16話
翌朝。
リスティアナは普段通りに起きて学園へと登園し、日に日に周囲から向けられる視線が非難めいた物に変わって来ている事に眉を寄せる。
(──お父様とお話しした通り……、やっぱり広まり方が不自然ね。誰かが噂が広まりやすいよう、動いている可能性があるわ……)
このままでは、やはりアイリーンとティファには暫く離れていて貰った方が良いだろう、とリスティアナが考えていると、背後からコリーナに話し掛けられる。
「リスティアナ、おはよう」
「──コリーナ、おはよう」
コリーナは、リスティアナに向けられている視線など何処吹く風で気にもとめず、リスティアナと接する態度を一切変える事が無い。
「──ふふっ、リスティアナ、貴女とんでも無い悪女になっているようね? 学園生の皆さんがとっても楽しそうに噂していたわよ?」
「あら、本当? それは困ったわ……全く身に覚えが無いのだけれど……」
コリーナの言葉に、リスティアナは眉を下げて自分の頬に手を当てる。
リスティアナのその態度にコリーナもふふ、と瞳を細めて笑みを深くすると自分の長い髪の毛をぱさり、と手で払った。
「学園内で噂に踊らされて、国内の情勢も鑑みる事が出来ないなんて……この国の貴族達はどんどん愚かになっていっているわね。自分達の頭で考える、と言う事を放棄しているわ。……折角思考能力を持ち、言語を操り、文化を作って来た人間であるのに、人と言う物から退化するつもりかしら」
「──辛辣ね?」
「あら、だってリスティアナもそう思わない? 折角思考する脳があると言うのに、この学園に居る学園生達の殆どは思考を放棄して、ろくに考えもせずにただ声の大きい方にさも自分自身でも良く考えて行動していると見せ掛けてただ流されているだけよ。……みっともない」
コリーナはふん、と鼻を鳴らすと責めるような視線を周囲に向けている。
リスティアナは苦笑を浮かべながら二人揃って学園の建物内へと足を進めて行く。
その背後では、最早日常の光景となったヴィルジールとナタリアが登園したのだろう。
背後からヴィルジールとナタリアの声が聞こえて来るが、リスティアナとコリーナはその声に反応する事無くそのまま建物内へと入って行った。
「──あそこに居たのは、リスティアナ……?」
「殿下……?」
ぽつり、とかつての婚約者の名前を呼ぶ自分の隣に居る男──この国の王太子であるヴィルジールの声に反応したナタリアは、じっと恋焦がれるような視線を建物の方へと向けるヴィルジールに些か面白く無い感情を抱く。
何故、今更リスティアナにそのような視線を向けるのだろうか。
自分を選び、婚約者を自ら裏切ったのはヴィルジールなのに、何故今更惜しむような視線を向けているのだろうか。
ナタリアはそっと視線を俯かせると胸中で呟く。
(私が妊娠などしていなかった、と知れば……殿下はきっとリスティアナ嬢とやり直してしまうわ……。そんなのって酷い。あの日、最終的に合意はしてしまったけど……私を連れ出してご自身の天幕に連れ込んだのは殿下なのに……!)
あの日、ヴィルジールが自ら事を起こしたと言うのに今更自分を捨てるつもりなのか、とナタリアは焦燥感に駆られ、同時にヴィルジールへ憤りも抱く。
(なんで……っ、あの人の何が良いって言うのよ……! 高位貴族なだけじゃない……っ、家柄が良いだけで、家柄が良いからしっかりとした教育を受けれただけのリスティアナ嬢の何処が良いのよ……っ)
ヴィルジールの態度に、ナタリアはリスティアナへの怒りを募らせて行く。
女性、として求められたのは自分の方だ。
リスティアナにはヴィルジールはそう言った感情が湧かなかったのだろう。
だから、女として自分自身はリスティアナよりも優れているのだ、とナタリアは自分自身に言い聞かせ、ヴィルジールの気を引こうとヴィルジールの腕の袖を引っ張った。
「──殿下? どうなさいましたか……? 早く学園内に向かいましょう?」
「──え、あ、ああ。そうだな、ナタリア嬢」
ヴィルジールはリスティアナが去って行った方向からナタリアの方へと視線を向け直すと、ナタリアが歩きやすいように自分の手を差し出してくれる。
ナタリアはヴィルジールの手のひらにしっかりと自分の手のひらを乗せると、ヴィルジールに体を寄せて歩き出す。
「──ナタリア嬢……」
必要以上に体を寄せて来るナタリアに、ヴィルジールは眉を顰めると咎めるような声音でナタリアへ言葉を掛けるが、ナタリアは口から出まかせを告げる。
「……何だか、最近は朝はあまり体調が良くないんです……フラついちゃう事も多くって……」
焦ってナタリアがそう言葉を紡ぐと、ヴィルジールは「ならば」と眉を顰めたまま唇を開く。
「尚更、城で安静にしていた方がいいのではないか? パーティーも参加すると言うが、今の状態では体に負担が掛かるのでは? やはりパーティーの参加は見送った方が良い」
