夏の終わりに その4
「ほい、どうぞ」
「……ありがとうございます」
左手で受け取ったカップには、熱いお茶が並々と満たされていた。口をつければ、王都で飲んだものとも、南の町で飲んだものとも違う、独特な風味。聞いた話によると、この町の庶民の間では、自生しているハーブを干してお茶代わりにするのだそうだ。小さな簡易魔導ランプの灯に照らされて、お茶にコーティの顔が揺らめいていた。
集落の端に、一棟だけ残った建物。この場所をよく訪れる人のため、被害の少なかった家を宿泊施設として整えたのだと聞いた。中にはハンモックまで備えられていて、硬い地面に身を横たえる必要がないのはありがたい。
とは言えもちろん、夜間の見張りは必須な訳で。少しでも高い場所から周囲を伺えるようにと、屋根の上に据え付けられた急ごしらえの物見台。その上で、見張り番はまんじりともせず過ごすのである。
「夏だってのに、涼しいねえ」
「はい。上着を持ってきて正解でした」
今晩の不寝番の相方はサニーだった。歳は多分十五、コーティから見れば一個年下の赤髪ちゃんだ。最近は銃に取って代わられつつあるものの、地方ではまだまだ現役のロングボウを携えた女冒険者。
きっと歳の近い同性と組ませてくれたのだろう。北の町でよく気付く、ささやかな心遣いだった。元々ギルドで何度か話した中でもあるから、幾分か気が楽だ。
「悩み事?」
「……そう、見えますか」
簡素な見張り台にはもちろん椅子なんてなくて、コーティは木の床に膝を抱えて座りこむ。サニーはカップを床に置くと、仰向けに寝転んだ。しばし無言で、カップの湯気と星空を眺める時間ばかりが過ぎる。
悩み事について何か聞かれるかなとも思ったが、赤髪ちゃんは目線を星空に向けたままで、別のことを口にした。
「コーティはさ、カルネリアから来たんでしょう?」
「ええ、はい」
「向こうは夜でも明るいんだろうなあって。あたし、魔法で光る街灯っていうのをまだ見たことなくて。地面から星が生えてるみたいなのかなって、想像したりするんだ」
地面に星。最近まで日常の風景の一部だった王都の夜を、コーティは思い出した。
「……星、という感じはしませんね。上手く言えないですけれど、もっと強い目的を持った光、みたいな」
我ながらどういう答えなのだろう。自分の口から発した言葉の意味が分からず、コーティは首を軽く横に振る。けれど、その隣でサニーは目を輝かせていた。
「そっかあ、どんなのだろう。気になるなあ」
「……期待しすぎたら、がっかりすると思いますよ? なんだ、こんなものかって」
「ふっふっふっ。甘いぞコーティ」
こちらを見たサニーが、目を爛々と輝かせていた。
「こういうのってさ、自分がどう思って、どう考えて、どう頑張ったかで、見え方なんていくらでも変わるものだよ」
「……見た目にそぐわず乙女なんですね」
「こちとら花も恥じらう、多分十五歳ってね。……ってか」
バネ仕掛けのからくりみたいに勢いをつけて起き上がり、サニーはにいっと歯を見せた。
「はじめてだ。コーティさんの毒舌」
「え……?」
「結構どぎついこと言う人だって聞いてたんだけどさ。その割には誰も毒舌を聞いたことがないって言ってて、あたしもはじめて聞いたなって」
気の抜けた顔を見合わせる。呆れた声を出しかけた口が、途中で閉じた。
もう一度お茶をすすれば、気持ちだって落ち着く。サニーに倣ってカップを床に置き、コーティはごろりと寝転がった。
途端視界一杯に広がった、満点の星空。王都では見た記憶のない星。見えていたのに意識をしていなかったのか、それとも魔導街灯の光にかき消されてしまっていたのか。どちらだったのすらも分からない程に、自分は今まで一点しか見ていなかったのだと、ようやく気付かされた。
星空って綺麗なんだなあ。まるで子供のような感想だけど、今なら気負いなくそう言える。
「……皆さん、私のことをご存じなんですね」
「うんにゃ、ガルドスさんとあたしだけ、ね。ケトに怪我をさせた襲撃者、なんてみんなには聞かせられないよ」
「……」
「あたしたちは受付さんから聞いたから……いいやもう、この言い方もめんどくさいや。コーティだって、あの人が誰か、想像ついているんでしょう?」
今考えれば、すべて最初から仕組まれていたことだったのかもしれない。
この町に来たことも。やるせない自分を抱えて、やるせない少女を知って、そうして傷を癒したことも。
