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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第六章 宿敵の町で
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ブランカ その3


 久しぶりのベッドは硬めで、ケトにとっては存外心地が良かった。

 自分は元々田舎者、素朴な寝台に慣れた体だ。王都で流行りの、体が沈み込むようなベッドは、ケトにとってあまりにも柔らかすぎる。魔導紡績機の登場で柔らかい布が安価に出回るようになった結果だそうだが、行き過ぎるのも善し悪しだな、とケトは思う。


 ケトがジェスと借りた部屋は、いわゆる巡礼者用の宿舎なのだそうだ。

 龍神聖教会(ドラゴニア)の誇るマイロ大聖堂。その裏手にあるその建屋は、質素ながらも必要十分な設備が備えられている。下の階には体を流せる洗い場まで設えらえていて、それぞれに仕切りまでついていたので、文句はどこにもなかった。


 さて、と備え付けの棚を見る。

 カルネリアからマイロに来るまでの数日間で、情勢は更に変化している。そんなことを教皇アキリーズが教えてくれた。

 王都では、対≪白猫≫戦術なるものを元に防備を固めつつあるそうだ。なんとも難儀なことである。噂の少女は今、遠く離れた港町で、寝癖でボサボサの頭を撫でつけるのに必死なのに。


 身に着けた修道着には、やはり違和感が残る。やはりどうしても、白いローブは敵、という印象が拭えないのだ。目に映らない翼が出せるように、目立たないスリット付きの修道着を急遽用意してもらったとは言え、だからこれを自分の服だと認めるのは、なんだか抵抗があった。


「まさか、こんな日が来るなんて……」

「ついこないだまで夢にも思わなかったよな」


 何とも腹立たしいことに、隣のジェスはいつもの旅装だ。どうしてと、ケトは口を尖らせて唸った。


「ジェスもこれ着てよ」

「修道着だとこの剣置いてかなくちゃいけないんだろ? いざって時ダガーだけなのは嫌だしさ。つーかそもそも、有名なのはケトだけじゃん」


 剣を背負った彼はそんなことをのたまった。

 なんでも、教会は前の戦争に負けた後、「もう武器は持ちません」と約束したらしい。だから修道着を着るなら、武器を持っていけないのだとか。

 とは言いながらも、ケトはいつものダガーをローブの下に忍ばせていたりする。だって、あのコーティとかいう襲撃者だってボロボロのローブを着ていながら、武器をしこたま持っていたのだ。それはどう説明してくれるんだ、とケトとしては言いたいのである。


 服の丈を確かめつつ、フードを深々と被りなおしたケトは姿見の前に立った。

 映るのは、何処からどう見ても教会の子供。フードの下から覗き込めば、ローブの中に押し込んだ髪も白くてげんなり。


「まっしろ……」


 ただまあ、かつて龍神聖教会(ドラゴニア)を壊滅に追い込んだ≪白猫≫が修道着を着ているなんて、誰も想像しないだろう。隠れ蓑としてぴったりなのは間違いない。

 肩を落しながらも、体を右を向けたり左に向けたり、くるりと振り返ってみたり。やっぱり女の子としては、自分がどう見えるのか気になってしまうのである。


「手は大丈夫なのか?」

「……うん。もう、包帯もいらないや」


 本当に、自分の体はどうなっているのやら。翼はともかく、普通の人間ならじっくり直さなくてはいけないような右手の傷すらも、裂けた跡を覆うように新しい皮膚が出来上がりつつある。

 ……それを言うなら、骨に問題がなかった時点で、ケトは既に人間ではないのだろうけれど。

 口を引き結んで右手を撫でていたケトは、ノックの音で顔を上げた。


「ミヤ様、おはようございます」

「開いてるよ」


 答えるとすぐに、ドアが開く。入ってきたのも、同じ白い修道着姿だ。

 歳はケトよりも四つほど上らしい。明るめの茶髪に、そばかすの散った頬が愛嬌を感じさせる娘だった。


「おはよう、リネットさん」

「着心地はいかがですか?」

「うーん、まあまあかな」


 昨日聖堂の入り口で出会った娘。教皇に紹介された流れのまま、ケトたちの世話を快く受けてくれた人である。

 確かに土地勘もなければ教会の決まり事も知らないケトなのだ。こちらの事情を慮ってくれる人がいるのは心強かった。


「わたしに敬語使う必要なんてないのに……」

「教皇閣下から、事情を伺いました。……私たちには、ミヤ様にお返しできない程の御恩がありますから」

「恩?」

「教会を教会として立て直せたのは、ミヤ様とそのお姉様のお陰である。教皇様はそうおっしゃっていました。お二人が決して欲を出さず身を引かれ、この王国をしかるべき人に託していただいたからこそ、今があるのだと」