「い、いえ……っ! パーティーは、城に来てからずっと診て下さっているお医者様が大丈夫だ、と! 体を大事にするあまり外に出ないと言う事をしてしまうと良く無いと仰っていました!」
「──だが、ここ最近ナタリア嬢は体調を崩してばかりだ。万が一の事が起きてしまっては困る」
「だ、大丈夫です……! 朝だけですから……っ」
必死に言い募るナタリアに、ヴィルジールは首を捻りながら、その勢いに押されて頷いてしまったのだった。
それから、学園内ではリスティアナに対して根も葉もない噂話が何処からか囁かれ始め、まるでそれが真実とでも言うように学園生達から冷たい視線で見られる事が多くなって来た。
(──直接、私に何か言ってくる人は居ないけれど……)
自分に視線を向けてヒソヒソと何事かを話している学園生達に、リスティアナは不快感を顕にしてしまう。
リスティアナが顔を顰めると、また周囲に居た学園生達が更に噂を広め、品の無い噂話にリスティアナが表情を歪め──、と悪循環に陥って行ってしまっている。
「──ああ、嫌だわ……ついつい表情に出てしまうのよね……」
「リスティアナは普段から凛とした表情だから、眉を寄せたりすると迫力がね……」
リスティアナの言葉に苦笑しながらコリーナが言葉を返す。
今は昼食の時間。
噂話の広まり方に違和感を覚えたリスティアナとコリーナは、アイリーンとティファと距離を取った。
自分達と関わる事で、アイリーンとティファの家門を巻き込まないよう、と配慮した結果なのだが、学園生達はアイリーンとティファが離れた事に更におかしな憶測をして、「友人達にも見放された」と噂話に組み込まれてしまった。
「まあ、私が悪く言われる程度であれば……痛くも痒くも無いのだけれど……」
「リスティアナ知っていて? アイリーン嬢とティファ嬢はリスティアナが行った悪行に愛想をつかせて私達から離れて行ってしまったそうよ?」
「あら、それは本当? 悪行ってどんな悪行かしら。後学の為に知りたいわ」
二人が、施錠の出来る予約制の談話室で昼食を取っていると、二人が居る部屋の扉が控え目にノックされる。
「あら……今日も、情報屋さんかしら……?」
「……もう、コリーナ」
揶揄うようなコリーナの声音と視線に、リスティアナは小さく声を上げると、席を立ち扉の方向へと歩いて向かう。
そっと、リスティアナが扉に近付くと扉の向こうに居た人物は人の気配が近付いて来た事に気付いたのだろう。
小さく言葉を発した。
「──私です」
「今開けますわ」
リスティアナが小声で返事を返し、扉の施錠を解いて少し扉を開けると、外に居た人物が僅かに開いた扉の隙間からするり、と室内へと入室する。
その人物は、リオルド・スノーケアで。
リオルドは学園内でリスティアナの噂が広がり始めてからすぐ、こうして頻繁にリスティアナとコリーナの元を訪れると今現在、学園内で広まっている噂を共有しに来てくれていた。
「リスティアナ嬢、ナタリア嬢が最近貴女を探しているようです……。外を歩く時は決してお一人で行動しない方がよろしいかと……恐らく、何か良からぬ事に貴女を巻き込む算段でもあるのだと思います」
「まあ、本当ですか……? それはありがとうございます、最新の情報ですわ」
リスティアナはふわり、と笑顔を浮かべるとリオルドへとお礼を告げる。
リスティアナの笑顔にリオルドは一瞬言葉に詰まったような表情を浮かべると、「いえ」と小さく言葉を返す。
その様子を見ていたコリーナは面白そうに眉を上げると、リオルドに向かって声を掛けた。
「スノーケア卿。もし宜しければ昼食ご一緒しませんか? いつも、スノーケア卿は私達に伝え終えると直ぐに退出してしまうでしょう?」
「──い、え……。ですが、ご令嬢方の中に私のような男が交ざってしまうのは……」
うろ、と視線を彷徨わせてそう答えるリオルドに、コリーナはにこり、と笑みを浮かべて言葉を続ける。
「このような離れた場所にまでやって来る物好きな方も早々居ませんし……ほら、リスティアナはこの通り婚約者が居ない身ですし、私は学園内には婚約者はおりませんし……婚約者に勘違いさせてしまう、と言う事はありませんので。あ、それともスノーケア卿には、最近婚約者の方が出来たのかしら……?」
「──いえ、私にも婚約者はおりません、が……」
「ならば学友として共に食事を取るくらい、別に変な事ではございませんわ。さあさあ、お座りになって」
リオルドは、本当に良いのだろうかとでも言うようにちらりとリスティアナに視線を向ける。
リオルドから視線を受けたリスティアナは、苦笑しながらリオルドを席へと促した。
タナトス領から、ここ王都までは単騎で馬を駆けて十四日程。
馬車では二十日程かかる。
だが、鳥を飛ばせば十日掛からずに王都までやってくる事が可能である。
タナトス領に居るリオルドの兄、スノーケア辺境伯であるリチャード・スノーケアは急ぎ王都に居る自分の弟と、王城へと鳥の知らせを飛ばしていたが、その鳥は終ぞリオルドへも、王城へも到着する事は無かった。