12話
午前の授業が終わり、昼食の時間になった為リスティアナとコリーナ、アイリーン、ティファは四人揃って教室を出るとティファが予約を取ってくれたと言う談話室へと向かった。
昼食の入った小ぶりのバスケットを持ち、リスティアナとコリーナが先頭を、アイリーンとティファがその後ろを並んで歩き、廊下を進んで行く。
チラチラとリスティアナ達に視線を向ける学園生や何やらヒソヒソと話している学園生達もいるがそのような学園生達には一切目もくれず、談話室がある教室から離れた棟へと向かって行く。
人の姿がまばらになり、人の気配が少なくなる。廊下の先を右側に曲がれば談話室がある。
そちらの方向へと四人でぽつりぽつりと会話をしながら進み、リスティアナが廊下の角を曲がった所で、前方から人が歩いて来ていたのだろう。
──ドンッ
と、人とリスティアナは人とぶつかってしまった。
「──きゃあっ」
「……っ、失礼!」
リスティアナがぶつかってしまった反動で後方によろけてしまった所を、前にいた人物が素早く腕を伸ばしてリスティアナの背中を支えた。
転ばないように、と伸ばされた腕はリスティアナの背中に回り、自然と目の前に居た人物の腕に抱き抱えられるような体勢になってしまい、リスティアナはぶわりと頬を赤くさせると目の前にある胸元に手を添えて僅かに力を込めて距離を取る。
「申し訳ない──、お怪我は? リスティアナ嬢」
「だ、大丈夫ですわ……助けて頂きありがとうございま──……」
先程から目の前に居る男性が言葉を発する度に、何処かで聞いた事がある声だとは思っていたが、リスティアナは顔を上げその人物の顔を見た瞬間、瞳を見開いた。
「ス、スノーケア卿……?」
「ええ、お久しぶりですね。リスティアナ嬢。前を確認せず歩いてしまっていて申し訳ない」
「い、いいえ。私も前方不注意でしたわね……、大変失礼致しました」
「お怪我が無くて安心致しました。……ご友人方とお昼ですか?」
リオルドは、リスティアナと共に廊下を歩いて来ていたコリーナ達に視線を向けるとリスティアナに聞き、続けて唇を開く。
「時間が無くなってしまいますね、お邪魔をしてしまい申し訳ありません。私はこれで失礼致します」
「え、ええ……。支えて頂きありがとうございました、スノーケア卿」
リオルドはにこり、と微笑みを浮かべると軽く一礼をしてリスティアナ達に背を向け廊下を去っていく。
リスティアナは、自分を後方に転んでしまわないように、と力強く背中に回った腕に引き寄せられた感触を思い出して頬を赤くしたまま立ち尽くしていると、隣に居たコリーナがリスティアナの腕をつん、とつついて「行きましょう?」と声を掛けて来る。
コリーナの言葉にリスティアナはこくり、と頷くと廊下を曲がり談話室へと向かった。
「先程の男性は、リオルド・スノーケア卿ですわよね?」
談話室に入るなり、きっちりと施錠をしたティファがくるりと振り向くなりリスティアナ達に視線を向けて唇を開いた。
ティファの言葉にリスティアナやコリーナは首を傾げながら「ええ、そうです」と肯定の言葉を零すと、ティファはぱぁっと表情を明るくさせて談話室にあるテーブルに着いたリスティアナ達と同じく、席に着くと興奮したように唇を開いた。
「先日、私先生への質問がありましたので、皆さんと昼食をご一緒せずに過ごしましたでしょう?」
「ええ、そうだったわね。その際に色々とティファ嬢が周囲の噂話を確認して下さると言っていらしたわね」
「そうです、そうですわ……! その、私の家は子爵家ですので学園生の方達は気安く声を掛けて下さるのですが……その……、」
ティファが気まずそうに表情を歪め、言葉を濁した事でリスティアナとコリーナは予測が付いたのだろう。
苦笑しながらティファが言いたい事を代弁する。
「──メイブルム侯爵令嬢は、殿下の寵愛を他の令嬢に向けられて捨てられる、とでもティファ嬢に助言された方がいらっしゃる?」
「しかも、メイブルム侯爵家と関わると良くない事になる、とでも言われたかしら?」
リスティアナと、コリーナの言葉にティファは眉を下げると小さく頷いた。
「どうせ、侯爵家の後ろ盾が欲しいから一緒に居るのだろう、と……それならばナタリア嬢に取り入った方がいい、と下位貴族の子息や令嬢達は軽々しく口にして、笑っていましたわ……! 別に私は後ろ盾が欲しくてリスティアナ嬢とご一緒にいる訳ではないのに……っ、リスティアナ嬢が好きで、お友達としてご一緒させて頂いているのにっ!」
感情が昂って来ているのだろうか。
いつもは礼儀正しい言葉使いを心掛けているティファが語気荒くそう口にしてくれるのを、リスティアナは嬉しさを滲ませ微笑むと、「ありがとう」と言葉を返す。
「ティファ嬢も、アイリーン嬢も大切なお友達です。そう思って頂けて嬉しいわ」
「リスティアナ嬢……!」
「リスティアナ嬢!」
リスティアナの言葉に感動したかのように、アイリーンとティファが瞳を潤ませて言葉を震わせる。
その様子を瞳を細めて眺めていたコリーナは、からかうように唇を開いた。
「あら、私もここに居る皆さんを大切な友人だと思っているのだけれど……アイリーン嬢も、ティファ嬢も私の事もそう思って下さっているのかしら?」
「も、勿論ですわ!」
「大切なお友達です!」
