そして彼女はコーティと呼ばれた その6
「そうして、アリスは王子さまと幸せに暮らしましたとさ」
めでたしめでたし、とケトがお決まりの言葉で締めくくれば、教会の小さな一室は子供たちの声で溢れた。
「もっかいよんで! もっかい!」
「あたしも読む! かしてかして!」
「それよりおそとであそぼうってばあ」
「じゃージェスにーちゃんについて行けばいいでしょ」
両手を伸ばしたチビッ子に、先程まで読み聞かせていた絵本を渡す。満面の笑みで床に広げて、他の子たちと頭を突き合わせて……ああそれじゃ本が汚れちゃうだろうに。
「ミヤ様、ありがとうございます」
「お礼を言われるようなことじゃないよ」
本にかじりつく子供たちの背を眺めながら、ケトは呟いた。
「こっちにもあるんだね、≪龍の少女の物語≫」
「私はミヤ様がご存じなことにびっくりしました」
「有名な昔話だって聞いたよ?」
そのおとぎ話のことはケトだって知っている。
ケトがまだ拾われたばかりの頃、蚤の市で姉に買ってもらった絵本。それと同じものが、遠く離れた南の港町でも読まれているだなんて驚きだ。
村の女の子アリスちゃんが龍になって、遠く離れたジャン君の元へ飛んでいくお話。アリスちゃんは道中で沢山大変な目に遭ってしまうけれど、お友達の龍に助けてもらって、大好きな王子様の元に頑張ってだどりつくのだ。
「でもさ、この話大丈夫なの?」
「何がですか?」
読みながらふと気になったことを聞いてみると、リネットは首を傾げた。
「いやほら、龍神聖教会の神様って龍神様じゃない? なのにこのお話だと、女の子が龍になって、王子様のところに行くじゃん。神様がそんなことするんだー、っていうお話だと思うんだけど」
村の少女アリスちゃんは、森の奥で龍に会う。それがこの話のはじまりだ。
なんだか自分と似てるな、なんてことをケトは思った。まあもっとも、アリスちゃんは池のほとりで会った龍と楽しくお喋りをしていたのに、ケトは真っ暗な洞窟で龍の死体と一緒に生き埋め。
……なんだろうこの差は。現実って厳しい。
ともかくケトとしては結構思い切ったことを聞いたつもりだったのだ。けれど意外にも、リネットにはキョトンとした顔をされた。
「龍神様と龍は違うでしょう?」
「へ?」
こちらも首をひねったので、二人して視線が傾いた。
「違うの?」
「龍神様は唯一無二、全知全能の存在でいらっしゃるんです。王子様に恋しちゃうような、そんじょそこらの龍とは違います」
「……そんじょそこら?」
「聖書をお貸ししましょうか?」
「えっ。……そのうちね」
露骨に引いたケト。リネットも冗談のつもりだったのだろう。軽く笑って子供の相手に戻る。
ま、こちらとしても龍神聖教会の教義どうこうを気にするつもりはないのだ。自分や周囲に迷惑がかからないのであれば、彼らが何を信じるかなんて自由なのだから。
結局、それ以上昔話に想いを馳せる余裕もなかった。向こうから駆け込んできた男の子を、ケトは受け止めなければいけなかったからである。
ちょっとだけ楽しい。あちこちから子ども扱いされっぱなしのケトにとっては、なかなかお姉さんぶる機会もないから、これはこれで新鮮なのである。彼は紙を丸めて作った棒を振っていて、どうやら剣のつもりらしい。
「てやー!」
男の子ってどうして……。そんなことを口の中で呟きながら左手で受け止めるフリをする。
「こら!」とすかさず叱ったリネットを他所に、ケトはふとブランカの孤児院を思い出した。
あそこにも男の子は沢山いたけど、大体みんな、真っすぐな木の棒が大好きだった。「これはなんちゃらのつるぎだー」とか言って振り回しては、院長先生に怒られていたっけ。当時はサニーの横で、ティナと二人ボケっとしながら見ていたものだ。
港町製の「なんちゃらのつるぎ」を受け取って広げながら、リネットの叱り文句を聞く。
「いいですか。私たちはもう剣とか弓とか、全部捨てますって約束したんだから」
「なんで!」
「昔、武器を悪いことに使ってしまったからだって! 同じこと、この間も言ったよね?」
「やだっ!」
「やだ、じゃないの。あ、こら!」
転がるように逃げて行った男の子が、向こうであっかんべーをしていた。いかにもいたずら坊主、こういう悪ガキがいるのも、北の町と変わらない。
笑いながら、ケトは「まあまあ」とリネットを宥めた。ここはやっぱり、お姉さんとしての貫禄を見せてあげたいものだ。
「あのくらいの男の子だもん、しょうがないよ」
「ミヤ様だってそこまで歳変わらないでしょうに……」
「……」
ちょっとしょんぼり。
「だめなものはだめって言わないと。特に龍神聖教会はもう武器を握らないと誓いを立てているんですから」
果たして丸めた紙は武器になるのだろうか。広げた紙を、ケトはくるくると反対に巻いた。反りを直すついでに、自分の頭を叩いてみる。
ポン、と軽い音がして、ケトは苦笑した。この町の「なんちゃら剣」はえらくいい音がする。
「武器を捨てたっていうけどさ。じゃあリネットさんは、武器が必要な時が来たらどうするの? 例えば、子供たちが人攫いに襲われてしまいましたー、とか」
「人攫いって、妙に具体的ですね……」
「わたしが昔攫われかけたからね」
目を丸くしたリネットに、ちょっと迷ったケト。結局、そのままの調子で「教会に頼まれた冒険者にね」と続ける。
あの時は本当に怖かった。ジェスが側にいてくれなかったら、果たしてどうなっていたことか。恐怖、戸惑い、怯え。……そして姉に抱きしめられた時の安堵。どれもよく覚えている。
「そういう時は、剣を取らなくちゃ。でないと、守りたいものも、守れない」
それは三年前、大人たちの戦争に巻き込まれたケトが勝ち得た答えだ。いざという時にためらってはいけない。それは実体験として体の奥底に染みついている。
「……それは、剣を取った結果が望んだものだったからこそのお言葉ですね」
けれど、底冷えするような声にケトは頭をはたかれた気がした。視線の先の教徒の顔には穏やかさの欠片もなくて、ケトは驚く。
「私たちは二度と間違いを起こしません。たとえこの子たちが一人残らず攫われてしまっても、それは神の思し召し。例え防衛のためであっても、剣を取ることは断じてありません」
驚きが収まれば、反発を覚えるのも当然の答えだった。
「それじゃあ、大切なもの全部奪われちゃうじゃないか」
「……あなたがそれを言いますか」
首を振ったケトは、けれどもう一度鋭い言葉を重ねられる。
背筋がゾクリと震えたのは何故だろう。リネットの視線が、自分を襲った侍女と同じもののように見えた。何も分かっていないんですね、そう諭すような色をしているように思えた。
「私たちはもう、全部奪われた後なんですよ。国と、≪傾国≫と、≪白猫≫に」
呆然とするケトを置いて、リネットは静かに立ち上がる。子供たちの方へ歩いていく後ろ姿に、一瞬だけ垣間見せた戦士の面影はすでになく、ただ一人の修道女の姿だけがあった。




