動き出す世界 その10
しばらく病室で臥せっている間に、外はもうすっかり真夏の陽気であった。真っ青な空を見上げて、あまりの眩しさに、コーティは左手をかざす。
「おう、来たかコーティ!」
「……ルイス様」
王城の南門近く。車止めの一つに、小さな馬車が停めてあった。ルイスが手配してくれたそうで、行き先を偽ることも含めて「色々と弁えた御者」を連れてくると言っていた。
貴族の人たちが使うようなキャリッジではなく、簡素な一頭引きの幌付き馬車である。それでもつくりは頑丈で、日差しだって防げる。未だに回復しきっていないコーティに長い旅路は堪えるから、ありがたく好意を受け取った。
意外だったのは、彼がわざわざ見送りに来てくれたこと。外は暑いだろうに、侍女一人のために外まで出てきてくれるとは。相変わらず人の噂を気にしない御仁である。
「すみません。こんなところまで」
「かわいい侍女の一人旅だからな」
かわいい、とコーティは口の中で呟いた。まったく、自分は何を意識してるんだろう。そう意味じゃないってこと、ちゃんと分かっているのに。
「あ、そうだ。昼飯作っといたから」
「え? ……どなたが? ルイス様が?」
「おう。簡単なやつだけどな。他のと一緒に箱の中入れてあるから、ちゃんと食えよ?」
なんて言うか、本当に器用な人。王子様が料理をするなんて聞いたことがない。それこそ専属の料理人がいて、基本的に毒見役が確認したものしか口にしないのに。
そういえば、いつだったかルイスと二人で街歩きした時にも少しだけ買い食いをしたっけ。もちろんコーティが気を利かせて先に一口ちぎって確認してから渡していたけれど、そうでもしないと彼は気軽にものも食べられないのだ。
今の彼の後ろには騎士たちがたくさんいて、改めて窮屈な境遇を思い知る。コーティは胸に左手を当てて、静かに吐息をついた。
「ありがとう、ございます……」
「料理なんてはじめてやったからさ、あんまり見てくれは良くないけれど。ま、ゆっくり味わえよ」
「かしこまりました」
彼は自ずからコーティの荷物を手に取ってくれた。服だけでなく、二歩指の義手まで入っているから、それなりの重さのはずだ。驚いたようにカバンを見下ろして、少しふらついたことに照れたように笑った。
それだって侍女の仕事なのに。そんなの言うだけ無駄だってことは、もうコーティにだってよく分かっている。彼はとても優しい人だから。
「気を付けろよ?」
「ルイス様こそ。私のいない間、刺客に襲われないでくださいね?」
「善処するよ」
荷物に続いて、コーティは馬車の幌をめくり上げた。
しっかりとしたつくりの備え付けの椅子に、沢山の毛布とクッションが積み上げられている。きっと怪我人のコーティを気遣ってのものだろう。他には木箱と樽がいくつか。端に置いてある籐の箱は、ルイスが作ってくれたというお昼ご飯かもしれない。随分大きいところを見るに、もしかしたら他にも荷物が混じっていそうだけれど。
座席の端っこに腰かけてから、何だかとても名残惜しくなって。向き合って、彼に微笑む。視線を合わせた先で、ルイスもまた、珍しく神妙な顔をしていた。
「あー……。なんて言ったらいいか」
「ルイス様?」
「……寂しくなるよ」
彼の方から言い出したことなのに、なんて心の片隅でおかしく思いながら、コーティは彼の顔を見つめた。
亜麻色の癖っ毛は、手入れが大変だと知った。いつからか、朝、彼の寝癖を直すのがコーティの仕事になっていて、はじめてそのことを知った。
彼の蒼の瞳。水の色、空の色、海の色。それまでは何の感慨もないただの色だったのに、いつしか大好きな色になっていた。
「すぐ戻りますから」
「ああ……」
しばしの沈黙。何か言いたいのに、何も言えなくて。互いにそんな時間を過ごす。
やがて彼は、小さく囁いた。
「ありがとう」
「え?」
「君は俺に、理由をくれた。だから……」
