我儘王子と側仕え その5
「取り乱しました」
「復帰早いな」
「服を着てしまいましたけど、とりあえず抱いておきますか?」
「おい」
「冗談です」
冗談に聞こえねえよ……、というルイスのぼやきを受け流し、コーティは腕の先の金属板を開けたり閉じたりしてみた。
「感覚が妙ですね。少なくとも手を動かす感覚とは全くの別物です」
「そりゃそうだろ。動力源は魔法の圧力なんだから」
開いて、閉じる。たったこれだけなのに、中々に難しい。指が二本しかないのも、それを動かすのも。
強いて言うなら、衝撃波の魔法を使う時の感覚に似ているだろうか。一か所にまとめた水を一気に気化させて解き放つ感じ。あれに近い。
魔法陣を展開。カチンと音を立てて、板、もとい指が閉じた。ハジリョクとかなんとか言っていて何のことかと思ったら、掴む力のことをそう呼ぶそうだ。なるほど、王子の言っていた通り、掴む力の調節ができない。ついでの手首の向きは左手で一々変えてやる必要がある。太い義手に侍女服の袖がギリギリ通せたのは奇跡だろう。結局さくらんぼ色のリボンまでも、王子に結ばせてしまった。
「慣れるまで時間がかかりそうですね」
「別に気を使う必要はない。使いづらけりゃ外してもらって構わないんだけどな」
「とんでもない。大切にします」
答えながら視線を向けたルイスの横顔。彼はさっきからずっとそっぽを向きっぱなしだ。突然泣き出した女に引いているのか。それとももしかして、照れていたりするのだろうか。
「ルイス殿下」
「なんだ?」
「あなたに、感謝を。ただ、感謝を」
ソファの上で、ゆっくりと、深々と、コーティは頭を下げる。
「これまでの数々の無礼、謹んでお詫び申し上げます」
「別に気にしちゃいない。っつーか謝るのは俺だろ。俺さえいなけりゃ、お前は腕を失くさなかったんだから」
「以前、病室で申し上げたはずです。あの夜あの場に行ったのは、私の意思。殿下を見捨てるという道を選ばなかったのは私の判断です。それこそお気遣いいただく必要はありません」
深々と下げた視線で、自分の爪先を見ながらコーティは続けた。
「あれは亡き枢機卿の怨念に取りつかれた亡者です。身内の恥は、身内で片をつけます」
「……お前」
「私は国と教会の架け橋として遣わされた女。自らの役割は心得ていますし、彼らの暴挙を抑えるためにここにいるつもりです」
そう。かつて国の敵だったコーティがここまで堂々と城に入れたのは、この大義名分があったからだ。コーティの他に数人、同じような境遇の人間が、使用人として城内にいるはずだ。
コーティは役目を果たし、そこでヘマをした。まとめてしまえばただそれだけの話。それでも、王子の顔色は優れない。
「……言いたいことは分かった。だからもう、この話はなしにしよう、なしだ」
「畏まりました」
つまらなそうな顔で話を聞いていたルイスが、けれど次の瞬間、表情を一変させた。
「で、だ。話を戻すぞ」
「え?」
何を言いたいのか分からず首を傾げたコーティに、彼は悪い微笑みを浮かべて問いかけた。
「お前が欲する情報のことさ。俺に一体何を聞こうとした?」
「…………あっ」
思考が一瞬止まった。
そうだ。義手をもらう前に、コーティはそんなことを言った。
言い訳させてほしい。あの時はてっきり下種王子に無理やり抱かれるのだと思い込んでいたのだ。だから、それを対価に彼を強請れると考えた。
結果としては完全なる勘違いだったが、元を正せば誤解させるような言動をとったルイスに非があるだろう。
すーっと顔から血の気が引く。マズい、これでは彼を脅迫できないではないか。それどころかこちらに隠れた目的があることをほのめかしてしまった。……あれ、これは想定外だ。ちょっと待って、考える時間を。
「あれは、その……」
「なんだよ」
「……純潔を捧げるつもりでしたから、その対価くらいいただいても良いかと思いまして。あの、不躾なことを申しました、撤回します」
「俺は不躾とは思ってないぞ。で? 何を聞きたい?」
なんとか会話の流れを逸らそうとしたコーティの目論見は、残念なことに一瞬で失敗した。
しまった。この王子はこういう人だ。一度興味を持ったものには、とことん詰め寄る人間。完全に早まった。急いでコーティは自嘲の笑みを取り繕う。
お願いです。もう気にしないで、本当に。
「いえいえ。このような物までもらっておいて、その上身勝手な願望を口にするなど……」
「そういう言い訳はいらん。お前が身を捧げてまで得ようとした情報、気になるじゃないか」
すごく楽しそうなルイスを見て、コーティの背中を冷や汗が伝った。良くない、これは非常に良くない話の流れだ。
「俺に貸しを作ってまで聞こうとしたんだから、うん。……俺が知っているであろう内容、そして同時に誰かに知られたら困る内容。どうだ、良い線いってると思うんだが?」
この殿下が妙に頭が切れることぐらい、コーティも薄々察している。見事な推理に心の中で舌打ちしそうになった。
その通り、図星である。受けた命令とは全く異なる、得た立場とは全く関係のない。コーティだけの目的。わざわざ危険を冒してまで、王子に近づこうとした理由。
それは、コーティ・フェンダートの中に確かに、存在する。
「言いにくいっていうなら、そうだな……。よし、じゃあ今この場での発言は聞かなかったことにしてやる。それこそ国家転覆の計画でもなんでもござれだ。素晴らしい条件だと思うんだが、これでどうだ?」
「そ、そのような問題では……」
ルイスはぐっと身を乗り出して、コーティの目を覗き込んできた。焦る、焦る。
