そして彼女はコーティと呼ばれた その7
朝の礼拝が終わると、静かだった大聖堂が一気ににぎやかになる。いつもと変わらぬ日常へと向かう町の人々を見送ってから、ケトはフードの下で首を上に傾けた。
説教壇の奥に鎮座するのは、この教会が神と崇める龍神の像。リネット曰く、この龍神様はそんじょそこらの龍とは違うらしい。とはいうものの、今のこの国に龍を見たことがある人なんてどれだけいることやら、という話が先に来るのだが。
「考え事ですかな、ミヤ様」
「アキリーズさん……? おはようございます」
「おはようございます。今日も晴れましたな」
隣を見ると、老人が並んで像を見上げていた。
先程まで壇上に立って礼拝の言葉を朗々と紡いでいた彼には、確かに教徒をまとめる人物といえるだけの貫禄があった。でも今の彼は、一人のおじいちゃんという感覚を強く感じさせる。
ケトがマイロに来てからも、教皇である彼は忙しそうだった。二人で話せる機会は珍しくて、だからなんとなく、ケトは気になっていることを聞いてみることにした。
「シアおねえちゃんと、手紙で何を話していたの?」
「気になりますかな?」
「こういう言い方は変だけど、わたしを助けてくれたみんなが、妙に段取りがいいから」
王都からの脱出、そして逃避行。逃げる先と正体の隠し方。どれをとっても無駄がない。こんなことができるのは、ケトが知る限り一人だけだ。
王都の地下道で襲われた≪白猫≫。この国に鎖国する理由を与えるため、そして姿を隠すため、王都から離す必要があったと言うのは、ルイス王子の親書から理解はした。特に自分はこんななのだ、偉い人たちが過敏に反応するのも想像はつく。
事の根幹には海の外の国が関わっていると言う。ならば姉の性格からして、多少の無理は抱え込んででも、ブランカへ戻ってこさせたがるはずのではないのか。
「ミヤ様が襲われた直後、それはもう大騒ぎだったそうです。あの方は≪傾国≫の名をかざして、再び王都に攻め込む計画まで練っていたそうですから」
「えっ」
とんでもなく物騒な話は、ケトにとって初耳だった。
……そういえば、マイロに来てから姉の手紙は届かない。ジェスには届いているのだろうか。
「あなたの姉君の愛は歪です。が、何よりあなたの姉君自身がそれを自覚していらっしゃるのが素晴らしい。……これは、歳を重ね過ぎた老いぼれの感想ですがな」
「……」
「どこにでもいる、かけがえのない、良い家族です。あなたはそれを誇っていい」
……ほら。そんな抽象的な言葉で話したりして。わたしが子供だってこと、みんなすぐ忘れちゃうんだ。ケトだって、臍を曲げる時はある。
「また、難しいことを言う……」
「けれど少しだけ、分かるようになったのではありませんか?」
「分かるもんか。わたしのこと買いかぶりすぎだよ」
「ですがほら。あなたは今、そうして悩んでいらっしゃる」
老人は微笑む。目尻の皺が少しだけ深くなった。
「何も分からない子供であれば、大声で叫ぶことも許されます。言うなれば、それが三年前のあなた。そして洗脳されていた龍神聖教会の信徒たち」
「……」
「けれどきっかけ一つで、子供は自分の頭で考え始める。相手を慮ることを覚える。一歩目を踏み出すわけですな。そして自分が向き合うべきものに自分なりの答えが出せたなら、その時の子供は、ほんの少し大人になっているはずです」
像の上の色ガラスがキラキラと輝いて、ちっぽけな大人と子供を照らした。
「あなたの姉君は、本当の意味でそのことを弁えていらっしゃる方だ。だから周囲が放っておかないし、皆が姉君の力になろうとする」
教皇、とは決して偉い人ではない。いつだったかアキリーズはそう言っていた。
人々がバラバラに祈ってしまっては神様が困ってしまう。だからちゃんとまとめて、整理して、伝えるために苦労する人のことだと。
神様のことは知らないけれど、ケトには伝えられる方の気持ちが分かりつつある。
全てを奪われたリネットも。もう喋る口を持たない≪十三番≫の墓も。崩壊しかけた教会を立ち直らせようとするアキリーズも。質素な食堂も、素朴なベッドも、場違いな程に綺麗なこの聖堂も。
そして、ケトに考えるきっかけを叩きつけて来た、コーティとかいう女も。
龍の目と人の心を持つケトにとっては、かつての敵のすべてが、あまりに重い。