「……すごいのはシアおねえちゃんで、わたしは何にもしてないけどね」


 教皇アキリーズが、リネットに自分のことを話したのか。ジェスと二人、少しばかり目配せ。

 またしても微妙な立ち位置に置かれたケトではあるが、そのことにいちいち怯えていても仕方ない。全ての人に正体を隠し通すことなんてまず無理だと分かっているのだ。アキリーズが信用できると踏んだのなら、とやかく言うつもりはなかった。


「ね、朝ごはんはなあに?」


 露骨に話を逸らしたケトに、リネットは苦笑を漏らした。


「オートミールです。朝はあんまり変わり映えがしなくって……ここだけの話、あまり期待されない方がいいかもしれません」

「おいしくないの?」

「いえあの、決してまずいわけではないのですが」


 とにかく味が単調で、と彼女は続けた。


「マイロの名物料理を食べたいなら、町に出ることをお勧めします。教皇様に聞いてみましょうか」

「わたし、外に出ていいの?」

「ミヤ様が望まれるなら、もちろん。そもそも私たちに止める権利はありませんし、もしお外に出られるならば、そのお姿の秘匿に全力を注ぐ所存です」


 食堂へ案内してくれるのだというリネットに続いて部屋を出る。扉に備え付けの鍵をかけるジェスを待ちながら、ケトはちらとリネットの顔色を伺った。


「わたしがここにいると分かれば、あなたたちにも迷惑がかかるかも」

「銀髪の少女……珍しいとは思いますが、全くいない訳ではありません。私の知り合いにも銀色、というか灰色の髪をした子がいるんです。ミヤ様が修道着を着て、私たちと行動を共にしていれば、十分に誤魔化せると思いますよ」

「そうなんだ……」


 窓から向かいを見上げれば、大聖堂の色ガラスが目に入った。

 朝の光をキラキラと反射する様は、まるで色彩の洪水が流れ込んでいるよう。ケトの滞在する部屋は三階にあるから、見下ろせば聖堂に入っていく修道服姿の人たちが良く見える。


「……たくさんいる」

「もうすぐ朝の礼拝の時間ですから。申し訳ありませんが、お二人が朝食をとっている間に、私も行ってきますね」


 そうか、と今更になってケトは思い当たった。

 龍神聖教会(ドラゴニア)。教会というからには、彼らには神様がいて、お祈りを捧げるのが生活の一部なのだ。ここではそれがごく自然のこと。朝起きて、顔を洗って、着替えて、お祈りして、ごはん食べて、みたいな。


 祈りを捧げる、という習慣は少し不思議だ。ケトはなんとなく、おまじないに似たようなものなのだろうと思っている。それなら町の冒険者ギルドでよくしているから、想像もつきやすい。

 せっかく南の町まで来ているのだから、ただ食堂で朝食を取るだけというのも味気ない。ステンドグラスのキラキラに吸い寄せられるように、ケトは口を開いた。


「あの……、別にお祈りするつもりはないんだけどさ」

「ミヤ様?」

「朝のお祈り、わたしも端っこで見てていい?」


 目を丸くしたリネットは、しばらくして嬉しそうに頷いた。


     *


 朝食のオートミールは、言われていた程酷いものではなさそうだ。けれど食べ進めるにしたがって、リネットの言葉の意味が分かってくるのもまた事実だった。


「……飽きるなあ、これ」

「ちょっとジェス。みんな同じの食べてるんだから……」

「飽きますよね……」

「リネットさんまで!」


 ニヤッと笑ったジェスと苦笑を浮かべたリネット。二人に続いて食事を終えたケトは木の匙を置いた。

 長テーブルの両側にずらりと並んだ白ローブの教徒の列は中々に壮観だ。カップの底に残っていたお茶を飲み干しつつ、ケトは食堂を眺める。


 いかにも朝、と言ったざわめきに包まれる広間。ここにいる教徒や巡礼者はみんな、つい先ほどまで聖堂で頭を垂れていた。はじめて見る異質な光景に、ケトとジェスは圧倒されるまま、壁際で祈りが終わるのを待つしかなかった。

