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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第六章 宿敵の町で
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そして彼女はコーティと呼ばれた その3


 夕食は黒パンにした。ギルドの向かいのパン屋さんで買ったものだ。おかずにはギルドの食堂のシチュー。王都で見かけるものとは違って、ゴロゴロした野菜がたっぷり入った煮込み料理だった。地下食堂で出しているお昼の定食、その余りを貰ってきて部屋の暖炉で温めなおしたのだ。

 余計な作法にこだわって、冷めてしまっても仕方ない。コーティはシチューを口いっぱいに頬張って、片手では黒パンはちぎれないから、こちらも噛みちぎる。どうせ誰も見てやしないのだ、今更気にすることもない。


 侘しい女の一人飯というには、妙に暖かい食事を。お世辞にも広いとは言えない一室で黙々と続ける。


 コーティがブランカに来てから、それなりに時間が経っていた。

 毎朝ギルドに行っては窓際の丸テーブルを借りて、何をするでもなく時間を潰す日々。時たま受付さんの手伝いで、町にお使いに行ったり、近所のおばちゃんに相槌を打ったり。


 あの受付さんの言った通りだった。≪白猫≫……ここでその名を聞くことはほとんどないが、ケト・ハウゼンという少女のことは、しこたま耳に入る。


 あの子は元気かな。あいつのことだ、ピーピー泣いてるかもよ。大丈夫かなあ、ジェスがまた途方に暮れちまうぞ。


 それこそ、少女のことをコーティの方から問いかけたことなんて数えるくらいしかない。

 ここでの彼女は、本当にただの女の子だ。王都で彼女が≪白猫≫と呼ばれるのと同じくらい自然に、ブランカでの彼女はただのケトとして生きている。


 器をパンで拭って、最後の一口を放り込む。

 さて、どうしよう。食べ終わったら本格的にすることがなくなってしまった。あれ、食器と体を洗ったら、今日の私はもう寝るだけ?


 ふと、城での日々を思い出した。

 私、晩ご飯の後は何をしてたっけ。ついこの間までのことが、今ではまるで夢の世界の出来事のよう。何の気なしに、残った五本の指を折って数えてみた。


「……ライラとお風呂に入って、髪を梳かしてもらって、お礼に髪を梳かして、お茶を淹れて、お菓子を食べて、そしたら、本を読んだり、おしゃべりしたり……」


 五本の指はすぐに折りたたまれてしまって、軽く握りしめた拳をじっと見つめた。


「全部、捨ててしまいましたね……」


 自分がこの手で捨てた日々。今はもう、何もない。

 窓の外から真っ暗な東の空を見上げ、瞬く星を目で追った。いくらなんでも、日が沈んだばかりだ。欠片も眠さは感じず、コーティは周囲を見渡してみる。


 コーティがいるのは、受付さんに紹介してもらった長屋の一室だった。なんでも部屋の持ち主がしばらく出かけているらしく、今は空き部屋になっているそうだ。

 誰もいないのもあれだし、綺麗に使ってくれたら宿代はいいから。そう言ってくれた受付さんの厚意に甘えて、コーティは寝床を借りている。


 ふと、部屋の隅に置かれた自分の荷物が気になった。

 義手の箱に、服やら旅道具の一式やらが入ったカバン。部屋に運び入れた後、床に放っておいたままだ。


「片付けでもしますか……」


 部屋の奥に備え付けの戸棚があるのは知っていた。元の持ち主が使っているのかもしれないが、どこか隙間を見つけて服くらい置かせてもらってもいいだろう。とりあえず、まずは中を覗いてみるところからはじめようかと、コーティは立ち上がる。

 この部屋で寝泊まりをはじめてそれなりに経つのに、いまだに荷物の片づけすらしていないなんて。王子の執務室の片付けなら毎日していたと言うのに、一人になった途端これだ。


 まるで本当に抜け殻みたいだと、自嘲の笑み。


「……んん?」


 天井まで届くそれなりに大きな戸棚。その扉が妙に硬かった。左手で取っ手を握り、思い切り揺さぶってみる。まさかとは思うが、この扉壊れたりしないだろうなと少し恐ろしくなった。借りた部屋を壊すのはいくら何でもマズい。明日にでも蝶番に油をさしておこうか。

 やがてひどく軋む音を立てて、木の扉が開かれる。流石に壊れることはなくて、ほっと一息。


 戸棚の中は、意外と整っていた。もしかしたら何かがつっかえているのかとも思ったのだが、どうやら違うらしい。

 服が何着も吊り下げられているが、総じて子供向け。冬用の外套が幅を取っている。妙につぎはぎだらけなのは何故だろうか。


「ん……?」


 ぺらりと、扉を開けた拍子に紙が一枚振ってきた。ひらひらと、ゆっくりと、風を孕んで床へと滑り落ちていく。かさりと音を立てたそれを、コーティは拾い上げてみた。


 粗末な藁紙だった。もしかしたら、扉を勢いよく開けたせいで上の段から落としたのかも。


「……?」


 何だこれはと、眉をひそめる。読み取れるのは、まるでミミズがのたくったような字。ひょっとしたら、子供が書き取りの練習でもしていたのだろうか。順に並んだアルファベット、最初は丁寧に書いているのが分かるのに、だんだん飽きてきたらしく、徐々に雑になっていく。

 そして右下に落書きされた似顔絵らしきなにか。二つの顔が並んでいて、その下に書かれているのは人名だろうか。誰のことだかさっぱり分からないし、なんなら絵も下手くそだ。

