夏の終わりに その5
「おかえりなさい」
受付さんは静かに、定位置を陣取っていた。
ここは田舎町の冒険者ギルドで、彼女はその職員さん。奥のカウンターに佇む女性は、ドアに括り付けられたベルの音に顔を上げると、柔らかな微笑みを浮かべる。
「ただいま戻りました」
本当は、最初からそうなんじゃないかと思っていた。
亜麻色の癖っ毛に、高い鼻筋、整った美貌。目の色こそ違えど、彼女は彼によく似ている。
≪傾国≫エルシアと≪我儘王子≫ルイス。確かにこの二人は姉弟だ。
「向こうはどうだった?」
ロビーには、自分と彼女の他に誰もいない。なんとなく、彼女は自分が来ることを予期していたのだろうと、根拠のない確信を抱いた。
ゆっくりと歩みを進めて、彼女の前へ向かう。間に木製のカウンターを挟んで、コーティは受付さんと向き合った。
あの半年、城にいた半年。それが礼儀作法の大切さをコーティに叩き込んでいた。だから背筋を伸ばし、息を吸いこみ、コーティは頭を下げる。
「申し訳ございませんでした」
今もなお、わだかまりは消えない。許せない気持ちだって残っている。それでも、かつての敵へ頭を下げることに、驚くほど抵抗はなかった。
「あなたの大切な妹を傷つけた罪。いかなる罰も受ける所存です。≪傾国≫の姫君、エルシア殿下」
視界の端で、右袖が頼りなく揺れるのを見た。
ああ、本当に。コーティはこの右袖と同じだ。芯もなく、フラフラと揺れ動いてばかりの、頼りない女。しんと降り積もる沈黙の中で、コーティはそんなことを思う。
「その呼び方、好きじゃないわ」
「え……?」
「貴女にはありのままの私たちを見せたつもり。それで出てくる言葉かしらね、≪百十四番≫」
「も、申し訳ございません、エルシア様……!」
慌てて顔を上げ、その先にある女性の表情を見る。そこにあるのは、今までの彼女が見せたいかなるものとも違う視線。それを真正面から、無防備に目に入れたコーティは、金縛りにあったように動けなくなる。
そうか。納得が胸に落ちる。
これが、廃王女エルシア。≪傾国≫を騙り、その悪名が示す通りに国を傾けてまで、たった一人の少女を守り抜いた女傑。
指一本動かせない緊張感。彼女はいつもと変わらず、ゆったりと椅子にもたれてこちらを見ているだけのように見えるのに、相対するものは委縮せずにはいられない。迫りくる圧は、エルシアももう己の立場を隠す気がないのだと、そう理解するのに十分だった。
ごくり、と唾を飲みこむ。相手はこちらの言葉を待っている、そんな気がした。
「まずは、この町に私を受け入れていただいたことに感謝を。ケト・ハウゼンを教えていただいたことに、感謝を」
エルシアは何も言わず、コーティは続ける。
「既にご存じとは思いますが、きちんと名乗らせていただいておりませんでした。私はコルティナ・フェンダート。ケト・ハウゼンの敵にして、先日彼女を罠にかけて殺そうとした人間です」
ケト・ハウゼンの姉の前で、もう一度、自分の首を差し出すように下げた頭。そこにすかさず、声が降ってきた。
「自己紹介をするのなら、他に言うべきことがあるのではないかしら。私は貴女のことを知りたいのよ?」
「はい」
小さく息を吸う。まさしく王族の貫禄を見せつけたエルシアに、コーティはいつからか自分の中に持っていた答えを口にした。
「完敗です」
震えそうになる足を叱咤する。ここで怖気づくことだけは、コーティのわずかに残った矜持が許さなかった。
「この町に来て、私は色々なことを教えていただきました。三年前、私たち龍神聖教会があなた方にした暴挙。そしてあの戦争で、あなたと妹さんが成し遂げたかった願い。……それはいずれも、これまでの私が意図的に知るのを拒んできたことでした」
敵は敵。打ち滅ぼすべき相手。コーティにとって、ずっとそうでなくてはいけなかった。敵の事情を知り、復讐心が鈍ってしまったら、コーティは本当にどうすればいいのか分からなくなってしまう気がした。
だから拒んだ。あの戦争の真実がどんなものかなんて、知りたくなかった。ただ自分と≪白猫≫だけがいて、それだけでよかった。
