夏の終わりに その6
君は今、何をしているのだろう。
我儘王子――近々この呼び方もふさわしくなくなるだろう。自分はじきに王位継承権を剥奪され、行き場のない廃太子になり果てる。
もうすぐ王子ではなくなるルイスは、己の自由を束縛する格子窓から、切り取られた空を覗いた。
「コーティ……」
気になるあの娘の名を呼んでみる。恐らく、ルイスが唯一守れた女の子の名前だ。それだけが救いで、彼女のことを考えれば、鬱々たる気分も少しは収まるような気がした。
はじめて、自分の手で守りたいと思えた人。今の彼女は、北の町で何を見て、何を思うのだろう。
彼女の抱えるやるせなさに、どうか一つの区切りをつけられていたら。自分が彼女にした仕打ちを棚に上げてでも、ルイスはそう願わずにはいられない。
もう、いいんだ。苦しむ必要なんてないんだ。
半年も傍に居たのに、その一言を、結局ルイスはコーティに伝えられなかった。復讐だけが道じゃない、なんてルイスは言えなかった。
色々考えているようで存外単純。ルイスを放っておけないほどのお人よし。出かけるとなればお洒落な服を選んでしまう女の子。確かに喜怒哀楽を表に出すのは苦手だが、表情がないなんてことは断じてない。
減らず口を叩く時の澄まし顔、辛い記憶をたどる時の下がり眉、考えをまとめる時に義手の手首をいじる癖。ふとした拍子に見せる微笑みも、こちらの我儘で振り回したときの驚き顔も。
何が「復讐以外は全部捨てた」だ。周囲の物事に心を動かされる君は、いつだってそこにいた。年頃の乙女らしく、あれやこれやと興味や関心を持っていることだってルイスにはバレバレだった。
自分にはこれしかないから。そうやってコーティが自分を騙し続ける大噓は、彼女の癒えない傷の証。けれど、だから何もかも楽しめないなんてことはあり得ない。落ち着いて、立ち止まって、振り返って。考えるきっかけさえあれば、きっと……。
まったく。彼女の復讐心すら利用した自分が、どの面下げて言えるのだろう。すべてを失った挙句、牢屋の中でぼんやりしているからこそ、ルイスはこんなことを考えられるのだ。
エルシアがコーティを殺す。その可能性は限りなく低いとルイスは踏んでいる。
それは、なんとなくであってもエルシアの人となりについて想像をつけられているから。
ルイスはもちろん、≪傾国≫伝説の裏側を知る側の人間だ。そしてエルシアと幾度となく交わした手紙は、ルイスの認識が間違っていないという証明になってくれて、それが彼に縋る最後の縁をくれた。
≪傾国≫エルシアは、きちんと現実を見ている。人の欲と悪意を理解し、脅威が及ぶことのないように、影であくどい真似もする。必要とあらば、賄賂や癒着、その辺の悪行にまったくの躊躇いがない。
けれど、他方で彼女はどこまでも夢想家だ。人の感情を大切にし、どこまでも素直にそれを表現する。権力や金よりも、心理的な幸福を優先する。貴族らしい知恵の回し方と、下町育ちらしい感性を同居させたらあんな人間になるだろうか。
総じて評するなら、とても傾いた感性を持っている人。悪魔でもなければ天使ともいえない、一人の平凡な女性。エルシアに対するそんな印象は、あながち間違ってはいないはずだ。
そんなエルシアと、直情的で短絡的なコーティ。
何となくだけれど、相性は悪くないはずだという直感を信じた。ケトに対する襲撃で、すべてをぶつけた後のコーティなら、エルシアと落ち着いて話すことができるのではないか。そうすれば、悲しいことにはならないのではないか。
だからこそ、ルイスはコーティをブランカに逃がした訳で。それはルイスにとって、一つの賭けでもあった。