「悩みなさい。そして、辛くなったら吐き出しなさい。あなたの話を聞いてくれる誰かに」
「……」
「ひょっとしたら、神という概念自体がそういうものなのかもしれませんな。不安で寄る辺のない大人が、話を聞いてくれる絶対的な存在として産み出した聞き手。……おっとっと、今のは他の皆には内緒です。私という個人は、少し俗世に染まりすぎております故」
おどけた口調でそんなことを言って、アキリーズは龍神の像を見上げた。
やっぱり言っていることは難しすぎて、ケトにはよく分からない。けれど、隣の人はやっぱり大人だということだけは伝わった。
「大人も不安なんだ……」
「もちろん。生きている限り、皆迷うもの。だからこそ、通すべき筋を持つ人は強い」
ケトはそっと俯く。聖堂の床に視線を向けてはいるけれど、焦点は自分の心の内に向いていた。
みんなが自分に伝えてくるけど、自分の気持ちを上手く伝えられる自信はどこにもない。けれど、吐き出さずにはいられなかった。
「話を聞いてしまうと……」
「はい」
少女は老人の目を見た。これまで、自分に何かを伝えようとした人たちはこうしていたから、その真似事のようなものだった。
「辛い気持ちも、苦しい思い出も、伝わるんだよ。そうすると、わたしまで悲しくなる」
「それは話し手にとっての幸福ですな。彼らは伝えたくて言葉を紡ぐのですから」
「わたしはみんなと違う。わたしは全部を視ちゃうの」
ケトは唇を噛みしめた。
「人ってそういう時、心に壁をつくらないから。目を逸らさないと、耐えられない」
「ミヤ様」
アキリーズは目を細めて、相好を崩した。
あれ、なんだか不思議な感覚。まるでからかうように心に壁をつくられるのは、多分はじめての経験だ。
「あなたが人の何を知っていると言うのです」
「え?」
「年の功で少々厳しいことを言わせていただきますが」
教皇はわざと目を逸らす。膜がかかったように、彼の心の靄が深くなっていく。
「力を持つあなたは、そういうことに過敏にならざるを得ないのかもしれない。ですがそもそも、只人の中にだって敏感な方はいる。誰一人とて同じ者は存在せず、ですからその違いは大したことではありません」
「……それは、こんな力を持たされたわたししか言えない台詞だ」
「ほっほっほっ、叡智に振り回される若人の台詞でもありますな」
とてもおかしそうに、彼は再びケトの目を見た。……心を隠しているはずなのに、その仕草は彼がおかしがっていることを明確に伝えてくる。なんだか化かされているみたい。
「力を得たのが、あなたでよかった」
「……え?」
「もしも向けられた想いを嫌って、意固地になってしまうような方であったら。……きっとこの国は早晩滅んでいたでしょう。他の誰でもない≪白猫≫の手によって」
「……わたしはそんなことしないよ」
唸ったケトに、笑うアキリーズ。……器用な人だ。心を覆った靄が一瞬にして消えていくのを視て、そう思った。
「ケト様。儂にあなたの力の本質は分からない。ですが、これだけは断言できます」
「……」
「あなたの素直さは、力によるものではありません。あなた自身が生まれ持ち、そしてこれまでの人生で培ってきた、言うなれば人としての力です。誇っていい」
教皇が顔を動かして、じっとケトの目を見つめた。胸の内のもやもやを、全部見通されているような気がした。
「あなたは心を素直に受け取ってくれる方なのだと、皆にも分かるのでしょう。だからあなたに伝えたがる。ご自分の力を厭う気持ちは分かりますが、どうかそこだけは、好いてください」
「好いて……?」
「己を愛せぬ者が、どうして他者を愛せましょうか。己を認められぬ者が、どうして他者を認められましょうか。……己の苦しみを知らぬ者が、どうして他者の苦しみに寄り添えましょうか」
少女はもう一度、神様とやらの像を見上げた。
かつての敵、そんな彼らも人間で。ちゃんと今を生きている。
――私は貴様に負けられない!
宿敵の声を、もう一度思い出してみる。感じ取ったその苦しみを、もう一度脳裏に浮かべてみる。
「……アキリーズさん」
「はい」
「話を聞きたい人がいます。どこに行ったら会えるか、教えてもらえませんか?」
少女は深く、息を吸いこんだ。