けれど、エルシアはそれこそを許さなかったのだと、今なら分かる。己のしたことに向き合えと、あえて町に迎え入れて世話を焼き、それでもコーティが逃げて閉じこもることだけはさせてくれなかった。
「ケト・ハウゼンの故郷を襲ったスタンピード。位置と時期から見て、おそらく我々が二度目に起こした、ダウンの町を制圧しようとしたものでしょう。彼女の故郷の集落は、その動線上にあっただけ。巻き込まれただけ」
三年前。当時の教会の長であった枢機卿は、数回にわたって魔物の襲来を引き起こした。
そんな人為的なスタンピードの後、他ならぬ教会が救いの手を差し伸べる。それは自作自演で義勇軍を作り出すための計画。地理的な観点から北のいくつかの町が選ばれて、実際に複数回、惨劇を起こした。
けれど、ケト・ハウゼンの故郷を見てコーティは言葉を失った。あんな集落を滅ぼしたなんて欠片も知らなかったからだ。いずれのスタンピードも、少なくともあの集落を狙ったものでないことだけは確かだった。だってそうだろう、家が数軒立ち並ぶだけの場所を滅ぼしたところで、何の意味もないのだから。
つまり、彼女は本当にただの被害者で。そこからすべてがはじまった。
「ケト・ハウゼンはその後も苦しんで、苦しんで、それでも守りたいと剣を取った。彼女はまだ子供で、ありえない力を持っていて、あなたと一緒に戦った。その結果として私の大切な人は死に、私は彼女を恨んできた」
親代わりを殺され、信仰心すら壊された。それがコーティにとっての≪傾国戦争≫だと言うのなら。
肉親と故郷を奪われて、逃げ延びた先すら襲われた。だから剣をとった。それがケト・ハウゼンにとっての≪傾国戦争≫の真実。
「本当は、何も変わらないんです。あいつも私も、互いが互いの大切なものを守ろうとして、奪って、奪われて……」
本当は分かっていた。
ケト・ハウゼンを襲うこと。それは、コーティが生き続けるための言い訳を、自分自身で否定してしまうことなんだって。
「この町に来た時、私はとてももどかしかった。……奴を襲ったはずなのに、傷つけたはずなのに。それは私の望んでいた復讐に近づけたということ、そのはずだったのに。やるせなさは全然晴れなくて、私はそんな自分に苛立ってばかりで……」
自己満足すら得られなかった理由、それが何か今のコーティは言葉にできる。
モヤモヤしていたのは、ケト・ハウゼンを殺せなかったからじゃない。コーティはこんなにも辛いのに、そのぶつける先も方法も、全部が見当違いだって、自分で自分に思い知らせてしまったから。
残された感情を、残された左手ごと、コーティはぎゅうと握りしめた。うねる心を必死に抑えている間に、エルシアの声がコーティを揺らす。
「……貴女が本当に伝えたかったこと。ケトへの憎しみで覆い隠して、見ないふりをしていたこと。それがどんなものか、今なら分かる?」
その言葉はとても優しくて、もしも自分におねえちゃんがいるなら、きっと目の前の女性のような人なんだろうと思えたから。
「はい」
コーティは、儚く笑うことができた。
随分と、回り道をしてしまった。取り返しのつかないことを、たくさんしてしまった。関係ない人を巻き込んで、果てには優しい王子様まで利用して、守ってもらって。
そこまでしてようやく、コーティは自分を知った。
燃え上がる怒りは、やがて降り積もるような悲しみに。
絶望の嘆きは、やがて諦めきった微笑みに。
憎しみの狂気は、やがて鎮魂の祈りに。
気付いてしまえば、もうどうしようもなくて。
「私、本当は悲しかっただけなんですね……」
笑おうとして、笑えなくて。自分でも、どんな表情をしているのか分からない。きっと見られたものでないことだけは確かで、けれどそれが今更なんだ。恥ずかしがることにも、もう疲れたのだ。
「あの人を、お父さんって、呼んでみたかったなあって……」
どうか忘れないで欲しい。誰かにとっての死神は、私にとって憧れの大人だったことを。
「褒めて、ほしかったなあって……」
どうか知って欲しい。かつて狂信者と罵られた子供にだって、無邪気な願いがあったことを。