「──ふふっ、コリーナは拗ねているだけだわ、お二人とも気にしないで」
四人で顔を見合わせて笑い合うと、そこでいくらか落ち着きを取り戻したティファが先程の続きを言葉にした。
「それ、で……そのような下品な言葉を掛けられてしまった私が、その……淑女としてはお恥ずかしい言葉遣いで反論してしまったのです……。そうしたら、先程の! リオルド・スノーケア卿も少し離れた場所で昼食をお取りになっていたらしくて……! 学園生達を叱責して下さったのです!」
何故、リオルドが学園生達を叱責したのだろう。
その感情が表情に出ていたようで、その当時の事を思い出したのか、興奮から僅かに頬を染めたティファが事細かにリスティアナ、コリーナ、アイリーンへと語ってくれた。
「その……っ、その学園生達は余りにも下品な噂話をされていたのですわ。ありもしない事をさも事実かのような口振りで、面白可笑しくお話する様はとても……、我が国の貴族とは思えぬ程……その、酷い噂話でしたので……詳細は省きますわね」
「ええ、大体は想像が付きますわ」
気遣い、言葉を濁すティファにリスティアナは苦笑し、コリーナは怒りを顕にし、アイリーンはこの国の貴族達の下品さに羞恥を覚えている。
「ありがとうございます……、リスティアナ嬢。それで、その、そのような噂話を喜んで話している学園生達の言葉に耐えきれなくなりまして、私が席を立ったと同時に先程の! スノーケア卿が近くまでいらっしゃってて……! あの美貌で、冷たい眼差しと口調でその噂話をしていた学園生達に口を開いたのです……!」
うっとり、と視線を細めてそう言葉を放つティファに、リスティアナ達は興味をそそられる。
いったい、あの人がどんな言葉を発したのか。
下品な噂話をしていた学園生達を叱責した、その当時のリオルドの気持ちはどんな気持ちだったのだろうか、とリスティアナは何故か考えてしまい、無意識に考えてしまっていた感情をそっと頭を振って頭の中から追いやる。
ティファは両手を胸の前で組んだまま、夢現のような心地で、リオルドの言葉を口にした。
「──自国の王族と誇り高きメイブルム侯爵家のご令嬢、お二人の下世話な噂話を嬉々として語るとは……この国の貴族の精神も地に落ちた物だ、と……! がっかりした、と! そう仰ってその場にいた学園生達の口を閉じさせたのです……!」
「──まぁ……」
「あくまでも、スノーケア卿はリスティアナ個人を庇うのでは無く、貴族としての矜恃を持て、と仰ったのね。配慮深さを感じられるわね」
コリーナが感心したようにそう言葉を零す。
コリーナの言葉に、リスティアナも同意して微笑みを浮かべると頷く。
タナトス領のスノーケア辺境伯の子息が、リスティアナ個人を庇うような言葉を口にすれば要らぬ噂話を再び呼び込んでしまう可能性がある。
その事を危惧し、配慮してこの国の貴族として恥ずかしい真似をするな、と愚かな貴族の子息と令嬢に対して注意をすると言う、面倒な事をしてくれたのだ。
知らぬ振りだって出来る筈であったと言うのに、それを良しとせず、貴族としての振る舞いとしてどうなのだ、と学園生達を叱責してくれたらしい。
「リスティアナ嬢は、スノーケア卿とお顔見知りでしたのですね!?」
その時の事を思い出したのか、興奮気味にそう言葉を紡ぐティファにリスティアナは「いえ……」と小さく言葉を紡ぐ。
「スノーケア卿とは、あまりお話しする機会がありませんでしたので……親しくは無いのですが……」
リスティアナがそう言うと、ティファは更に興奮したように顔を赤らめて唇を開いた。
「それでは、スノーケア卿はリスティアナ嬢と親しくないにも関わらず、この国の貴族として、貴族としての在り方を説いたのですわ……! 流石、タナトス領を守る騎士を志して居られるお方ですわね……! それに先程も、リスティアナ嬢が倒れてしまわぬよう、素早く反応されてリスティアナ嬢をお助けするなんて……! 私、あの場で先程の光景を目にして一枚の絵画を見ているような心地でしたわ!」
きゃあきゃあと楽しげに話すティファに、リスティアナはつい苦笑してしまう。
だが、ティファの言葉にコリーナもアイリーンも同意するように頷いた。
「確かに、リスティアナが倒れてしまわないように即座に反応していたスノーケア卿は素晴らしかったわ」
「ええ、ええ……! 絵になる二人、とはまさにこの事かと思いましたもの」
「──もう、アイリーン嬢は兎も角……コリーナ、貴女からかい半分でしょう?」
リスティアナが瞳を細めてそう告げると、コリーナは悪びれせず「あら、バレてしまったわ」と楽しげに笑った。
ティファはふう、と息を吐くと今まで興奮して話してしまったからか喉が渇いてしまったのだろう。
一口グラスの中に入っていた水を飲み込むと喉を潤してから再び唇を開いた。
「──あの日は、一先ずそれで品の無い噂話は収まったのですが……また本日、殿下がナタリア嬢をお送りされていらっしゃったので……」
「ええ、そうね。私と殿下の婚約が解消された事も広まっているから……再び嫌な噂話が広まるでしょうね」
そこでリスティアナは一度言葉を区切ると、アイリーンとティファ二人に視線を向けて唇を開いた。
「──これから、もしかしたら私の立場が悪くなる可能性があるの……。だからお二人とは暫く離れて学園生活を送らせて貰う形になるかもしれないのです」