そして彼女はコーティと呼ばれた その2
ケトの泊まる宿舎から少し歩いた場所に、その建物はあった。
「……質素だな」
「質素って言うか……」
「ボロいでしょう? あちこち雨漏りしちゃって、よく直してはいるんですけど」
木造の、古びた建物。まあ、ここまで町はずれともなれば周囲の建物も似たようなものではあるが、だからと言ってこれは流石に……。
「本当にここに住んでるの?」
「ええ。中は案外ちゃんとしてますよ」
リネットが住んでいるという、家のようなもの。言葉にするなら寮という表現が近いだろうか。
「女性用の宿舎なんだろ? いいのかよ、俺が入っちゃって」
「特別です。みんなには内緒にして下さいね?」
建て付けの悪そうな玄関扉を開けると、廊下の隅に盥が置いてあるのが見えた。なるほど、雨漏りする場所が一目で分かる。
「終戦後、ベルエールが接収されることになった時、向こうにいた教徒をどこで受け入れるか問題になりまして。町はずれの倉庫とか、店じまいした宿屋とか、いくつか安く買って改築したんです。ここはそのうちの一つですね」
ギシギシ鳴る廊下の床板を踏みしめながら、目的の部屋へ。
「ここ?」
「はい。ここが……」
部屋のドアには名札が一つ。その部屋の主の名を、リネットは口にした。
「コーティの部屋です」
*
狭い。それが入った時の感想。
ベッドと棚、それから小さな机が一つ。
「いえいえ、ちゃんと見てください。床下も物入になっているんですよ」
「……いや、それ自慢するとこか?」
後ろで鍵をしまうリネットと、呆れた顔をして戸口から首を突っ込むジェス。二人のおしゃべりを聞きつつ、ケトは部屋をぐるりと見渡した。
「もしかして、全部お掃除しちゃったの?」
「いえ、出て行った時のままです。それはまあ、毛布とかは物置にしまいましたけど、鍵は隣部屋の私が預かっていますし」
「でも、何もない……」
「そういう子だったんですよ」
机と棚、それからベッドの木枠、部屋にあるのはそれだけ。ひなびた麻のカーテンは端にまとめられたままで、窓の外には、目の前に迫る隣の建物の壁が見えるばかり。明かりの消えたランプは、魔法ではなく油を燃やす、古い型のものだ。
リネットが戸棚を開けると埃が舞った。日の差し込まない部屋では、光を浴びてキラキラ輝くこともなく、ただ静かに床に降り積もっていく。
「いいの? 勝手に見ちゃって」
「……王都に行くとき、コーティに言われました。『この部屋、リネットの好きなようにして構わないから』と」
「それって……」
「多分あの子、もう戻らないつもりだったんでしょうね……。当時はそんなこと気付きもしませんでした。狭い部屋ですし、私は色々と買い込んでしまう人間なので、自分のいない間に収納とか使っていいよ、という意味に捉えてしまって」
戸棚の中には、飾り気のない服が何着か。それから白い修道着。
――教官のお召し物に、血を付けたなあっ!?
……そういえば、襲撃の時に彼女が纏っていたのも修道着だったっけ。酷くボロくて、あちこち裂けてしまっていた、元は白かったであろうローブ。
「……これじゃ、何も分からないね」
ただ一つ。コーティとやらは、自分に興味を持たなかったのだと、それだけが伝わる部屋だ。
――やっと捕まえた。
嬉しそうなその声を思い出す。あの時、彼女はなんとも感情的で活き活きしているように見えた。枯れた感じなんて欠片も感じなかった。まるで想い人に会った乙女のように上気した表情は、今でもよく覚えている。
まるで、わたしを憎むことだけに全てを捧げた人みたいだ。
「これは何?」
「あ、懐かしい。コーティは手先がすごく器用で、昔は薪の端っこを削って小物をつくってたんですよ。こういう、龍神様のロザリオとか。……訓練始まってから、何か作ってるところ見たことなくなりましたけどね」
戸棚の扉の裏側。無造作に打ち付けられた釘に引っ掛かっていたロザリオ。手に取って、眺めて、でもやっぱり、彼女のことはよく分からない。
「そういえばさ」
ケトの隣で、無遠慮に戸棚の中を覗き込んでいたジェスが言う。
「結局あいつの本名って、コルティナなの? コーティなの?」
「コルティナです。コルティナ・フェンダート」
「あれ、そっちが本当の名前なのか。コーティコーティ呼ばれてるから、てっきり逆だと思ってた」
確かに。たいてい彼女は「コーティ」と呼ばれていたっけ。何なら自分でも「コーティ」と名乗っていた。綽名みたいなものなのだろうか。
「あ、ああ……それは、ですね」
何故かそこで視線を泳がせたリネット。どこか恥ずかしそうに、頬を赤らめて、彼女は小声で答えた。
「えっと、ホント大した理由じゃないんです……。あれ、実は私が名前を間違えて呼んじゃったからなんですよ」
私たちが≪傾国戦争≫に負けた、すぐ後のことです。リネットは懐かしむように、目を閉じた。
*
貴様らには、これからこの街の復興作業に従事してもらう。