「私の悲しみが、あなた方に伝っていることを祈ります。誰かが意志を貫き通すというのは、別の誰かの想いを消してしまうことと同義なんだって、分かってくれるあなた方だから」
目を何度も瞬いて、コーティは小さく吐息を吐いた。敵の前で泣くまい、という最後の意地だった。
「あの戦争の後、呆けて、嘆いて、果てに絶望して……。それでも私は私の意味を見つけたかった。自分の心が、努力が、決して無駄ではないのだと信じたかった。そんな哀れな女の、中途半端な復讐を忘れないで欲しい」
最初から最後まで、エルシアに伝える自分の声が途切れることはなかった。落ち着いて話している自分に驚きながら、ありのままの心を曝け出す覚束なさと清々しさを噛みしめる。
声を荒げるには、あまりに傷が深すぎた。切なく眉を下げて、口元を緩めて。きっとこの気持ちを受け取ってくれるのだろうと、相手のことを信じて。
「……伝えてくれて、ありがとう」
そしてやはり、エルシアは頷き、コーティと同じ微笑みを浮かべてくれた。
それだけで、コーティは分かってしまう。きっと彼女もまた、何かを失った人なのだと。
「良かった」
エルシアは、吐息を漏らした。
「これなら、貴女を殺さないで済む」
物騒な言葉とは裏腹に、その表情は柔らかい。彼女は視線を上に向け、「下がっていいわよ」と手を振ってみせる。
つられてあげた視線の先にはギルドの天井。その天井板の一枚が外れていて、銃口が奥に引っ込むのが見えた。
「……」
「そりゃ警戒くらいするわよ。あの人の弟子なんでしょうから」
「……趣味が悪いです」
「よく言われるわ」
ああ、本当に。自分はずっと手のひらの上だ。他者の痛みを知っている、切なくも優しい人たちに踊らされてばっかりだ。
それでも腹は立たなくて、きっとそれは、コーティをここまで導いてくれた彼のお陰だった。
「……ルイス様」
きっとルイスは、これをコーティに伝えたかったのだろう。
人に歴史あり。復讐だけが人生じゃない。皆に事情があって、過去があって、それを乗り越えて生きている。落ち着いて、よく見てごらんと。そんなに悲しいことばかり考えるものじゃないよと。
正直言って、陳腐な言葉だと思う。実際、少し前のコーティだったら、聞く耳を持たなかっただろう。そんな綺麗事、苦しんだことのない奴が言う台詞だと言い張ったのだろう。意固地になって、邪魔をするなら容赦はしないと切り捨てていたのだろう。
けれど、ルイスだから。コーティの抱えていた苦しみに、痛みに、寄り添ってくれた彼だから。
コーティ一人では為し得なかった、≪白猫≫への復讐に、全力で向き合ってくれた彼だから。そんな彼の言うことなら、受け入れてもいいんじゃないかなって、そう思えてしまうのだ。
「ルイス様とは、どのようなお話を?」
「政治と取引の話をしたわ。……感謝なさいな。ルイスの親書やロザリーヌからの報告がなければ、ケトが襲われてすぐに私は王都に攻め入るつもりだったから」
そうか。そのままだったら、もう一度戦争になっていたのかもしれないのか。
「貴女、ルイスに随分気に入られたみたいね。……これだけ一人のために動けるのは、ある意味あの子の才能よ」
受け取り方によっては、馬鹿にされたのではと勘ぐってしまうような台詞。けれど何故か、エルシアの顔には恥ずかしそうな苦笑が見えた。
≪傾国≫エルシアは、≪白猫≫ケトを守ったのだと、この町で聞いた。そのすべてをコーティは知らないけれど。もしかしたら、それはルイスがコーティにしてくれたのと同じような守り方だったのかもしれない。訳もなく、そんな確信を抱いた。
「それで? 本当の自分に気付いた貴女は、これからどうしたい?」
「これから……?」
これから。思ってもみなかった、けれどハッとさせられる問いかけだった。
「これからが、あるんだ」
それは未来を示す言葉。人生を示す言葉。
……そうか、自分は死なない。殺されない。ならば、自分にもこれからがやって来る。
「考える時間があった方がいいでしょう。突然言われても、きっと困ってしまうから」
彼女が言うのは、選択肢すら提示されない未来の話。復讐を終えたコーティが、どこに行くのか、何をするのか。それを命令する人はもうどこにもいない。もう突き動かされる衝動もない。それはつまり、これからのことは自分で考えなくてはならないこと。