もちろん理由はそれだけじゃない。
実際、彼女はもう、自分の傍に置いておけなかったのだ。≪白猫≫襲撃の汚名を被るルイスは、今までのように彼女を庇うことができなくなるから。
そうなれば最後だ。彼女は罰されるし、きっとそれに抵抗しない。あのまま王城の病室に囲っていたら、遅かれ早かれコーティはこの世から消されていただろう。
だから、ルイスが≪白猫≫襲撃を肯定した時点で、コーティと一緒に居られなくなる日が来ることは分かっていたのだ。
「コーティ……」
もう一度だけ、名前を。君はもう、俺の真意を知ってしまっただろうか。君の復讐心すらも利用した、救いようのない阿呆の無様な生き様を蔑んでいる頃だろうか。
笑ってくれて構わない。君の心を踏み台にしてまで成し遂げようとした蛮行。それすらも失敗した、哀れな人間の末路なんて、面白可笑しく語って喜劇にでもしてくれた方が気が楽だ。
「……」
鉄の扉の向こうで、物音がした。
ほうら、今日も来た。ルイスを負かした敵の親玉が。
≪六の塔≫でしか見ることのない、囚人を閉じ込めるための鉄扉。それが軋みながら開いて、ルイスは望まぬ来訪者の姿を認める。
「ご機嫌はいかがかしら? ルイス殿下……あら、まだ殿下で良かったのかしら?」
「……今更、呼び方なんぞにこだわらねえよ」
「そう? でも、王位継承権の剥奪、言い出しておいてまだ動きがないのはどういうことでしょうね、殿下」
ネルガン連邦海軍、プレータ・マクライエン少佐。この事態を引き起こした張本人は、軍装の腰に帯びたサーベルの柄をいじりながら、ルイスのいる牢獄の中に踏み入ってきた。
異国の軍人が、我が物顔で≪六の塔≫までやってくる。そんな異常事態にすらも対応できなくなってしまったこの国は、もう本格的に後がない。その事実を思い知らせるためだけに、彼女はよくこの牢獄を訪れる。
「お陰で、あなたの身柄の移送ができなくて困っているの。早いところ、うちの艦隊で裁判を受けてもらいたいのだけれど」
「ネルガン式の裁判なんて、期待できそうにないな。そもそも、まだ和親条約は未締結だ。うちの国で起こった事件である以上、どれだけカーライルが譲歩したとしても、両国で合同捜査を行うのが筋ってもんじゃないのか?」
「いつまで腑抜けたことを言っているのかしらね。殿下はまだ自分のお立場が分かっていないと見受けられる」
カツン、カツンと、プレータのブーツが音を立てる。目の前に迫った女は、丁寧な言葉遣いとは裏腹に、どこまでも冷たくルイスを睨んでいた。
「我がネルガン海軍の中将を、あなたが暗殺したのよ? その罪を裁くのに、カーライルの野蛮な法なんて当てにできないでしょう」
「だから俺はやってねえっつってんだろ。濡れ衣を被せるってんなら、せめて調査する素振りくらい見せたらどうだ」
「調査なら既に終わったと言ったでしょう? 暗殺の凶器となった試作型魔導拳銃、あなた以外に持っている人がいて? 誰かに渡して、暗殺を指示した。それしかないの」
ネルガン側の全権特使であるトーリス中将。
国外退去期限が迫る中で、ネルガンの要人である彼が凶弾に倒れた。それが、すべての状況をひっくり返した。
思いもよらない報告にルイスが呆気にとられたのも一瞬のこと。何故かその暗殺がルイスの指示によるものだと言う主張が持ち上がり、あれよあれよという間に彼は≪六の塔≫に押し込められていた。
なんとも馬鹿げた、たった数日の出来事だった。
ルイスが実行に移した鎖国政策と対ネルガン同盟締結への画策に対する反発であることは明白で、しかしそれが理解できたところで、ルイスにはなす術がなかったのだ。
「……味方殺しめ。そこまでして、カーライルが欲しいか」
