そして彼女はコーティと呼ばれた その4
「どうしたの? 依頼でも受けたいの?」
翌日。ブランカのギルドでは、朝の忙しさがひと段落した頃。依頼書の張ってある掲示板を眺めていたコーティは、受付さんに声をかけられた。ゆったりした椅子にクッションを敷いて、カウンターの向こうから声をかける彼女に、コーティは視線を動かさずに答える。
「私でも受けられるんですか?」
「冒険者の登録をしたら、いくらでも」
いつもの常連さんたちがめぼしい依頼を攫って行った後だから、掲示板に残された紙はまばらだ。一つ一つじっくりと眺めて、コーティは呟いた。
「魔物退治とか、害獣駆除は少ないんですね」
「今日は二件だけだったかな。山の方で足跡を見かけたからって調査依頼と……蜂のやつは残っちゃったみたいね。慣れてないとちょっと厳しいからかな」
「山が近いですし、もう少し魔物を見かけるのかと思ったんですけど……」
言葉に促されて、依頼書の一枚に目を向ける。内容は蜂の巣の駆除依頼。≪銅札≫以上が対象で、意外と難易度が高い。確かに人気はなさそうだな、と肩をすくめた。刺された日には毒をもらってのたうち回るのだろう。少なくともコーティにはできそうにない。
他のものは、例えば畑の手伝いやら、お使いやら、雑用ばかり。受付さんは目を細めてのんびりと続けた。
「ほら、何年か前、短い時期に何度もスタンピードがあったでしょう? あれのせいで、魔物が全体的に住処を変えちゃったのよ」
「えっ?」
「考えてもみて? あれは龍神聖教会ってところが意図的に起こしたの。魔物からしてみればいい迷惑だし、しかも私たちが撃退しちゃったもんだから、向こうも大分仲間を失ったんでしょうね」
さらりと語られる教会、の響きにドキッとする。受付さんに自分の生い立ちを話したことはないから、コーティが関係者だとは思ってもいないのかもしれないが、それにしても居心地が悪い。別段感傷を見せることもなく、受付さんはコーティに向かって肩をすくめてみせた。
「私が魔物だったら、こんなところに居られるかって山の奥に引っ込むわ。実際、スタンピードが落ち着いてから、野生動物の数がめっきり減ったもの。今は群れからはぐれたのが、たまにこっちに降りてくるくらいかな」
「そう、なんですか……」
コーティの相槌を聞いているのかいないのか。受付さんは湯気の立つカップを抱えてズズっとすすった。
くつろいでいるところを見るに、もう報告書は書き終わったのだろう。この人がとても手際よく仕事を済ませるのは、毎日見ているせいで何となく分かる。
そんな彼女は、けれど複雑な表情を浮かべていた。
「これで困るのは冒険者のみんなよねえ。……本当、これを喜んでいいのか悲しんだらいいのか」
「困るのですか? どうして?」
「いやほら、討伐依頼ってそれなりに報酬も弾むじゃない。それがなくなるってことは、みんなの大事な収入源がなくなっちゃうってこと」
あ、とコーティは目を丸くした。
そうか、そりゃ魔物の被害がなくなるのは良いことだけれど、それはそれとして冒険者にとっては死活問題なのだ。高報酬な依頼がなくなれば、生計を立てられなくなるかもしれない。依頼書のまばらな掲示板が、寂しく見えたのは気のせいではなかったようだ。
「スタンピードのせいで、そんなことに……」
「まあ、対策は考えているから。私の目が黒いうちは、この町の冒険者を路頭に迷わせるようなこと、させないわ」
一番上の二枚、見てみなさいな、と受付さんは細い指を向けた。
そこには黄ばんだ藁紙が揺れている。若干よれているのは、貼られてから時間が経っているからだろうか。
「≪外壁の改修工事≫に、≪水道建設≫……?」
「それ両方とも、ギルドで依頼出したやつよ。何年か前に町の壁の北側が壊れちゃったんだけどね? せっかくだから直すのに色々と案を考えてみたの。水道の方は、コーティちゃんの方が便利さをよく知っているんじゃない? まあ、魔物討伐より報酬は減るけれど、どっちも何年かかかる大仕事だから、しばらくは食い扶持に困らないでしょう」
目を丸くして、その依頼書を見る。年季が入っているのは、その事業を始めてからどれくらい経つかを物語っているのだと気付いた。
「これほどのことを、受付さんが……?」