「私に伝えられたルイスの願いは二つよ。まずは貴女を私に引き渡し、ケト・ハウゼンを知らしめること。これについて、私がどうしたかは今更言うまでもないでしょう」
コクリと頷く。この町で過ごしたひと夏。それはコーティを確実に変えたのだと、迷いなく言えるから。
「それからもう一つ。コーティ・フェンダートの人となりを判断した上で、可能であればこの町に匿うこと。……貴女が望むなら、ここにいていいと思うわ。さっきの話を聞いて、少なくとも私はそう判断できた」
嬉しい、と素直に思えた。その答え一つで、自分の心の欠片だけでも、彼女に伝えることが出来たと分かったから。
肩の力を抜いて、自分自身に問いかけてみる。復讐を終えた私は、これからどうしたい? そんな質問を。
「王都に戻ります」
悩む前から、口が動いていた。自分でも予想しなかった答えは、自然と胸の内から湧き出て来たもの。即答した自分に驚きを覚えながら、しかしコーティはすとんと胸に落ちたその答えに、言い様のない暖かさが伴うのを感じた。
「貴女はもう侍女じゃないのに?」
「それでも、戻りたい。……自分が罪人であることは分かっていますし、今更、彼のお側に仕えたいなんて我儘を言うつもりもありません」
コーティが壊してしまった上水道、今はどうなっているのだろうか。本当はずっと気になっていた。
自分が犯した罪の一つ。だからそれは、やはり償いたいと思う。
「守っていただいたことに感謝していますから。……ならば、少しでも彼のお傍に行きたい」
「……」
思い出すのは。
彼と二人、お忍びで城下町に出かけた時のこと。自分の考え得る目いっぱいのお洒落をして、彼と街歩きを楽しんだ日のこと。コーティが何もかもを忘れて、一人の女の子になれた日のこと。
立ち寄った王都のギルドで、彼が人の目をかいくぐって手紙をやり取りしているのを見た。今なら分かる。あれこそが、エルシアとの交渉だ。今の段取りを、彼はずっと前からつけてくれていたのだ。
「上手くやれば、私だって隠れて手紙の一通くらい送ることはできるはずです。私、彼に目いっぱいの感謝を書きます。それから下町で仕事も探します。私が水道を壊したせいで今は水不足も厳しいでしょうし、その復旧の仕事なんかがあれば、是非ともやらせてほしい」
なんだかおかしくなってしまう。
変だな。こんなにすんなりと、やりたいことって出てくるものだっけ。復讐しかないと信じて意固地になっていた自分は、本当はこんなに我儘だったんだっけ。
コーティに戸惑うコーティは、けれど言葉が止められない。
「王都にいれば、ルイス様が何をされているかだって掴みやすいはずです。ほんの少しでもいい、嘘か本当か分からないような噂話でも構わない。何か聞ければ、彼がそこにいるのだと感じることができれば。私には、それで満足なのです」
コーティの中で、いつしか驚くほどに大きくなっていた彼。コーティを守り、導いてくれた彼。
そんな主を想いながら、感謝を胸に生き続けて。そうしてこれからを過ごしていけたなら。
「それが今の私にとって最上の幸せだって、胸を張って言えます。だから……」
「無理ね」
けれど、そんなコーティの声は途中で途切れた。
突然の≪傾国≫の声に、かき消された。
「え……?」
目を開き、けれどすぐに自嘲の笑みを零す。
やはり許されることではなかったか。いくら何でも虫の良すぎる話だと、自分でも分かっているのだ。コーティ・フェンダートが国にとってこれ以上ない危険人物であることは変わりない。それが再び王都に行って、一国の王子様に思いを馳せるなんて、そんな我儘が通る訳ないのだ。
「無理、ですか……」
分かっていたことなのに、じくじくと胸が痛んだ。
けれどそれもまた、自分の為した罪の証。今のコーティは、素直に受け入れるしかない。
「……そうですよね。私なんかが今更……。申し訳ございません。今の話は、身の程も弁えない女の戯言です。どうかお忘れくださいませ、エルシア様」
「いえ……そうではなくてね」