「あなたはよく頑張ったわ、ルイス殿下。でも、もうお遊びの時間は終わり」
味方殺し。プレータはそんな揶揄に肯定も否定も返さない。代わりに真っ赤な唇が近づき、ルイスの耳元で囁き声が響く。生理的な嫌悪感に泡立つ肌を押さえて、ルイスは異国の侵略者を睨みつけた。
「貴様らの思い通りにはさせない」
「あらあら、こんな状況で勇ましいこと」
ぬらりとプレータの口が開く。妙に官能的、けれど今のルイスにとって不快感の塊だ。
「ねえ、単純に気になるんだけど。ルイス殿下、あなたに今更何ができるの? いえ、多分何もできないんでしょうけれど、もしまだ策を練っているというなら、それは本当にすごいと思う。素直に賞賛を送るわ」
どこか楽しそうにプレータはそう言った。
「だって、≪白猫≫襲撃による鎖国政策、そうねえ、周囲の理解こそ得られないでしょうけれど、私は正直とんでもなく良い手だと思うもの。お陰でこちらも大分計画を変更しなくてはいけなくなった。……けれど、そのせいであなたは権力を失い、信用も失墜。そして今や異国の大使暗殺の嫌疑までかけられて。まるで鳥籠の中の小鳥のよう」
「俺が籠の鳥ってのは今も昔も変わらない。籠の中から手を伸ばすコツなら心得てるさ」
言い返しはしたものの、プレータの言うことは正しい。己の自由すら奪われたルイスに、打つ手なんてもう何もないのだから。
唯一の突破口があるとするならば、ルイスが暗殺に関わっていないことを証明することだろう。が、調査自体をネルガン側が拒んでいる以上、それも望めない。
「強がっちゃって。かわいい子」
捕食者の目で、プレータ少佐はぺろりと唇を舐めた。食われる、という本能的な恐怖と、情けないところは見せたくないという意地が震えかけた背筋を支えた。
「この調子だと、エレオノーラ殿下は、もうしばらくあなたの王位継承権を剥奪できないわね。だって、それがなくなったらルイス君を守る最後の盾が効力を失うもの。こっちに来て、裁かれて、殺される。王子の肩書とこの牢は間違いなく今のあなたの命綱だわ」
「……」
「でもねえ、それだとこちらも話が進まないのよ。仕方ないから、次の手を使わせてもらうわね。今日はそのお話をしに来たの」
侵略者は、そっと微笑んだ。
「本日午後、南方マイロにて我が軍は行動を開始する。目的は町中心部の制圧、そしてマイロに駐留する敵戦力の排除」
「なっ……!?」
思わず立ち上がる。流石のルイスも、平静を取り繕える類の話ではなかった。
「安心しなさい。目的はあくまでマイロ港停泊中の艦艇の安全確保よ。余計な抵抗をしなければ、その分痛みも減るでしょう」
「ふざけるな、宣戦布告もなしに上陸戦するってのか……!?」
「あ、した方が良かった? じゃあ、今ここでしましょうか? 宣戦布告」
しれっと言ってのけた女軍人に、今度こそ言葉を失った。
「別に私は構わないわ。こんな弱小国家、その気になれば簡単に焦土にできるもの。……でもねえ、そうすると併合後の抵抗運動が激しくなっちゃうから好きじゃないのよね」
「ふざけんじゃねえ! 人の国をなんだと……!」
「だから、あくまで安全確保という名目でやらせてもらうわ。お判りいただけて?」
まどろっこしい説明であっても、ルイスには何が目的か判断ができるくらいの知能はあった。
「見せしめにするってのか、マイロを……!」
「仕方ないでしょう、こちらの条件を飲んでくれないのだから」
「あんな、間接統治の植民地扱いを受け入れろって言うのか!? そもそも交渉の席にすらつこうとしないってのはどういうことなんだよ……!?」
「譲歩するつもりはこれっぽっちもないってこと。ルイス君もいい加減、二度も襲われたのだから学びなさいな」