終戦から数日が経った頃のことです。降伏して捕虜になった私たちの前に、騎士様が姿を見せられました。なんでも、捕虜となった私たちは、戦場となった街の瓦礫の撤去作業を行うことになるらしく、その説明をされました。
大体十人くらいの班に分かれて……私は僚友の≪百十四番≫と同じ班になりました。……ただでさえ無口だったあの子は、教官の亡骸に寄り添った夜から一言もしゃべろうとしなくて、すごく心細かったのを覚えています。
白いローブを脱げ、代わりにこれを着ろと、騎士様は言いました。色味のない普段着を手渡して。
修道着は私たちに残された唯一の信仰の象徴でした。それすら奪うのか、なんて食って掛かった人もいました。ですが騎士様は、……ええ、こういう言い方はよくないと分かっていますが、蔑んだ目をされておりましたね。
当然のことです。終戦直後の捕虜の扱いなんて、そんなものでしょう。
「嫌だと言うならその修道着を着ればいい。我々は止めんが、同時にどのような目に遭おうと助けるつもりもない。感謝しろ、それが貴様らの命綱だ」
おっしゃっていることの意味は分かりませんでしたが、とにかく着替えた私たちは、そうして戦後はじめての外へと歩み出したのです。
……今でも覚えています。
辺りはすっかり暖かくなっていて、倉庫に押し込められていた私には空気がおいしいと感じられたこと。そして、そんな青空を訳もなく恐ろしいと感じたことを。
隣の戦友は、やっぱり何も言ってくれませんでした。私が手を引くままについてきて、魂が抜け落ちたように、目の前の地面を見てばかりで。仕方ないことだと思います。あの子にとって、それこそ親を失ったのと同じですから。
城下街は、確かに酷い有様でした。けれど思った以上に賑やかでした。
後から聞いた話によると、あの戦争での王都市民への直接的な被害はほぼ皆無に等しかったそうです。その代わりに建物や街自体への損害は甚大、それこそ瓦礫の山みたいになっている場所もあって……。住む場所や、商いの場を壊された避難民だらけ、そういう方たちに向けて、城が施設を開放していたみたいです。
だから皆様、昼間は瓦礫を片付け、夜は城で寝泊まりする生活を送っていました。その中に私たちは駆り出されたのです。
「彼らが新たな家を得るまでだ。そうしたら貴様らを解放しろと命を受けている」
私の班の監視役になった騎士の方は、お名前をセントー様とおっしゃいました。セントー・バッフェ隊長。まだお若いのに分隊の長で、戦争の際に市民の避難を優先させた一人だそうです。しばらく行動を共にするうちに、徐々にですが話すようになって、教えてくれました。
ああそうそう。セントー様は今、このマイロにいるんですよ。戦後の騎士団再編の時に、港湾警備の部隊に配属されて、しかも小隊長にご昇進なされて……。あれ、それは聞いてない?
コホン。どこかで子供が泣いていたり、座り込んでいる人がいたり、ケンカも多かったですね。着の身着のままの人が二人で、取っ組み合いのケンカです。
人の心の安定は、こうも容易く崩れてしまうのかと……。そんな中で私たちは黙々と瓦礫を運びました。ええ、ええ、辛かったですとも。
小さな破片は腕に抱えて、大きな破片は数人がかりで。荷車に積んでは戻る、積んでは戻る。荷車が一杯になったら街の外の集積場に持って行く。全てはその繰り返し。
流石に無理な姿勢だったんでしょう。すぐに腰が痛んで、それまで剣を握っていたはずの手は傷だらけでザラザラになりました。こういうのって、地味に辛いんですよね。復興に従事した半年間、ずっと悩みの種でした。
大通りの一本、ええと糸屋街から中心街に繋がる道だったんですけれど、私たちはそこを任されまして。数日かけて少しずつ進むと、やがて見覚えのある場所に出ました。
≪噴水広場≫、ご存じだと思います。城下街でも激戦となった場所の一つらしくて。戦中、私たちもこの場所の確保に尽力して、結局果たせませんでした。……ええ、ミヤ様もその場にいらしたと聞いています。もしかしたら私たち、あの場所で会っていたのかもしれませんね。
見渡せば、とにもかくにも人、人、人。そこに若いも老いもありませんでした。男も女もありませんでした。
皆が疲れた顔をしていて、身に降りかかった苦難を嘆きながら、それでも体を動かし続けていて。
そう言えば、その中には物好きな貴族の方のお姿もありました。女性の方で、毎日城から物資を持ってきては、丈夫そうな手袋を嵌めて従者の方と二人お手伝いされていらっしゃいました。皆さんとも打ち解けられていて、「お嬢」って呼ばれていましたね。
通りの向こうに見える城門は倒れたままでした。壁の一点に穴が開いていて、その周囲に焦げ跡を見ました。城門前では、炊き出しの列に長蛇の列を作っていました。
≪百十四番≫は、よく作業の手を止めて、壁に空いた穴を見つめていました。何か呟いていたように見えましたが、聞き取れた試しは一度もありません。
戦闘中、私が遮蔽部にした建物も見つけました。