またしても遮ったエルシア。
……彼女の顔を見て、違和感を覚えた。私、今、何か同情されているのだろうか。
「エルシア様……?」
そうではない、とはどういうことなんだろう。伺うように上目遣いを向ければ、エルシアがそっと目を逸らす。いつだって超然としていた彼女らしからぬ、どこかに迷いのある様子だった。
和らいでいた頭のどこかが、どこかに残っていたかつての戦士の嗅覚が、警鐘を鳴らした。
「え……?」
言い様のない感覚に、コーティは知らず息を詰める。
どうして。どうして、私は鳥肌を立てているんだろう。どうしてこんなに、胸がざわめくんだろう。一気に体中に巡り出した血が全身の血管を広げ、思い出したように鳴り響き出した心臓の鼓動。視線の先、エルシアは諦めたように肩を落した。
何か取り返しのつかないことが起きた。私がこの町で立ち止まっている間に、世界から置いて行かれることを望んだ間に、何かが変わっている。そんな予感が止まらない。
「貴女はもう二度と、ルイスに会えない」
「なぜ、ですか……?」
それは、危険人物を要人に会わせられない、という響きには聞こえなかった。
唾を無理やり飲み込んで、コーティは真綿で首を絞められるような気分で、その言葉を聞く。
「ルイスは投獄されたのよ」
言葉は理解できたのに、意味は分からなかった。
「……あのね、コーティ。このことで、貴女が自分を責める必要はないわ。この間のケトへの襲撃の責任は、今の状況に直接の関わりがないもの」
「ルイス様が、投獄……?」
エルシアはそう続けるけれど、ちょっと待って。待ってほしい。
投獄。それは人を牢屋に閉じ込めることだ。ルイスがそうなっているのだと、エルシアは今そう言っている。
なぜだ。私を庇ったせいか? まさか、コーティの罪を彼が代わりに背負ったなんて、そんな馬鹿なことが……。
「ど、どうしてですか……! 悪いのは私です、彼はただ手を貸してくれただけで……!」
「コーティ」
「ルイス様が不当に貶められるのはおかしいです。私の代わりに牢に入れられたのだとしたら、私は……」
「落ち着きなさい。早とちりしたまま突き進むのは貴女の明確な欠点よ」
大きな声ではなかった。けれど、頭から冷や水を被せられたような気になって、コーティの声が途中で止まる。
「ルイスはね、負けたのよ。あの子の戦争に」
「な、何を……何をおっしゃって……」
声がしぼんでいくのを感じた。それは、混乱の中でも、エルシアが何かに憤っているように見えたから。
「……本当に分からないの? 一時とは言え、ルイスの一番近くに居た貴女なのに」
凍り付いたコーティに、エルシアは色のない声を返す。先程の、復讐心の成れの果てを受け止めてくれた彼女とは、まるで別人のような錯覚を覚えた。
「わ、私……」
分からない。分からない。誰か、何が起きているのか、教えて。
「私、何を知らなかったのですか……?」
彼の側にいながら、≪白猫≫のことばかりを気にして。他のことには欠片も関わろうとしなかった自分は。
「私、本当は何を知っていなくてはいけなかったのですか……?」
ルイス様。ねえ、ルイス様。
そのお力を貸していただいた半年間。私はあなたを分かったようなつもりになっていました。けれど……。
「一国の王子ともあろう人間が、貴女の復讐に手を貸すことの意味。少なくともその真意くらい、貴女は怯えず知ろうとするべきだったのでしょうね」
カウンター越しのエルシアが、静かに手を差し出す。握られていたのは、一通の便せん。鈴を模した封蝋を確かめながら、コーティは震える手でそれを受け取った。
「夏のはじめに、私の元に届いた手紙よ」
「夏のはじめ……」
「もっと正確に言いましょうか。これはね、貴女がケトを襲撃する直前に届いたもの。ケト襲撃に対する謝罪と、その意図が書いてある」
ビクリ、と肩が震えた。
「読んでみなさい。貴女が自身でルイスに聞くべきだったことが、全部ここに書いてあるわ」
憎しみに狂い疲れた復讐者に、現実を思い知らせる手紙。それが今、コーティの手の中にある。
季節が夏から秋に変わった、その最初の日のことであった。




