイブルム侯爵家に仕える使用人達も、薄らとこの国の良くない状況に気が付いているのだろう。何かが、不自然だと言う事に。そして、それはリオルドが今日やって来た事によって確信に変わってしまっただろうが、恐らく時間はそこまで無いだろう。
畳み掛けるように様々な事が起こり過ぎている。
「──お父様は執務室にいらっしゃると思います。スノーケア卿もご一緒にいらして」
「ありがとうございます。このような機会を頂けた事、感謝してもし切れません」
「あら、気にしないで下さいませ? スノーケア卿にはもう沢山助けて頂いてますもの。お返し、と言っては変ですが……助け合うのは当然の事ですわ」
にっこり、とまるで花開くような笑顔を見せるリスティアナにリオルドは頬を染めると誤魔化すようにんんっ、と声を震わせる。
学園内に居る時とは違い、貼り付けたような笑みでは無く、本当に自然と笑顔が零れたようなリスティアナの自然な笑みにリオルドはどきり、と自分の心臓が高鳴る。
「リスティアナ嬢は……、お美しい方ですが……その、笑顔を浮かべると可愛らしい印象になるのですね」
「──えっ、……ま、まあ……そう、ですの……?」
突然、リオルドからそのような言葉を掛けられて一瞬何を言われたか分からなかったリスティアナは、リオルドに言われた言葉を理解して瞬時に頬を真っ赤に染め上げる。
侯爵家の令嬢として生まれ育ち、賛美には慣れていた。貴族女性を褒めるのは社交辞令のような物で、リスティアナは王太子であるヴィルジールの婚約者であったのだ。
リスティアナを、メイブルム侯爵家を意識してリスティアナを褒め称える貴族達のなんと多かった事か。
心の篭っていない美辞麗句など、掛けられても嬉しくも何ともない。
だが、先程のリオルドの言葉はついつい素直に感情を吐露してしまった、と言うような自然な言葉で。
リスティアナも、リオルドも何処か気恥しい雰囲気の中、ただ黙って執務室へと足を進めた。
執務室に到着した頃には、リスティアナもリオルドも平常心を取り戻しており、リスティアナはちらり、と自分の隣に居るリオルドに視線を向けると「よろしくて?」と声を掛けた。
「はい。大丈夫です」
リオルドの返事をしっかりと聞くと、リスティアナは自分の腕をすっ、と持ち上げて執務室の扉をノックする。
扉の奥には、リスティアナの父親であるオースティンが居る。
学園を早退して、リオルドを連れてくると言う事は事前に早馬で報せを送っているので承知しているだろう。
リスティアナはノックをした後、扉に向かって声を掛けた。
「──お父様、戻りましたわ。リオルド・スノーケア卿も一緒です」
「ああ、報せは聞いている。入りなさい」
扉の奥からオースティンの声が聞こえ、リスティアナとリオルドは「失礼致します」と声を揃えて扉を開けると執務室へと入室したのだった。
リスティアナとリオルドが執務室に入室すると、オースティンは執務机から腰を上げてソファへと移動している最中だった。
オースティンはリスティアナとリオルドに視線を向けるとソファに座りなさい、と声を掛けて自らもソファへ腰を下ろす。
「お父様、お時間を頂きありがとうございます。こちらは、リオルド・スノーケア卿ですわ。学園生活でとても良くして頂いております」
「──リオルド・スノーケアです。本日はお忙しい中お時間を作って頂きありがとうございます」
リスティアナの言葉に、リオルドは軽く自分の胸元に手を当てて一礼をするとオースティンへと感謝の言葉を述べる。
「ああ、君の事は良く知っているよ。学園ではリスティアナを助けてくれているだろう。ありがとう」
すっ、と瞳を柔らかく細め口元をゆったりと笑みの形に変えてオースティンが返答する。
リオルドは、頭を下げたままオースティンの言葉にひくり、と口元を引き攣らせた。
オースティンは、リオルドの事を「良く知っている」と言ったのだ。
学園内にメイブルム侯爵家の手の者が数多く潜んでいる、と言う事が今のオースティンの一言に集約されていて、それを感じ取ったリオルドは「恐ろしいな」と小さく心の中で呟いた。
リオルドのスノーケア家が武に長け、戦に強いのとは逆に、メイブルム侯爵家は情報を集める事に長けている。
情報収集に特化した部隊をいくつも持ち、それを様々な場所に潜り込ませ、情報を持ち帰る。
コリーナのフィリモリス家も情報収集に長けた部隊を有してはいるが、リスティアナのメイブルム侯爵家には敵わない。
だが、メイブルム侯爵家が情報収集に長けた部隊を使うには国王陛下の許可が必要になって来る。
今までは国内の不穏分子を監視する為にその部隊を放っていた筈である。
(──待てよ……メイブルム侯爵家の諜報部隊に引っかからなかった、と言う事は……)
リオルドはがばり、と顔を上げて顔色を悪くする。
(──内、では無くて外からの……!)