みんなみんな、彼と彼女の手のひらの上だった。いつだったか、病室で聞いた言葉の通り。「……これ以上、コーティが戦わなくて済むのなら、こんな腕はない方がいいよ」だなんて、彼は本当に、素直じゃないにも程がある。
そうして、少しずつ心を動かされていく自分も、優しい彼の筋書き通りなのだろうか。
「……腹が立ちます。こっちはすべてを賭けてここまで来たのに。まったく、人のことをなんだと思って……」
「じゃ、殺された方が良かった? ケトが襲われたって知らせが入った時、エルシアさんとんでもなく怒ってたんだから」
「……」
「あなたの王子様に感謝しなよ? あの人がその後の段取りを整えてなかったら、今度はあたしも王都に攻め込むことになってたかもしれない」
この町に着いた時、自分は死んでもいいと思っていた。死んで当然だと自棄になっていた。
けれど、今は……。
「……守られていますね、私」
肩肘を張らない自分の声が、隣の冒険者にはどう聞こえたのだろう。深い吐息と、柔らかな声が、夜をくすぐった。
「そうだね。大なり小なり、人は何かを守って、誰かに守られて、そうして生きているんだ」
義手のない右手を、星空へ向けて伸ばしてみる。その先にない五本の指を、目一杯広げる想像をしてみる。
「あたしたちのことを≪白鈴≫の冒険者って呼ぶ人たちがいる。ケトを守って、ケトに守られて、一緒に時間を過ごす人たちに付けられた呼び名だ」
そういえば、王子と一緒に城下町に降りた時、鈴を模った封蝋の押された手紙をやり取りしていたっけ。
頭の中で一つ一つが繋がって、なんだか紐がほどけていくように、答えを知った気分だ。今なら、あの時の主の背中に、ほんの少しだけ追いつけたような気がする。
……でも、ああ、そうか。なんて言えばいいんだろう。
無性にルイスに会いたくなってしまった。
「……と言うかサニーさん、本当に私より年下ですか?」
「やーそれが分からないんだよねえ。孤児って年齢自分でも知らないことが多いから。あたしの周りそんなのばっかでさ、……一応自分じゃ十五歳だと思ってるんだけど、コーティにはどう見える?」
「とんでもなく達観してますし、……三十は確実ですね」
「失敬な!」
存外、こんな単純なことが、無意識に追い求めていた答えなのかもしれない。
十六にもなって、ようやく気付かされるなんて。そんな気恥ずかしさを茶化すように、コーティは元主のことを思い浮かべた。
「本当に、人のことなんて言えません……」
今夜見上げた星空を、自分は決して忘れることはないだろう。
そんなことを思って、コーティは復讐の終わりの夜空を深く吸った。
*
北の町へ戻る道中で、月が変わった。
暦の上では夏の終わりから、秋のはじめへ。南はきっとまだまだ暑いだろうけれど、少なくとも、ブランカの町にはちょっとだけ秋めいた風が吹いている。
「皆さん、ありがとうございました」
「いやあ、依頼がなくても行ってたからなあ。楽しんでくれたなら結構結構」
深々と下げていた頭を上げて、コーティは冒険者たちの背中を見送った。
ざわめきが少しずつ遠のいていく。町角を曲がって消えていく。建物の向こうに姿が隠れる直前、最後尾の冒険者がこちらに手を振ってくれた。
「大丈夫?」
隣に残ってくれたのは、旅の間によく話すようになった赤髪ちゃん。ケト・ハウゼンの友人で、名前はサニー。孤児院出身の多分十五歳。
「はい。話はさせていただきます」
「武器は預かれって、そう言われてるんだけど……」
「そうですね。私もそのつもりでした」
腰に巻き付けていたベルトを外す。道中で魔物の姿を見かけることもなく、ナイフが鞘から抜かれることもなかったなあ、とそんなことを思う。後はいくつかの魔導瓶。こちらもまったく出番はなかったっけ。
確かにこの状態が続いてしまうと、冒険者たちが食いっぱぐれてしまいそうだ。壁の工事とか、水道建設とか、そんな受付さんの尽力がどれほど大切か、身に染みて分かってきた。
サニーが受け取った革ベルトの中身を確かめてから、コーティと向き合った。
「あなたに幸運のあらんことを」
「……それは?」
「あたしたちの町のおまじない。出かける人に、必ず言うんだ」
いい言葉だ。ぎこちなく微笑んだサニーに頷き返して、コーティは小ぢんまりとした建物に視線を向けた。
簡単にまとめただけの黒髪が、頭の後ろで揺れる。もはや自分の心の一部となったやるせなさ。それを確かめながらコーティは一歩を踏み出した。
ギルドのドアに手をかければ、カランコロンと、ベルが鳴る。
ひんやりした風に一歩遅れて、コーティのひと夏が終わる、そんな音色だった。