 そんな彼らも、食事の時にはおしゃべりするんだなあ、などと妙な安心感を覚えつつ、ケトは口を開いた。


「大聖堂、綺麗だったね……」


 正面扉から入った瞬間、一番奥の龍神像が目に入った。石造りと思われるそれは、しかし色ガラスの光をこれでもかと浴びて、それだけで壮観だった。その膝元に鎮座する説教壇と、その手前に何列も連なった長椅子の数々。思ったよりもずっと広くて、けれどそこも大入り満員。


 意外なことに、祈りを捧げていたのは、決して白ローブの教徒だけではなかった。壁の花と化していたケトの前を通り過ぎていく中には、普段着の町の人たちの姿も多かった。

 それは例えば杖を突いた老人であったり、仕事に行く途中の男性であったり、鼻水を垂らしていそうな子供と親の組み合わせだったり。船乗りの姿もちらほら見かけたし、近所の主婦と思しき女性陣は、おしゃべりに花を咲かせていた。皆がそれぞれの恰好で聖堂を訪れていて、だから、ケトが想像していた白一色の大広間なんてどこにもなかった。


「そうでしょう、そうでしょう。ここに来られる皆様が、あの大聖堂を見て感動されるのです」


 素直な感想を漏らしただけだったが、リネットがは何とも嬉しそうに身を乗り出してきた。


「大聖堂は我らが魂を捧げる龍神様のおわすところですから。少しでも美しく、と思うのは当然のこと。今日はいい天気ですし、色ガラスが映えていたでしょう、ね?」

「う、うん……。でも、こっちの建物は普通なんだなあって」


 王城にも足を踏み入れたことのあるケトのこと。きらびやかな建物を見るのは初めてではないのだが、それにしたって引っ掛かることがある。あの大聖堂と、他の建物の温度差だ。

 あの建物にはとにかく綺麗な装飾が施されていたのに、今いる食堂はとても質素な雰囲気だ。目の前の机は飾り気のない重そうなものだし、腰かけている椅子には背もたれすらついていない。


「聖堂があんなに綺麗なら、修道院とか食堂とか、もう少し立派にしてもいいんじゃないかと思って」


 食べ終わったばかりの、これまた質素な木皿を重ねていると、リネットは眉を下げて苦笑を見せた。


「いえ、こちらはこれで問題ありません」

「まあ、椅子の数は足りてるし、問題はないだろうけどさ」

「私たちは、ここで食べて寝ることができます。今なお修道着を身に付けられることすら許されています。これ以上、何を望むと言うのでしょう」

「……うーん?」


 コテンと首を傾げて、ケトは教徒の顔を見返す。


「……あの大聖堂、本来なら、私たちには過ぎた場所なのですよ」

「どういうこと?」

「少し前まで、私たちの信心は歪んでいました。龍神様がお怒りになられるのも当然です。……だから、という訳ではありませんが、総本山のベルエールは戦後解体されてしまいまして。代わりに今ではこのマイロが信仰の中心です」


 少し考えて、彼女が枢機卿の手駒だった頃のことを指しているのだと気付いた。その間も続く教徒の言葉を慌てて追いかける。


「あの頃の私たちは、間違いを間違いと気付くこともできませんでした。我らこそが新時代を切り開く先兵なのだと、疑うことなく進み続けてしまった。その罰を受けて尚、あの大聖堂を失わずに済んだこと。それに感謝しなくてはなりません。だから、これで何の問題もないのです」

「そう、なんだ……」


 こちらに柔らかい微笑みを向ける教徒。けれど彼女もまた、かつての敵だという事実に気付いてしまって。

 ケトは返す言葉もなく、粗末な木の匙の柄をギュッと握った。


※次回は4/18(月)の更新になります。

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