悪魔の子
昔書いた短編が出て来たので、軽く加筆修正して投稿します。
手の平が熱い。
喉が痛い。
ガサガサと足元が煩い。
どれだけ走っても足を止めるには早い気がして、ずっと前方だけを見据えて駆ける。
周囲の木々を背後へ追い越し、舗装されていない土の道を蹴る。
2人分の荒い呼吸が響くが、それよりも大人達の怒号が耳に残って消えてくれない。
今は聞こえない。聞こえていない、はず。
もう後ろには誰も居ない。居ない、はず。
立ち止まって耳を澄ます勇気も、振り返って追手の確認をする勇気もない。
ただ掴んだこの手を離したくなくて、右手を強く握りしめた。
「……いたい!」
「っ!?」
突然の衝撃に止まれず、走った勢いのままに地面に転がった。打ち付けた膝からジンジンとした痛みが伝わる。
けれど、そんなつまらない痛みを気にしている場合ではなかった。慌てて立ち上がり、手が離れた先を振り返る。
そこには膝に手を着いて荒い息を整えようとする半身が、恨みがましい表情でこちらを睨んでいた。
走った勢いでズレた眼鏡が、鼻先に引っ掛かって落ちかけている。
「も、僕は兄さんと違って、体力無いんだから……!」
その言葉にごめんと頭を軽く下げつつ謝れば、眼鏡を掛け直した半身はすぐにふっと表情を緩めてくれた。
仕方ないな。とでも言いそうなこの顔が、俺は好きだ。見守ってくれているようで。包み込んでくれているようで。とても安心する。
そうして、そっと視線を少し奥へ投げた。しかしそこには、先程まで耳に残っていた足音や、怒号の持ち主は居ない。ただ延々と木が立ち並んでいるだけ。
「……ねえ、どこに行くの?……ううん。どこなら行けるの?」
半身の言葉に答えられず、小さく俯く。
答えられない。答えられる、はずがなかった。
だってその問いに答えがあるのなら、こんな事にはなっていなかったのだから。こんな目に、遭わせるることもなかったのだから。
ぎゅっと、一度振り払われた手を両手で握る。離したくない。離されたくない。
この手を今離したら、もう二度と捕まえられなさそうで。
半身は困ったように眉を下げて、掴まれていない片手で自分の両手を宥めるように撫でた。
「どこにも逃げ場なんてないよ。今は平気でも、あの鬼共にすぐ捕まる」
そんなことない、と、言いたかった。どこにだって逃げられると、嘘でも言いたかった。
……けど、嘘でも言えない。
どこにも逃げられない。どこにも逃げ場なんてない。
半身の言った通りだ。自分たちの持つ手段はほぼ零で、自身の足だけではこの森を抜けることすら出来ないだろう。
どうにもならない。悪魔の子らと呼ばれていても、なんの能力も行動力も持っていないのに。
「<1人に満たない、人間以下の悪魔の子。村に災厄を齎す存在は、神のお力によって浄化されるべし>だって。嗤っちゃうよね。いい歳した大人が、そんなバカげた話信じてるんだもん」
ハッ。乾いた嗤い声が響く。
言葉通り馬鹿にしたような嗤い声。けれど、それには全面的に同意だ。
悪魔の子だから、力が使えないように衰えさせなければ。
悪魔の子だから、人間を惑わせないように声を奪わなくては。
悪魔の子だから、魅了させないように目を潰さなくては。
本当に馬鹿げている。子供の自分たちにも分かるのに、どうしてそんなことを信じられるのか。
くだらない。馬鹿げている。
何よりくだらないのは、そんなくだらないことに巻き込まれたのが自分たちだということ。
「諦めよう?兄さんは、頑張ってくれたよ。今まで僕を守ってくれた。もう、十分だよ」
ぐいっと、今度はこちらが腕を引かれる。来たことがない場所なのに、まるでこの先に何があるのか知っているかのような、迷いのない足取り。
諦める。そのマイナスの言葉とは裏腹に、半身の声はとても楽し気だ。鼻歌が聞こえて来そうなほど上機嫌だ。
そうして辿り着いたのは、大きな湖。こんな奥にこんな場所があったのかと、上手く開かない瞳を大きく見開いた。
振り返った半身が、眼鏡の奥の片眼を細めて笑う。
「○○様の棲む湖。悪魔の子を直接お渡しするわけにはいかないから、僕らは浄化された後に流される予定だったんだって」
浄化とか、何言ってんだって感じだけどね。皮肉気に笑う。
大人たちの言う浄化とは、炎で燃やすこと。炎によって浄化されないモノは無いらしい。だったらあの村ごと、全て焼き払ってしまえばいいのに。
そうすれば何もかも浄化されて、アイツらの言う幸運なんていくらでも入って来るだろうに。
一歩、足を踏み出した。