「……!」
冬の終わりの、一度目の襲撃。あの頃はまだネルガンの出方を伺っていた頃だ。
条約の早期締結のため、腹を割って一対一で話したい。そんなネルガン側の要望を、何かの罠かと疑いつつも、交渉に向かったあの日。
ルイスは道中で≪鱗の会≫に襲われた。新米の女使用人の介入がなければ、一体どうなっていたことか。ルイスがネルガンの強固な意志と、内通者の存在を思い知らされた出来事だった。
自分の代わりに犠牲となって、腕を失った娘。力なく横たわる彼女に、巻き込んだ罪悪感を抱いた記憶は色濃く残っている。
そして二度目、雨期に入った頃の襲撃。
恐らくいるであろう、カーライル側の内通者。ひょっとして、まさか、そんな疑念が積み重なり、内通者の尻尾を掴みかけた矢先、ルイスはまたしても襲われた。
それは内通者の正体に確信を抱かせると同時に、ルイスの無力さをつまびらかにした出来事でもあった。
そう。正体が分かったところで、ルイスにはどうにもできなかったのだ。
三年前の戦争を皮切りに、一気に変わった国内の権力図。例え王族であっても、否、かの戦争で愚行を起こした王と同じ一族だからこそ、カーライル王家はそれまでの影響力を失い、一種の合議制に近い政治体制を取ることになった。仕方のないことではあったが、それが裏目に出た。
裏切り者が誰なのか、それに気付いたルイスは驚き、嘆き、恐怖したものだ。
なんてこった、あいつらがその気になれば本当に国を転覆させることができてしまう。それだけの力を有する集団だ。ルイスのような若造一人で抑え込める相手ではなく、だからこそルイスは彼らに何も働きかけられなかった。
代わりに企図した、≪白猫≫襲撃。それは、ルイスとコーティ、たった二人で起こす事件だからこそ実現できたもので、既に雁字搦めにされていたルイスにとって、消去法でありながらも最後の希望だったはずなのに。
呻くしかなかった。敵方は暴挙を隠そうとすらしない。それはつまり隠すほどの相手と見なされていないということ。プレータがこんなにペラペラと話すのは、ルイスにできることなどないと分かっているからだ。
「やめろ……」
「それは貴国の出方次第」
力のない声は、強国が押し付ける論理を前にかき消される。そしてルイスは、血も涙もない、数多の植民地が辿ってきた道を目の前に示された。
「選びなさい。従属か、滅亡か」
選べる訳がない。そんな二択、選べるはずがないのだ。唇を噛み、肩を怒らせ、けれど何もできない無力感。ルイスはもう、無言しか返せない。
「……ま、もうあなたに言っても仕方ないんだけどね」
うなだれたルイスの頭の上から、声が降ってきた。何故か声色が少し違う。初めて聞く、同情を含んだ響きだった。
「……国が消える。その苦痛を知っているのはルイス殿下だけじゃない。他に同じ苦しみを背負い続けている者がいるってことだけは、覚えておきなさいな」
カツン、カツン。音が聞こえて、プレータが牢から去ろうとするのを感じ取った。
「……俺の身柄を預けることで、他の選択肢は生まれないか?」
「あなた馬鹿よ。ガキの身柄に、本当は価値なんてないって分かっているでしょうに」
軋るような問いかけには、どことなく悲しそうな響きが答えとなって帰ってきて。
「この後、私はカーライルのお偉方と会議に入るわ。貴国の回答期限は五日後。そこまでに決めなさいってね。今のカーライルの最高責任者はエレオノーラ王女殿下……あなたのお姉さんが、どこまで耐えられるか見ものね」
重い音を立てて、ルイスの前で鉄の扉が閉まった。
※次回は5/9(月)の更新になります。