彼の表情が変わる。まるで解けて消えてしまいそうな、切ない微笑み。はじめて見た彼の姿に、コーティは知らず息を飲んで、思わず身を乗り出そうとして。
けれど、座席が揺れた。その振動で、コーティは馬車が進み出したことを知る。
「ルイス様……?」
「さよなら」
少しずつ開く距離。彼が小さく手を振って。
侍女は惑いながら、彼の姿を見る。城の前に佇む彼と、それを囲う騎士たちと。それらすべてが見る見る小さくなり、やがて壁の向こう側へと消えていく。
……なんで、そんな。最後の最後で、そんな。
行ってきます、行ってらっしゃい。彼と自分の間柄なら、そのくらいでいいはずじゃないか。さよなら、だなんて、そんな。
「今生の別れじゃないんですから……」
振動が変わる。城の門を潜り抜けて、町の石畳に変わったようだった。
呆けることしばし。いつしか表通りの喧騒が、馬車の中のコーティを包んでいて。周囲のざわめきに押し流されるように、ガタゴト進む馬車の中で。
城の内壁の上に、西支城のてっぺんが見えた。翡翠色の屋根と、白の外壁。幾度も訪れた彼の寝室と執務室がある場所。
「……!」
それは突然だった。雷に打たれたかのような感覚と共に、何かが頭の中で繋がって。瞬間、コーティは我を忘れて動き出す。
馬車の奥に這うように戻って、先程見かけた荷物の中から、籐の箱を引っ張り出した。
結んである紐がもどかしい。半ば引きちぎるようにして、口と左手を使って結び目を解く。腕が一本しかないコーティにとって、被せられた蓋を開けるのは至難の業だった。
何故か心臓がバクバク鳴っていた。早く、早く。
ようやく開いた、大きな籐の箱。彼からもらった贈り物の中身が知りたい。
「ルイス様……」
さよなら。
彼の言葉を反芻しながら開けた中には、ああ、こっちがお弁当の包みで、他にも魔導瓶が何本か入っていて、隣の小さな籠には戦闘で壊れたままの武装義手が入っていて……。
「ルイス様!」
そして、箱の一番下に。
五本指の、新品の義手が入っていた。
吐き出す息が震える。差し伸べた左手まで震えている。お弁当をひっくり返さないように、外に優しく避けてから。
コーティは新しい義手を、そうっと取り上げて。宝物みたいに、抱きしめた。
「ああ……」
想いが溢れて、言葉にならない。
あなたと言う人は本当に。今すぐ馬車から飛び降りて、走って彼の元まで戻って、抱き着いてお礼を言いたい。ありがとうを、この感謝を、この胸の暖かさを。
「あ……」
全てを取り出した終えたはずの箱の底に、小さく折りたたまれた紙が残されていることに気付く。
手紙だろうか。いつだってコーティを翻弄する彼のことだ。お茶目に「驚いた?」とか書いてありそうだけれど。そっと微笑んで、義手を膝の上に置き直して、二つ折りの紙を取り上げて。
中を開けば、見知った彼の筆跡が……。
ガシャン、と。幌馬車の中に金属音が響いた。
コーティの膝の上から真新しい義手が転げ落ちて、馬車の床とぶつかった音だった。
「え……?」
左手が震えて、文字が上手く読めない。ハクハクと浅い息を繰り返しながら、侍女はその短い文面を何度も何度も読み返す。
それは、紛れもなく彼からの手紙。
主から侍女に向けた、はじめての手紙。
――コーティへ。
お前、クビな。戻ってこなくていいから。
*
唖然として、間違いなんじゃないかと何度も読み返して。
だってそうでしょう? 彼は私にお昼ご飯まで作ってくれて、気付かれないようにいつの間にか五本指の義手まで作ってくれて。
それがどうして、戻って来るな、なんて。
やがて震えが収まって、周囲の声が聞こえるようになって。ガタガタと、床の揺れから道が石畳から土に変わったことを理解する。
そっと、お弁当の包みを開けてみる。フワフワのパンに、野菜と鶏肉が挟んであって、確かにちょっと不格好だけれど、それはとてもおいしそうで。
――さよなら。