「私も手伝ったけど、もちろんみんなの手を借りたわ。こんなの一人の意見で押し通せるはずないもの」
「そんなお金、一体どこから……」
「ふふん、秘密よ」
眠そうな顔で笑い、受付さんはホットミルクのカップを置いた。最近妙に眠くなることが多くなったと、受付さんは言っていたっけ。妊娠の影響なのかもしれないが、はじめての子供だからかその辺の勝手がよく分からないのだと。
「ま、そんなわけだから。コーティちゃんも何かお願いしたいことあったらどんどん依頼出してね?」
「依頼出すには、登録いるんですか?」
「いやあ、それはないない。規定の額だけ払ってもらえたら大丈夫」
ふうん、と頷いてコーティは掲示板を後に、カウンターへ向かった。
「ではあの、遠慮なく。一つ、お願いしたいことがあって」
「ほっ?」
驚いたように目を瞬かせた受付さんに、コーティは静かに言った。
「この町の冒険者の方に、道案内をお願いしたい場所がありまして……」
*
大聖堂の裏手。宿舎との間にある細道を通り抜けると、そこには墓地がある。
「すげえ。随分広いんだな……」
ケトの隣でジェスが呟く。珍しく、彼の感情の読み取れない声だった。頷きながら、ケトもぐるりと首を回してみた。
「こちらです」
先導するリネットは、迷いなく奥へと足を進めた。王城に負けず劣らず手入れが行き届いている芝生の間をすり抜けて、目的の場所へ。
マイロ郊外に教会が所有する敷地には、大きく分けて三つの建物がある。正面に聳え立つ大聖堂、その脇に併設された巡礼者用の宿舎、そして水道やら炊事場やらを兼ねた生活棟。
それなりに広い敷地なのだ。もちろんその三棟で埋まるはずもなく、残りは一面の芝生。敷地の実に半分以上が墓地になっているのである。
墓石の間を縫うように歩きながら、ちらちらと石の前面に掘られた文言に目を凝らす。
この教会は、一体いつからこの場所に腰を据えて来たのだろう。中には百年以上前の日付が刻まれた墓石まであって、ケトは何とも言えない気分になった。
「これだけの人が……」
生きて、そして死んでいった。それを考えると、なんだか不思議な気分だ。自分もいつかは石の下に埋められるんだろうか、それはちょっと怖い気がする。
リネットはゆっくりと進めていた歩みを止める。ジェスが追いつくのを待って、ケトは静かに問いかけた。
「……ここ?」
「はい。ここです」
他のものとまったく同じ見た目の墓石。教えてもらえなければ、それが目的の人物のものとは絶対に分からなかっただろう。
だってケトは、その人のことを何も知らないから。
「……≪十三番≫」
「はい。コーティが言う、教官。その方の墓です」
ケトを、そしてケトの姉を、幾度となく襲った教会の死神。
姉の母を殺し、ブランカを蹂躙した暗殺者。ケトと姉の前に、最後まで立ちはだかり続けた男。
少女の口をついて出たのは、敵としての彼の番号。
何度も戦ったはずなのに、ケトは彼のことを、その番号でしか知らない。だから、他に言えることは何もなかった。
「……」
そんな彼も、今はただの死者。もう二度と襲ってくることはないし、戦うこともない。
墓を前にすれば誰でもそうするように、ケトは静かに目を閉じて、頭を垂れた。
「……あなたに幸運のあらんことを」
北の町では、お決まりのおまじない。
元々は、旅立つ者に向けられた見送りの言葉らしい。時が経ち、文字通り相手の幸運を祈る文言となったのだと、姉から聞いたことがある。
隣のジェスが頭を上げるのを待ってから、ケトは墓石に掘られた文字に目を凝らす。
「≪十三番≫、さん……。どんな、人だったの?」
「ご自身にも他人にも厳しい方でした。部下が失敗したからと言って怒鳴りつけるような方ではなかった。淡々と後処理をした後に、その人を担当から外すような人、と言えば分かりやすいでしょうか」
「……」
「ご自身も精鋭でいらっしゃいましたが、その上で後進育成にも携わられていました。特に、戦闘員の中でも優れた成績を上げた人間を育てるべく努められていて……。多分、私だけだったら早々に別の教官の元に配置換えされていたんだと思います。ただ、相方のコーティがずば抜けて器用で、大人たちから天才だと評されるほどでした。だからこそ、私もおまけみたいに、彼の弟子でいられたのでしょう」