 どこから落ちて来たのだろう、と顔を上げた先に小さな箱を見る。箱に見覚えがあるなあと思ったら、ギルドの地下食堂に、野菜を運び入れる時に使うものだった。


 そっと手を伸ばして、木箱を引っ張り出してみた。左手一本で箱を支えるのは中々に骨が折れたが、こちとら半年くらい左手一本でやってきたのだ、コツは掴んでいる。

 ……たとえ二本指でも、右手があると便利だなと、今更になって思い知ることにはなったけれど。


 木箱の中には、文字の書かれた紙がぎっしり詰まっていた。そりゃ重い訳だと肩をすくめながら、コーティは一番上の一枚をめくってみた。


 ――もじのれんしうをしました


 変な笑いが出た。そうだろう、どう見ても文字の練習だこれは。


 ――きょうはしあおねえちゃんとぱんけーきをつくりました。ふわふわ。ふわふわ。


 字の形が少し整ってきた。「ふわふわ」と二回も書くくらいだから、パンケーキはおいしくできたのだろう。


 ――きょうは雨でした。のみのみいちの日ははれるといいなあ。


 のみのみ……? と口の中で呟く。


 ――ガルドスをふっとばしちゃった。ごめんなさいでした。


 ――きょうは、ジェスとサニーとティナと、三人であそびました。みなみのもんまでかけっこしました。


 ――ミヤとしょうぶしたらまけちゃいました。これで三しょう四はい。くやしい。


 途中から、書き手は初めに日付を記すようになった。読み取れる季節は夏がはじまったばかり。なるほど、この拙い文章は日記らしいと、ようやく合点がいった。


 ――おしろはすごい。大きくてキラキラで、毎日がのみのみ市みたい。


 ――今日は十さいのたんじょう日でした。シアおねえちゃんがこっそりじゅんびしてくれてました。ギルドの食どうで、たくさんのおくり物をもらいました。シアおねえちゃんだいすき。


 少しずつ、少しずつ、文字がしっかりしてくる。この日記の持ち主は、ちゃんと字を書けるようになったのだと、赤の他人のコーティが確信できるくらいに。

 けれど、次の紙をめくったコーティは眉をひそめた。それまでと同じ紙のはずなのに、妙によれた藁紙。あちこちに水滴が零れて、それが乾いた跡。そっと上から左手の指でなぞってみる。

 そこに書かれていたのは、殴り書きの一言。


 ――どうして


 日付を見る。日記に語られていた誕生日の、その翌日のことだった。


 そこから数枚、一気に日記の字の形が崩れた。それまで下手くそなりにも丁寧に書いていたことが分かったのに、突然投げやりになったかのように。あちこちにインクのにじみが見て取れるそれは、この日記の書き手に何かが起こったのだと、察するには十分だった。


 ――強くなりたい。


 それでもめくり続けていると、今度は突然紙の質が変わった。日付が一気に飛ぶ。季節は既に冬、もう雪が降っていてもおかしくない時期。


 ――久しぶりに、日記を書く。


 くしゃくしゃになった、端がビリビリに破けている、質の悪い紙。


 ――また教会におそわれて、ガルドスがけがをした。わたしを守ってくれたせい。わたしも教会と戦った。すごくこわかったけど、三人ともまだ無事でいる。


 ぞくりと、鳥肌が立った。その文字にも内容にも、もう当初のたどたどしさは見えなかった。


 ――教会はシアおねえちゃんをかいらいにしようとしてる。かいらいっていうのは、おにんぎょうさんみたいに人間をあつかうことなんだって、コンラッドが教えてくれた。それはいや。ぜったいいや。このままじゃ、シアおねえちゃんはひどい目にあっちゃうかもしれなくて、そんなのはゆるせない。

 これから王都に行く。明日はわたしの力をほしがってるきし団と、教会からかくれながら、けいかいもうをとっぱすることになる。あっちでわたしは白猫ってよばれてるらしい。こわい人からよばれるのはいやだけど、ミヤとおそろいだからだいじょうぶ。


 しっかりとした筆跡で。あまり上手ではないけれど、それでも心のこもった字で。


 ――わたしはずっと守れなかった。ママも、パパも、おうちも、ブランカも、シアおねえちゃんも。なのに、シアおねえちゃんは今でもわたしを守ってくれてる。たとえとなりにいられなくても、わたしのことを守ってくれてる。


「……『次にいつ日記を書けるかわからないけど、それはシアおねえちゃんのとなりで書くって決めた。だから今度は、わたしが守る番だ』」


 コーティは静かに紙を下ろした。


「ここ、≪白猫≫の部屋なんですね……」


 日記はこれだけでは終わらない。むしろここから更に枚数を増やし、内容も更にしっかりしたものになっていく。

 それはつまり、この日記の書き手が、彼女を襲った理不尽に打ち勝ち、大切なものを守り抜いた証拠。


 やがてコーティは、一枚の日記を取り上げた。上に記されている日付は、彼女が初めて日記を書いてから一年半以上経った秋の日を指していた。


「……『お墓参りに行った。今見ると、墓石に掘った文字がかなり下手で、ちょっとごめんなさいってなった。でも、あれがはじめて書いた文字だから、十分がんばった方だと思う』」


 彼女はその日の出来事として、一緒に祈ってくれた姉のことと、姉の恋人のことと、友達のことなど、ずらずらと色々なことを書いてから。


「『これからも、お墓参りの時は、ママとパパにたくさんお話しようと思う』、か……」


 木箱の前にひざまずいて。

 その夜、コーティはひたすら、宿敵の日記をめくり続けた。


※次回は4/25(月)の更新になります。

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