「ああ……」
彼の言葉を思い出して、そこでようやく察しの悪い侍女は気付いた。そういうこと、だったんですね、と。
怒りはなかった。
代わりに浮かび上がったのは、ただ、安堵。
「……良かった」
良かった。
もう、コーティの我儘で、ルイスを巻き込むことはないと分かったのだから。
だって、そうだろう? この国の王子が私的な復讐に協力するなんて、どう考えても問題だ。
王子付きの侍女が、国の重要人物に危害を加える。それは、国そのものにとって計り知れない影響を与えることだろう。もちろん悪い方に。
コーティだって、本当は分かっていたのだ。
ルイス王子だけは巻き込んではいけなかったことくらい、ちゃんと分かっていたのだ。他のどんな人間を足掛かりにしようとも、彼は、彼だけは利用してはいけなかった。
その選択がそのまま、国の問題に直結してしまう彼だけは。
ケト・ハウゼンと死闘を繰り広げた後。何も責められない病室で、コーティは戸惑ったものだ。
まさか彼の傍に戻れるなんて。すべてを宙ぶらりんにしたままなのに、自分だけ侍女としての生活に戻れるなんて。
そんなのおかしい。だって自分は悪人なのだ。元から彼の傍に居るべき人間ではないのだ。
彼は馬鹿かもしれないが、無能ではなかった。自分の影響力というものをきちんと理解していた。
そんな彼が、自分を切り捨てるのも当然のこと。
ここから先は、どんな筋書きになるのだろう。そんなことを想像してみる。
罪を犯した侍女を、折を見て僻地へと飛ばす。後はもう≪白猫≫襲撃が彼女の独断だったとでも言えばいい。王子を利用するだけ利用して、挙句勝手に逃げ出した、と。
この馬車は彼が手配したもの。弁えた御者だと言っていたっけ。十中八九間違いないはず。
きちんと証言してしまえば、彼は王子のままでいられる。確かに周りの目は厳しくなるだろうけれど、最悪の状況は免れることができる。たとえ真相がすぐにバレたとしても、これ以上の混乱を防ぐために、国がそう判断するはずだ。
悪いのは全て自分だ。何の益も生まない復讐に身を焦がし、人生の全てを捧げて、実行に移したコーティ・フェンダートだ。そんな自分に手を貸してくれた、心優しい王子様。彼が酷い目に遭ってしまうなんて、コーティは嫌だ。
道理でこの馬車も、王城であまり見ない形をしている訳だ。王都から離れたら、どこか適当なところで口封じするつもりなのだろう。
コーティさえ殺せば、真相は闇の中だ。王子が≪白猫≫討伐に手を貸した事実は、暗黙の了解として語り継がれ、単独犯はどこかで野垂れ死んで、それでこの話はおしまい。
御者はこのことを知っているのだろうか。顔すら見ていないが、流石に口封じに付き合わされるのは忍びない。それらしき殺気を感じたら、すぐに馬車から離れよう。
案外、御者が刺客と言う線もあるかもしれないけれど。それはそれで後腐れなくていい。
自分は彼に、王族のままでいてほしい。自分が消えればそれができると言うのなら、コーティは喜んで己を差し出そう。
一応持ってきたナイフは、鞘ごと馬車の床に放った。魔導瓶もあるけれど、籠の中に突っ込んだ。
それが終われば、後は椅子の背もたれに寄りかかって、義手とクッションを抱えて、コーティはたった二行の手紙を何度も読み返すだけ。
それから、包み紙を破って、コーティはお弁当を頬張った。
それが毒かどうかなんて、疑うのも烏滸がましかった。パンは柔らかくて、鶏肉はしっかりと下味がついていて、茹で野菜も歯ごたえを残していて。
「おいしい……」
おいしかった。声が情けなく震えるほどに、おいしかった。
まるでルイスと出会ってからの数か月みたいだな。なんて、元侍女はそう思った。
これならば悪くない、そうも感じて。復讐心と侍女の抜け殻は、素直に微笑んだ。
「あなたに、感謝を」
刺客が来るまで、あと一日か、半日か。
死ぬときくらい綺麗に死のうと、そう思った。




