18話
ひょこり、と顔を出したリオルドがリスティアナを見付けると表情を和らげる。
スノーケア辺境伯次男であるリオルドが言葉を掛けに来た事により、ナタリアの周囲に居た学園生達がぐっ、と押し黙るがナタリアはリスティアナとリオルドの会話に割り込むように唇を開いた。
「──私達の会話の最中に入り込むなど……、とても失礼だわ……っ! 貴方はどちらの方なのですか!」
「ナ、ナタリア嬢……っ」
「この方は、タナトス領を治めていらっしゃるスノーケア辺境伯家の次男、リオルド・スノーケア卿ですわ……!」
ナタリアの言葉に周囲に居た学園生達はぎょっと瞳を見開くと、慌てたようにナタリアに向けてリオルドを説明する。
辺境伯の次男がこの学園に入った当初は話題にもなったものだ。
容姿端麗で、武にも学にも秀でており、兄の治める領地を補佐したい、と学ぶ姿勢は凛々しく当事は多くの令嬢達から熱い視線を送られていた程だ。
だが、当の本人リオルドはそのような視線等に気を止める事無く他者と深く関わり合いになる事が無かったので、一時の火遊び感覚で遊び相手になってもらおうとしていた令嬢達の多くはリオルドと関わるのを諦め、遠くからリオルドの容姿の良さをただ眺めるだけに留めていた。
学園を卒業後、隣国と隣合っているタナトス領へ戻るリオルドと本気で恋をするつもりなど、想いを通わす事を考える令嬢等居ないのだ。
当時も、当時からはある程度落ち着いたが今現在もリオルド自身に集まる視線は未だに多い為、ナタリアに侍って居た学園生達はリオルドを知らないナタリアに信じられぬ、と言う視線を向けるがこの国の辺境を治める辺境伯家の人物を知らぬ事を恥とも思わない、恥だと言う事に気付きもしないナタリアはきょとん、とした顔で「ああ」と呟いた。
「──確かに聞いた事がありますわ。タナトス領を治めるスノーケア辺境伯。冬季は人が行き来する事など出来ぬ程に雪に閉ざされる閉鎖された領地だと。でも、リオルド様は次男でしょう? 辺境伯本人でもないのに……っ、私が話している最中に割り込んで来るなど……! きっと、殿下がご覧になったらリオルド様を叱責するわ……!」
ナタリアは何を言っているのか。
誰に向かって、自分が言葉を発しているのかを理解していないような口振りに周囲に集まっていた学園生達も気まずげにちらちらとお互いに目を合わせている。
ナタリアが無茶苦茶な事を言っている相手は、この国の四大侯爵家の娘と、辺境伯の弟だ。
リオルドはナタリアに向かって冷たい視線を向けるとナタリアから視線を逸らして柔らかく笑みを浮かべながらリスティアナに向かって唇を開く。
「──リスティアナ嬢。先生がお待ちですから行きましょうか。先生が待っている部屋に案内しますよ」
「あら、ありがとうございますスノーケア卿」
自分を無視して話を進め、その場を離れようとするリスティアナとリオルドにナタリアは苛立ちを感じて再び声を上げようとしたが、リスティアナを案内しながらリオルドが半身だけ振り返り、ナタリアに向かって凍てつくような視線と表情で唇を開く。
「──殿下にお話したいのであれば、どうぞご自由になさって下さい、マロー子爵令嬢」
ヴィルジールに話したとてナタリアが諌められるだけである。
リオルドの言葉にカッと頭に血が昇ったのだろう。何事かナタリアが言葉を発しているが、リオルドはさして気にした風も無く、そのままリスティアナと共に廊下を進んで行った。
リスティアナとリオルドは互いに暫し無言で廊下を進んでいたが、廊下を曲がり学園生の姿が無くなってから、周囲を見回して人の気配が無い事を確認すると、リオルドは「失礼」とリスティアナの腕を取り階段を登って行く。
「ス、スノーケア卿?」
「急に触れて申し訳ございません。急ぎリスティアナ嬢にお伝えしなければならない事があり、あの場から連れ出させて頂きました」
「あら、それでは先生の用事、と言うのはございませんのね」
「ええ、申し訳ございません」
二人は小声でやり取りを行うと、リオルドに手を引かれたままリスティアナも階段を上っていく。
最上階まで上がった場所にあるのは、展望室か。
展望室に行く手前に、渡り廊下がありその横には緊急時に外に脱出する為の階段がある。
リオルドは、その場所を目指しているのだろう。
非常階段のようになっているそこは、滅多に人が来る事は無い。
(──密談を行うならば最適だわ)
リスティアナがそう考えていると、直ぐにその非常階段へ繋がる扉が見えて、周囲を確認したリオルドは躊躇いなくその扉を開けるとリスティアナと共に扉の奥へと姿を消した。
「──領地の兄との連絡が途絶えました」
「──えっ、」
非常階段に到着するなり、扉に背を預けた状態のリオルドがぽつり、と言葉を口にする。
「お互い、私は王都の様子や兄は領地の様子を書き記し、手紙をやり取りしていたのです。特に国にとって不利益となるような内容を書き記し交わしていた訳ではないのです。ただただ日常的な事を、調べればわかる程度の物を互いにやり取りしていた……。それが途絶えました」
そこでリオルドは一旦言葉を区切ると、眉を顰めて言葉を続けた。