リオルドがその考えに至った所で、オースティンは「さて」とこの場に似つかわしくないのんびりとした穏やかな口調で言葉を発した。
「リスティアナから聞いているよ。コリーナ嬢のフィリモリス侯爵家が恐らく何か良からぬ事態に陥っている、と……そして、それはスノーケア領でも発生している可能性がある、と言う事も聞いた」
「──っ、はい。仰る通りです、タナトス領の兄とは定期的に報告の手紙をやり取りしておりました。それが……途絶えたのですがどうにもタイミングが……」
「うむ。……フィリモリス侯爵家と重なっておるな……。リスティアナから連絡を貰い、残りの二家の侯爵家に急ぎ手紙を送ったが、残りの侯爵家からも返答は未だに無い。……どうやら手紙を送る余裕も無いと見られる」
「──……やはりっ、」
オースティンの言葉に、リオルドは唇を噛み締めて俯く。
何か、自分に出来る事は無いのだろうか、と考えるが爵位も持たぬ、動かせる人員も持たぬ自分には何も動く事が出来ない。
(せめて……兄上と連絡さえ取れれば……っ)
だが、今からタナトス領に急ぎ向かったとしても単騎で駆けたとしてかなりの日数が掛かってしまう。
それに、もしタナトス領が良く無い事になっていた場合、単騎で動くにはあまりにも危険だ。
焦るリオルドの気持ちを見透かしたようにオースティンは落ち着かせるようにリオルドに向かって唇を開く。
「リオルド・スノーケア殿。先ずは落ち着くんだ。今、我々だけがこの王都で起きている不可思議な事案に気付いているだろう。私も先日から王都に諜報員を送っているが、帰って来ていない。……間違いなく王城にはこの国の者以外の、この国に害意を持った人物が潜んでいると見て間違い無いだろう」
「──なっ、そのような事を……!?」
いつの間に、そのような大胆な事を仕出かしていたのだ、とリオルドはオースティンの言葉に目を剥く。
オースティンはなんて事の無いように語ったが、かなり危険な行為だ。
相手方にどこの手の者か知られてしまえば、逆に刺客を送られる可能性だってあるのだ。
だが、オースティンはリオルドの考えを一蹴するようにふん、と鼻を鳴らすと腕を組み、好戦的な笑みを浮かべてリオルドに向かって言葉を返す。
「ある程度、こちらの身の安全は保障されているだろう、と分かっての行動だ。心配はいらない。……外からの者が入り込んでいるのであれば、今ここで四大侯爵家の内一つの家が潰れれば王都内は大きな騒ぎになるだろう。国が混乱に陥るにはまだ早い」
「……国が混乱に陥る時が、来ると……?」
何処か確信めいたオースティンの言葉に、リオルドが小さく呟くとオースティンがこくり、と頷いた。
「──ああ。相手はどんな手段で、どのような目的を持って行動するつもりかは分からぬが……同時多発的に騒ぎを起こそうとしているのだろう。……タナトス領との連絡が取れない、と言う一報を聞き、そう確信した」
「ならば、国が混乱に陥る前にどうにかせねば……!」
「それは勿論だ。タナトス領に異変あり、と陛下に報告をする。同時に国外から争いの火種が持ち込まれそうだと言う事を陛下にお伝えしておこう」
オースティンの言葉に、リオルドは震える声で感謝の言葉を伝えた。