14話
タナトス領の先には、リスティアナ達の国と同じ程度の大きさの国がある。
その国の奥には大きな国土を持つ帝国の大陸が広がっており、昔からその帝国は海に囲まれ、海産物豊かで船があれば他の大陸へと簡単に移動する事が出来るアロースタリーズ国を欲していた。
だが、帝国とアロースタリーズ国の間にはアロースタリーズと同じ程度の国土を持つ隣国がある為帝国はアロースタリーズに対して手をこまねいている状態が数十年続いている。
ふ、とリスティアナは何故か突然そのような事を考えてしまい、目の前に居るリオルドに視線を向ける。
リオルドは、リスティアナへ伝える事を全て伝え終わったのだろう。
渡り廊下から外に出るこの階段の扉へと手を掛けて、後に続かないリスティアナに不思議そうな表情を浮かべる。
「──リスティアナ嬢?」
「……本当に、数十年間……手をこまねいていたのでしょうか……」
「……何か心配事でも?」
難しい顔をして俯くリスティアナに、リオルドもさっと表情を真剣な物にしてリスティアナに向き直る。
「──スノーケア卿……スノーケア卿のタナトス領に、万が一他国が攻め込んで来るような事があれば……」
「その際は……詳しくは語れませんが、我がスノーケアの家門の者がいち早く気付き王家へと直ぐに緊急の鳥を飛ばします。見慣れぬ軍の接近には目を光らせておりますので、大分早い段階で察知する事が可能ですので、ご安心下さい」
その察知能力について、リオルドは詳細を語りはしなかったがそれもそうだろう、とリスティアナも納得する。
自国の軍事面で要所となるタナトス領の戦闘に関する情報を、例え同じ国内の貴族であろうとも口外はしないだろう。
どこで、その情報が漏れてしまうか分からぬのだ。
リスティアナはリオルドに向かって無理矢理笑顔を浮かべると、「そうですわよね」と唇を開く。
「嫌ですわ、最近様々な事が起きて……心配性になってしまったようです」
「──お気持ちは、分かります……。このような騒ぎが起きているのですから……国内が荒れる事に対して過敏になっているのでしょう。……ご友人方と羽を伸ばして過ごしても誰も咎めないと思いますよ」
気遣うようなリオルドの優しい声に、リスティアナは眉を下げるとお礼を口にした。
ナタリアが学園生達と迎えの馬車を待ち、暫く。
ようやっと王家の紋章が着いた馬車が到着し、その馬車からヴィルジールが慌てた様子で降りて来ると、ナタリアに声を掛けた。
「──ナタリア嬢! 体調は? 無事か?」
「殿下、だ、大丈夫です……っ、迎えに来て頂きありがとうございます」
ヴィルジールは馬車から降りると、ナタリアの元へ急いで向かい、そっと背中に自分の手を添える。
ヴィルジールがナタリアを心配して、わざわざ王城から迎えに来る光景に、周囲に居た学園生達は仲睦まじく見える二人に「やっぱり、殿下の寵愛は一身にナタリアへと注がれている」と再認識する。
「──皆、ナタリア嬢を気遣ってくれたのだな。感謝する」
ちらり、とヴィルジールが学園生達へと視線を向けるとそう言葉を掛けて馬車へとナタリアを乗り込ませると自分自身も馬車へと乗り込み、そのまま馬車はゆっくりと動き出した。
「やっぱり、殿下はもうナタリア嬢に心変わりをしたみたいだな……」
「リスティアナ嬢と婚約を解消したのだから、そう言う事だろう。……まあ、殿下が何故あのリスティアナ嬢を捨ててナタリア嬢を選んだか……分からないが……」
「ああ、お前はあの噂知らないのか──」
馬車が遠ざかるのを眺めながら、学園生達はボソボソと噂話を交わしながら学園の建物へと戻って行った。
ナタリアの体を気遣っているのだろう。
馬車はゆっくりと進み、殆ど揺れは感じない程度の速度で進んでいる。
馬車の中で、ヴィルジールとナタリアは座席に向かい合うように座り、ナタリアの顔色の悪さを見たヴィルジールは心配するようにナタリアに向かって唇を開いた。
「──ナタリア嬢、顔色が悪いが……。貴女の希望は叶えたいとは考えているが、腹の子に何かあれば大変だ。体調が落ち着くまでは王城で過ごしてくれないか?」
「──えっ、」
ヴィルジールの言葉に、ナタリアはびくりと体を震わせるとがばり、と俯いていた顔を持ち上げてヴィルジールへ視線を向ける。
学園に登園せず、王城で過ごしてしまえば、身篭っていない事が直ぐに露見してしまう。
それだけは避けなければ、とナタリアは考えると必死に首を横に振る。
「そ、それだけは……! やっと、やっとあと少しで卒業出来るのです……っ。折角今まで頑張って通っていたのです……このまま卒業させて下さい……!」
「だが……まだ体調も安定していないのだろう? そのような状態で無理に学園に通えば、負担はどうしても掛かるだろう、そうすれば体調を崩す事も増えて、今日のように早退する事も多くなってしまう。それよりも、王城に教師を呼んで、個別にナタリア嬢に学園と同じ内容を指導して貰えばいいだろう?」
ヴィルジールの言う事は尤もだ。
(だけど、そうしたらバレるのも時間の問題……! 私が学園に登園し続ければ、リスティアナ嬢と私が同じ学園に通い続けて、リスティアナ嬢に注目を集めさせれば……私への視線は少なくなるわ。やっぱり、リスティアナ嬢には殿下と私の未来の為に犠牲になってもらわないと……っ)