「ねぇ。本当に僕らが悪魔の子ならさ。これって復讐にならないかな?」
半身も一歩足を進める。
「浄化される前の僕らが神様の御許に逝くなんて、最高の嫌がらせだよね」
ぎゅっと、繋いだ指を絡め合う。
不安なんて少しもなかった。恐怖も感じない。
今更。全て、今更なんだ。
許容できなかったのは、先に浄化されるのがこの半身だったこと。自分1人が置いてかれてしまうこと。
そうでないのなら、なにも怖くなんてない。
「兄さん、一緒に逝こうね!」
ドボンと、水音が耳元で鳴る。
2人で手を繋いだまま、奥へ、もっと奥へと沈んでいく。
このまま2人一緒に逝けたなら、きっとまた次も2人でいられるだろう。
ごぼりと気泡が口から溢れた。苦しい。呼吸が出来ない。無意識に体が動く。
苦しい。苦しい。息が出来ない。水が入って来る。苦しい。鼻が痛い。頭がぼんやりとする。苦しい。苦しい。くるしい。いたい。くるしい。こわイ。
あ、
いき、が、
でき
な
どこか遠くで、誰かの声がする。
聞き覚えのある、もう二度と聞きたくないと思っていた声。
ソレを知覚した途端、ゴポッと口から大量の水が吐き出されたのが分かった。
「おい!息を吹き返したぞ!」
「よかった……。○○様がお穢れにならなくて、本当によかった……」
「よし!そっちはもうどうでもいい。もう片方はどうだ!?」
ああ、自分は生き永らえてしまったのか。荒い咳を繰り返しながら、未だぼやける思考の隅でそんなことを考える。
死ぬのなんて怖くないと思っていた。今まで受けてきた扱いを考えれば、むしろ楽になれるんだと喜んですらいたのに。
水の中は暗くて、寂しくて、苦しくて。とても、とても怖かった。
あれ、でも……なんで怖かったんだろう。
「そっちはどうだ!?」
「……だめだ。こっちはそいつより深い所に居たからな……」
「ちっ!どうせ死ぬなら無駄な手間取らせんなクソガキが!!」
………え
ど うし て ?
だって、 ぼくたち は いっしょに てをにぎって
いっしょ に しず んだはず なのに
あ ああ なんで どうし て
「やっぱり悪魔の子だな。こいつ、自分の兄弟見捨てて自分だけ生き残りやがった」
「弟君可哀相になぁ。いやこっちが兄だっけ?どっちでもいいか」
「おい早く火を点けろ。さっさと浄化して○○様に捧げるんだ」
ぼんやりとした視界の中で、驚くほど綺麗な火が灯る。それが松明だと気付いた時には、その火が地面へ向けて傾けられていた。
それは横たわる何かを轟々と焼き尽くし、黒い塊へと変色させていく。
待って。待って。いやだ。置いて行かないで!
とうの昔に失われた声が零れることはなく。ただ茫然と、その光景を横たわりながら見ていることしか出来なかった。
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簡単な設定
視点→双子の多分兄
「双子は不吉」という村の風習により、双子として生まれた瞬間から村八分を受けて来た。
片目と声を失っている。
自分が多分兄だと思うから弟を守ろうと必死になっていたが、心のどこかでは兄になりたくなかった。
両親は双子が生まれたとバレた瞬間に、村人によって「悪魔を齎した親も悪魔」だと殺されている。
双子が生き永らえていたのは、悪魔の子を殺して更なる災厄が訪れるのを恐れたため。
今回は「炎による浄化」という方法を思いついたため、双子の殺害を決行しようとしたところ逃げられてしまった。
片方だけにしようとしたのは、もし炎でも駄目だった場合の保険。
視点を兄と呼ぶ子→双子の多分弟
初めに視点の子を兄と呼んだ。本当はどっちが兄で弟かは分からない。
本人にそのつもりはなかったが、無自覚に「兄」という役割を押し付けた。
唯一の味方である片割れに、甘えたい、助けてほしいという想いから言ってしまったのかもしれない。
目は残っているが、刃物で切られているため見えてはいない。その傷口が気持ち悪いと更に迫害を受けていた。
眼鏡を掛けているのは、片方のレンズに大きく皹が入っているので潰された片目が見えにくくなって丁度いいから。ちなみに眼鏡は拾った物。
視点の子が生き残ってしまったのは、入水しようとした時あまりの苦しさに片割れの手を振り払ったから。
その結果片割れはそのまま沈み、視点の子は無意識に水面まで上がっていた。
最終的に死んだ片割れは燃やされた後に湖へと放り込まれ、1年後特に災厄が無かったため視点の子も殺されて燃やされた後で湖に放り込まれる予定。