「何かあったのやも知れぬ、と思い……鳥を飛ばしましたが……」
リオルドの暗い表情に、リスティアナはまさか、と思いながら唇を開く。
「──戻って、来ないのですか……?」
リスティアナの言葉に、リオルドはリスティアナと視線を合わせたまま小さく、だが確かにしっかりと頷く。
連絡用にしっかりと躾され、育てられた鳥が戻って来ない、とはおかしい。
リスティアナは焦ったようにリオルドに視線を向けると、リオルドもリスティアナに顔を向けていた為、二人の視線がぱちりと絡み合う。
お互いの瞳には「不安」や「焦燥」、「困惑」と言う様々な感情が溢れており、リオルドは続けて唇を開いた。
「──それも、一度や二度ではないのです。……何かあったのか、と思い何羽も鳥を飛ばしていると言うのに、タナトス領に鳥が到着したような感じは一切しないのです」
「……鳥、は……確かこの王都から飛ばすと……」
「およそ十日程で到着すると思います」
「スノーケア卿は、どれくらい前から鳥を?」
「ひと月半程前に飛ばした時には問題無く返って来たので……定期報告は半月程前、ですね……半月程前に飛ばした鳥が返って来ていません……」
「半月、も前から……何かが起きていると言う事ですわね……」
リオルドの言葉に、リスティアナは焦ったような表情を浮かべたまま考えるように黙り込む。
「──何かが、おかしいと考えていたのです……そうしたら、今日の……コリーナ・フィリモリス嬢の突然の早退があったでしょう?」
「……っ、! 確かに、確かにそうですわ!」
リオルドの言葉に、リスティアナは弾かれたように顔を上げる。
タナトス領で何かが起きているかもしれない、と言う同時期にコリーナのフィリモリス侯爵家でも何か看過できないような出来事が発生したのだろう。
何か、得体の知れない物がこの国に手を伸ばしているようなイメージがリスティアナの頭の中にふっ、と過ぎりリスティアナはその気持ち悪さにぶるり、と体を震わせた。
「──他の、二つの侯爵家にも確認を取った方がよろしいかと……。リスティアナ嬢のお父君、メイブルム侯爵様に直ぐにご報告した方がいいかもしれません……。ただの杞憂で終われば良いのですが、……ここ最近立て続けにおかしな事が起きていると思うのです」
「スノーケア卿の仰る通りですわ……。教えて下さり、ありがとうございます……」
「いえ、とんでもない。国の危険を一番に察知する為に我らスノーケア家はいるのですから」
リオルドは、リスティアナに情報を提供した後は教室に戻ろうと考えていたのだろう。
この非常階段の扉に背を預けていた体勢から背を離すと扉を開けようと自分の腕を取っ手に伸ばした。
リスティアナはその様子を見詰めながら、唇を開く。
「──スノーケア卿。私達も早退致しましょう」
「……え、?」
リスティアナの言葉に、リオルドはきょとりとしたような表情を見せるが、先程とは逆に今度はリスティアナがリオルドの手を取って非常階段の扉を開けて外へと出た。
昼食の時間帯で良かった、とリスティアナはガタガタと揺れる馬車内で揺れに身を任せながら自分の組んだ両手が緊張に冷たくなっている事を自覚する。
早退する事も直ぐに学園の先生に伝える事が出来たし、教室内に学園生も少なかった為、リスティアナが学園の鞄を持って、教室を出る事も多くの学園生達に見られる事は無かった。
ガタガタ、と大きく揺れる馬車に体を揺らしながらリスティアナは「少し急がせ過ぎたかしら」とちょっぴり後悔する。
「リ、リスティアナ嬢……私も同席して本当に良かったのですか?」
リスティアナは、真向かいの座席に座り困ったように眉を下げるリオルドに顔を向けると微笑んで「勿論ですわ」と声を上げる。
「タナトス領の一件は、見過ごせない事柄です……。お父様にお話して、メイブルム侯爵家から直接陛下にお伝えして頂きましょう」
「それ、は……確かに大変有り難いですが……」
リオルドが国王陛下へと伝えたくとも、爵位を持たぬ身である為、国王陛下へリオルドが作成した報告書が手元に届くまでは時間が掛かるだろう。
だが、リスティアナの父、オースティンに話し、オースティンが直接国王陛下へ報告を上げてくれればリオルドが報告するよりも国王陛下へ伝わるのは早い。
それに、とリスティアナが心の中で呟くと次いで声を発する。
「先程スノーケア卿が提案して下さった他の侯爵家への確認……。この件もとても重要ですわ。スノーケア卿がそのような考えに至った事も、直接父に話して頂いた方が説得力が増しますもの」
リスティアナと、コリーナの家以外の侯爵家は学園に通う年の人間が居ない為、動向は分からない。
何事も無ければいいが、もしコリーナのフィリモリス家のように何かが起きていればそれはもう偶然とは言い難い。
誰かが、明確な意図を持ちこの国の侯爵家を揺さぶる算段があり実行したのだろう、と結論付ける事が出来る。
(その、"誰か"が他国の人間でない事を祈るばかりだわ──……)
リスティアナとリオルドは、かなりの速度で走る馬車に揺られながらメイブルム侯爵家に到着するのをまだかまだか、と焦れながら邸までの時間を過ごした。