ぐっ、と押し黙るナタリアにヴィルジールは困ったように眉を下げると窓の外へと視線を向けてから唇を開いた。
「一先ず、ナタリア嬢は城に着いたら医師を待機させているからしっかりと診て貰ってくれ」
王城に到着し、ナタリアはヴィルジールに手を引かれて自室へと案内される。
「──ナタリア嬢が戻った。診てくれるだろうか?」
ナタリアの部屋の前にやって来ると、既に到着していたのだろう。
以前からナタリアを診察してくれていた医務官が既に扉の外で待機しており、ヴィルジールの姿を見るなり頭を下げた。
「少し体調を崩しているみたいだ。私は外に居るので、診察が終わったら呼んでくれ」
「──殿下は、ご一緒に入られないので?」
医務官の言葉に、ヴィルジールは申し訳無さそうな表情をナタリアに向けると、唇を開く。
「ああ。午後の執務を変更しなければ……。少し補佐官と話して来る。直ぐに戻るからその間にナタリア嬢を頼む」
「お忙しい所を、申し訳ございません殿下」
「ナタリア嬢は気にしないでくれ。貴女の体が今は一番大切なのだから」
ヴィルジールの言葉に、ナタリアはぽっと頬を染めると「ありがとうございます」と小さくお礼の言葉を述べる。
去って行くヴィルジールの背中を見送りつつ、ナタリアは医務官へと向き直ると自室へと案内した。
ナタリア個人に与えられた侍女と、医務官、ナタリアの三人が室内へと入室するなり直ぐに診察が始まる。
医務官はナタリアに向かって今日はどうしたのか、体調はどのようにおかしいのか、何か心身に負担が掛かる事があったのか、等を確認して行く。
その質問に、ナタリアは内心ハラハラとしながら自分の今の状況が露見してしまわないように注意を払いながら返答して行く。
「──それでは、次はベッドに横になってくださいね」
「は、はい……」
ナタリアは、不安になりながら医務官に言われた通りにベッドに上がると横になる。
(お腹を、触れたりしたら医者には分かってしまうのかしら……僅かな感触で、子が居ないと言う事が知られてしまったら……)
ナタリアが心配する中、医務官は横になったナタリアの腹をそっと触診して行く。
下腹部、子を宿す付近を優しく押した医務官の指先が一瞬だけぴたりと止まるが、直ぐに触診が再開されて、ナタリアは自分の背中が嫌な汗でびっしょりと冷たくなっている事を自覚する。
医務官は俯いたまま僅かに瞳を細めると、直ぐににっこりと笑顔を浮かべて顔を上げる。
「──安心して下さい、ナタリア様。恐らく精神的に不安定になってしまっただけでしょう。お腹のお子にも影響は無いかと」
「ほ、本当ですか……!」
バレなかった、とナタリアが晴れやかな表情を浮かべると医務官はナタリアに子に影響のない薬を数種類出して、部屋から退出して行く。
医務官がナタリアの部屋を退出する瞬間、ナタリアに付いて居る侍女に一瞬だけ視線を向けた後、そのまま静かに部屋を退出した。
「ああ、良かったわ……」
ナタリアがついつい安堵の為か、口から言葉を零してしまうと、ナタリア付きの侍女がナタリアに近付き唇を開く。
「ナタリア様。学園の制服を着替えてしまいましょう。お手伝い致します」
「ええ、そうね。そうするわ」
ナタリアはふんふんと薄ら鼻歌を奏でながら侍女に手助けをしてもらいながら着替えた。
ナタリアは、その後やって来たヴィルジールに医務官に言われた事を告げ、安心したような表情になったヴィルジールにそっと寄り添った。
「心配をお掛けしてしまい、申し訳ございません殿下。体調はもう大丈夫ですから、ご心配には及びません」
「──ああ、そのようで安心した……。念の為に、ナタリア嬢はもう休んだ方が良い。──私は仕事の続きがあるので、これで失礼するよ。何かあれば侍女に直ぐに伝えてくれ」
ナタリアが体を寄せて来たが、ヴィルジールは不自然にならない程度にナタリアから体をすっ、と離すと部屋の扉へと足を向ける。
「あ……、殿下」
「すまない、ナタリア嬢。また来る」
ヴィルジールはそう一言ナタリアに告げると、ナタリアの部屋を出て行った。
場所は変わって、リスティアナの家であるメイブルム侯爵邸。
リスティアナの父親であるオースティンは、執務室で書類に目を通していた。
その書類は、以前リスティアナと食事の際に話していたヴィルジールとナタリアが関係を持ってしまった大規模な模擬戦闘訓練の様子を調べた物だ。
オースティンは、諜報に長けた人物に当時のヴィルジールの側にいた人物や、ヴィルジールの行動等を探らせていた。
「──殿下の側近は、幼き頃から仕えていた現騎士団長、か……。だが、もう一人の側近は殿下が学園生の際に取り立てた騎士だな……。だが、数年前から殿下の側近となり働いている……。あの令嬢は、殿下が仰っていた通り医療班として参加しているな」
ぺらり、と二枚目の報告書類をオースティンは捲る。
一見、報告書には何も不自然な部分は無い。
長期間の戦闘訓練で、心身共に疲弊し、精神面に多大な負荷が掛かっていたのだろう。
ヴィルジールは怪我もした、と聞く。血も流した事から気持ちも昂っていただろう。
「──だが、婚約者が居る状態で、殿下が女性に……しかも学園生に手を出すのだろうか」
そこまで浅慮な人間だったか、とオースティンは違和感に眉を寄せる。
オースティンは、問題のヴィルジールとナタリアが体の関係を持ったであろう日の出来事が記載されている文章を見て、瞳を細めた。