話を聞かなかったことにする? そんな口約束、一体どうして信じられたりしようか。
先程まで右腕を這いまわっていた彼の手が、今度はコーティの顎に触れた。
「主として命じよう。言え、コーティ・フェンダート」
完全に獲物を前にした捕食者の瞳。ごくり、と生唾を飲んだ。
生半可な答えで納得してもらえるとは思えない。何も言わない、という選択肢もなくなってしまった。自分で自分の首を絞めてしまったことを、コーティは今更になって思い知らされていた。
コーティのために、わざわざ義手をくれた男。かつての敵の息子。深い隈の奥に潜む理知的な瞳に、コーティは逃れられないことを悟る。
「……私が望むのは」
どうする、という逡巡は短かった。
ならば仕方あるまい、覚悟を決めよう。王子の弱みを握るつもりで、逆に弱みを握られてしまったのは酷い失態だが、どうあがいてもいずれは知られることだ。たとえこの場を切り抜けられたとしても、この王子ならすぐに答えにたどり着くだろう。
その前に、誠意を見せる。
お世辞にも良案とは言えないが、今更選択肢は残されていなかった。大きく息を吸い込んで、コーティは身を切る思いで、その名を口にするしかないのだ。
「私の望みはただ一つ。≪白猫≫ケト・ハウゼンの情報です」
かりそめの気合を入れて、半ば睨みつけるように王子の顔を見る。しばし呆気に取られていたルイス王子は、まじまじと、それこそ穴が開く程に侍女を見つめてから。
「……はっ!」
ゆっくりと、笑みを深めた。
「面白い」
コーティの顎からバッと手を離し、彼は腕を組んでこちらを見返した。
「目的を聞かせろ。お前は≪白猫≫を知ってどうするつもりだ」
「決まっています」
命令とは全く別の、コーティだけの意思。自分はこのために、はるばる南の港町から、王城まで来たのだ。
「私の手で、殺すのです。全てを奪ったあの化け物を」
黙り込んだルイスを視線だけで追いかけ、コーティは答えを待った。
さあ、彼はどう出る。正直こんな風に知られることは一切想定していなかったから、コーティにはさっぱり見当がつかない。
「コーティ・フェンダート」
「……はい」
そうは言っても、狼狽している心は隠せず、息の詰まる思いで彼の言葉を待っていると。
「気に入った。久しぶりにいい気分だ」
「……え?」
「一つ教えてやるよ。その願いを叶えたいなら、少しだけ待っておけ。奴は今、王都にいる。上手くやれば、潰せるぞ」
「な、何を……?」
想像したいかなる反応とも、彼の答えは違った。
さっきの近衛隊長を呼んで、捕らえるのではないのか。止めておけと、警告するのではないのか。国家における重要人物を害そうと言ったのだ。最悪の場合、危険分子として捕らわれることまで考えていたのに。
「なんだよ、その顔」
「いえ、あの……」
今更だけれど、この王子は普通じゃない。妙な立場の侍女が言えたものではないが、彼はとんでもない変人だ。
「何も、おっしゃらないのですか?」
「助言しただろ、今」
「いえ、そうではなく……」
混乱するコーティの前で、ルイスは口元を吊り上げていた。
「なんだよ、察しの悪いやつだな。この俺が協力してやろうと言ってるんだ」
こちらの戸惑いもまた、彼には伝わっているのだろう。答えの代わりに悪い光を目に宿して、王子は続けた。
「国も教会も関係ない。俺も、奴に一泡吹かせてやりたくてな」
「……!」
「奴に恨みを抱く者は多いが、俺の前でここまではっきり口にする馬鹿ははじめてだ。俺よりも阿呆なやつがこの世にいるとは思わなかったよ。すごく良い気分だ」
ルイス・マイロ・エスト・カーライルは、重々しく告げた。
「お前の望みに力を貸そう。王族としてではなく、一人の人間として」
「それは……」
「代わりに、侍女。お前も対価を寄越せ」
「……どのような、対価でしょうか?」
ソファで動けないコーティに、一歩詰め寄ったルイス。
「忠誠を誓え。お前には、≪白猫≫討伐まで俺の右腕として働いてもらいたい」
侍女は全身を総毛立たせていた。色々と考えが甘かったようだと、心の底から実感しながら。
権力者に恩を売り、その代わりに必要な情報を得る。そんな計画は、最初の最初でものの見事に破綻していた。事態が予期せぬ方向に転がり始めているのを感じながら、その言葉ははっきりとコーティの脳裏に浮かび上がった。
どうやら自分はとんでもない人に近づいてしまったようだ、と。
「み、右腕って何をさせるつもりです」
「そりゃあもう、色々さ。楽しみにしとけよ」
……どうやら、これはコーティの手に負える状況ではなさそうである。
胃がひっくり返りそうな気分を味わいながら、コーティは蚊の鳴くような声で答えるしかなかった。
「……いいでしょう」
参った。元教会の精鋭……になるかもしれなかった女、コーティ・フェンダートが恐ろしくて震えてる。
「私は、あなたに忠誠を……」
かつての自分が、別の者に向けていた憧憬の情を、尊敬の念を。
今から、目の前の男に。
「……誓い、ます」
こんな風に誓う忠誠なんてあるか? 忠義とは、自発的に敬い、心の底から献身を誓い、主にその覚悟を見せるものではないのか。断じて弱みを握られた人間が震え声で誓うものじゃない。そんなことを、コーティは声を大にして言いたい。
けれど、口に出してしまったものは仕方ない。
戦争から三年が経ったある日のこと。こうして、新米侍女コルティナ・フェンダートは、第一王子ルイス・マイロ・エスト・カーライルに忠誠を誓う羽目になったのであった。