……そこは食堂だったそうです。弾痕だらけで、粉みじんに割れたガラスと、食器の数々が散らばっていました。後は穴の開いた壁に傷だらけの机。店主のおじ様と、奥様が青ざめた顔をされていらして。……泣いておられました。小さなお子様がいて、その子は抱きしめられながら目を丸くして店の内装を見渡していて。
騎士のセントー様は、監視役だとおっしゃりながら、よく私たちに混じって手を動かしていらっしゃいました。監視役なので剣を外す訳にもいかず、邪魔だ邪魔だとよくぼやいておりましたね。……しばらく経ってから教えていただきました。ご実家も被害に遭われたそうで、ご両親や妹さんはご無事でしたが、家がなく城に避難しているのだと。だから他人事には思えないのだと。
半年です。
はじめから、国のお方々と教皇様の間で結んだ終戦協定には、捕虜となった教徒の抑留期間が定められていたそうです。「彼らが家を得るまで」なんてセントー様はおっしゃっておりましたが、それはきっと、城ではなく城下街の復興目途を最優先とする、王女殿下の決意の表れだったのでしょう。
そうして、季節が秋に変わるまで。私たちは復興を手伝って、確かに半年後、南へ帰ることが許されました。もう総本山のベルエールは接収された後でしたから、このマイロに。
……あ、すみません。コーティの、名前の話でしたね。余計なことを沢山話してしまいました。
ええ? わざと話したんじゃないかって? いやだなあ、ソンナワケナイデスヨ。
復興作業の初日に、修道着を脱げと、騎士様はおっしゃりました。そこに繋がります。
クタクタになりながら拘留所に戻ってきた、夕方のことです。えっと、一日の終わりには必ず点呼を行うのですが、その時に捕虜の人数が四人足りないことが分かりました。
いえ本当に、最初は逃げたのかと思いました。もしもそうなら、その人たちは上手くやったと。……まあ終戦直後で、私も含めてみんなもう少しトゲトゲしてた頃ですから大目に見てください。みんなでコソコソと言い合ったものです。
……けれど、違いました。
彼らと同じ班だった人が、真っ青な顔をしていて。やがて私たちの元にもこんな噂が流れて来ました。
姿の見えなくなった四人は、逃げたのではなく亡くなったそうです。……修道着が目立ったせいで市民からの私刑に遭ったのだと。市民から声をぶつけられ、瓦礫を投げられ、血を流して。制止しようとした者もいたそうですが、あまりに市民の方々の怒りが強くて何もできず……。やがて白いローブが真っ赤になって、動かなくなるまでそれは続いたのだと。
翌日から、白いローブを着る者はいなくなりました。ありがたいことに、規定の検査さえ受ければ少量の私物を持つことは許可されていましたから、誰もが修道着を大事に畳んで、代わりに作業着を着ました。……ええ、ええ。騎士様のおっしゃった命綱の意味がようやく分かりましたとも。
それからもう一つ。お互いの呼び方を変えました。
≪付番隊≫は、当時の国から≪番付き≫と呼ばれていたそうですね。結構その噂話は広まっていて、市民の方々の中にも、その存在を知っている方がいらっしゃいました。……もう本当にゾッとしました。もしも互いを番号で呼んだところを聞かれたらって。
殺される。心臓がバクバクして夕食どころではありませんでした。枢機卿閣下のためなら命も捨てられる、そう信じていたはずの私たちなのに……。心の底から怖くなった自分が、なんとも情けなくて仕方なかった。
そういう理由で、私たちは番号を捨てました。教徒と気付かれなければ、それこそ支給された服さえ着ていれば、王都の皆様はいたって普通に接してくれる。それに縋るしかなかった。
そして私は……≪付番隊≫の≪百十五番≫は、リネット・フックスを名乗りました。
自分の本名のはずなのに、思い出すのに随分と時間がかかりまして。しかも口にした名前に、とにかく違和感がありました。私だけでなく、周りも同じだったみたいで、もう皆で苦笑いです。そうするしかなかった……。
僚友の≪百十四番≫は相変わらずぼんやりしていたので、私から言い聞かせました。まあ、彼女は名前に興味なんてなさそうでしたが、命を守るためだと言えば逆らおうとはしませんでした。
コーティ、と。
私はあの子のことをはじめてそう呼びました。確か、彼女はそんな名前でしたから。
……ええ、これなんですよ。いえその、私が何故かあの子の名前を「コーティ」だと思い込んでいたって、それだけ。
その名前が、実は微妙に間違っていたと知ったのは、かなり後のことです。
どうやら彼女は本名をコルティナというらしいって、それも本人からではなく、名簿を確認していたセントー様から聞きました。なんだ、あの子も最初にそう言ってくれたらよかったのに、本当に申し訳ないことをしてしまいました。
その頃にはみんな、コルティナ・フェンダートのことを「コーティ」と呼んでいました。本人も別に直そうとはしなかったので、そのまま定着してしまって。
だから、そうして彼女はコーティと。
そう呼ばれるようになったのです。