地下での戦闘の中で、幾度もこちらに絡みついてきた糸を思い出す。
≪十三番≫はそれを投げていて、≪百十四番≫……コーティはそれを撃っていた。記憶にあるものとの軌道の違いにこちらは戸惑っていたのに、あの女は自由自在にそれを操っていたっけ。
……それこそ、指の一本もない鉄の腕で。器用に、正確に。
「大人向けの、それも精鋭向けの訓練に食らいついていくコーティは、教官からも一目置かれていたみたいです。やがて、特殊な武器の訓練まで受けさせてもらうようになっていて」
「あの糸のこと?」
「ご存じでしたか。≪鋼糸弦≫って言うんです。私も触らせてもらったことありますけど、あんな糸がどうしてあんな風に動かせるのか、今でも分かりません」
「……ドラート」
無意識に握りこぶしを作っている自分に気付いて、肩から力を抜こうと努めた。
ここにはあの黒い女などいない。この世には死神も、もういない。糸を飛ばしてくる相手は、みんないなくなってしまった。
「訓練を受けるうちに、コーティは更に教官に認められるようになって……。コーティも、まるで父親みたいに教官に懐いていました。信じられます? 私はもう訓練についていくのやっとだったのに、あの子わざわざ課題増やしてもらおうと教官に話しかけに行ってたんですよ?」
くすり、とリネットが微笑む気配。ケトは笑えない。
「多分、教官も憎からず思っていたはずです。コーティただ一人が、彼の本名を教えてもらっていた。そんな噂を聞いたことがあります」
「……そう、なんだ」
あの死神は、この国の人間ならありふれた茶色の目をしていたっけ。まるでガラス玉みたいな冷たい死神の目と、激情をよぎらせたコーティの黒い目を重ねてみて、二人は似ていないなと思った。
……親代わり、だなんて。あの男が。ケトにとっての死神が。
「父親か……」
ジェスもまた、何とも言えない声で呟いていた。
剣の柄に触れているのは、別に抜こうとしているからではないはずだ。彼が背中に背負っているありふれた型のロングソードは、彼が父親から受け取った形見。少年にとっては武器以上の価値を持つ。
父親。
自分の父の優しい目。姉の父の超然とした目。それらと死神を重ね合わせようとして、どうにもうまくいかなくて、ケトはそっと呟いた。
「親を殺されたら、確かに許せないよね……」
孤児。教会で育てられ、やがて戦闘員になった女。父親代わりの男を殺された子供。
その境遇はなんとなく自分に似ているし、似ていない気もする。
違うのは、周囲の環境だけ。自分は姉に拾われ、コーティは教会に拾われた、その一点のみ。
寂しい気持ちはよく分かる。親と死に別れてから数年が経つケトですら、未だに夢に見る程なのだから。姉に縋りついて泣いたのだって、一度や二度のことじゃない。
――貴様が殺したんだ、全てそうだ! 教官を、私の全てを、あれからの三年を!
地下に木霊する叫びが、今も耳元にこびりついていた。コーティの悲鳴を聞いた身には、リネットが口に出すことのなかったことまで、想像ができるのだ。
――勝者の理屈など、聞くつもりはない!
たくさんの人たちの想いと、みんなの行動と、いくばくかの偶然。そうして命を繋いだ姉とケトだけれど。
もしも。もしも戦争でケトが負けていたら、姉が死んでしまっていたら。自分は今頃どうなっていたんだろう。
憎しみに命を燃やしている癖に、迷子のような瞳を持つ女。黒髪の襲撃者に、自分の姿が重なる。銀の髪を振り乱して、復讐に瞳を燃やす女の姿を。
コーティ・フェンダート。親からもらった名前を間違えられても、直すことすらしなかった女だ。手駒として生き、ようやく見つけた拠り所すら失った娘だ。
ケトを襲ったのは、そういう人だった。
「……『殺さないと、私じゃなくなっちゃう』、か」
確かに、ケトは憎まれていた。
自分が欲しかったものをすべて持っている敵。そんな敵が、人とは思えないような圧倒的な力で、自分のしがみついていた拠り所を蹂躙したのだとしたら。果たしてどう思う。
教会の精鋭、≪十三番≫。
確かに、ケト・ハウゼンにとっては死神であった。
けれど同時に、彼は、コーティ・フェンダートにとっての「シアおねえちゃん」でもあったのかもしれない。




